許せぬ奴に、とどめ刺します(二)
その夜、元吉は九寸(約二十七センチ)の短刀を懐に入れ、江戸の街を歩いていた。
目指すは、山木屋という商店である。主人の山木幸兵衛は還暦を過ぎた老人とのことだ。殺すのは、そう難しいことではない。
足音を潜めながら、元吉は山木屋に侵入した。裏口の戸を開け、店の中に入って行く。
店の中を音も立てずに歩き、標的を探す。だが、山木幸兵衛はすぐに見つかった。店の奥の座敷で、金勘定をしている。侵入者には、全く気づいていないようだ。
元吉は、短刀を抜いた。山木の背後から、静かに近づいて行く。
「山木、死んでもらうぜ!」
吠えた直後、元吉は突進しようした。が、山木は振り向く。
「殺し屋さん、死ぬのはあんただよ」
声を上げた。その顔に恐怖はなく、余裕の笑みすら浮かんでいる。
元吉は、驚愕し立ち止まる。そこに現れたのは、刀を構えた男だ。身なりからして、浪人のようである。浪人は、刀を振り上げ襲いかかった。
元吉は、とっさに身を躱そうと動いた。しかし避けきれず、背中に一太刀を受ける。激痛のあまり、うめき声を洩らした。
さらに襲いかかる浪人だったが、元吉は短刀を投げつけた。浪人は、刀で弾き飛ばす。そのため、一瞬ではあるが動きが止まった。
その隙に、元吉は死に物狂いで逃げだした──
痛みをこらえ、必死で走る元吉だったが……突然、目の前に目明かしが姿を現す。大柄でいかつい体つき、凶悪な風貌の持ち主だ。
目明しの岩蔵である──
「おめえ、元吉だな。神妙にしろい!」
言うと同時に、岩蔵は十手を構えた。じりじりと近づいて来る。
元吉は、横道に逃げようと走った。だが、片足に何かが絡みつく。足を取られ転倒した。
次の瞬間、凄まじい力で引っ張られる。元吉は抵抗すら出来ず、あっという間に引きずられていた。
「逃げられると思ってるのか!」
怒鳴ったのは岩蔵だ。その手には、鎖が握られている。彼の持つ十手は特殊なもので、分銅の付いた鎖と一体になっている。これは鎖十手という武器であり、岩蔵はこの鎖十手を自在に使いこなし数々の悪党を仕留めてきた。剣術を収めた侍だろうが、数々の修羅場を潜ってきたやくざ者だろうが、全て倒して来たのだ。
それでも、元吉は立ち上がった。彼とて、ここで捕まるわけにはいかないのだ。必死の形相で、岩蔵に殴りかかる。
しかし、それは無駄な抵抗であった。岩蔵は、簡単に拳を躱す。直後、側頭部に十手を食らわした。
元吉は崩れ落ちた。その拍子に、地面に頭を強打する。
彼の意識は、闇に沈んでいった──
「この野郎、くたばりやがったか。手間かけさせやがって」
元吉の死体を調べながら、吐き捨てるような口調で言う岩蔵。彼にとって、悪党の死など日常茶飯事である。今までに殺した悪党の数は、両手の指より多い。果たして何人なのか、正確なところほ自分でも覚えていないくらいだ。
その時、声をかけてきた者がいる。
「これはこれは、岩蔵の親分さんじゃありませんか。今回もお手柄ですね」
用心棒の浪人と共に現れたのは山木だった。岩蔵にぺこぺこ頭を下げる。
「いや、大したことはねえよ。それより山木屋さん、確認しときてえんだが……こいつの刀傷は、そこのお侍さんがやったんだな?」
岩蔵が鋭い目つきで尋ねると、山木は頷いた。
「へ、へい、その通りでさぁ。こいつがいきなり入って来まして、うちの用心棒の村井先生に斬られたんですよ」
「そうかい。なあ村井先生、こんな奴を一発で仕留められねえようじゃ、商売替えを考えた方がいいかもしれねえぜ」
岩蔵の言葉に、村井はむっとした表情になる。だが、山木が口を挟んだ。
「いやいや、逃げ足だけは早い男でしたから……村井先生がいなければ、私は殺されてましたよ。ところで、私らはもう帰ってもようござんすね?」
「ああ、いいよ。どの道、あとは昼行灯を呼んで終わりだ」
そう言って、岩蔵は笑って見せた。
しばらくして、その場に現れた者がいた。同心の渡辺正太郎である。
「こいつは、どうも解せねえなあ」
元吉の死体を検分しながら、渡辺は首を捻りつつ呟いた。と、岩蔵が反応する。
「何がです?」
「山木屋の主人の家に、こいつは短刀を持って押し入った。ところが、用心棒に斬られて逃げたって話だったよなあ。だったら、何で背中に刀傷が付いてるんだ? どう見たって、背後から斬りつけたとしか思えねえだろうが」
渡辺の目は、じっと傷口を見つめる。背中を一太刀だ。傷の具合を見る限り、用心棒の腕は悪くない。むしろ、逃げようとしたところを斬られた……そうとしか思えないのだ。
しかし、わざわざ逃げようとしている者を斬るというのは、どういう事情なのだろう。用心棒はあくまでも、主人を守るのが務めのはずだ。
いや、それはまだいい。もっと理解できないことがある。
「岩蔵……おめえ、ここで何してたんだ?」
顔を上げ尋ねた。そう、一連の流れがあまりにも不自然なのだ。元吉が用心棒の村井に背中を斬られながらも、どうにか逃げ出した。ところが、丁度そこに岩蔵が現れた。十手で一撃され、元吉は死亡した。
あまりにも都合が良すぎる。元吉の死は偶然だろうが、他はあまりにも出来すぎている。
まるで、初めから元吉の襲撃を知っていたかのように。
「あっしですか? 偶然、この辺を歩いていたら、いきなりこいつが飛び出して来たんですよ。あっしが何してたかなんて、どうでもいいじゃございませんか。この元吉の野郎は、山木屋の主人を殺しに来たとんでもねえ悪党ですぜ。そいつが返り討ちにあい、逃げる途中で死んだ……よくある話じゃないですか」
「ああ、確かにな」
「旦那、らしくもないですぜ……いつものように、さっさと片付けちまいましょうや」
そう言うと、岩蔵はにやりと笑う。明らかに、何かを知っている顔つきだ。しかし、それを自分に喋る気はないらしい。
渡辺はもう一度、元吉の死体に視線を移した。この男の事情は知らないが、少なくとも殺しをやるようには見えない。なのに、短刀を片手に店に押し入り、主人に襲いかかった。ところが、返り討ちに遭い逃走。挙げ句、岩蔵に殺された。
はっきり言って、何もかもがおかしい。だが、今の自分に出来ることはないのだ。これ以上、調べようがない。人を殺そうとした下手人は死に、狙われた山木は助かった。この件は、もう終わりだ。
「岩蔵、お前の言う通りだ……ということにしておこう。しかしな、ほどほどにしておけよ。でないと、いつか殺られるぞ」
渡辺の言葉に対し、岩蔵は愉快そうに笑った。
「殺られる? 上等じゃないですか。とち狂った真似してくる奴がいたなら、何時だって返り討ちにしてやりますよ。俺は今までだって、そうしてきましたから」
そう言う岩蔵の顔は、残忍そのものだった。この男は、悪党と判断した者に対しては容赦しないのだ。これと目をつけた相手は、適当な理由をつけて捕らえる。その後、待っているのは暴力の嵐である。
結果、何人の人間の命を奪ったかわからない。その中には、実は下手人ではなかった者が大勢いたことも渡辺は知っている。
もっとも、岩蔵は気にも留めていなかった。疑われるような生き方をしている方が悪い、これが岩蔵の言い分なのである。
渡辺は、岩蔵から目を逸らした。もう一度、元吉の死体を見つめる。
「おめえもどうやら、とち狂っちまったらしいな。何があったかは知らねえが、馬鹿な真似をしたもんだ。生きてりゃ、いいこともあったかもしれねえのによ。短気は損気だぜ。まあ、今さら遅いけどな」




