人の一生は、旅に似ています(二)
「不景気だよ、権太さん。どうしたもんかねえ」
壱助の言葉に、権太は憮然とした表情になる。
「知らん。俺みたいな馬鹿に聞かれても困る。おい蘭二、お前は学があるんだろ。何か考えろ」
言いながら、蘭二に視線を移す。だが、彼は苦笑するばかりだ。
「そんなの、私にもわからないさ。金儲けと蘭学は、まるで違うものだからね」
この三人は今、『上手蕎麦』にいる。客はふたりの他にはいないし、お禄も出しかけている。
壱助と権太は 朝からふたりしてあちこち回っていた。もちろん、表稼業である按摩のためである。ところが、今日はとんと客がつかない。そろそろ申の刻(午後三時から五時)になろうかという時間だが、結局ひとりも客がつかなかったのだ。
ふたりは、仕方なく上手蕎麦に来た。仕事にあぶれた壱助がぼやき、権太がそれに付き合い、蘭二がふたりをなだめている……といった構図である。
「仕方ないな。泥棒でもやるか?」
権太の口から、とんでもない言葉が飛び出た。聞いた壱助は、静かにかぶりを振る。
「権太さん、そいつぁいけませんや。あっしら、裏の世界の住人ですぜ。専門外のところに手を出して、万一のことがあったら……」
壱助は、そこで言葉を止めた。後は言わなくても分かっているな? とでも言わんばかりの表情を浮かべる。
「それもそうだ。しかし、お前ら意外と金遣い荒いな。あれだけあった金を、もう使い果たしたのか」
呟くように権太は言った。すると、横で聞いていた蘭二が口元を歪める。
お禄と蘭二のふたりは先日、あちこちで派手に散財した。
前回の仕事は、後味の悪いものだった。仕留めた相手の店には、四肢を切断された女郎や盲目の女郎、まだ十歳にもならないのに客を取らされていた幼女までいたのだ。
しかも、その全員が阿片中毒にされていた。もはや思考力さえ失い、口を開けたまま虚ろな目で壁を見ている。
そんな彼女たちを、仕上屋の面々は始末した。ひとり残らず、きっちり殺した……さすがの彼らも、やりきれない思いを抱えていたのだ。
だが、そこで名案を出した者がいた。
「女郎からもらった金なら、女郎に返してやろうじゃないか」
お禄の言葉がきっかけとなり、蘭二は彼女とともに売春宿を廻ったのだ。客の付かなかった女郎たちを連れ出して、あちこちで派手に飲み食いした。
結果、あっという間に金は消えてしまった。
「あんたら、銭は大切にしないといけませんぜ。女郎たちにばら撒いて、何になるんです? 罪滅ぼしのつもりですかい?」
その話を聞いた時、壱助はこんな憎まれ口を叩いた。だが、そんな彼も文無しである。
壱助も、あちこちで散財したのだ。河原者たちの住む場所でわざと金を落としたり、長屋の貧乏一家に小判を放り込んだり……そうでもしなければ、やりきれなかった。
権太もまた同様である。仕事の後、南砺も言えない気持ちも紛らわせるため、あちこちで飲み食いした。挙げ句、あっという間に使い果たしてしまったのだ。
「いっそ、さくらでも雇ったらどうだい?」
蘭二の言葉に、権太は訝しげな表情を向ける。
「さくら? どういう意味だ?」
「いや、明日は満願神社で縁日があるだろ? かなりの人が来ているはずだ。そこで、さくらの男が派手に転ぶんだよ。そして痛がっている演技をしている所に壱助さんが通りかかり、揉み療治でさくらの男が治る──」
そこまで言って、蘭二は言葉を止めた。壱助が、あまりにも真剣な様子で話を聞いているのだ。
「あの、これは冗談だから。昔からある、使い古された手口だよ」
「冗談でも、使い古された手口でも何でもいいですよ。話を続けてくたさい」
壱助に促され、蘭二は仕方なく話を続ける。
「そ、それでだね……壱助さんは治した後、名乗るほどの者じゃない、なんて言ってさっそうと消える。その後で権太さんが出て来て、壱助さんの腕前を周りに吹聴すれば、客が増えるんじゃないかと。あっ、でもね、下手をすると、地回りのやくざに目を付けられるかもしれないよ」
慌てて言い添えた。だが、壱助は真剣な顔つきである。
「地回りなんざ、関係ないですよ。このままじゃ、懐が寂しくていけませんや。試してみても、損はないですぜ」
ひとりで頷く壱助に、蘭二は危ういものを感じた。
「い、いや……これは冗談だからね。第一、さくら役がいないじゃないか」
止めようとした蘭二だが、権太が口を挟んだ。
「ひとりいる。長屋に、若造が引っ越して来た。おとなしくて気の優しい男だ。壱助さんが頼めば、やってくれるだろう」
「そうですか。だったら、試してみましょう」
そう言うと、壱助はにやりと笑った。
翌日。
満願神社には、普段より多くの人が訪れていた。さほど大きくはない神社ではあるが、今日はあちこちに露店がならんでいる。道行く人は足を止めて、売られている様々な物を眺めていた。
と、そこにひとりの若者が通りかかる。まだあどけなさの残る、ざんぎり頭で気の弱そうな顔つきをしていた。
その若者は物珍しげにきょろきょろしながら、神社内を歩いていた。が、いきなり派手な音を立てて転ぶ──
「痛い! 痛いよう! 腰を打った! 誰か助けてください!」
若者は腰を押さえながら、ぎゃあぎゃあ喚き出す。すると、たちまち人だかりが出来た。皆で若者を囲み、どうしようか……とでも言いたげな表情で顔を見合わせる。
しかし、そこにひとりの座頭が現れた。言うまでもなく壱助である。
「もし、どうかなさいましたか?」
杖を突きながら、歩いて行く壱助。若者のそばにしゃがみこむ。
すると、その後ろから声をかけた者がいる。
「ちょっと壱助さん、待ちなよ!」
声を張り上げながら、追いかけて来たのは権太だ。権太は野次馬をかき分けて、壱助と若者のそばに走り寄って行った。
「壱助さん、銭も貰えないのに治療なんかすることない」
完全に棒読みである。壱助は、顔をひきつらせながらも演技を続けた。
「権太さん、医は仁術です。声を聞いてしまった以上、知らぬ存ぜぬは出来ません。私が治して差し上げましょう」
わざとらしい口調で言うと、壱助は若者の腰のあたりを揉んでいく。
やがて、若者は嬉しそうな顔で立ち上がった。
「あっ! 治った! 治りましたよ先生! ありがとうございます!」
何度も何度も頭を下げる。すると、壱助はにっこりと笑った。
「それは良かった。では急ぎますので、私はこれで……」
そう言って、杖を突きながら去って行く。その後ろ姿を、野次馬たちは感心したような表情で見送っていた。
「いやあ、大した先生ですねえ! あれは、どこの何者なんだろうなあ!?」
若者が白々しさ満点の表情で言うと、権太が答える。
「ああ、あの人は壱助さんという按摩さんだ。腕がいい。ちょいと捻ったくらいの怪我なら、簡単に治す」
こちらも、野次馬たちに聞かせるかのような大きな声である。ただし、相変わらずの棒読みだが。
「ほう! 怪我をした時など、またお願いしたいもんだなあ!」
若者の演技は、あまりにも仰々しいものだった。
「だったら、俺に言いに来ればいい。俺は権太という名だ。この先の弥勒長屋に住んでいる」
返す権太も、棒読みのままだ。
「なるほど! 弥勒長屋の権太さんですな! その権太さんに言えば、あの先生の揉み療治を受けられると!」
「あっ、ああ。そうだ」
その光景を、遠くから眺めている者がいた。お禄の情報屋、お歌である。彼女は普段、この満願神社の近辺で大道芸人をして生計を立てている身だ。
「あんな酷い三文芝居、初めて見たよ」
呟くように言った彼女に、横の男も頷いた。




