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必殺・仕上屋稼業  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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35/62

さよならだけが、人生です(三)

 小屋に帰るなり、権太は仰向けに寝転んだ。無言のまま、じっと天井を見つめる。

 頭の中は、先ほど見たもので占められていた。清吉は、いつの間にか外道と化していたのだ。それも、自ら進んで……。




 かつての清吉は、あんな人間ではなかったはずだ。島を出たら、真っ当に生きると言っていたのを覚えている。それなのに、いつの間にか人間の屑になっていた。

 人の運命とは、本当にわからないものだ。そもそも清吉は、奉公先の年上の女将に誘惑され、挙げ句に姦通罪で島送りになったのだ。他の悪党とは違う。そうでなければ、こんなに早く島から帰ってこれなかったはずだ。

 清吉の行動は、褒められたものではない。だが、盗んだわけでも殺したわけでもないのだ。しかも、当時の彼は奉公人である。奉公先の女将に言われれば、逆らうことなど出来ない。いわば、加害者であると同時に被害者でもある。

 しかし、世間の人はそうは見ない。清吉は、紛れもなく極悪人の島帰りなのだ。その上、今はやくざ者である。

 確かに、やくざになる道を選んだのは清吉自身だ。しかし、全てが清吉だけのせいなのだろうか……自業自得という一言で、片付けられる問題ではないはずだ。

 結局、人生など……なるようにしかならぬものなのだろうか。


「ごんた、げんき、ない。どした?」


 ナナイが、心配そうに声をかけてきた。権太は体を起こし、微笑む。


「大丈夫だよ」


「ほん、とう?」


 彼の言葉を、ナナイは信用していないらしい。じっと、顔を覗きこんできた。

 権太は目を逸らし、下を向く。ナナイは、浮世離れした女だ。そもそも、人間ですらないのかもしれない。

 しかし、妙に鋭い部分がある。 


「本当だよ」


 言いながら、ナナイを抱き寄せる。

 考えてみれば、自分は清吉よりも罪深い男なのだ。これまで、何人の人間を地獄に落として来たことか。

 奴を裁く資格はない。奴の今後を心配する余裕もない。


 ・・・


 その頃、上手蕎麦の地下室でも一組の男女が向き合っていた。もっとも、こちらには色っぽい空気は皆無である──


「仕分人だって?」


 怪訝な表情のお禄に、蘭二は頷いた。


「ああ、確かにそう言ってたよ」


「ふざけやがって。いったい、どういうつもりなのかね」


 お禄は、眉間に皺を寄せ考える。  

 仕分人とは……近頃、江戸で噂になっている裏の仕事師たちだ。もっとも彼女は、どこかの瓦版屋の想像の産物だろう……くらいにしか思っていなかった。現に、お禄も実物を見たことはない。噂をたまに聞く程度だ。

 まさか、実物が自分たちに接触してくるとは──


「その女の顔は、まだ覚えてるかい?」


 お禄の問いに、蘭二は頷いた。


「うん、覚えてるよ」


「どんな感じだい?」


「そうだなあ……馬鹿のふりが上手い女、という感じがしたね」


「馬鹿のふり?」 


 首を傾げるお禄。


「つまり、物を知らないふりをしつつ接近してきて、気がついたらこっちの懐に入り込んで来る……という印象だったね」


「ああ、なるほど。あたしの一番嫌いな女だ」


 そう言って、お禄は顔をしかめた。


「まあ、嫌いというだけなら特に問題もない。近づかなければいいだけだからね。だが、あのお琴という女は、自分から仕上屋に接触してきたんだ。恐らく、また何かしらの動きがあるだろう。これから、どうするつもりだい?」


「そうだねえ……とりあえずは、ほっとくよ」


「えっ、それでいいのかい?」


 困惑する蘭二に、お禄は口元を歪めて見せる。


「ああ。気分は悪いけどさ、今のところ何か仕掛けて来る気配もなさそうだしね。もし、あたしらを潰す気なら……わざわざ挨拶なんかに気やしないよ」


「まあ、確かにね」


 ・・・


 黒波一家の親分である留介の屋敷には、大きな地下室がある。こういった秘密の部屋は、やくざ者や裏社会の住人にとっては必要不可欠なのだ。

 今、その部屋では……ひとりの女と、四人の男たちがいた。


「こいつは、もう駄目ですね。客の前でも、平気で垂れ流すようになっちまった。商売になりませんよ」


 吐き捨てるように言ったのは清吉だ。苛立たしげな様子で、女を睨みつける。

 その視線の先にいる女には、両手両足がなかった。さらに、その表情は虚ろだ。時おり、不気味な笑い声を上げている。


「そうだな、ちょいと阿片を吸わせ過ぎたよ。これからは、ほどほどにしないといかんなあ」


 そう言うと、留介は行商人風の男に視線を移す。


「だがな、こいつらにも気晴らしはさせなきゃならねえ。飴と鞭、そのさじ加減を間違えちゃいけねえ。なあ栗栖さん、あんたもそう思うだろう?」


 そう、留介は女たちに阿片を吸わせていたのだ。阿片を吸わせることで束の間の快楽に溺れさせ、客の相手をさせていたのである。

 阿片は、人間の持つ価値観を狂わせる。両手両足を失った事や視力を失った事すら、阿片のもたらす快楽に比べれば大したことはない……そう思えてくるのだ。

 もっとも、吸えば吸うほど確実に心と体は崩壊していく。


「ああ、人間には息抜きが必要さ」


 そう答える栗栖の表情は冷めきっている。自分の知ったことではない、とでも言いたげな様子だ。


「しかし、こうなってしまっては使い物になりませんね。では、始末するとしましょうか」


 言いながら、刀を抜いたのは用心棒の市村武三だ。色白の端正な顔立ちは、まるで女性のようである。しかし、その美しい顔には狂気めいた笑みを浮かべていた。


「仕方ないな。じゃあ、始末は任せたぞ」


 そう言って、顔をしかめる留介。この市村は、生まれは確かだし腕はいい。それなりに教養もある。物腰も穏やかだ。仕官の口には困らない、はずだった。

 三度の飯より人殺しが好きという欠点さえ無ければ、今頃はそれなりの地位にいたはずだったのだ。




「さてと清吉、次はどうするかな。また、新しい女を調達しなくてはならんが……」


「お任せください。今度は、もっといい女をさらってきますから」


 留介の言葉に対し、清吉はにやりと笑う。彼の足元には、首をはねられた女の死体が転がっている。床は既に血まみれだ。

 市村は、いかにも満足そうな様子で刀に付いた血や脂を拭っている。


「では、俺は失礼するよ。また阿片が入り用な時は、いつでも言ってくれ」


 そう言って、栗栖は立ち去ろうとした。だが、その途中で足を止める。


「ところで留介さん、闇の仕分人とやらの情報は入ったのか?」


「闇の仕分人? ああ、蛇次がそんなことを言っていたな。どうせ、でたらめに決まってる」


 留介の言葉に、市村が反応する。楽しそうな表情で顔を上げた。


「仕分人ですか。もし仮に、そんな連中がいるのなら……ぜひ出て来てもらいたいものですね。そうしたら、この私が叩き斬ってやりますよ」


 そう言うと、市村はその場で素振りを始める。取り憑かれたような表情で真剣を振るうその姿は、どう見ても正気ではない。さすがの留介も、ひきつったような顔で見ている。

 一方、栗栖は我関せずといった表情だ。


「そうか。まあ、気を付けるんだな。では、帰るとしよう。俺も暇ではないのでな」


 その言葉を残し、栗栖は去って行った。


「さて清吉、こいつの死体を始末しないとな。頼んだぞ」


 留介の言葉に、清吉は頷いた。


「へい、任せてください。死体が見つからないよう、灰になるまできっちり燃やしますんで」





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