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必殺・仕上屋稼業  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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33/62

さよならだけが、人生です(一)

 江戸の片隅にある剣呑横町。

 この周辺には、怪しげな素性の者が数多く住んでいる。やくざ者や島帰り、得体の知れない物を売りさばいている商人などなど。さながら、江戸の魔窟といったところか。

 そんな場所を、壱助は杖を突きながら歩いていた。最近、たまにつるむようになった権太も、今日はどこかに出かけている。女でも買いに行ったのか、あるいは武術の稽古でもしているのか。

 権太には、妙な性質がある。人前で、努力している姿を見せようとはしないのだ。仕上屋の中でも、権太は肉弾戦において最強だろう。その強さを維持するには、相当の鍛練が必要なはず。だが、彼が鍛練をしている姿は見たことがない。陰では、相当鍛えているはずなのだが、そんな話をしたことはない。また、本人も語ろうとはしない。

 あの年頃ならば、自分の腕前をもっと吹聴してもおかしくないのだが。

 そんなことを考えつつ、歩いている時だった。


「おい! 待ちやがれ!」


 突然、前から聞こえてきた罵声。壱助が薄目で見てみると、若い女がこちらに走ってくる。さらに、それを追いかける男たちの姿も。

 壱助は、さりげなく道の端に避ける。こんな所で、余計な揉め事に関われる立場ではないのだ。下手にしゃしゃり出て、役人に目を付けられることになったら後が面倒である。

 裏の世界に生きる者の鉄則のひとつが、余計な事には関わらない……ということなのだ。


 やがて若い女は、男たちに捕らえられた。手足を捕まれ、力ずくで引っ立てられて行く。


「おい、もう逃げるんじゃねえぞ! 今度また逃げたら、ただじゃ済まねえからな! この清吉(せいきち)さまを、なめるんじゃねえ!」


 喚く声を聞き、壱助は、そっと薄目で声の主を見る。

 若い女を引っ立てていくごろつきたち。そんな彼らに指示をしているのは、凶暴そうな顔つきの男だ。まだ若いが、ごろつきたちから一目置かれているらしい。女の腹を殴り、無理やり引きずって行くその姿には、不快な印象しかない。もっとも壱助とて、人さまに誇れるような生き方をしてきたわけではないが。




 住家にしている廃寺に戻ると、壱助は今しがた見た光景を話した。


「へえ、そんなことがあったのかい」


 廃寺にて仔猫を撫でながら、お美代は言葉を返す。


「ああ、困ったもんだぜ。この辺りも、すっかり物騒になってきやがった。俺も、用心棒でも雇った方がいいかもな」


 言いながら、壱助は首を回す。今日は妙に疲れた。ひとりであちこち行くのも、そろそろ限界かもしれない。


「はあ!? 用心棒!?」


 素っ頓狂な声を出したお美代に、壱助は苦笑した。


「ああ、そうさ。知り合いにひとり、暇そうな男がいる。そいつに頼むことにするよ」


「そいつ、信用できるのかい?」


 疑わしげな表情のお美代に、壱助は首を捻る。


「そいつは無愛想で口も悪いが、一応は信用できそうだ。口も堅いしな」


「そうかい。まあ、あんたが決めることだからね」


 そう言うと、お美代は火縄銃の点検を始める。父親代わりの猟師が愛用していた形見の銃だ。手製の竹筒などを使うより、その火縄銃を使った方が手っ取り早く仕留められるはずだが、彼女はそれを仕事に用いようとはしなかった。


「これは、おとっつぁんの大事な形見さ。これを使うのは……誰かを救う時だけだよ。人殺しには、使いたくないね」


 お美代は、そう言っている。

 彼女の竹筒は、射程距離が二間(約三・六メートル)以内であり、しかも一発撃てば銃身が破裂してしまう。あまりにも不利な条件ではある。しかし、お美代は竹筒での殺しにこだわっていた。

 壱助は時おり、不安になる。お美代は腕はいい。度胸もある。さらに根性もある……恐らく、自分などよりずっと。

 だが、そのこだわり故に身を滅ぼすことにならないだろうか。


「すまないね。あたしが外に出られれば、何の問題もないのに」


 不意に、お美代が呟くように言った。


「なあに、大したことねえよ」


 ・・・


 泥棒市は、今日も大盛況だった。




 江戸の下町の片隅で、ひっそりと開かれている泥棒市。あちこちから怪しげな商品が集められ、屋台で売られているのだ。もっとも、その大半が盗品である。

 同心の渡辺正太郎は、その泥棒市をうろつき、屋台を一軒ずつ見回っていた。とは言っても、盗品を回収したり悪事を取り締まるためではない。小悪党どもから、ちょっとした小遣いをせしめることだけに血道をあげていたのだ。

 あちこちの屋台を回り、袖の下をきっちり集め、にんまりしている。だが彼の視界に、ある人物が入った。

 その途端、渡辺の目がすうっと細くなる。十手を抜き、彼は静かに近づいて行った。




 その頃、権太もまた泥棒市を見て回っていた。もっとも、彼の場合は冷やかしに来ただけである。今は特に、買いたい物もない。単なる暇潰しのつもりだった。

 彼は懐から胡桃を取り出し、殻を握り潰す。そして実を口の中に放り込んだ。

 その時、いきなり声をかけられた。


「おい、そこのでかいの。ちょいと待ってくれねえか」


 その声に、すっと振り向いた。だが、彼の顔は一瞬で歪む。

 同心がひとり、十手を弄びながら立っていたのだ。端正な顔立ちにとぼけた表情を浮かべ、やる気のなさそうな態度で立っている。この同心は、街で見かけた覚えがある。もっとも、名前は知らない。

 いや、こんな奴の名前などどうでもいい。権太は不機嫌そうな表情で、同心を見つめる。


「お役人さま、俺に何か用ですか?」


「いや、用ってほどのものでもないんだがな。ところで、おめえの力は凄いなあ」


 言いながら、同心は手を伸ばした。権太の太い腕を掴み、目を丸くする。


「おいおい、この腕は凄いな。丸太みてえだよ。それに、胡桃の殻を軽々と握り潰すなんざ、誰にでも出来ることじゃねえぜ」


「いや、大したことじゃありませんよ。じゃあ、忙しいんで失礼します」


 そう言うと、立ち去ろうとする権太。しかし、同心は逃がしてくれなかった。素早く動き、彼の前に立ち進路を塞ぐ。


「そんなに嫌わないでくれよ。俺の名は、渡辺正太郎だ。南町奉行所の、見回り同心だよ。よろしくな」


「そうですか。わかりました。では、忙しいのでこの辺で」


 権太の口調は丁寧だが、態度はぞんざいである。渡辺のことを見ようともせず、ペこりと頭を下げ去って行く。ひとり残された渡辺は、その後ろ姿をじっと見つめる。


「やれやれ、随分と嫌われちまったなあ。さて、お前さんはいったい何者なんだろうね。まあ、おおよその見当はついてるが」




 権太は、その足で弥勒長屋に行った。自分の借りている部屋に入って行き、中を見る。

 壁にかけられた札は、『無』と書かれた面が表になっていた。

 ちっ、と舌打ちし外に出る。その時だった。


「もしや、権太さんじゃないですかい?」


 不意に声をかけてきた者がいた。権太は、怪訝な表情で振り返る。

 だが、その表情が凍りついた。


「お前は……」


「お久しぶりですね、権太さん。あっしのこと、覚えてますかい?」


 言いながら、目の前で頭を下げた男……それは、島で一緒だった清吉(せいきち)という名の若者であった。




 権太は、罪人たちの流刑地である涅槃島(ねはんじま)に生を受けた。父親が何者かも知らないし、母親は物心つく前に病死している。

 もっとも権太には、己の境遇を嘆いている暇はなかった。島の生活は、毎日が戦いである。厳しい自然環境、恐ろしい病、襲い来る野獣、次々と運ばれて来る罪人たち……弱い者では、生き延びることなど出来なかっただろう。

 幸いにも、天は権太に丈夫な体を与えた。加えて、人間離れした強い腕力も授けていた。成長するにつれ、彼は他の者たちから一目置かれる存在になっていく。

 さらに、島には様々な人間が来る。役人に反抗した蘭学者。仲間内の喧嘩に巻き込まれた挙げ句、素手で人を殺してしまった武術家。近くを航行中に嵐で船が難破し、島に漂着してきた南蛮人などなど。

 権太は、彼らからいろいろなことを教えてもらった。読み書き、簡単な計算、素手の武術、さらには南蛮の知識も。根が素直であり好奇心旺盛な権太は、彼らに教わったことを全て吸収していった。

 一方、この清吉という若者は……権太と同年代の若者であり、姦痛罪で島に送られて来たのだ。送られて来た時は、青白い顔で震えながら辺りを見回していた。

 当時の権太は、無愛想で口は悪いが、気の優しい素直な若者だった。震えている清吉に、島の暮らしのいろはを教え込んだのである。もっとも権太は、一年ほど経った後に島を出ることとなったのだが。

 しかし、この男と江戸で再会するとは──




 権太と清吉は、上手蕎麦に入った。蘭二はちらりとふたりを見たが、余計なことは言わずに対応する。


「お前が、まさか江戸にいるとはな」


 しみじむとした口調で言いながら、権太は御猪口(おちょこ)を口に運ぶ。酒を飲むのも久しぶりだ。


「いやあ、あの時はお世話になりました。権太さんには、いろいろ助けられましたね」


 そう言って、清吉は笑みを浮かべる。人の良さそうな顔だ。島帰りには、とても見えない。島に送られた姦通罪にしても、奉公先で年上の女将に誘惑されたのだ……と本人は言っていた。本当のところは不明だが。


「ところで清吉、お前は今なにやってんだ?」


 尋ねる権太に、清吉はにやりと笑った。


「やくざですよ。黒波一家(くろなみいっか)で、修行中の身です。実は、明日も早いんですよ……申し訳ないが、そろそろ失礼します」


「そうか」


 権太は複雑な気分になった。ほとんどの島帰りの人間は、世間の冷たさに敗れて裏街道を歩むことになる。どうやら清吉も、その運命からは逃れられなかったらしい。

 もっとも、自分も人のことは言えない。


「ところで、明日ちょっと時間ありますか? 権太さんに、頼みたいことがあるんですけど」


 立ち去ろうとしていた清吉が、足を止め聞いてきた。


「ああ、構わない」


「だったら、明日の昼、あの長屋に行きます。すみませんが、待っててください」




 清吉が引き上げた後、権太は浮かない表情で御猪口を口に運んでいた。上手く言えないが、妙な気分だ。何か嫌なことが起きそうな予感がする。

 権太は、その外見のせいで誤解されがちだが、頭は悪くない。教わった武術に独自の工夫を加えて我流の拳法を作り上げるなど、優れた面も持っているのだ。さらに、細かい点にも気が利く。今回もまた、おかしな部分に気づいてはいた。しかし、それを上手く言葉で説明できない。


「権太さん、今の人は知り合いかい?」


 声をかけてきた蘭二に、権太は頷いた。


「ああ。偶然、そこで会ったんだよ」


「へえ。そうかい」


 言いながら、蘭二は後片付けをしている。

 権太は、さりげなく辺りを見回した。どうやら、お禄はいないらしい。いつもの事ながら、不思議になる。女主人がほとんど不在であるにも関わらず、店はやっていけているのだ。これはやはり、蘭二が有能であるからか。それとも、お禄が人知れず様々な努力をしているお陰なのだろうか。


「ところで蘭二、お前に聞たいことがある」


 権太は声を潜めて尋ねる。すると、蘭二は怪訝な顔をした。


「えっ? 何だい?」


「お前、南蛮の鬼というのを知っているか?」


 真顔で、とんでもないことを言ってきたのだ。蘭二は、思わず目を丸くしていた。


「えっと……今、鬼と言ったのかい?」


「ああ、鬼だ。人の血を吸う鬼の話だが、聞いたことがあるか?」


 権太の表情は、真剣そのものであった。蘭二は、うろたえながらも答える。


「た、確かに聞いたことはあるよ。でも、あんなのは妖怪と同じさ。子供に読み聞かせるための──」


「お前の知っていることを、詳しく教えてくれ」


 ・・・


「蛇次さん、今後もよろしくお願いします」


 言いながら、男が頭を下げる。すると、蛇次は笑みを浮かべた。


「いやいや。こちらこそ、よろしく頼むよ」




 蛇次の屋敷には今、ふたりの男が来ている。

 ひとりは、小太りの中年男だ。坊主頭と、いかにも計算高そうな顔つきが特徴的である。一見すると、小さな商店を営む主人といった風貌だ。

 だが、この男はそんな無害な者ではない。黒波一家の親分、留介(とめすけ)なのだ。れっきとしたやくざ者であり、近頃は新しい商売を手がけている。えらく羽振りが良い、ともっぱらの評判であった。

 その隣に控えているのは、市村武三(いちむら たけぞう)という名の浪人である。まだ若いが、妙に物静かな雰囲気を漂わせていた。色は白く、目付きは穏やかで優しげだ。これでも留介の用心棒なのだが、一見するとそんな風には見えない。


「留介さん、お宅は近頃、えらく景気がいいらしいねえ。羨ましい限りだよ」


 蛇次の言葉に、留介は照れたような表情で手を振って見せる。


「いえいえ、そんな大したことはございませんよ。それもこれも、蛇次さんの後ろ盾があるお陰です」


 言いながら、留介はぺこぺこ頭を下げる。そんな彼を、蛇次は冷ややかな目で見つめた。


「ただね、ひとつ注意しておいた方がいいよ。近頃では、江戸には闇の仕分人とかいう連中がいるらしい。依頼人から金を受け取り、人を殺す……たちの悪い連中だがね、腕はいいと聞いてる。あんまり派手に動いてると、そいつらに目をつけられるかも知れないよ」


「心配はいりません。この武三は、見た目は頼りないですが、腕は確かです。それに……大金が絡めば命懸け、こいつは当たり前の話でさぁ。なあ武三」


 その言葉に、武三はにこやかな表情で頷いた。


「無論です。そんな輩は、いつでも返り討ちにしてやりますよ」










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