許せぬ奴に、とどめ刺します(五)
剣呑横町は、夜がふけると完全な無法地帯と化す。ただでさえ、食い詰め者や島帰りの無宿者が多く住む場所なのだ。夜になれば、奉行所の役人も近寄ろうとはしない。よほど大きな事件でもない限り、見て見ぬ振りである。
そんな場所を、山木は用心棒の村井を連れて歩いていた。辺りは闇に覆われており、時おり虫や小動物の動く音が聞こえるだけだ。人の気配は、全く感じられない。
「先生、今回も頼みますよ。相手が何者かわかりませんが、向こうから話を持ちかけてきたとなれば話は早い。いざとなったら叩き斬ってください」
山木はそう言うと、にやりと笑ってみせる。
先日、店に文が投げ込まれた。
(お前のやったことはわかっている。ばらされたくなければ、百両をよこせ。でなければ、奉行所に訴えるぞ)
文にはこう書かれており、さらに場所と地図らしきものも書かれている。
「で、お前は素直に言い値を払ってやるつもりなのか?」
歩きながら村井が尋ねると、山木は首を振った。
「払うわけないじゃないですか。どうせ、ゆすりたかりが目的のごろつきですよ。先生、容赦なく叩き切ってください。目明かしの岩蔵さんも、こちらに来ることになってますから」
「岩蔵だと? あんな者は必要ない。俺ひとりいれば充分だ。相手が何人いようとも叩き切ってくれるわ……こいつでな」
言いながら、村井は刀の柄を軽く叩いた。
「いやあ、実に頼もしいですな。なあに、私も先生の腕は信頼しております。岩蔵さんには、後始末を頼むだけですから」
そう言った後、山木はひひひと笑う。
この男は、もともと町のしじみ売りだった。そこから、手段を選ばず様々な手を使って財を成した。当然ながら、法に触れるようなこともしてきた。また、のし上がっていく過程で潰してきた人間も、十や二十ではきかない。
したがって、山木に恨みを抱く人間も十や二十ではきかない。本人もその事は自覚している。
「まあ先生、首尾よく切り殺せた暁には、手当てを弾みます。ですから、どんどん殺ってください──」
「もし……そこの旦那さま、哀れな乞食にお恵みいただけませんでしょうか。いかほどでも構いませんので……」
山木の言葉を遮るように、闇の中から声をかけてきた者がいた。山木は、慌てた様子でそちらを向く。
だが、そこに居たのは坊主頭の座頭であった。杖を突きながら、よろよろとした足取りでこちらに歩いて来た。
山木の顔に、残忍な表情が浮かぶ。
「そうかい、可哀想だねえ。だったら、いい物をあげよう。ちょっと待っていなさい」
そう言うと、山木は近づいて行く。座頭は下を向いたまま、その場にじっと立っていた。
山木は近づき、そして拳を振り上げた。哀れなる盲目の乞食に、拳骨と青痣を恵んでやろう……という魂胆なのだ。
だが、山木は何も分かっていなかった。
山木が近づいて来るのを確認し、壱助は仕込み杖の柄を握りしめる。
そして、山木が拳を振り上げた瞬間、鞘から本身を抜く。
直後、刃を振るった。
山木の腹から、大量の血が吹き出る──
「な、何をする……」
いきなり斬りつけられ、よろよろと後ずさる。だが、壱助は容赦なく斬りつけていく。首、胸、足……凄まじい勢いで切り刻んだ。山木の体からの返り血で、壱助自身も赤く染まっていく。
「き、貴様ぁ!」
村井が慌てて刀を抜く。だが、その反応は余りにも遅すぎた。
彼の背後で銃声が轟く。直後、銃弾が脳天を貫く──
村井は刀を構えた姿勢のまま、うつ伏せに倒れた。
黒焦げになった竹筒を構えたまま、村井の屍を見つめるお美代。その表情は、氷のように冷たいものだった。
・・・
その頃、岩蔵は山木との待ち合わせ場所に向かい歩いていた。
だが、人気の無い野原にさしかかった時、足を止め周囲を見回す。どうも、妙な気配を感じるのだ。この辺りに何かが潜んでいるような……こういう時の岩蔵の勘は、今までに外れたことが無い。
「おい、誰か隠れてんだろう。出てこいよ。今日は先約があるが、ちょっとの間なら遊んでやるぜ」
言いながら、岩蔵は十手を抜いた。
すると、草むらから立ち上がった者がいる。大きな体、鋭い目……その男は、懐から何かを取り出した。片手でもて遊びながら、ゆっくりと近づいて来る。
「岩蔵だな。死んでもらう」
男は、低い声で言い放つ。
その言葉に、岩蔵は久しぶりに血の沸き立つような感覚を覚えていた。目の前にいる男は、本当に強い。これまで仕留めてきた連中とは、まるで違う。その表情からは、自らの腕に対する圧倒的な自信が感じられた。
だが、まだ若い。それだけに隙がある。岩蔵は十手を構え、じりじりと動いていった。
権太は胡桃をいじりながら、岩蔵を睨みつける。岩のような体格だが、以前に闘った雲衛門よりは小さい。自分の敵ではないだろう。正直、噂ほど手強いとは思えない。権太は胡桃の殻を握り潰し、実を口の中に放り込む。
その時、岩蔵が妙な動きをした。右手に持つ十手を、高く振り上げたのだ。権太ははっとなり、視線がそちらに向いた。
だが、岩蔵の左手は別な動きを動きをした。下から、何かを放り投げるような動作だ。十手に気を取られていた権太は、完全に反応が遅れた。
次の瞬間、権太の脳天に何かが命中した。硬く、小さな何かだ。強烈な衝撃を受けた権太は、足を滑らせ転倒した。直後、脳震盪を起こし気を失う。
そこへ、岩蔵はゆっくりと近づいて行く。彼の右手に十手、左手には分銅つきの鎖が握られている。その分銅を投げつけ、権太の頭に命中させたのだ。熟練の技である。
なおも鎖を振り回しながら、岩蔵は慎重に接近する。後は仕留めるだけだ。いかに腕っ節が強くとも、その強さを発揮できなければ無意味である。
だが、彼の足が止まった。別の誰かが近づいて来ている。
「おや、岩蔵の親分さんじゃございませんか。こんな所で、何をなさっているんで?」
とぼけた声が聞こえてきた。同時に、煙管をくわえた色白の優男が現れる。通りを歩いていたら、すれ違った女の半数以上が振り返るような顔立ちだ。にこやかな表情で、こちらにすたすた歩いて来る。
岩蔵は眉をひそめた。この男、どこかで見た覚えがある。名前は確か……。
「蘭二とか言ったな。お前には関係ねえ。とっとと失せろ」
「まあ、そう言わないでくださいよ。捕物でしたら、是非、私にも手伝わせてください」
そう言いながら、馴れ馴れしい態度で近づいてきた。岩蔵は、苛ついた表情で優男を突き飛ばす。
「さっさと失せろ。でねえと、おめえも一緒にしょっぴくぞ」
岩蔵は凄んだ。どうも、この男の態度は妙だ。ただの軽薄な野次馬ではない。
すると、優男の表情が変わった。
蘭二は溜息をつく。親しげに近づき、不意打ちで殺すつもりだったが、見抜かれているようだ。この岩蔵には、小細工は通じない。さすが、鬼と言われるだけのことはある。
「仕方ないねえ。悪いんだが、これも仕事なんだ。岩蔵さん、あんたには死んでもらうよ」
言うと同時に、蘭二は煙管に仕込んだ針を抜く。
「んだと? 上等だ。ふたりまとめて、お縄にしてやろうじゃねえか」
岩蔵の目に、残忍な光が宿る。
ふたりは睨み合い、じりじりと間合いを詰めて行く──
先に動いたのは岩蔵だった。鎖の付いた分銅をぶん投げる。だが、蘭二は腕を振るい、素早く払い落とした。
その瞬間、岩蔵は一気に間合いを詰めて行き、十手を振り上げる──
しかし、蘭二は地面を転がる。強烈な十手の一撃を、からくも躱した。岩蔵には見向きもせず、そのまま駆けて行く。
直後、倒れている権太の体を蹴飛ばす。
「権太さん! 寝てる場合じゃないよ! 早く起きて仕事しな!」
もう一度蹴りつけ、怒鳴った。だが、それを黙って見ている岩蔵ではない。彼めがけ、またしても分銅を投げつけた──
蘭二は、素早く反応し腕で払いのける。しかし、鎖が前腕に絡まった。
にやりと笑う岩蔵。持ち前の強い腕力で、一気に引き寄せていく。
蘭二は、ずるずると引き寄せられていった。あまりの腕力の差に、抵抗することさえ出来ない。
だが、そこに乱入する者がいた。権太である。息を吹き返し、凄まじい勢いで岩蔵に突進していく。
一気に間合いを詰め、頭からのぶちかましを食らわした。二十五貫(約九十四キロ)の全体重を乗せた勢いは凄まじく、さすがの岩蔵も倒れる。
馬乗りになった権太は、上から強烈な正拳を見舞っていく──
たまらず背中を向ける岩蔵。すると、権太の腕が岩蔵の首に巻きついていった。強靭な腕力で、一気に絞め上げる。
権太の腕から逃れようと、岩蔵は必死でもがく。だが、彼がどれほど強かろうとも、がっちり極まった権太の絞め技を外すことは出来なかった。その腕は、容赦なく気道を潰し頸動脈を絞めていく──
やがて、岩蔵の意識は闇に消えた。
「蘭二……助かったぜ。ありがとな」
権太の言葉に、蘭二は微笑んだ。
「なあに、お互い様だよ」
翌日、お禄は蕎麦の入った岡持ちを片手に、おみつの住む長屋に向かい歩いていた。蕎麦をご馳走してやり、ついでに岩蔵の死を伝えようと考えたのだ。
しかし長屋に着いた途端、お禄はその場に立ち尽くしていた。
死体となったおみつが、長屋から運び出されていたのだ……。
「な、何があったんだよ……」
お禄の呟きに、そばにいた中年女が反応する。
「ああ、おみっちゃんね。哀れな話だよ。首をくくっちまってさ。旦那があんなことになってから、おかしくなっちゃったみたいでね」
お禄は、呆然とした表情で立ち尽くしていた。
何もかもが手遅れだった。そもそもの始まりの時に自分が上手く動けば、ふたりとも救えたかもしれなかったのに……。
「馬鹿野郎……」
お禄は、小声で罵った。
元吉と、自分を──
・・・
「元締、岩蔵が死んだそうです」
「さすがだな。奴らならやってくれるんじゃないかと思ったが、期待以上の働きだよ」
「初めから計算してたんですか? 仕上屋が岩蔵を仕留めると?」
「いや、確信はなかったさ。ただ、ひょっとしたら殺ってくれるんじゃねえかって期待はあったがね」
「山木と岩蔵に、元吉の襲撃を教える……たったそれだけのことで、こんなにも上手くいくとは思いませんでしたよ」
「岩蔵の奴は、本当に邪魔だったからな。後の役人どもは、金さえ積めば何とかなる」
「凄いですね、元締は。まさか、そこまで読んでいたとは……」
「捨三、覚えておきな、馬鹿と鋏は、使いようさ」




