許せぬ奴に、とどめ刺します(四)
長屋を出た後、お禄は足早に歩き満願神社へと向かった。まずは、情報収集だ。大道芸人のお歌に会うつもりだった。
しかし、お歌はいなかった。今日は、別の場所にいるらしい。その代わりに、会いたくもない奴と会ってしまった。
「お禄、どうしたんだよ血相変えて」
声をかけてきたのは、同心の渡辺正太郎だった。呑気な表情で、境内に座り込んでいる。お禄は、思わず顔を引きつらせた。
「えっ、いや……そういえば、岩蔵さんはどうしてますか?」
「岩蔵? 今は居ないぜ。あいつがいると、うるさくてな。仕事熱心で敵わねえよ」
言いながら、渡辺は顔をしかめる。その表情を見れば、渡辺が岩蔵にどんな感情を抱いているのか、聞かなくてもわかる。
「そうですか。じゃあ、また出直して来ます」
愛想笑いを浮かべ、頭を下げるお禄。すると、渡辺は立ち上がる。
「なあ、岩蔵に何か相談でもあるのか? 俺で良ければ聞いてやるぜ。ただし、儲け話に限るがな」
「いや、そんな話じゃないんですよ。ただ、こないだ手柄を上げたと聞きましてね」
お禄の言葉に、渡辺はまたしても顔をしかめる。
「何だそりゃあ。岩蔵は、確かに手柄は立てるよ。けどな、あいつはやり過ぎなんだよ」
「そ、それは大変ですね。では、あたしはこの辺で」
言いながら、お禄は会釈し足早に去って行く。
「やれやれ、あの様子は尋常じゃねえな。どうやら、これから一波乱ありそうだぜ」
残された渡辺は、思案げな様子でひとり呟いた。
神社を出たお禄は、今度は女掏摸のお丁の行方を探す。彼女がいそうな場所を、一通り歩いてみた。
だが、お丁の姿は見当たらない。となると、ひとまず店に戻るとしよう。お禄は向きを変え、歩き出した。
ところが、前から歩いて来る者を見た途端、お禄の足が止まる。
それは、岩蔵だった。
「お禄じゃねえか。お前、こんな所で何やってやがるんだよ」
そう言いながら、近づいて来た。顔つきは、残忍そのものだ。弱い者をいたぶる行為に、喜びを感じているようにも見える。お禄は怒りを感じ、思わず拳を握り締めていた。
「何だ……どうしたんだよ、その面は。何かあったのか?」
言いながら、岩蔵はこちらの顔を覗きこむ。お禄は湧き上がってくる感情を押し殺し、愛想笑いを浮かべた。
「あっ、いや、何でもないですよ。それより親分さん、こないだはお手柄だったそうですね」
「お手柄? ああ、元吉のことか。あいつは取っ捕まえて吐かせるつもりだったがよ、頭打って死ぬとは運のねえ野郎だ」
吐き捨てるような口調で言ってのけた。お禄は彼から目を逸らし、下を向く。出来ることなら、この場で殺してやりたい。
だが、再び笑みを浮かべて顔を上げる。
「いやいや、大したもんですねえ。しかも、親分さんはこれまでにも、色んな連中を捕まえてますよね。さぞ、お強いんでしょうねえ」
そう言うと、岩蔵は嬉しそうに笑う。お禄に褒められ、まんざらでもないらしい。
だが、急に真顔になった。
「まあな。ただ、俺たち目明かしは、悪党を取っ捕まえるのが仕事だ。悪党を取っ捕まえるには、奴ら以上に凶暴にならなきゃな。ちょっとでも甘い所を見せたら、すぐに殺られちまうんだよ。俺は今まで、悪党に情けをかけたことはないぜ」
岩蔵の表情は、いつになく真面目なものだった。お禄は思わず眉をひそめる。だが、それはほんの一瞬だった。
「そうですか。では、とち狂った奴らの意趣返し、なんて目にも遭って来たんでしょうね」
「意趣返しだあ? そんなもん、何回も来たよ。だがな、どいつもこいつも返り討ちにしてやったぜ。この世の中は力のある奴、強い奴が勝つように出来てるんだよ。お前も、そこんところを覚えておきな。男を選ぶ時は、面じゃなくて力をみろ」
「なるほど。覚えておきます」
「おう、そいつぁいい心がけだぜ。身の程さえわきまえてりゃ、ほどほどには暮らしていけるんだからよ。じゃあな、帰って真面目に働け」
そう言い残し、岩蔵は去って行った。
お禄は冷たい目で、去り行く後ろ姿を見つめる。肩で風を切って歩くその姿は、どう見ても悪党にしか見えない。十手が無ければ、確実にやくざになっていたであろう。いや、そもそも目明かしという連中はみな、やくざと紙一重の存在である。
そんなことを考えているうちに、お禄の胸に再び怒りが湧き上がってきた。出来ることなら、今すぐに岩蔵を殺してやりたい。
しかし、自分は仕上屋なのである。岩蔵の始末は、仕上屋に依頼された仕事なのだ。怒りに任せて襲いかかるのは素人である。自分は、殺しを生業とする玄人だ。
玄人は闇に紛れ、確実に仕留めるものだ。
お禄は歩き出した。山木幸兵衛と用心棒はともかくとして、鬼の岩蔵は手強い相手だ。今までの標的の中でも最強かもしれない。
しかも……岩蔵は今まで、巳の会の動きを牽制してくれていたのだ。その岩蔵が消えるとなると、今後ますます蛇次は増長していくことだろう。それは自分たち仕上屋にとって、非常に危険な状況になるのは確かだ。
しかし、かつての友人である元吉が岩蔵によって殺され、女房のおみつに依頼されてしまった。
ならば、岩蔵は必ず仕留める。
翌日、お禄は店の奥に居た。朝から無言のまま、神妙な顔つきで座り込んでいる。
店には、建具屋の政が昼食を食べに来ていた。既に食べ終わっているのに、暇で仕方ないらしい。へらへら笑いながら居座っている。
普段なら、お禄が出ていって追い出すところだ。しかし、今日に限り我関せずといった様子である。蘭二とお春は、どういう事なのだろうかと顔を見合わせた。
「お禄さん、大丈夫かい? どっか具合でも悪いのかい?」
蘭二は、恐る恐る声をかけてみた。
「うん? 何が?」
心ここにあらずといった様子で、お禄は言葉を返す。
蘭二は首を捻った。昨日から、ずっとこの調子なのだ。
「もしかして昨日、何かあったのかい?」
声をひそめて尋ねると、お禄は首を振った。
「何もありゃしないよ。あたしが店に居るのが、そんなに珍しいのかい?」
「いや、その……まあ、確かに珍しいことなんだけどね。毎日いてくれれば、私としてもありがたいんだが」
そう言って、笑みを浮かべる蘭二。その時、鐘の音が聞こえてきた。未の刻を知らせる鐘だ。
と同時に、お禄は立ち上がった。
「悪いけど、出かける。後はよろしく」
そう言うと、お禄は表に出る。彼女の後ろ姿を見送った蘭二は、苦笑しながら頭を掻いた。
「やれやれ、大丈夫かね」
「えっ? どうかしたの?」
聞いてきたのは政だ。この男、妙に好奇心旺盛なところがある。
「いや、別に。というか、あんたいつまでいる気だい? こんなところで油売ってないで、仕事しなよ」
蘭二の言葉に、今度は政が苦笑する。
「い、いや、こんなところって……あんた、この店の人間だろうが。もうちょい構ってくれよう」
その頃。
お禄とお丁は、人気の無い路地裏に入り込み話し始める。その表情は、いつになく真剣なものだった。
「姐さん、本当に岩蔵を殺るんですか?」
「ああ、殺ってやるよ。あたしはね、元吉の女房に頼まれちまったんだ。女房のおみつはね、岩蔵のせいで流産しちまったんだよ。刺し違えてでも殺す」
淡々とした口調で語るお禄。その表情は静かなものだった。だが逆に、秘めた怒りの深さを窺わせる。
「そうですか。でも、気を付けてください。あいつは、本当に手ごわいですから。これまでに何人の悪党を殺したか、俺もわからないとか吹聴してたくらいです」
「上等だよ。仕上屋が、江戸の鬼を退治してやる。ところでさ、あんたに頼みたいことがある」
「何でも言ってください。姐さんのためなら、あたしは何でもやりますよ」
やがて店に戻ると、お禄は蘭二を手招きした。そっと耳打ちする。
「後でみんなを呼んで来て。今夜、仕事の打ち合わせだよ」
「えっ……今夜かい?」
「ああ。今回も、あんたに加わってもらわなきゃならないよ」
その夜、店の地下室に仕掛屋の面々が集まった。
お禄は 神妙な面持ちで皆の顔を見回す。そして、机の上に小判を並べていった。
「今回の相手は……山木屋の山木幸兵衛と、その用心棒の村井清四郎。さらに目明かしの岩蔵。仕事料は、ひとりあたり四両だよ。で、どうするんだい? 殺るのか殺らないのか、今すぐ決めなよ」
低い声で、お禄は皆に尋ねた。
「ちょっと待ってもらえませんか。一応、確認しときたいんです。目明かしの岩蔵ってことは、あの鬼の岩蔵ですよね?」
真っ先に口を開いたのは壱助だ。その問いに、お禄は頷いて見せる。
「ああ、鬼の岩蔵だよ。仏の岩蔵って呼ぶ奴もいるらしいけどね」
「仏だぁ? あいつのどこが仏なんですか。まあ、あいつが仏でも鬼でも関係ないです。あっしらはやりますよ。岩蔵なんざ、怖くないですね。お美代が鉛玉をぶち込めば、一発で終わりでさあ」
そう言って、右の手のひらを突き出す壱助。お禄はその手のひらに四両を乗せた。
「へへ、こりゃどうも。ところで、段取りはどうします? あっしらが岩蔵を殺りますか? それとも山木たちを殺りますか?」
「いや、岩蔵は俺が殺る。壱助さんとお美代さんは、山木と用心棒を殺ってくれ」
壱助の問いに答えたのは権太だ。すると、お禄がじろりと睨む。
「権太……あんた、大丈夫だろうね? 岩蔵は手強いよ。これまでにも、あいつは何人もの悪党を仕留めてきたんだからね」
「だから何だ。俺は、役人って奴が大嫌いなんだよ。目明かしなんざ、しょせんは役人の犬だ。捻り潰してやる」
怒気を含んだ言葉を吐いた後、権太は懐から胡桃を取り出す。苛立った表情で殻を握り潰すと、実を口の中に放り込んだ。
「ま、いざとなったら私もいる。鬼の岩蔵は、必ず仕留めて見せるよ。お禄さん、安心してくれ」
蘭二の言葉に、お禄は頷いた。
「そうかい、頼んだよ。今度の仕事は、下手を打てないからね」




