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必殺・仕上屋稼業  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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34/62

さよならだけが、人生です(二)

 上手蕎麦は、大繁盛している人気店……とは、お世辞にも言えない店である。客も、建具屋の政を初めとする数人の常連がいる程度だ。ましてや、若い女がふらっと立ち寄るような雰囲気ではない。

 しかし、今日は勝手が違っていた。




「いらっしゃい」


 来客の気配を感じた蘭二は、にこやかな表情で声をかけた。彼の視線の先には、女がひとりで立っている。年齢は、二十代の前半から後半だろう。背は高からず低からず。地味な着物姿だが、器量はなかなかのものだ。肌も白く、男好きのする体である。町を歩けば、若い男が放ってはおかないだろう。

 女は席に着くなり、笑みを浮かべて蘭二を見つめる。


「あんたが蘭二さんね。噂通りのいい男」


「えっ?」


 蘭二の表情が凍りつく。この女、何か妙だ。単に蕎麦を食べに来た、というわけではなさそうな気がする。


「ねえ、お禄さんいる?」


 女は、さらに聞いてきた。蘭二は、平静を取り繕いながら言葉を返す。


「えっ、ええと……お禄さんに、何か用ですか?」


「いえね、挨拶をしとこうかと思いまして」


「挨拶、ですか?」


「ええ。仕上屋の元締さんに、仕分人(しわけにん)の者として挨拶しとこうかと思いましてね」


 その瞬間、蘭二の表情が歪む。反射に、懐に呑んだ煙管へと手が伸びた。が、そんな空気をぶち壊す者が現れる。


「お春ちゃん、今日も来たよ……あれ、どしたの?」


 不意に入って来たのは、建具屋の政だ。蘭二の放つ緊迫した空気を前に、呆気に取られている。

 その時、お禄が奥から顔を出した。


「どうかしたのかい?」


 蘭二に、そっと声をかける。異変に気づいたらしい。すると、女は軽く会釈した。


「どうも、お禄さん。あたしの名は、お(こと)です。今日は、ちょいと挨拶しに来ました。では、これで」


 お琴と名乗った女は、にっこり微笑んだ。直後にすっと立ち上がり、音も無く去って行った。


「ね、ねえ……今の、何?」


 困惑した表情の政が、蘭二にそっと尋ねる。だが、蘭二にわかるはずがない。

 わかることは、あのお琴が仕分人と名乗っていたことだけ──


 ・・・


 その翌日。

 権太が部屋を借りている長屋に、ひとりの男が姿を見せる。


「権太さん、いるかい?」


 権太は、複雑な表情で戸を開けた。


「清吉、何の用だ?」


 そう、長屋の訪問者は清吉だったのだ。複雑な表情の権太と対照的に、満面の笑みを浮かべている。


「今日はね、あんたにいい話を持って来たんですよ」


「いい話、か」


 訝しげな表情になる権太に、清吉は笑みを浮かべて頷いた。


「ええ、こいつは儲かる話なんですよ。是非、権太さんにも手伝っていただきたいんです」


「なんで俺に?」


 さらに尋ねる権太。彼には、清吉の考えが理解できない。なぜ今になって、わざわざ自分の所に来たのだろうか。


「決まってるじゃないですか。権太さんが、俺に親切だったからですよ。島では短い付き合いでしたが、権太さんに助けてもらった恩は忘れてやしません。俺はね、受けた恩は忘れないんです。それに、あんたのその腕っぷし……燻らせとくには、勿体ないですぜ」




 清吉に言われるがまま、権太は後を付いて行く。

 もちろん彼は、やくざの仲間入りなどをするつもりはない。もともと権太は、組織というものに不信感を抱いている。やくざなどは、役人と同じくらい信用できない存在なのだ。

 にもかかわらず、なぜ清吉の後を付いて行くのか……それはやはり、彼のことが気になるからだ。仕方ないとはいえ、やくざになってしまった清吉。まるで、昔の自分を見ているようだ。

 権太はふと、ナナイと出会った時のことを思い出す。さらに、お禄と出会った時のことも。もし自分があの日、ナナイやお禄ではなく何処かのやくざと出会っていたなら、清吉と同じくやくざになっていたのかもしれなかった。

 あるいは、自ら命を断っていたか──

 人生とは、本当に分からないものだ。




 しかし、清吉に案内されて到着した場所で見たものは、権太の甘い感傷を軽く吹き飛ばしてしまうものだった。


 ふたりは、町外れの貧民窟に来ている。あばら家や粗末な掘っ立て小屋が立ち並び、怪しげな人相の者たちがうろうろしている。皆、一様に虚ろな顔をしていた。生きる事に疲れはて、明日の希望など何処にもない。せめて今日をどうにか生きる……そんな表情をしていた。誰が言い出したか『非人街(ひにんがい)』と呼ばれている一角である。

 そんな中を、清吉はすたすた歩いて行く。やがて、一軒のあばら家の前で立ち止まった。他の家と比べると大きく、造りもしっかりしている。


「権太さん、ここでさあ」


 そう言うと、清吉はあばら家に入って行く。権太も、後から続いた。


「何なんだ、ここは……」


 権太は、不快そうな表情で呟いた。

 目の前には、犬のような格好で這って来た女がいる。両手と両足を切り落とされ、肘と膝のあたりまでしかない。

 盲目なのだろうか。目をつぶったまま、壁を手探りで伝いながら歩いて来る女がいる。

 さらには、まだ十にもならないであろう幼い少女までいるのだ。


「ここはね、金持ちの大旦那が集まる場所でさあ。うちに来る客はね、これまで大勢の女を抱いてます。普通の女が相手じゃ、もう満足できねえ……そんな客のために、こんな女たちをあてがうんです。いい金になるんですよ」


 得意げな表情で、清吉は言った。そんな彼の顔を、権太はまじまじと見つめる。


「こいつら、どうやって集めた?」


「ああ、それですか。いやあ、手間がかかるんですよね。たとえば、こいつですが……」


 そう言うと、清吉は手足のない女を指差す。


「こいつなんか、あれですよ。両手と両足をぶった切った後、すぐに医者に手当てさせたんです。でないと、そのまま死んじまうこともありますからね」


「なるほど。つまり、お前は外道になっちまったって訳か」


 権太は低い声で、呟くように言った。だが、清吉は怯まない。


「へっ、外道ですかい。上等でさあ。俺は、外道にでもなりますよ。この世で信じられるものは、銭だけです。俺みたいな島帰りが銭を稼ぐには、人間をやめるくらいの覚悟が必要なんですよ」


 語る清吉の瞳には、ある種の信念のようなものが感じられた。権太は、思わず視線を逸らす。目の前にいる男は、完全な外道になってしまったのだ。

 島では、気のいい青年だったのに──


「それにね、こいつらは口べらしのため親に売られたんですよ。この女たちは皆、特別な器量よしってわけじゃねえ。こいつらが大金を稼ぐためにゃ、手足や目を捨てなきゃならないんですよ。俺たちは、無理やり手足をぶった切ってるわけじゃないんです。むしろ、親兄弟に頼まれてやった奴もいるんですよ」


 清吉の軽い口調を前に、権太は何も言えなかった。確かに、この辺りに住んでいる者は、ろくな仕事に就けない。生きていくためには、仕方ない部分もあるのかもしれないのだ。

 一方、清吉はにやりと笑った。


「権太さん、あんたみたいな人がいてくれると助かるんですけどね。この辺りは、なんやかんや言っても食いつめ者やごろつきが多いんです。あんたが睨みを利かせれば、大抵の雑魚は逃げていきますから。それに、よその一家と揉めそうになることもあるんでさあ。どうです、手伝ってもらえませんかね」


「悪いが断る」


 静かな口調でそれだけ言うと、権太は彼に背中を向ける。


「そうですかい、そりゃ残念です。ま、商売の話は抜きにして、いずれ寿司でも食いに行きましょうや」


 清吉の声が聞こえてきた。機嫌を損ねてはいないらしい。

 だが、権太はその声を無視し立ち去って行った。






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