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必殺・仕上屋稼業  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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25/62

石が流れて、木の葉が沈みます(三)

 翌日の昼間、蘭二は栗栖と共に歩いていた。

 蘭二の表情は堅く、緊張感が漂っている。だが、それも当然であろう。これから、人を生きたまま切り刻む医者と対面しなくてはならないのだ。

 彼の中には、複雑な気持ちがある。佐島なる医者に対する怒り、そして好奇心が……。




 やがてふたりは、林の中の一軒家に辿り着いた。栗栖が進み出て、戸を叩く。


「俺だ、栗栖だよ。今日は客を連れてきた。佐島さんに会わせたいんだ」


 ややあって、戸が開く。中から、背は異様に高いが痩せた男が現れた。作務依を着ているが、その服には血と肉片らしきものがこびりついている。顔色は青白く、目付きは鋭い。

 男は冷たい表情を浮かべ、口を開いた。


「栗栖さん、この人は信用できるんですか?」


「ああ、大丈夫だよ玄達さん。この男は近藤という名だが、訳あって今は蘭二と名乗っている。かつては、俺と一緒に蘭学を学んだ男だ。あんたらを役人に売るような真似は絶対にしない」


 玄達(げんたつ)という男は頷き、二人を手招きする。


「栗栖さんがそこまで言うのなら、信用しないわけにはいきませんね。入ってください」




 それは、凄惨な光景だった。

 まだ十歳にもなっていないような幼子が、床で仰向けになっている。眠っているかのように、目を瞑り動こうとしない。

 その腹は、綺麗に切り開かれていた。骨や内臓が、目の前で剥き出しになっているのだ。しかも、まだ命はあるらしく、微かにぴくぴくと動いている。その様を三人の男たちが、嬉々とした表情で眺めているのだ。

 蘭二は異様なものを感じながらも、床に横たわる幼子の体から目が離せなかった。


「みんな見ろ、心の臓はまだ動いている。だが、もうじき動きを止めるだろう。一日経つと、腐敗が始まる。面白いと思わんか? こうして見る限り、人間もまた他の動物と何ら変わらん。肉があり骨があり、そして内臓がある。まず、それらの構造をきちんと知らなくてはならん。でなければ、人を治すことなど出来んぞ」


 髪を後ろに撫で付けた中年男が、他のふたりの若者に向かい、身振り手振りを添えて語る。若者たちは、緊張した面持ちで頷いた。

 やがて、中年男がこちらを向いた。


「やあ栗栖さん。そちらが、前に言っていたご友人かな?」


「はい。この男は蘭二という名で、かつては私と共に蘭学の研究に励んでいました。死体を掘り起こすのを手伝ってもらったこともありますし、一緒に腑分けをしたこともあります」


 そう言った後、栗栖は蘭二の方を向く。


「蘭二、よく見てみろ。この少年の心の臓は、まだ動いているのだ。他の臓器も綺麗なままだよ。死人の腐りかけた臓器とは、まるで違う。これを、直に見るだけでも大きな進歩だ」


 熱く語る栗栖だったが、蘭二の目は少年の体を見ていた。


「佐島さん、この子は一体?」


 震える声で尋ねる。この少年は、もう助からないだろう。あとは死を待つだけだ。阿片が効いているため痛みも苦しみもないことだけが、せめてもの慰めだ。


「この子は、貧しい家で生まれた。その後、口減らしのために売られたのだよ。しかも体は弱く、放っておいても長くは生きられないのだ。そんな残り少ない命を、私が有効に活用してあげたのだよ。この子の命は、医術の発展のための捨て石となったのだ」


 佐島もまた、熱く語っている。対する蘭二は、何も言えなかった。

 この医者は、これまでに仕上屋が仕留めてきた悪党とは、まるで違っている。私利私欲のために、こんな事をしているのではない。純粋に、医術の進歩と発展のためなのだ。

 いや、厳密に言うなら私利私欲なのだろう。日本の医術に夜明けをもたらす……その思いが私利私欲でない、と言えば、それは嘘になる。佐島もまた、私利私欲で動いているのだ。

 ただ、それは世間一般の悪党共の行動と、同列に考えていいものではない。佐島の私利私欲の行き着くところ、それが世の中に何をもたらすのか? たくさんの人々の笑顔ではないのだろうか。

 少なくとも、佐島は紛れもなく一流の医者なのだ。己の権力を守ることにのみ精を出し、ろくに研究もしようとしないような江戸の医師たちに比べれば、佐島こそ真の医師と呼べる存在なのではないか。

 迷う蘭二に対し、佐島は言葉を続ける。


「君もわかるだろう? 今の日本が、西洋の国々と比べてどれだけ遅れているかを。私は、日本の医術を西洋に追いつかせたいのだ。そして、大勢の人間を救いたい。そのためには、彼らのような犠牲を払うことは避けて通れんのだ」


「そうですね」


 顔を歪めながらも、蘭二は頷いた。そもそも、自分は人殺しなのだ。金を受け取り、人を殺す。そんな自分に、彼らを裁く資格などない。


 ・・・


 それから数日後のことである。

 お禄は、いつもの如く町をぶらついていた。あちこちの店を覗きながら、裏路地へと入って行く。

 やがて、物置小屋の前で腰を降ろした。


「お歌、いるかい」


 さりげなく声を発した。傍から見れば、ひとり言を言っているようにしか見えない。


「はい、いますよ。姐さん、仕事です」


 壁越しに聞こえてきた声の主は、大道芸人のお歌である。かつては芸者だったが、凶状持ちの男を愛してしまい、ふたりして江戸に逃げて来たのだ。今は素性を隠して芸人をやりつつ、お禄の密偵としても動いている。


「相手は?」


「佐島章軒という男です」


「何者だい?」


「町外れに住んでる医者ですよ……表の顔は」


「じゃあ、裏の顔は何なんだい?」


「あちこちから人をさらって、切り刻んでるって話です。人を治すより、殺す方が専門なんじゃないかって言われてるくらいですよ。金に困ってる家族から子供を買い取ってるらしいんだけど、子供は必ず行方不明になってるか事故で死ぬ、とも聞いてます。それに、阿片も売ってるらしいです」


「阿片?」


 お禄は、思わず顔をしかめた。人を切り刻むだけでなく、ご禁制の麻薬である阿片まで売りさばくとは。聞けば聞くほど、とんでもない悪党である。


「ええ、阿片です。どこからか大量に買い込んでは、あちこちに流してるみたいですね。阿片欲しさに、子供を差し出す奴までいるとか。しかも最近では、人の肝や陰茎や睾丸まで売ってるらしんですよ」


 お歌の声からは、嫌悪の情が感じられる。


「い、陰茎だって? 陰茎って、男のあれだよね?」


 思わず素っ頓狂な声で尋ねるお禄だが、お歌は冷静だった。


「それですよ。死んだばかりの男のあれを、薬として売ってるって話です」


「ええ……何だいそれは……」


 お禄は、さらに顔を歪める。陰茎を切り取り、薬にする……そんなもの、金積まれても飲みたくない。


「それが、精力剤として裏の世界で出回っているらしいんですよ。若くして死んだ男の陰茎と睾丸を煎じて飲むと、年寄りでも勃ちが良くなるとかいう噂です」


「ったく、男って奴は……本当に馬鹿だね」




 その夜、お禄は皆を地下室に集めた。佐島の所業を語った上で、一同の顔を見回す。


「今回の獲物は、その佐島章軒と手下共だ。仕事料はたったの五両だが、どうするんだい?」


「あっしは殺りますよ。ここんとこ、表の稼ぎが乏しくてね。安い仕事でも、受けなきゃやっていけねえ──」


「ちょっと待ってくれ。みんな、私の話を聞いてくれないか」


 壱助の言葉を遮ったのは蘭二だった。熱を帯びた目つきである。いつも冷静な彼には、珍しいことだ。

 お禄は訝しげな表情になった。 


「何だって? あんた、何を言ってるんだい──」


「お禄さん、頼む。今度の仕事は、断ってくれ」


「はあ?」


 唖然となるお禄に向かい、蘭二は語り続ける。


「お禄さん、壱助さん、権太さん……私が四両を出す。みんなで、その金を分けてくれ。その代わり、佐島さんの命は助けてやってくれ」


 真顔で、そんな台詞を吐いた。すると、お禄の表情が変わる。


「ちょっと、どういう訳なんだい? まずは、事情を説明してみなよ」


「私は、その佐島章軒という男を知っている。佐島さんは、今の日本になくてはならない存在なんだ」


「どこかですか? いま聞いた話によれば、人を切り刻むは、阿片を売りさばくは……とんでもねえ悪党じゃないですか。生かしといても、何の得にもなりゃしませんぜ」


 壱助が口を挟んだ。すると、蘭二は顔をゆがめ答える。


「みんな勘違いしているんだ。佐島さんは、金儲けのために阿片を売ってる訳じゃない。佐島さんは研究の資金を稼ぐために、阿片を売っているんだ。あの人は普段、質素な生活をしている。稼いだ金のほとんどを、研究のために費やしているんだ。日本の医術に、夜明けをもたらすためにな。壱助さん、あんたの目だって、治せるようになるかもしれないんだよ」


 蘭二の熱のこもった言葉に、壱助は何も言えずうつむいた。だが、権太は黙っていなかった。


「そんなもの、俺の知ったことか。医術のためなら、人を殺していいのか? 人の体を切り刻んで売ってもいいのか? どうなんだ? 学の無い俺にも、わかるように言ってくれや」


 怒気を含んだ言葉を聞き、蘭二はさらに顔を歪める。

 だが、それは一瞬だった。


「確かに、佐島さんの行動は……清廉潔白とは、とうてい言えないだろう。悪事に手を染めていることも認める。だがな、佐島さんの人体に関する深い知識、それに医者としての卓越した技術は、これからの日本の夜明けに必要なものなんだ」


 彼は、そこで言葉を止めた。懇願するような目で、権太を見つめる。


「人間には誰しも、善の部分と悪の部分がある。悪の部分だけを切り取って、ひとりの人間を一方的に糾弾するのは、間違っているとは思わんか?」


「さあな、俺にはわからねえよ。だが、別のことはわかる。俺には、医術の夜明けより明日の飯を食うことの方が大事だ。けどな、佐島のせいで飯が食えなくなった奴もいる。そいつらの気持ちはどうなるんだ?」


 その言葉に、蘭二は唇を噛み締めた。


「どうやら、私とあんたとはわかりあえないらしいな。いくら話しても、平行線を辿るだけだ」


 その言葉に、権太の表情が変わる。


「何だと? お前、俺に喧嘩売ってるのか?」


 言うと同時に、すっと立ち上がった。声そのものは静かだが、その顔には殺気がある。だが、すかさず壱助が腕を掴んだ。


「権太さん、およしなせえ。蘭二さんとあんたがここで殺し合ったところで、一文にもなりゃしませんぜ」


「ああ……」


 壱助の言葉に、権太は不満そうな表情をしながらも椅子に腰かける。

 それを見ていたお禄は、ふうと溜息を吐いた。


「いいかい蘭二、よく聞きな。あたしたちはね、何も銭金のためだけにこの稼業をやってるんじゃないんだよ。天の裁きは待ってはおれぬ、役人の裁きはあてにならぬ。そんな人たちの無念を晴らす……それが、あたしたちの稼業だよ。佐島章軒て奴は、この日本に必要な人間なのかも知れないよ。あんたの言うように、人間を一面だけで判断するのも間違っているだろうさ。けどね、あたしたちは仕上屋なんだよ。仕事を依頼され、引き受けちまった以上、殺すしかないのさ。たとえ標的が親兄弟であっても、引き受けた以上は殺すのが掟だよ。そのことを踏まえた上で……」


 そこで、お禄はいったん言葉を止めた。部屋にいる、ひとりひとりの顔を見回す。


「皆に改めて聞くよ。この仕事、引き受けるのか受けないのか? 誰もやらないって言うなら、この話は無しだ」


「あっしは殺りますよ。もちろん、お美代もでさぁ」


「俺も殺るよ。食うためには、俺はそいつを殺さなきゃならないからな」


 壱助と権太は即答した。

 一方、蘭二は虚空を睨む。やりきれない気分だった。自分の言葉は、彼らに届かなかったのだ。佐島は日本に、医術の夜明けをもたらしてくれるかもしれなかった。だが、それは叶わぬ夢だったらしい。

 その時、お禄が再び口を開いた。


「蘭二……あたしが裏の世界に入った時、ある人にこう言われたんだ。この世の川は、木の葉が流れて石が沈むのが本来の姿だ。しかし、稀に石が流れて木の葉が沈むことがある。俺たちの役目は、流れる石を沈めることだ、ってね。やっぱり石ころは、どぼーんと沈んで欲しいじゃないか」


 その言葉は、先日亡くなった(ましら)の小平次が言っていたものだ。今も、はっきりと覚えている。

 蘭二は、顔を歪めた。下を向いたまま、震える声で尋ねる。


「その石が、仮に光り輝く貴重な宝石であったとしても、やはり沈めなくてはならないのか?」


 お禄は、険しい表情で頷く。


「そうさ。どんなに光り輝いてようが、石ころは石ころだよ。川の底に沈めなきゃならない。それが、あたしたちの稼業なんだよ」


 その時、蘭二は顔を上げる。


「だったら、頼みがある。佐島は、私に殺らせてくれ」







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