江戸は、針地獄のごとき有様です(二)
花のお江戸、などと人は言う。だが、にぎやかな江戸にも、ひっそりと静まり返った場所がある。墓地もそのひとつだ。どんな不心得者であろうと、墓地では静かにしているものである。
今、江戸の一角にある墓地には、奇妙な四人連れが来ていた。
墓の前で、若い女が手を合わせている。その傍らには、三人の男が立っていた。着流し姿の、刀をぶら下げた浪人風。洒落た身なりをした、涼しげな顔つきの町人。派手な袈裟を着た坊主の三人組だ。端から見れば、旅芝居の一座のようにしか見えないだろう。
「母さん、あたしは島で元気でやってるよ。だから、心配しないでね」
優しい口調で墓石に語りかけると、女は立ち上がった。後ろにいる三人の男たちの方を向く。
「さあ、行こうか」
「なあ、お八。しばらくは、江戸見物でもしていかねえか?」
浪人風の男が言った。この男は宗太郎といい、三人の頭領のような立場である。もっとも、ぶら下げている刀は竹光だが。
「そいつぁ悪くねえ。何たって、島にいたんじゃ娯楽ってものがねえからな。たまには、羽目を外すのもいいもんだぜ」
町人風の男も、調子を合わせる。この男は健次といい、小洒落た格好をしている。三人の中では、もっとも若い。
「おお、それはいいな。では、さっそく芸者遊びと行こうではないか」
嬉しそうに言ったのは、坊主の男である。こちらは竹蔵という名であり、派手な袈裟を着て、首からは数珠をぶら下げている。三人の中で、一番ふざけた格好だ。
次の瞬間、その坊主頭を女にはたかれた。
「ちょっと! また変なこと考えてるんでしょ!」
言いながら、女は三人を睨み付ける。すると、三人とも下を向き目を逸らした。
このお八は、十七歳になったばかりだ。長髪は面倒だとばかりに、男のように髪を短くしている。可愛らしい顔をしてはいるが、大変に気が強い。生来の真っ直ぐな性格が災いし、あちこちで揉め事の火種をばら蒔いている。
その時に火消し役を務めるのが、後ろに控えている三人の男なのだ。
宗太郎、健次、竹蔵。この三人は、かつて罪を犯して島流しに遭っていた。その時、一緒に流刑に遭っていたのが……お紺という女郎である。島の過酷な環境の中、彼ら四人は助け合って生きてきた。
やがて、男三人組は御赦免となり江戸に戻される。江戸で、彼らは好き勝手に生きてきた。盗賊稼業に精を出し、大金を得る。
そんな折、お紺も江戸にやって来た。まだ幼いお八の手を引き、三人の前に現れたのである。
驚きの表情を浮かべる三人に対し、彼女はこう言った。
「このお八は、あんたら三人の内の誰かの娘だよ」
言われてみれば、三人全員が心当たりはある。だが、誰の子なのかははっきりしない。はっきりさせる手段も無い……そこで三人は、お八を全員の娘として育てることにしたのである。
こうして、三人の父とひとりの母とひとりの娘という奇妙な家族が誕生した。
しばらくは江戸で、五人で平和に暮らしていた。もっとも、それは表向きだけである。三人は裏で、相も変わらぬ盗人稼業に精を出していた。
そんな時、悲劇が起こる。お紺が病で倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。
その上、お八は生来の正義感ゆえか、あちこちの人間と衝突していた。江戸のような場所では、いずれ何か大きな問題を起こすであろう。そこで三人は、お八を連れて八丈島へと渡ったのである。
だが、お歌の命日の時だけは……四人で江戸に来る習わしとなっていた。
「ちょっと、あれ何やってんの?」
墓参りの帰り道を、のんびりと歩いていた四人。たが、お八が足を止める。彼女の視線の先では、数人のごろつきが坊主頭の中年男に絡んでいた。
「ようよう、人にぶつかっといて挨拶も無しかい?」
典型的な脅し文句と共に、ごろつきたちは男を取り囲んだ。すると、男はぺこぺこ頭を下げる。どうやら、盲目らしい。
「すみませんねえ、お兄さんたち」
「はあ? すみませんで済めば、奉行所も役人もいらねえんだよ。なあ、みんな」
頭領格らしき男の言葉に、ごろつき連中はうんうんと頷いた。
「ああ、そりゃそうだ」
「うん、そうだそうだ」
「やっぱり、ちゃんと償ってもらわねえとな」
口々に言いながら、男に迫っていく。宗太郎は思わず頭を抱える。この先、どのような展開になるかは簡単に予想できた。
「ちょっと、あんたたち! いい加減にしなよ!」
ごろつきに怒鳴りつけ、つかつかと近寄って行った者がいた。言うまでもなく、お八である。彼女は今にも飛びかかって行きそうな様子で、ごろつきたちを睨んでいた。
その横では、宗太郎が顔をしかめながらふたりの仲間に目配せしていた。彼らほどの仲になると、言葉にしなくても言いたいことは通じるのだ。
三人は同時に頷き、静かに近づいて行った。
「お嬢ちゃんには関係ない話だろうが。怪我したくなきゃ、すっこんでなよ」
にやにや笑いながら、ごろつきたちは顔を近づけていく。だが、お八は怯まない。
「あんたら、みっともないと思わないの! いい年した男が、寄ってたかって弱い者いじめするなんてさ! 恥を知りなよ!」
お八は、恐ろしい剣幕で食ってかかる。すると、ごろつきの顔が歪んだ。
「んだと! こっちがおとなしくしてりゃ図に乗りやがって!」
怒鳴ると同時に、ごろつきはお八に掴みかかって行く。だが、ふたりの間に割って入った者がいた。
「お兄さんたち、悪いけど勘弁してくれないかな。この娘は島育ちでね。口が悪くて困ってるんだよ」
愛想笑いを浮かべながら、宗太郎は頭を下げた。他のふたりも、へらへら笑いながら頭を下げる。
「んだと! なめんじゃねえ!」
喚くと同時に、ごろつきは宗太郎に掴みかかっていく。だが、一瞬の早業で手を払いのけられた。と同時に、みぞおちに拳を叩き込まれる──
ごろつきは呻きながら、腹を押さえて倒れる。だが、他の男たちも黙っていなかった。
「この野郎! 何しやがるんだ!」
罵声と同時に、一斉に動く男たち。だが、健次と竹蔵も動いた。三人は見事な動きで、相手を次々と叩きのめしていく──
「いいぞ! やれやれ!」
そんな三人の大立ち回りを見ながら、お八は楽しそうに叫んでいた。
勝負はあっけないものだった。ごろつき共は全員ぶちのめされ、呻き声を上げている。一方、三人の方はかすり傷すら負っていない。涼しい顔で、倒れた男たちを見下ろしている。
「ありがとうございます」
盲目の男は、しきりに頭を下げる。すると、お八は笑顔を向けた。
「何言ってんの。当然のことをしたまでだよ。江戸には悪い奴がいっぱいいるから、気を付けなよ」
その横では、ごろつきたちが立ち上がっていた。呻きながら逃げて行く。
「畜生、覚えてやがれ!」
捨て台詞を吐きながら、引き上げて行く。捨て台詞まで、剣劇にでも出て来そうな古典的なものである。三人は、思わず顔を見合せていた。
「おいおい、江戸は相変わらずのようだな。さながら針地獄だ。弱い者はどこを歩いても、針でつつかれる」
宗太郎の呆れたような口ぶりに、ふたりも頷く。
「ああ、嘆かわしい話だ」
健次が言い、次いで竹蔵も口を開いた。
「金・金・金の亡者どもが大きな顔をしているらしい。どうだ、久しぶりに一仕事いかんか?」
竹蔵の言葉に、にやりとするふたりだったが、そこにお八が近づいて来た。
「ちょっと、三人で何を話してんの?」
「えっ? いや、何も……なあ、みんな?」
へらへら笑う竹蔵。他のふたりも慌てて頷く。
「ああ、そうだよ。みんなで久しぶりに、美味いものでも食べようかって話してただけさ」
宗太郎が言い添えたが、お八は不審そうな表情で三人を睨む。明らかに信じていない様子だ。
すると三人は、お八を取り囲んだ。
「お八、そう言うなよ」
「そうたよ。餡蜜でも食いに行こうぜ」
そんなことを言いながら、三人はどうにか誤魔化すのであった。
・・・
助けられた壱助は、呆気に取られて四人を見ていた。
「やれやれ、おかしな連中もいたもんだ」
言いながら、くすりと笑った。だが、すぐに目を閉じる。杖を突きながら、その場を離れた。




