晴らせぬ恨み、晴らします(三)
その数日後の夜。
『上手蕎麦』の地下室に、三人が集まっていた。うちふたりは、お禄と蘭二である。木製の椅子に腰掛け、無言で思い思いの方向を見ていた。
もうひとりは、見るからに恐ろしげな風貌の男であった。髪は野武士のように長くぼさぼさで、髷は結っていない。顔はあちこち生傷だらけである。目つきは鋭く鼻は曲がっており、耳たぶは石のようにごつごつしていた。
また、手のあちこちには、幾つもの巨大なたこが出来ている。肩幅は広くがっちりしており腕は丸太のように太く、胸回りは分厚い筋肉に覆われている。しかし、腹の周囲に余分な肉は付いていない。彼もまた椅子に腰掛けているためわかりにくいが、身の丈は六尺(約百八十センチ)はあるだろう。目方の方も、二十貫(約七十五キロ)を軽く超えていた。
二枚目役者のような顔立ちで色が白く、細身でしなやかな体の蘭二とは、完全に真逆の種類の人間である。
しばらくして、大男は憮然とした表情を浮かべつつ口を開いた。
「遅いな、壱助は」
吐き捨てるように言ったかと思うと、懐から胡桃を取り出す。頑丈な殻のついた胡桃だ。
しかし、男が二本の指でつまんだ直後、殻は簡単に砕け散った──
「そう苛々するなよ、権太さん。壱助さんは、もうじき来るさ。目が見えないんだから、遅いのも仕方ないだろう」
蘭二が取りなすような口調で言う。しかし、権太は納得できない様子で、割った胡桃を口に入れる。
お禄、蘭二、権太、そして壱助とお美代。
この五人は、仕上屋に所属している裏稼業の仕事師なのだ。晴らせぬ恨みを抱く依頼人から金を受け取り、許せぬ人でなしを消すという稼業である。組織のまとめ役であるお禄が、様々な情報網を駆使して仕事を請け負う。
その受けた仕事は、権太と壱助とお美代の三人が実行する。蘭二は、もっぱらお禄の片腕として彼女を補助する役割を担っているのだ。もっとも、標的となる者の数や事と次第によっては、蘭二が殺しの実行役として動く時もある。
先ほどから不快そうな表情で座っている大男の権太は、彼らの中でもっとも若い。口数も少なく、粗暴な振る舞いが目立つ男だ。その上、自身のことを全く語らない。殺しの腕は確かなのだが、他の者たちとは徹底して距離を置いている。
しかも、仕留めた男の死体を持ち帰るという妙な癖の持ち主でもある。仕上屋でも、一番の問題児であった。
ややあって、上から戸を叩くような音がする。次いで、声も聞こえてきた。
「上手蕎麦のお禄さん、あっしですよ……壱助です。揉み療治に参りました。開けておくんなせえ」
「やっと来たかい。蘭二、入れてやんな」
お禄が言うと、蘭二は頷いて立ち上がった。階段を上がり、店へと出ていく。
しばらくして、蘭二に手を引かれた壱助が下りてくる。そのとたん、権太が声を発した。
「遅いじゃねえか。こっちは暇じゃねえんだぞ」
苛立った口調の権太に、壱助は愛想笑いで応じる。
「いやあ、すまないこってす。ちょいと色々ありましたんでねえ。で、今回の仕事はどうなんで?」
「標的は、やくざ者の一太と、その子分の利吉と為三だ。仕事料は一両ずつ。あんたら、どうするんだい?」
お禄が尋ねると、まず壱助が口を開いた。
「そいつら、何をやったんで?」
「何をやった、って言われてもねえ。あちこちで悪さしてる下衆野郎、としか言いようがないよ。その三人のやらかした悪さをいちいち挙げていたら、明日までかかるかもね」
その言葉に、壱助は苦笑した。
「そうですかい。ろくでなしなら問題ないですよ。ただ、そいつらの腕の方はどうなのかと思いましてね──」
「やくざ者が怖いってのか? やりたくねえなら、お前らは降りろ。俺が三人とも殺してやっても構わないぞ」
壱助の言葉を遮り、口を挟んだのは権太だ。凶暴な目で壱助の顔を睨みながら、再び胡桃を懐から取り出した。
殻を一瞬で握り潰し、実を口の中に放り込む。お禄が、床に飛び散る殻を見て顔をしかめるが、本人は我関せずという雰囲気だ。
「いやいや、何もやらねえとは言ってないですよ。お禄さん、俺とお美代にやらせてください」
そう言うと、壱助は右の手のひらを突き出してきた。お禄は、その手のひらに小判を一枚握らせる。
「じゃあ、前金を渡すよ。じゃあ、利吉と為三のふたりを殺っとくれ。そうそう、人相書きと似顔絵もある。こいつを、お美代さんに渡しておいてよ」
言葉と同時に、蘭二が紙を取りだし壱助に手渡した。
「へえ、わかりやした。いつもすみませんねえ」
そう言うと、壱助は立ち上がった。蘭二に手を引かれて、去って行く。
次いで、権太が手のひらを突き出した。
「俺も引き受ける。前金をよこせ」
乱暴な口調である。お禄より十以上も歳は下であり、立場も下なのだが、敬意の欠片も感じられない態度だ。
もっとも、蘭二も似たようなものだが……お禄は苦笑しながら、彼の手のひらに二分金(一両の半分)を乗せる。
「ほら、前金だよ。残りは、きちんと仕上げてから取りにおいで。ぬかるんじゃないよ」
・・・
利吉と為三は幼い時からの幼なじみであり、また近所でも評判の極道者であった。飲む打つ買うで時間と金を浪費し、金がなくなれば何でもやる。親分格の一太が侍くずれなこともあって、最近のふたりはますます図に乗っていた。
さらに先日、『巳の会』の元締めである蛇次から、一太ともども三人そろって加入を認められたのだ。蛇次といえば、泣く子も黙る裏の顔役である。その後ろ楯があるとなれば、彼らはもう、単なるごろつきではない。
そんな利吉と為三であるが、今夜はあまり機嫌が良くなかった。先ほど博打で、有り金のほとんどを擦ってしまったからである。
ふたりは今、苛々した表情で夜の町を歩いていた。自らの感情をぶつける対象を探し、ぎらついた目で周囲をねめつける。危険な雰囲気を察し、周囲には人が近づかなくなっていた。
その時、前から歩いてくる者がいた。坊主頭で杖を突き、真っ直ぐこちらに向かって来る。どうやら盲人らしい。
盲人はよたよた歩き、ふたりを避けて歩いていった。着ている物はみすぼらしいが、数枚の一朱金らしき物を片手に握りしめて、じゃらじゃらと鳴らしながら歩いている。
利吉と為三は顔を見合せた。この両者は、付き合いが非常に長い。いちいち言葉にしなくても、お互いの言いたいことは何となく理解できる。
にやりと笑い、盲人の後をつけて行った。
盲人は、ひとけの無い裏通りを歩いていく。利吉と為三は、またしても顔を見合せた。どちらからともなく笑みがこぼれる。
「おい、そこのめくら」
利吉の声を聞き、盲人こと壱助は歩みを止めた。
ここまでは作戦通りだ。あとは仕留めるだけである。壱助は杖を握りしめ、慎重に向きを変えた。
「あっしですかい?」
「ああ、お前だよ。ちょっといいものをやる。だから、そこに止まれ」
言いながら、利吉は拳骨を為三に見せつけた。直後、にやにやしながら壱助に近づいて行く。ぶん殴って金を奪うだけ……利吉にとって、ごく簡単な行動のはずだった。
しかし、壱助の動きは速かった。
利吉が近づき、拳を振り上げる。その一瞬の間に、仕込み杖を抜いていた。
次の瞬間、刃が一閃──
利吉は、完全に不意を突かれる。何が起きたのかもわからぬうちに、腹を切り裂かれた。
だが、壱助は手を止めない。さらに、恐るべき速さで斬りつけていく。喉、胸、腹……利吉の体は切り刻まれ、声も出さずに絶命した。
「野郎! 何しやがる!」
怒鳴ったのは、為三だった。何が起きたのかを即座に理解し、懐に呑んでいた短刀を取り出す。鞘を抜き、構えた。
壱助と為三は、距離を置いて対峙する。
「よくも利吉を! ぶっ殺してやる!」
わめく為三に対し、壱助はじりじりと下がって行った。
「この野郎! 逃げるんじゃねえ!」
為三は吠えながら、短刀を構える。この短刀で人を刺したのは、一度や二度ではない。殺しには慣れているのだ。
しかし、その為三を、物陰からじっと見つめている者がいた。
「おら、めくら! かかって来いや! ぶっ殺してやるからよ!」
吠えながら、短刀を振って威嚇する為三に、壱助は仕込み杖を構えたまま、じりじり下がって行く。
それを見た為三は、相手が怯んでいると判断した。短刀を振り回し、間合いを詰めていく。
しかし、為三はわかっていなかった。物陰に潜む者は、彼が壱助の誘導により接近するのを、じっと待っていたのだ。
三間かい。
まだだね。
「来いよ! めくらが!」
二間半、か。
もう少し……。
「来ねえなら、こっちから行くぞ!」
二間!
次の瞬間、物陰から飛び出た者がいた。お美代である。彼女は竹鉄砲を構え、火縄で点火した。
直後、轟く銃声──
弾丸は、狙い違わず為三の額を撃ち抜く。当然、耐えられるはずもない。彼は仰向けに倒れた。
・・・
その頃、一太もまた、夜の町を歩いていた。
利吉や為三のような単なるごろつきとは違い、一太は無宿者ではあるが侍くずれだ。腕は立つ。また、勘も鋭い。既に、自分の後を尾行している者の存在に気づいていた。
権太は大きな体でありながら、音を立てずに一太の後をつけて行く。一太は脇目も振らずに真っ直ぐ歩き、そして角を曲がった。
権太も、すぐに後を追う。
「お前、誰だ。俺に何の用だ」
角を曲がった途端、一太の声が聞こえた。
権太は反射的に立ち止まった。見ると、抜き身の長脇差を握りしめた一太が、こちらを睨みつけている。
権太は、冷酷な目で彼を見つめた。
「一太だな。死んでもらう」
「そうか。俺を殺しに来たのか。俺も、少しは名前が売れてきた、というわけか」
言いながら、ふっと横を向く一太。
次の瞬間、剥き出しの刃が権太を襲う。常人なら、不意を突かれ首を斬られていただろう。
しかし、権太はその刃を前腕で受け止める。刃は鎖を編み込んだ手甲に当たり、不快な音を立てた。
驚愕の表情を浮かべる一太。直後、権太の左足が動いた。鞭のようにしなり、相手を襲う──
権太の爪先は、三日月のような軌道を描いた。弾丸のような速さで、一太の鳩尾に突き刺さる。
想定外の凄まじい衝撃に、一太は息を詰まらせた。弾みで、手から刀が落ちる。
だが、権太の動きは止まらない。次いで、右の正拳が顎に炸裂──
その一撃は、一太の意識を刈り取った。一瞬、棒立ちになる。
直後、崩れ落ちるようにうつ伏せに倒れた。
さらに、権太は追い打ちをかける。全体重を踵にかけ、相手の首を踏みつけた──
骨が砕ける音が響き渡り、一太は絶命した。
ややあって、権太は一太の死体を担ぎ上げた。軽々と背負い、平然と歩いて行く。
だが、その足を止めた。
「誰だ?」
「私だよ、権太さん」
言いながら、物陰から姿を現したのは蘭二だった。権太の眉間に皺が寄る。
「お前、何してる?」
「何って、あんたがちゃんと仕留めるかどうか見届けるためさ。ところで、その死体をどうするんだい?」
「どうしようが、俺の勝手だ。仕留めたんだから、文句ねえだろ」
言いながら、蘭二を睨みつける権太。その瞳には、殺気が宿っている。
だが、蘭二は余裕の表情だ。権太を恐れる様子もなく、すっと目を逸らした。
「私はただ、お禄さんの命令に従っているだけさ。これも仕事なんでね。じゃあ、失礼するよ。ただ、死体はちゃんと始末してくださいよ」
そう言うと、蘭二は音もなく去って行く。
権太は舌打ちし、その場を離れた。