どこかで、誰かが見ています(四)
その日、江戸の片隅にて、盲目の按摩がひとりで歩いていた。杖を突き、慎重に進んでいる。
辺りは、既に闇に覆われていた。空に出ている月の明かりだけが頼りである。もっとも、彼は盲目だ。外の明るさなど、全く関係がない。しかも、この近辺は通い慣れた道である。人通りも、ほとんどない。按摩は、大して警戒もせずに歩いていた。
その時だった。不意に、がさりという音が響く。
「そこの按摩さん、ちょいと待ってくれねえか」
続いて、声が聞こえてきた。明らかに男のものである。按摩は立ち止まる。
「へい、あっしのことですかい」
言いながら、按摩は声のした方を向いた。
その瞬間、何者かが背後に回り込む。按摩は一瞬にして、手のひらで口を塞がれた。直後、延髄に細長い刃物を突き刺される──
按摩は抵抗も出来ず、瞬時に絶命した。
「雲衛門、こいつじゃねえのかい?」
横たわる按摩の死体を指差し、伝七は尋ねた。その手には、使い慣れた得物の長い錐がある。そう、彼が今しがた按摩の命を奪ったのだ。
だが、雲衛門は首を横に振った。
「ち、違う。こいつじゃない、と思う。顔、違う。背も、違う。それに、もっと強そうな感じだった」
「そうか。こいつでも無いのか」
言いながら、伝七は死体をまさぐった。金目の物を奪い、己の懐に入れる。そんな彼を見て、雲衛門は首を傾げた。
「なぜ、殺す? 殺さないと、いけないのか?」
たどたどしい口調で質問する。その顔には、困惑の表情が浮かんでいた。
その問いに、伝七は鋭い目で睨みながら答える。
「おい……おめえが前の仕事の時に、通りかかっためくらを殺らなかったせいなんだぞ。さっさと殺ってりゃ、こんな面倒なことをせずに済んだんだ」
「で、でも、めくらは、俺の顔見えないから──」
「おめえは、それを確かめたのか? その男は、めくらのふりをしてるだけかもしれねえだろうが?」
ゆっくりした雲衛門の言葉を遮り、凄まじい形相でまくし立てていく。
すると、大男は後ずさった。大人と子供のような体格の差があるのに、小柄な伝七に完全に圧倒されている。
「う、ううう……ご、ごめん」
雲衛門は顔をしかめた。今にも泣き出しそうな様子だ。その巨大な体を震わせている。
すると、伝七ほ溜息を吐いた。
「いいか、頭の弱いおめえを騙そうとする悪い奴は、この江戸に幾らでもいる。おめえは、俺と勘兵衛さんの言うことを聞いとけば間違いないんだ。わかったな?」
その声は、急に優しくなっていた。対する雲衛門は、すまなそうな顔で巨体を縮こませながら頷く。
「わかった……」
その反応を見て、伝七は立ち上がった。優しい表情を浮かべ、雲衛門の二の腕を軽く叩く。先ほど、ひとりの人間の命を奪った男とは思えぬ猫なで声で語りかける。
「わかってくれたか。じゃあ、早いとこ按摩を探そうぜ」
翌日、按摩の死体を検分する同心の姿があった。
「おいおい、また按摩かい。どうなってやがるんだ。こいつら、揃いも揃って厄日なのかね」
渡辺正太郎は、うんざりしたような表情で呟く。
十日ほど前から、たて続けにふたりが殺されていた。共通点と言えば、盲人であること、按摩を生業にしていること、坊主頭であることだ。
「旦那……あっしの勘だと、この殺しはまだ続くね。単純な金目当ての殺しじゃねえよ」
岩蔵が、そのいかつい顔をしかめながら言った。
周りには、既に野次馬が集まって来ている。どこから聞き付けたのだろう。
中でもひときわ目立つのが、野次馬の中にいるひとりの若者だ。死体を指差しながら、ああでもないこうでもないと講釈を垂れていた。何度か見かけた顔だ。確か、建具屋の政とかいうお調子者のはず。
岩蔵は、見ていて不快になったらしい。若者を睨みながら、ずんずんと野次馬に近づいていく。
その時、野次馬の中に見覚えのある顔を見つけた。同時に、彼の標的も変わる。十手をちらつかせながら、大股でそちらに近づいて行った。
「何だ、お禄じゃねえかよ。お前は店ほったらかして、何をふらふらしてんだ?」
どすの利いた声で尋ねると、お禄はすました顔でペこりと頭を下げる。
「これはこれは親分さん、別にほったらかしてる訳じゃありませんよ。それにしても、また坊主頭の按摩が殺されたんですか。これでふたりですよね。しかも、細い刃物で一突きとは……いい腕してますね」
言いながら、お禄はにっこり微笑んだ。岩蔵の態度に、怯む素振りはない。
岩蔵は、さらに不快そうな表情になった。
「何がいい腕だ。たかだか蕎麦屋の分際で、偉そうに語ってんじゃねえ。さっさと帰って、真面目に働け」
「そうですねえ。じゃあ、真面目に働いてきますよ。では、失礼します」
そう言って頭を下げると、お禄は足早にその場を離れた。だが、その表情は険しくなっていた。
店に戻ると同時に、彼女は蘭二に耳打ちする。
「明日の夜、みんなに集まるよう言っといて。仕事だよ。あたしは今から、蛇次に会ってくる」
「蛇次? ひとりで大丈夫かい?」
血相を変えて聞いてきた蘭二だったが、お禄はにやりと笑ってみせた。
「ああ、大丈夫さ。今回は、ちょいと急ぐんでね。あんたは、みんなに集合をかけるんだ」
その後のお禄は、すぐさま蛇次の屋敷を訪れた。
いきなりの訪問にもかかわらず、蛇次はお禄を屋敷に上げてくれた。もっとも、彼女の表情から、何の用で来たのかを察していたのかもしれない。奥の部屋に通すと、下働きの女たちを追い出したのだ。
ふたりきりになった時、お禄はさっそく切り出した。
「前に仰っていた奇特な人の依頼ですが、まだやれますかね? 出来ることなら、仕上屋にやらせて欲しいのですよ」
お禄の言葉に、蛇次の目がすっと細くなる。
「どういう意味だい?」
「では、単刀直入に言いましょう。鼬の勘兵衛および奴の手下は、あたしらが仕留めます」
聞いた瞬間、蛇次は立ち上がった。部屋を出て行ったかと思うと、酒と皿の乗った膳を持ってくる。皿には、焼いた目刺しが乗っていた。
膳を畳に置くと、口を開く。
「お禄さん、あんた本気なのかい?」
「ええ、冗談なんかじゃありません。本気です。あたしら仕上屋が、勘兵衛たちを始末してさしあげますよ」
そう言って、お禄は蛇次を見つめる。その目は真剣そのものであった。
一方の蛇次はというと、おもむろに焼いた目刺しを口に入れる。さらに、酒を飲み始めたのだ。何を考えているのだろう。ただ、お禄としては彼の次の言葉を待つしかない。
やがて、蛇次の手が止まった。その目が、お禄へと向けられる。
「まあ、あんたがこんなくだらない冗談を言わない人だってことはわかってる。しかしね、こないだとは態度が真逆じゃないかね。どういう風のふきまわしだい? よかったら、聞かせてくれないかな?」
すると、お禄は面目なさそうな顔になる。
「お恥ずかしい話ですが、博打で大枚すっちまいましてね。金がいるんですよう。駄目ですか?」
そのふざけた答えを聞いても、蛇次は表情を変えなかった。焼いた目刺しをつまんで口に運びながら、じっと彼女を見つめる。
ややあって、彼は立ち上がった。部屋の隅にある桐の箱を開け、紙に包まれた小判を取り出す。
「全部で五十両だ。本来なら、仕事料の全額前渡しは、うちでは有り得ないんだよ。だがね、あんたら仕上屋さんは別だ。信用してるからね」
金を受けとったお禄は、深々と頭を下げる。
「はい、ありがとうございます。蛇次さんの信頼は裏切りません。勘兵衛の奴は、命に換えても必ず仕留めます」
次の日の夜、いつもの面子が蕎麦屋の地下室に集まっていた。蘭二、権太、壱助の三人だ。
お禄は皆の顔を見回すと、机の上に小判を一枚ずつ重ねていく。やがて、五両の山が五つ作られた。
すると、権太がひゅうと口笛を鳴らす。いつもより額が多いことへの、彼なりの賛辞なのかもしれない。
お禄は、そんな反応にはお構いなしに口を開いた。
「今回はひとり十両、相手は鼬の勘兵衛とその手下たちだ。はっきり言って手強いよ」
「勘兵衛? 何であいつを──」
蘭二が何か言いかけたが、お禄は手を挙げて制する。
「待ちな。今から、順を追って説明する。込み入った話だからね。この際、みんなにも知っておいてもらった方がいいからね」
そう前置きした後、お禄は事の次第を語り出した。
鼬の勘兵衛。
彼は今、裏の世界で派手に活動していた。邪魔者は、腕利きの手下の伝七と雲衛門を使い始末する。そのため、正面きって敵対する人間など、ほとんどいない。
最近では、裏の世界の大物である蛇次にまで面と向かって逆らう始末だ。結果、蛇次はお禄に勘兵衛の始末を依頼した。
だが、お禄は返事を保留する。彼女としては、蛇次を勘兵衛が牽制している、という形がありがたい。敵の敵は味方……というわけではないが、蛇次があちこちに気を配っている方が、お禄にとって望ましい状況ではある。
しかし、ここ二日ばかりの間に、盲目の按摩が立て続けにふたりも殺された。殺ったのは、勘兵衛の手下の伝七であろう。
伝七が狙っているのは、雲衛門の殺しの現場にたまたま通りかかってしまった壱助の命だ。
「つまり伝七は、あっしを狙っているってことですかい?」
壱助の言葉に、お禄は頷いた。
「ああ、多分ね。雲衛門の奴は、あんたがめくらだから見逃したんだろうが、伝七は見逃せないって訳さ。もっとも伝七は、根っから殺しが好きな気違いだって噂もあるけどね。いずれにせよ、伝七と雲衛門は壱助さんを狙っている。そうなった以上、勘兵衛の野郎は仕上屋の敵だ。だから、奴を殺ることにしたのさ。ついでに、銭も入ってくるしね」
お禄はいったん言葉を止め、三人の顔を見回す。
「ただし、奴らは手強いよ。まがりなりにも、裏の世界で飯を食ってきた連中だからね。しかも、今回は勘兵衛と伝七と雲衛門の三人をまとめて片付けることになる。今までみたいな不意打ちは難しいよ」
「そんな事情じゃ、あっしは降りる訳にはいかないですね。皆さん、あっしのためにご迷惑をおかけして、申し訳ありませんね」
そう言うと、壱助は手のひらを差し出してきた。するとお禄は、その手に十両を乗せる。
「あんたのためだけじゃないよ。あんたに何かあったら、お美代さんが店に乗り込んで来るんだろ。あたしも、鉛の弾丸は怖いからね」
お禄は、冗談めいた口調で言葉を返した。
「俺は何でもいい。十両ももらえるなら、誰でも殺ってやる」
そう言いながら、小判に手を伸ばしたのは権太だ。彼は五両を掴み取り、懐に入れた。
「で、お禄さん……今回はどんな手でいくんだい?」
同じく自分の分の五両を手に取り、蘭二は尋ねた。すると、お禄は口元に笑みを浮かべる。
「ああ、それだけどね……壱助さんに権太、ふたりはしばらく一緒に動いてくれよ。蘭二、あんたはあちこちで噂を流しとくれ。壱助さんがどこを歩くかを、奴らの耳に入れるんだよ」




