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必殺・仕上屋稼業  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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14/62

江戸は、針地獄のごとき有様です(一)

 その日、上手蕎麦は珍しくにぎやかであった。決して広くはない店内だが、訪れる客で満席となっているのだ。




「お春ちゃん、今日も可愛いねえ。店が終わったら、俺と飯でも食いにいかない?」


 そんなことを言いながら、蕎麦をすすっているのは建具屋(たてぐや)(まさ)だ。まだ若く、整った顔立ちだが落ち着きがない。その顔と軽快な喋りとで、女たちに人気がある。

 もっとも、下働きのお春には好かれていないようだった。無視して、さっと店の奥に入って行く。


「政さん、最近よく来てくれてるね。ありがとうさん」


 彼女の代わりに蘭二が声をかける。とはいえ、政の目当てがお春であることは明白なのだ。毎回お春に声をかけては、体よくあしらわれている。

 と、政は蘭二の顔をじっと見つめた。そして、向こうで忙しくしているお春へと視線を移す。

 ややあって、そっと尋ねてきた。


「ねえ、もしかして……蘭二さんて、お春ちゃんと付き合ってんの?」


「何を馬鹿なことを言ってるんたい。違うよ」


「本当に? 俺、その言葉信じていいんだろうね? 本当に、蘭二とお春ちゃんは付き合ってないんだよね? 蘭二さんみたいな二枚目が相手じゃ、勝ち目ないもん」


「ないない、付き合ってないから」


 蘭二が首を振りながら否定した時、またひとり店に入ってきた。丈の短い着物を着て、髪は真っ白で、がりがりに痩せこけている男だ。老人、と言っても差し支えない年齢であろう。歩く姿から察するに、足腰はまだしっかりしているようだが。

 老人は、ちらりと蘭二を見る。


「お禄さんは、いるかい?」


「いるけど……あんた、誰だい?」


 蘭二は、不審そうに尋ねた。このあたりでは、見かけない顔である。しかも、堅気ではない匂いを放っているのだ。ひょっとして、裏の人間だろうか。

 その時、奥からお禄が顔を出した。


「誰かと思えば、小平次(こへいじ)のとっつぁんじゃないか。久しぶりだね」


 彼女は、意外そうな顔つきで老人を見つめる。

 この小平次という名の老人は、裏社会の仕事師である。かつては、(ましら)の小平次の二つ名で有名な凄腕の殺し屋だった。蛇次や、弁天の正五郎すら一目置いていたほどの男なのだ。まだ若かりし頃のお禄に、裏の世界のいろはを教えたのも小平次である。


「ああ、久しぶりだな。ところで、ちょいと相談したいことがあるんだがね……付き合ってもらえないかい?」


「相談? まあ、別に構わないよ。今日は暇だしね」


「いや、暇なのはあなただけだから」


 蘭二が小声で突っ込んだが、彼女はそれを無視して声をかける。


「とっつぁん、奥に来なよ」




 ふたりは、店の地下室に降りて行った。お禄は小平次を椅子に座らせ、自分もその正面に座る。


「こんな所で悪いけどさ、どうせ他の連中に聞かれたくない話なんだろ」


「へへ、お前には敵わねえな。にしてもよう、お禄……お前が、仕上屋の元締とはな。まあ、お前は昔から根性があった。いざとなれば、そこらの男なんて束になっても敵わねえ……そんなふうに思わせる度量があったのは間違いねえよ」


 小平次の言葉に、お禄はくすりと笑った。


「ふふふ、からかうんじゃないよ。それにさ、今は一匹狼じゃやっていけないから」


「そうらしいな。俺も近頃は、本当に仕事がやりづらくなった。そろそろ潮時じゃねえかと思ってんだよ」


 言いながら、小平次はため息をついた。


「何を言ってんだい。この稼業に足を踏み入れたら、普通の幸せなんてものは掴めっこねえ……あたしにそう言ったのは、とっつぁんだよ」


 ・・・


 お禄は、上州の山奥にある小さな寒村で生まれた。両親と共に、貧しい村で食うや食わずの生活をしていた。

 ある日、お禄は山の中で行き倒れた旅人と出会う。旅人はあちこちに怪我をしており、彼女は朽ち果てた山小屋に連れ込み介抱する。

 やがて、お禄と旅人は恋仲になった。そして、怪我も癒えて旅を再開した彼の後を追い、お禄は村を出る。

 そこで、彼女は旅人の正体を知ることとなる。

 

 旅人の名は信次(しんじ)。まだ若いが、一匹狼の殺し屋であった。その事実を知った時……お禄は愕然となる。

 だが、今さら後戻りなど出来なかった。信次とお禄は、ふたりで組んで仕事をするようになる。

 数年後、お禄と信次は江戸に来た。そこでふたりは、裏の仕事人として生きるようになる。やがて、お禄の腹に子が宿り、ふたりは裏の世界からの引退を決意する。

 そんな時……裏の世界の抗争に巻き込まれ、信次は死亡。お禄は生き残ったものの、流産してしまった。


 ・・・


「とっつぁん、あんたが仮に足を洗ったとするよ。そこからは、何をして生きていく気だい?」


 お禄の問いに、小平次は黙ったままだ。何も答えようとしない。

 少しの間を置き、お禄は言葉を続けた。


「あたしたちの手はね、真っ赤な血の色なんだよ。相手の流した血で、真っ赤に染まっちまってる。この手の色だけは、いくら洗っても綺麗にはならねえ……それを教えてくれたのも、あんただよ」


 言いながら、小平次を見つめるお禄。その目には、奇妙な光が宿っていた。

 小平次は、顔を上げる。


「するってえと、お前は俺の引退に反対だって訳かい?」


「いいや。あたしはとっつぁんが何をしようが、とやかく言う気はないよ。けどね、あんたの引退を良く思わねえ連中もいるだろうさ」


「まあ、いるだろうな」


 そう言うと、小平次はまたしても溜息を吐いた。


「俺も年を取ったよ。しかも、時代は変わってきている。巳の会なんてのが出来て、蛇次みてえなのがあちこちに睨みを利かしてやがるんだからな。本当、やりにくい世の中になったもんだよ。もう、俺なんかの出る幕はないんだ」


 やりきれない表情で言った後、小平次は歪んだ笑みを浮かべる。

 お禄には、小平次の気持ちが理解できた。彼女も、近頃の裏稼業にはやりにくさを感じている。かつては、自由に生きていた。許せない外道は殺す。それで金が貰えるなら、なお結構。そんな心構えで、お禄は裏稼業をやっていたのだ。

 それが今では、仕上屋という組織を束ねる身だ。もっとも、仕上屋は他と比べれば居心地はいいし気楽だ。また仕上屋にいるからこそ、自分は裏の世界でやっていけている。

 もし、自分が小平次のような一匹狼だったら……今、生きていないかもしれない。


「お禄、お前がどう思おうが、俺は引退させてもらうよ。ただし、最後のお務めを果たしたらな」


「最後のお務め? 何だいそりゃあ?」


「だから、最後のお務めだよ」


 そう言うと、小平次は懐に手を突っ込み、何かを取り出した。


「申し訳ないんだがな、こいつを預かってくれねえか?」


 言いながら、小平次が差し出してきたものは数枚の小判だった。お禄は、思わず目を細める。

 

「とっつぁん、どういうことさ?」


「ちょっと待ってくれ。今から、順を追って話すから。世直し小僧ってのを覚えてるかい?」


 小平次の問いに、お禄は頷いた。


「世直し小僧? ああ、そんなのいたねえ。金持ちから盗んで、貧しい家にばら蒔いていたって噂の泥棒だろ。確か五年か六年くらい前に、派手に暴れてたよね」


 そう、世直し小僧とは……かつて、江戸を騒がせていた盗賊である。悪徳商人の屋敷に忍び込み、蔵を破り千両箱を持ち去るのだ。盗んだ金は、貧乏長屋にばら撒いていたという。

 しかも、仕事の度に「世直し小僧! 参上!」と書かれた紙を壁に貼り付けていた。世の中の人々は、世直し小僧の活躍に喝采を送ったものである。

 ところが、数年前から噂を聞かなくなってしまった。


「そうさ。その世直し小僧だがな……」

 

 そこで、小平次は言葉を止めた。辺りを見回し、声を潜める。


「俺は、やっと見つけたんだよ。その世直し小僧を、な」






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