江戸は、針地獄のごとき有様です(五)
宗太郎、健次、竹蔵の三人は、夜道を歩いていた。
気心の知れた彼らではあるが、その顔は緊張感に満ちている。普段の軽薄そうな雰囲気は、微塵も感じられない。
だが、それも当然だった。昨日、彼らの泊まる宿に、こんな内容の文が投げ込まれてきたのだ。
(お前ら三人が、過去に犯したことはわかっている。証拠もある。役人にばらされたくなければ、明日の丑の刻に、下の場所まで三人で来い。来なかったら、奉行所に訴えるぞ)
文章の下には、地図と猿の絵が書かれていた。間違いなく、先ごろ殺した男のことを指しているのだろう。
それだけではない。この文面から察するに、他にも知っていることがありそうだ。先だっての老いた殺し屋の件といい今回の脅迫状といい、何者かが自分たちを狙っているのは間違いない。
相手の狙いが何にせよ、このままにはしておけなかった。放っておけば、お八にまで被害が及ぶかもしれないのだ。
今は、会って出方を窺ってみるしかない。三人は、敢えて火中の栗を拾うことにしたのだ。
やがて三人は、人気の無い野原へとやって来た。右手の方には、荒れ果てたぼろぼろの家屋が建っており、周囲は草が生えている。どう見ても、まともな人間の暮らしているような場所ではない。
「なんだ、ここは? ここで間違いないのか?」
首を傾げる健次。
「ああ、そのはずだぜ」
答えたのは竹蔵だ。しかし、宗太郎の反応は違っていた。
「やっぱり、こいつぁ罠だな。お前ら、気を付けろ」
その言葉の直後、草むらからひとりの男が姿を現した。背が高くがっちりしており、目つきは鋭い。狼を連想させる風貌である。
さらに三人の後ろから、もうひとりが歩いて来る。坊主頭の中年男だ。杖を突きながら、ゆっくりと近づいて来た。
・・・
「お前ら、世直し三人小僧だな」
低い声で言うと、権太はゆっくりと近づいて行く。
「俺たちを呼び出したのは、お前か? 俺たちに何の用だ?」
身構えながら、宗太郎は尋ねた。もっとも、相手が何の用であるかは聞くまでもない。大柄な体躯、ぼさぼさの野武士のような髪型、野獣のごとき顔つき……この男、どう見ても堅気ではない。その上、体から放つ殺気は隠しようもない。
「わかってんだろうが。お前らを殺しに来たんだよ」
淡々とした口調で、権太は言葉を返した。すると、宗太郎の顔が歪む。
「どうせ、どっかの悪徳商人に雇われた殺し屋なんだろう。この、腐れ外道どもが。金さえもらえば、誰でも殺すのか」
その言葉に応えたのは、権太ではなく壱助であった。
「へっ、あなたたちは、何もわかってないみたいですね。正義の味方のつもりでやってたんでしょうがね、あなた方はしょせん盗人なんですよ。世直し小僧のやらかしたことは、全て弱い者にしわ寄せがいくんです。荒らされた金倉の番人や錠前師たちの中には、奉行所の役人に取り調べられた挙げ句、自害した奴だっているんですよ。あっしたちはね、そんな連中に雇われたんです」
その言葉に、三人の顔色が変わった。
「な、何だと……」
「こいつはね、剣劇みたいな絵空事じゃないんですよ。ましてや、餓鬼のごっこ遊びでもありません。あのお八って娘には手を出さねえから、安心して地獄に逝ってください」
壱助がそう言った直後、権太が猛然と襲いかかる。
それが、戦いの合図となった──
権太は、健次に向かい突進していく。一気に間合いを詰め、左の足刀横蹴りを叩き込む。
だが、健次はその蹴りを躱した。同時に、得物を呑んでいる己の懐に手を入れる。
それは、とても高価な過ちだった。腕の立つ者同士の闘いでは、一瞬の隙が命取りとなる。健次は、長いこと闘いから離れていた。甘くなっていたのである。
僅かな隙を、権太は逃さない。続けて、正拳中段突きが放たれた。速い突きは健次の鳩尾に炸裂し、うっと呻く。体内を突き抜けていくかのような痛みを感じ、彼は前屈みに倒れ込む。
がら空きになった首筋めがけ、権太は肘を振り下ろす──
その一撃で、健次の首はへし折られた。
「健次!」
宗太郎は叫ぶと同時に、慌てて駆け寄ろうとする。だが、これまた間違いであった。彼の取るべき行動は死にもの狂いで反撃するか、あるいは逃げ出すべきであった。
彼は、そのどちらも選らばなかった。竹蔵とともに、健次を助けようと動いてしまったのである。この男もまた、実戦から離れて久しい。
そのため、宗太郎は壱助に背中を見せてしまったのだ。
直後、宗太郎は背中が焼けるような感触を覚えた。はっとなり、慌てて振り返ろうとする。
だが、時すでに遅し……壱助は、さらに切り付ける。宗太郎は、うつぶせに倒れた。
倒れた宗太郎に向かい、壱助は刀を振り下ろす。その刃は、正確に急所を貫いた──
その一部始終を、権太は鋭い目つきで見ていた。
「あいつ、やっぱり見えてやがるな」
ぼそりと呟くと、権太は残る男に視線を移す。
「お、お前らあ!」
最後のひとり、竹蔵は吠えた。が、彼の後ろにはお美代が立っている。
彼女は、何のためらいもない。竹筒を構え、火縄で点火した。
直後、銃声が轟く──
ばたり、と倒れる竹蔵。お美代の撃った弾丸は、竹蔵の後頭部を正確にぶち抜いていた。
「地獄へ行っても、忘れちゃいけませんぜ。あんたら、しょせんは盗人なんですよ。あっしらと同類の、悪党でさあ」
宗太郎たちの死体を見下ろしながら、壱助は吐き捨てるように言った。彼にしては珍しく、感情的になっている。
その時、さらに珍しいことが起きる。いつもはむすっとしている権太が、おもむろに口を開いたのだ。
「俺たちは人殺しだ。行き先は、間違いなく地獄だろうな」
「まあ、そうでしょうな。いずれは、あっしらも地獄道でさぁ」
冗談めいた口調で壱助が答えたが、権太はにこりともせず話し続ける。
「いつかは、地獄でこいつらと再会するかもしれないんだよな」
彼らしからぬ感傷的な言葉に、お美代がふんと鼻を鳴らした。
「そん時は、そん時さ。地獄で会ったら、また殺してやんなよ。それより、さっさとずらかるよ」
言うと同時に、お美代は壱助の腕を引く。権太は頷くと、健次の死体を担ぎ上げる。
無言で、すたすたと歩いて行った。そんな権太の後ろ姿を、お美代は訝しげな表情で見送る。
「またかい。あいつ、死体なんか持って帰ってどうすんのかね」
誰にともなく呟いた言葉に、壱助が答える。
「さあな。あの人には、あの人の事情があるんだろうよ。それより、俺たちも早くずらかろうぜ」
・・・
その一月後。
江戸の大衆食堂『喜多屋』には、元気な声が響き渡っていた。
「いらっしゃい!」
元気な声で、客を迎えるお八。先日、父親代わりの二人が亡くなり、ひとりが行方不明だというのに、そんな悲しみは露ほども見えない。
顔も可愛らしく、愛想もいい。おまけに、よく働いてくれる。今では、店の看板娘となっていた。
「お八ちゃんは、健気な娘だねえ」
たまたま店に来ていた大工の源太が、定食屋の主人である猪之吉に言った。すると、猪之吉はうんうんと頷く。
「ああ。幼い頃に母親を亡くし、ついこないだは父親を亡くしたらしいんだよ。二親を亡くしたってのに、笑顔で頑張って働いてるんだからな……泣けてくるぜ」
「本当かよ。泣ける話だな」
だが猪之吉は、お八の内に秘めた思いを知らない。
お八は、自身の父親たちを殺した者を探すため江戸に留まっているのだ。
今のお八を動かしているもの、それは復讐の念であった。下手人を探しだし、必ず殺す……その思いだけが、今の彼女を突き動かしているのだ。




