人の一生は、旅に似ています(四)
神谷の家からの帰り道、権太と壱助は並んで歩いていた。
「壱助さん……さっきは何だって、あんなにむきになってたんだ? あんたらしくないな」
いつになく饒舌な権太に、壱助は苦笑した。
「いや、申し訳ありませんね。あっしもつい、かっとなっちまいました。まだまだ、修行が足りませんなあ」
言いながら、壱助は頭を掻いた。確かに、先ほどの自分はどうかしていたと思う。普段ならば、くれるという金を拒絶などしない。へらへら笑って金を受け取り、さっさと引き上げていたはずだった。
それなのに、さっきは何故か意地になって言い返していたのだ。あの銀次郎という男が、とっさに機転を利かせなかったら、どうなっていただろう。
「何か、あの夫婦の姿を見てたら……苛ついてきましてね」
「どういうことだ?」
「あいつらには、隠し事なんかひとつもないんでしょうね。あの神谷は、ありのままの姿を奥方に晒してるんでしょうな」
呟くような壱助の言葉に、権太は眉をひそめた。
「俺にも、女がいる。隠していることの、ひとつやふたつはある。それが悪いことだとは思わない」
「えっ? あんた、女がいたんですか?」
壱助は驚いた。この無骨で無愛想で、恋愛沙汰とは縁遠そうな権太に、女がいたとは……。
「ああ、そうだ。おかしいか?」
「いや、別におかしくはないですが……意外でしたよ。いったい、どんな女なんですか?」
何気ない問いに、権太の顔が歪む。その場に立ち止まり、下を向いた。何か、深い事情があるらしい。
壱助は、慌てて話題を変える。
「いやあ、意外でしたね。まあ、それはともかくとして……ああいう夫婦を見てると、あっしは自分が嘘つきである事を思い出しちまうんですよ。あっしは、お美代に嘘をつき続けてる訳ですからね。罪悪感、って奴を感じるんですよ。人殺しの分際で、罪悪感も糞もないですがね」
そう言うと、壱助は自嘲の笑みを浮かべる。
権太は顔を上げ、彼を見つめた。
「だったら、早く言ってやれよ。その方が、あんたも楽になれるんじゃないのか?」
「それが、簡単にはいかねえんでさぁ。あっしも、肝っ玉が小さいですね」
言いながら、壱助は頭を掻いてみせた。すると、権太はくすりと笑う。
「わかるよ。俺も、肝っ玉が小さいからな」
・・・
熊次と寅三の兄弟は、鋳掛屋を営んでいる。鍋や釜の穴を修繕するのが、主な仕事だ。腕も悪くない。常連の客を、何人も抱えている。
しかし、それはあくまでも表稼業である。裏の世界では、殺し屋として知られていたのだ。兄弟ならではの、息の合った仕事ぶりには定評がある。こちらの方でも、常連の客を抱えているのだ。
今、彼ら兄弟は裏の仕事に取りかかるべく、店で準備をしていた。
だが、異変を感じとる。何かがおかしい。
「兄貴、なんか変な音がしねえか?」
寅三が呟く。と同時に、外から声がした。
「もし……こちらに、熊次さんと寅三さんはいますでしょうか?」
女の声だ。既に夜はふけており、店は閉めている。いったい何用であろうか。熊次は短刀を懐に、ゆっくりと戸口に近づいた。僅かな隙間から、外の様子を窺う。
奇妙な二人組が、そこに立っていた。黒い着物を着た浪人風の男が、木で出来た手押し車のような物に乗っている。さらに、車の後ろには女が控えていた。
「何だ、あいつらは?」
熊次は呟いた。何者かは知らないが、これから裏の仕事なのだ。さっさと帰ってもらいたい。
「店は閉めましたんで、御用があるなら明日にして下さいよ」
普段とは違う丁寧な口調で、熊次は答えた。裏の仕事を控えている今、下手に騒ぎを起こしたくない。こちらも、叩けば埃の出る体なのだから。
だが次の瞬間、予想外のことが起きる。
いつの間に侵入してきたのか……奥の部屋にいた寅三の前に、抜き身の長脇差を構えた渡世人風の男が現れたのだ。
渡世人は無言のまま、寅三に斬りつけていく──
「この野郎! 何しやがる!」
怒鳴りつけると同時に、寅三は何とか避けようと動く。だが、渡世人は容赦しない。その動きに合わせて、何度も切りつけていった。
寅三の体は、みるみるうちに赤く染まっていく。
「てめえ、ぶっ殺してやる!」
怒鳴り、侵入者に向き直る熊次。だが、その瞬間に戸が開かれた。
次いで、熊次の首筋を襲う強烈な一撃──
熊次は思わず呻いた。だが、攻撃は止まらない。皮膚を削ぎ落とすような打撃が、立て続けに彼を襲う。耐え切れなくなり、両腕で顔を覆った。
その時、渡世人が突進した。長脇差が、熊次の腹を抉る。
熊次は、呻き声を上げながら倒れた。
その日、お禄は町をぶらぶらしていた。目当ては、いつもと同じく情報収集である。通りを歩き、あちこち見回していた時だった。
「お禄さん、ちょいと話があるんですがね……よろしいですか?」
後ろから呼び止める声がした。振り返ると、そこにいたのは捨三である。
「おや捨三さん、どうしたんだい?」
お禄は少し警戒するような表情で、捨三の言葉を待つ。この男、見た目は頼りない若造だが……江戸の裏稼業でも最大の組織である『巳の会』の人間なのだ。
その捨三が、わざわざ自分を探しに来た。つまりは、蛇次の意思だろう。
果たせるかな、話の内容は彼女の予想通りであった。
「熊次と寅三が殺られたのかい?」
お禄の言葉に、捨三が頷いた。
「ええ。あの兄弟は、江戸ではちっとは知られた殺し屋でしたからね。その兄弟が殺られた……こりゃあ、匂いませんか?」
「匂い?」
聞き返すお禄に、捨三は案じるような表情を向けた。
「よその連中が、江戸に来てるんじゃねえか……蛇次さんは、そう言ってるんですよ」
「よその連中、ねえ」
言いながら、お禄は眉間に皺を寄せる。
確かに、裏稼業に生きる者たちにとって、江戸は魅力的な場所だ。江戸への進出を目論む輩も少なくないと聞く。
仮に熊次と寅三の兄弟を殺ったのが、そんな輩であるとしたなら、見過ごせない事態だ。
「まあ、そうでなかったとしても……あっしらにとっちゃあ、熊次と寅三の兄弟は同業ですからね。裏稼業の仁義を守る、数少ない殺し屋でした。それを殺されたとあっちゃあ、黙ってられねえ……蛇次さんは、そう言ってるんですよ」
「蛇次さんが、かい」
言いながら、お禄は下を向いた。この話の行き着く先が何なのか、それは容易に想像がつく。恐らくは、熊次と寅三の仇討ちであろう。
だが、蛇次が何のために兄弟の仇討ちをさせようとしているのかがわからない。そもそも、彼らと蛇次とは、格別に仲が良かった訳ではないのだ。それどころか、かつて兄弟は蛇次に対し無礼な言葉を発したこともある。
そんなふたりが死んだところで、蛇次にしてみれば痛くも痒くもない。むしろ、いい厄介払いが出来たという気分のはずだ。
考え込むお禄に向かい、捨三は話を続ける。
「蛇次さんは今、兄弟を殺した奴らの情報を集めているんですよ。で……その下手人の始末を、あんたら仕上屋に頼みたいと仰ってるんです。引き受けてもらえませんか?」
「そいつは難しいねえ。いくら蛇次さんの頼みと言えど、相手もわからねえのに引き受けられないよ。あんただって、この世界のしきたりは知ってるんじゃないのかい? いったん引き受けておいて、やっぱり駄目でした……それは通じない。せめて、相手がはっきりしてからにしてくれないかな」
お禄の言葉に、捨三は頷いた。
「それは仰る通りです。しかし、いずれ下手人は判明するでしょう。なんたって、蛇次さんの情報網は江戸でも指折りですからね」
そう言うと、軽く会釈する。
「今の話ですがね、頭の片隅にでも留めておいて下さいよ。下手人が判明したら、お禄さんに依頼するかも知れません。蛇次さんも言ってましたが、仕上屋さんは江戸でも屈指の腕利きですから……もう一度、よく考えておいてください」
その言葉を残し、去っていった。
捨三の後ろ姿を見つめながら、お禄は考えた。この話には、どうも裏があるような気がする。熊次と寅三の仇を討つ……蛇次のような冷徹な悪党が、そんな事を考えるとは思えない。
蛇次は、自分たちに何をさせようと言うのだろうか。
やがて、お禄は歩き出した。本来、今日の予定は仕分人とやらの情報収集だったが、予定変更だ。まずは、掏摸のお丁を探さなくては。
お丁は、すぐに見つかった。絵双紙屋で、店主の草八と何やら話している。だが、お禄の視線に気づくと、さりげなく目配せした。
お禄は、すっと視線を外し歩いていく。人気のない路地裏へと進んで行き、物置小屋へと入っていく。中で、じっと待っていた。
ややあって、外からとんとんと叩く音がした。
「姐さん、あたしです。いますか?」
お丁の声である。
「ああ、いるよ。ねえ、熊次と寅三の兄弟が殺られたそうだね。何か噂を聞いてるかい?」
「はい、聞いてますよ。あの兄弟は、江戸に来た賞金稼ぎに殺られたって噂です」
「賞金稼ぎ?」
「ええ。そんな噂が流れてます。けどね、妙なんですよ。その事件、渡辺正太郎が調べてるんですが、やたらと気合い入れてるんです」
「あの昼行灯がかい?」
お禄は、思わず首を傾げる。昼行灯で有名な渡辺が、やる気になっているとは……どういうことだろう。
「そうなんですよ。まあ、あいつじゃあ捕まえられないでしょうがね」
「捕まえられても困るんだよ。もしかしたら、その賞金稼ぎをあたしらが始末することになるかもしれない」
「えっ……その仕事、引き受けるんです?」
「まだわからない。ただね、巳の会の蛇次が持って来た話だからね。奴の仕事を断ると、後が面倒だ。それに金もいいしね。よほどのことがない限り、引き受けるつもりだよ」
「そうですか。気をつけてください。その賞金稼ぎ、腕はいいみたいです」
・・・
その翌日、右近たちが潜むあばら家を客が訪れた。
同心の渡辺正太郎である。彼は門の前に立ち、神妙な顔つきで声を発した。
「神谷さん、私です。渡辺です。ちょっとお話があるのですが……」
ややあって、銀次郎が顔を出す。
「渡辺さん、入っておくんなせえ。神谷さんは会うと仰ってます」
渡辺と右近は、奥の部屋で向き合っていた。先日、会った時とはまるで違う、殺伐とした空気が漂っている。
口火を切ったのは、渡辺だった。
「神谷さん、私は妙な噂を耳にしました。旅の賞金稼ぎに、江戸の裏稼業の人間が殺られたとか。熊次と寅三という名の兄弟です」
「そうか。物騒な話だな」
静かな口調で、言葉を返す。その表情は全く変わらない。しかし、傍らにいる花は明らかに動揺していた。一方、銀次郎の表情は険しい。何かあったら、すぐにでも動きそうな様子だ。
そんな状況でも、渡辺の態度は静かなものだった。
「私はね、もうひとつ噂を耳にしてるんですよ。その、熊次と寅三の仇を討とうと目論む連中がいるらしいんですね。まあ、どこのどなたかは知りませんがね……わざわざ江戸まで人を殺すためにやって来て、挙げ句に命を狙われるとは、なんとも馬鹿な賞金稼ぎですね」
冷たい表情で、淡々と語る。すると、銀次郎が立ち上がった。
「渡辺さん、何が言いてえんだ──」
「待て、銀次郎」
片手を挙げて制したのは右近だ。そして、渡辺を睨みつける。
「渡辺、この俺を見ろ! 俺の体を、どう思う!?」
「それは……」
突然、右近の声音が変わった。渡辺は動揺し、思わず目線を逸らした。だが、右近はなおも言葉を続ける。
「俺の体を見ろ。俺は、ひとりでは生きていけん身だ。かつては南町の虎と言われた俺が、今はこの様だ。ひとりでは、用を足す事も出来ん」
吐き捨てるように言った。その表情には、底知れぬ怨念があった。世の中の全てのものに対する怒り、憎しみ、絶望……その淵から、彼は這い上がって来たのだ。
沈黙が、あばら家を支配する。皆、思い思いの表情で黙りこんでいた。だが、どこからか虫の羽音が聞こえてくる。一匹の雀蜂が入り込んで来た。
思わず顔をしかめる渡辺の前で、右近は腕を振った。
奇妙な破裂音が響く。直後、雀蜂が床に転がる。
右近は再度、腕を……いや、鞭を振るった。すると、雀蜂の死骸は庭に弾き飛ばされる。
「見事なものですな」
渡辺は、呟くように言った。すると、右近は庭を見つめる。
「俺は今まで、必死で腕を磨いてきた……悪人どもを狩るためにな。今の俺は悪人どもを狩らなければ、ただの生ける屍だ」
その言葉を聞き、表情を曇らせる渡辺。少し間を置き、立ち上がった。
「そうですか、わかりました。今のあなたには、何を言っても無駄なようですね。ただ、ひとつだけ言わせてもらいます。あなたのその思いは、どこから来るのでしょうか? 一度は死んだはずの、過去の自分を未だに追い求めているからなんじゃないですか」
「何だと?」
「あなたは、生き方を変えるべきでした。どんな体になろうとも、それに合った生き方はあったはずです。なのに、あなたは過去の自分にしがみ付き、生き方を変えようとしなかった。挙げ句、裏の世界の住人へと身を落とす……あなたは、本当に不器用な人なんですね」
淡々とした口調で語る。その瞳には、深い哀しみがある。しかし、その哀しみが右近を苛立たせたらしい。彼は凄まじい形相になった。
「貴様に、何がわかる! 俺の苦しみが、貴様ごときに理解できるか!」
「その通りです。私みたいな南町の昼行灯には、あなたの苦しみは理解できません。でも、これだけは言えます。住んでいる村が土砂崩れにあったら、どんな住み慣れた場所でも離れます。嫌でも旅に出るでしょう。しかし、あなたは土砂崩れに遭ったというのに、懸命に生まれ故郷にしがみついている……私には、そのように見えます。それが正しいかどうかは、私にはわかりません。ただ、あなたの選択が何をもたらすかは……私なんぞが言わなくてもわかるでしょう。では、失礼します」
そう言って、渡辺は頭を下げた。
「最後に、もうひとつだけ。あなたを狙っているのは、仕上屋とかいう凄腕の連中だそうです。全てに片がつき、もし命あったら、江戸を離れる前に、一緒に酒でも飲みましょうや」




