仕事に生きるは、くたびれます(四)
森の中に建てられた一軒家。
そこは、赤造の仕切る阿片窟である。見るからに人相の悪い若者たちが見張り番をしているが、そもそも普段は近づく者などいない。
しかし、今日は事情が違っていた。
権太は家に向かい、ずかずかと歩いていく。すると、番人たちは血相を変えた。
「な、何だてめえは!」
権太の大きな体といかつい人相に、一瞬は怯んだような素振りを見せたが、すぐに気を取り直した。怒鳴りつけると同時に、短刀を抜く。
しかし、権太の反応の方が早い。男が短刀を抜くより先に、左の鋭い前蹴りを放つ──
たった一発の蹴りにより、男は腹を押さえ崩れ落ちる。
さらに、権太はもう片方の男の襟を掴む。その強い腕力で、男を引き寄せた。首を脇に挟みこみ、一気に絞め上げる──
男の意識は、一瞬にして飛んだ。
「おい、何やってんだお前ら……」
騒ぎを聞きつけ、家の中から現れた赤造。だが、表に立っている権太の姿を見るなり表情を変える。
さらに、権太の足元に倒れているふたりが目に入った。
「て、てめえ誰だ!」
「仕上屋の権太だよ」
低い声で答える。直後、獣のような勢いで襲いかかって行った。
権太は一気に間合いを詰め、鍛え抜かれた正拳を顔面に叩き込む。
強烈な一撃が、赤造の顎に炸裂した。彼は完全に不意を突かれて反応が出来ず、その一撃で昏倒する。
さらに追い打ちをかける権太。倒れた赤造の首めがけ、踵を降り下ろす──
骨が砕ける音が響き、赤造は絶命した。
赤造たちを始末した後、権太は家の中に入って行った。屋内を捜索し、奥の部屋に置かれていた阿片を発見する。
一応、見つけた阿片は始末することになっているらしい。だが、自分の仕事は既に果たした。
ならば、後の始末は蘭二に任せるとしよう。それが奴の仕事なのだから。権太は阿片を放置し、外に出る。
門番の死体を担ぎ上げ、その場を去って行った。
その頃。
左馬之介とあぎりは、あばら家にて煙管をくわえていた。だが、すぐに異変を察知する。
「誰か来たぞ」
来訪者の存在に先に気づいたのは、左馬之介の方だった。刀を手に取り、立ち上がる。
すると、外から声が聞こえてきた。
「すみません、揉み療治に来ました」
表から聞こえてきたのは、気弱そうな男の声だ。あぎりも立ち上がると、音を立てずに歩いていく。入り口で、そっと表の様子を窺った。
杖を突いた坊主頭の男が立っている。ただの座頭のように見えるが、こんなあばら家を訪ねて来るというのも妙な話だ。
「さっさと失せな。揉み療治なんか頼んじゃいないんだよ」
戸を閉めたままで、あぎりは声を発した。同時に、懐から手裏剣を出す。
「いやあ……そんなはずは無いんですよ。池田左馬之介さまというお役人様と、あぎり様のおふたりに按摩をするように頼まれているんですよ」
表からは、なおも声が聞こえてくる。
左馬之介は、訝しげな表情になった。自分がここに居るのを知っているとは、いったい何者だろうか。ひょっとしたら、目明かしの岩蔵の差し金かもしれない。
殺せ
奴を殺せ
今すぐに殺せ
またしても、声が聴こえて来た。途端に、左馬之介は不快な気分になる。何もかも忘れるために、自分はここに居るのだ。あぎりとふたりだけの大切な時間を、誰にも邪魔させない。
「俺が行こう。ぐだぐだ言うなら、殺すだけだ」
そう言うと、左馬之介は戸口まで歩いていく。
「旦那、いいですよ。あたしが追っ払いますから──」
「いや、お前が行くことはない」
左馬之介は、外に出た。目の前には、座頭らしき者がいる。目を閉じ、杖を片手に立っていた。
その瞬間、左馬之介は感じ取った。この男からは、血の匂いがする。強烈な殺気も感じられる。
「お前、按摩をしに来た訳ではなさそうだな」
左馬之介の言葉に、男は不気味な笑みを浮かべる。
「さすがは、首斬り左馬之介さんだ。だったら話が早い。あんたのお命、頂戴しに参りました」
座頭は杖を握りしめ、低い姿勢で構える。
左馬之介もまた、にやりと笑った。ちょうど、人を斬りたくてたまらない気分だったのだ。
彼は刀の柄に手をかけ、ゆっくりと抜いた。
・・・
壱助は仕込み杖を手に、じりじりと後退していく。目の前にいる男は、確実に自分よりも腕が上だ。まともに殺り合ったら、勝ち目はない。
そもそも壱助の戦い方は、盲人のふりをして隙を狙い、不意をついて仕留める暗殺剣である。しかし左馬之介には、そんな小細工は通用しない。ここは、お美代に任せるしかないだろう。
なおも下がって行く壱助。狙い通り、左馬之介は間合いを詰めに来ている。後は、お美代の隠れている大木のそばに誘い込むだけだ。
「旦那! 火薬と火縄の匂いがしますよ! 気をつけて!」
不意に声がした。いつの間にか、あぎりが出てきていたのだ。あぎりは手裏剣を構え、左馬之介のそばに駆け寄る。
舌打ちする壱助。まだ、距離が遠い。左馬之介とは三間( 約五・四メートル)ほど離れている。この距離では、殺せるかはわからない。
その時、業を煮やしたのか、大木の陰からお美代が飛び出して来た。竹筒を構えながら、間合いを詰めていく。
しかし、その動きにあぎりも反応した。すかさず手裏剣を投げつける──
お美代めがけ、一直線に飛んでいく手裏剣。だが彼女は素早く身を翻し、からくも避けた。
あぎりは手を休めない。お美代めがけ、続けざまに手裏剣を投げる。
お美代は、咄嗟に地面を転がって避けた。そこに襲いかかって行ったのは左馬之介だ。飛び道具らしき物を持っているお美代を、先に片付けるべきと判断したらしい。刀を振り上げ、斬りかかって行く。
その時、壱助の仕込み杖が抜かれた。刃が、左馬之介めがけ振るわれる──
左馬之介は、その一太刀をかわした。だが、壱助攻撃は止まらない。仕込み杖を振り回しながら、突っ込んで行く──
左馬之介は、その太刀筋をあっさりと見切った。飛び退いて距離を取る。
左馬之介は刀を構え、あぎりは手裏剣を手に、じっくりと壱助の動きを見つめていた。どこか余裕すら感じさせる振る舞いだ。
そう、ふたりにはわかっている。有利なのは自分たちだ。ここは、無理に押す必要はない。
一方、壱助の額からは汗が滴り落ちる。まともに勝負したのでは勝ち目がない。お美代は今、大木の陰だ。手裏剣の射程距離は、お美代の竹筒よりも近いようだが……あぎりの手裏剣は、一発外しても次がある。あの手裏剣に阻まれ、お美代は竹筒を撃てないのだ。
いよいよ、年貢の納め時ってわけかい。
壱助の頭に、そんな思いがよぎる。
その時だった。
「おやおや、どうしなさったんですか?」
飄々とした声と共に、その場に現れた者がいる。色白で、涼しげな目元の美男子だ。この殺気に満ちた空気を無視し、とぼけた表情でこちらを見ている。
その男は蘭二だった。彼は煙管をくわえて、あばら家の裏から姿を見せる。
にこやかな顔つきで、すたすた歩いて来た。
「貴様! 何者だ!」
左馬之介が吠え、向き直る。あぎりの注意も、一瞬ではあるが蘭二の方に向けられた。
しかし、お美代が欲しかったのは、その一瞬である。彼女は、隠れていた大木から踊り出た。
直後、落雷のような音が響く──
左馬之介は、胸を押さえて倒れた。
「旦那ぁ!」
あぎりが、悲鳴のような声を上げる。その目は、倒れている左馬之介の方を向く。だが、それは大きな過ちだった。
その瞬間、蘭二が動く。煙管に仕込まれた針を抜き、あぎりへと接近する。
煙管を振り上げ、首の急所に突き立てた──
あぎりは、その一刺しで絶命した。
「あ、あぎり……」
顔を上げ、あぎりの死体に向かい這って行く左馬之介。お美代の撃った弾丸は命中したが、僅かに急所を逸れたようだ。四間近く離れた距離からの射撃だったため、弾丸の殺傷力も落ちていたのかもしれない。
壱助は、さりげなく目の辺りを手で覆う。複雑な表情で、這って行く左馬之介を見つめた。
もう、自分が手を下すまでもないかもしれない。即死はさせられなかったが、お美代の弾丸は確実に胸を撃ち抜いた。放っておいても、長くはもたない可能性の方が高い。
だが引き受けた以上、とどめは刺さなくてはならないのだ。
仕込み杖を突きながら、壱助は左馬之介に近づいて行く。
その左馬之介はうつ伏せのまま、あぎりの死体に手を伸ばしていた。
「あぎり……」
震える声で呟き、あぎりの手に触れる左馬之介。壱助は顔をしかめながらも、仕込み杖を構えた。
「左馬之介さん、あんたも今から送ってやるよ。あの世で、あぎりさんと夫婦になりな」
「なら……早くしてくれ……」
左馬之介のかすれた声が返ってきた。次の瞬間、その顔に不気味な笑みが浮かぶ。
「貴様、地獄で待っているぞ」
「ええ、あっしもいずれは地獄に逝きますよ。その時は、よろしく。それまで、鬼に剣術でも教えてやってて下さいな」
言うと同時に、壱助は刃を振り下ろす。
左馬之介の心臓を、壱助の刃が貫いた──
「蘭二さん、今日は助かりましたよ。あなたが助っ人に来てくれなきゃ、くたばってたのはあっしらの方でしたぜ」
言いながら、その場にへたりこむ壱助。お美代が駆け寄り、そばに寄り添う。
「そりゃ良かった。じゃあ、私は行くよ。これから、阿片の始末をしなくちゃならないからね」
そう言って、蘭二は振り返りもせずに去って行く。その後ろ姿を、お美代は不快そうな表情で睨んだ。
「何なんだい、あの野郎は。面がいいからって、気取るんじゃないよ」
吐き捨てるように言った後、お美代は左馬之介とあぎりを見下ろす。
ふたりは、寄り添って死んでいた。左馬之介の表情は、安らかなものだった。まるで呪縛から解放されたような顔つきで、あぎりの手を握りしめていた。




