邂逅『ゼロの焦点』
親友を亡くすのは、家族を失うのと同じくらい
つらく悲しいもの。
ただ、死因が病気や事故ではなく、自殺や殺害なら
それは悲痛だし、止めたり助けたり出来なかった
だろうかと思い悩んでしまうものだ。
大学時代の親友だった沢村祐二という男が、
今年の春に石川県のヤセの断崖から身を投げて
自殺したという話を母から電話で聞かされたのは、
七月初旬のことだった。
医者の息子だった彼は大学卒業後に医学研究の為、
留学を希望し、卒業後にアメリカに渡った。
そんな彼と最後に会ったのは、渡米直前に彼の地元
群馬県高崎市へ遊びに行った時である。
彼は当時私が尊敬していた夭折の画家山田かまちの
後輩で、市内にある『山田かまち水彩デッサン美術館』
と二人の母校である高崎高等学校を案内してくれた後、
近くのレストランで食事をし、駅前に戻って喫茶店で
長々と話をして別れたのだ。
その時の様子からすれば、彼はまったく元気で、
およそ自殺など考えられない男だった。
大学での成績も優秀で、帰国後は父親の病院を継ぐ
つもりであることを本人も語っていたし、帰国後に
電話やメールで何度かやり取りをした時も、
相変わらず陽気で快活な男だったので、
安心していたのだ。
それからは互いに毎年の年賀状や年に何度かの
電話やメール交換程度の交流があった後、
彼から一通の案内状が送られてきた。
それは彼が留学中に知り合ったアメリカ人女性との
結婚案内状で、同封された手紙には、是非とも
出席して欲しいと書かれていたのだが、
不運にも同時期に実家で同居していた大叔母が
病で亡くなったこともあり、
親友の大事な結婚式を欠席してしまった。
電話と手紙の両方で彼に詫びて、彼も理解して
くれていたのだが、その件を境に徐々に互いの
距離と溝が出来ていき、いつしか関係が疎遠に
なっていたのだ。
あれから五年。
私は彼が石川県で自殺を決行していた同じ日に
偶然にも旅行で隣の富山県にいた。
無論、彼とは連絡も取っていなかったし、
彼の自殺の理由も知らなかった。
ただ私は今年の春先から初夏にかけて
日本の各地を旅していたので、
その日の旅先に富山県を選んだのも気まぐれだし、
本来なら石川県にも行く予定だった。
もしあの時私が富山県ではなく、石川県を
選んでいたのなら、街で偶然に会って
彼の自殺を引き止めることも出来たのでは
ないだろうかと今でも時々思うことがある。
以前、松本清張原作の映画『ゼロの焦点』が
上映されていたが、あの映画の舞台は皮肉にも
親友が自殺したヤセの断崖である。
そして当時私の旅の供をしていた小説もまた
『ゼロの焦点』であった。
私が当初石川県に行きたいと言っていたのは、
松本清張の小説『点と線』と『ゼロの焦点』を
読んでいて、実際に現地に行ってみたいと
思っていたからだったが、私が構想中の小説の
舞台である富山県の取材旅行を優先した為に
急遽変更になったのだ。
改めて石川県に行こうと思っていた矢先の七月に
母から親友の訃報を聞かされ、旅行を中止した。
以来、何故か彼が亡くなった場所へは
足を向けていない。
薄情かも知れないが、かつての親友の最後の地を
訪れることに気が引けてしまうのだ。
そんな薄情な私が、つい先日の日曜日、
地元の映画館で再上映の『ゼロの焦点』を観た。
上映中、スクリーンに映った断崖を観た時、
私の脳裏に浮かんだのは、日本海の海原を向いて
崖に立っている彼の最後の後ろ姿だった。
彼は何も語らず、遺書も残さず、一度も振り返る
こともなく、私の視界から消えて行った。
家族や地位や仕事や友をすべて残したままで・・・。
私はその日、映画とは関係なくいつまでも
声を殺して泣き続けた。
〜『妄想夢物語』〜
<注>これはタコアシの妄想小説です。ご注意下さい。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
今回は、小説風に書いた妄想日記で、
登場人物も事件も嘘です。
タコアシ自身、大学も通っていません。
ただ、旅行で富山に行ったり、松本清張の
『ゼロの焦点』を読んだり、映画を観たのは
真実で、この作品も当時思いつきで書いたものです。