魔女キッカ
足下が柔らかいのは、ジュータンなのか、ほこりの厚みか。階段を上がれば、一段踏む度にほこりがもうもうと舞い上がる。
ルルナとココナは口と鼻を覆いながら、それでも時々くしゃみをしながら先を行くハズィランの後を追った。
三階まで上がり、伸びた廊下の奥にある扉をハズィランが差し示す。
「魔女が巧妙に細工してなければ、あの扉の向こうだ。今ならまだ逃げられるぜ」
今上がって来た階段を下りても、本当に魔力を失いかけているのなら、恐らく魔女は侵入者を追って来ないだろう。余計な労力は使いたくないはずだから。
「せっかく苦労してここまで来たのに、どうして逃げるのよ」
「いつ苦労したんだ、いつ。何の障害もなく、ただ歩いて来ただけだろうが」
普通、魔女の城へ行こうとなれば、途中で罠がいくつもあったり、魔女の手下が現れて行く手を阻もうとする。
魔王ではないので、さすがに四天王などは登場しないだろうが、それでも何かしらの魔物が出そうなものだ。
しかし、今まで何もなかった。もくもくと歩いて来ただけ。山でも、城の中でも。
「山を登るのだって、十分苦労じゃない。普段、坂道なんて歩かないから大変だったもん。いいから、行きましょ」
魔女の居場所がはっきりわかったので、ルルナがさっさと前を歩く。ハズィランが慌てて彼女の襟首を掴み、自分と位置を入れ替えた。
「お前はっ、警戒という言葉を知らないのかっ」
言いながらハズィランは、ルルナが「何、それ?」と言い返してきそうな気がした。
「だって、魔女はあの扉の向こうでしょ?」
どうして止めるの? という顔のルルナ。それを見て、ハズィランは脱力しそうになる。
魔女の力を目の当たりにしてないからって、あまりに平和ボケしすぎてないか? 俺、魔女に仕返ししようとした魔法使いが命を落としたって話、したよな?
「自分の城なんだから、どこにいたって攻撃はできるんだぞ」
「する気があるなら、とっくにしてると思うけどな」
「う……」
一理ある気もするが、ルルナに言われて納得したくないハズィラン。
「とにかく、お前は後ろにいろ」
こんなお気楽な人間、昔はいなかったぞ。時代が変わると、ここまで人間も変わるものなのか?
たぶん、ルルナが特殊すぎるんだろう、などと思いながら、ハズィランは進んだ。
きっと以前はまばゆいくらいに輝いていたのであろう扉は、今では完全にくすみきっている。施された模様もよくわからない。取っ手には雪のようにほこりが積もっていた。
扉の前まで来ると、ハズィランは手をかざす。扉に何か仕掛けてないかと調べたのだが、ただの扉だ。魔力で作られた扉なのでそれなりの気配はあるものの、それがこちらに害をなそうとしているようには感じられない。
「ねぇ、魔女はあたし達が入って来たこと、本当に知ってるのかな」
今更なことを確認するルルナ。
「私としては、ちょっと居眠りしてたってことであってほしいわ」
「こんな形でも、自分の魔力でできた城だ。自分以外の存在には敏感だぜ」
「……やっぱりそうよね」
ココナが苦笑する。
さすがに扉一枚を隔てた所に魔女がいると思うと、二人も緊張してきた。
「いいわよ、開けて」
ルルナの言葉にうなずき、ハズィランが扉を押した。予想していた錆び付いた音はなく、扉は静かに開く。
もしかして、開いた途端に矢だの火の球だのが襲って来ないかしら。一歩踏み入れた途端に爆発とか。
自分が先頭で入ろうとした時は何も考えなかったくせに、ハズィランが扉を開ける時になって、そんなことをルルナは想像してしまった。
だが、飛んで来る物は何もない。魔物が口を開けて飛びかかって来る、ということもなく。
何も起きない。やっぱり攻撃できる力が魔女にはないってことよね。
ハズィランが聞いたらまた怒りそうなことを、ルルナはこそっと考える。
ルルナがそんなことを考えているとは知らないハズィランが最初に中へ入り、その後をルルナとココナが続いた。
「あれ……?」
そこは広間のようだった。数十人が余裕でダンスパーティができそうな空間がある。
しかも、これまで進んできた廊下や階段は、山道を歩くよりひどいほこりが舞っていたのに、ここは同じ城の中とは思えない程にきれいだ。イメージしていた魔女の城っぽくない。
天井にはシャンデリアがきらめき、窓にはステンドグラスがはめこまれ、ここへ来るまでの薄暗さがうそのようだ。壁にはシミ一つなく、大理石が敷き詰められたように見える床にはちり一つ落ちていない。
調度品という物はないが、とにかく全てが磨き抜かれたような部屋だった。調度品があるとすれば……一番奥にある金色に輝く玉座だろうか。
そして、そこにはこの城の主が座っていた。
「あなたが……魔女キッカ?」
どんな魔女がいるかと思いきや、力なく座っている老婆がいるだけだ。この城にいるのだから、彼女がキッカのはず。
だが、半病人のようにぐったりと座っている様子を見ていると、そうだと言われてもにわかには信じがたい。老婆が座っているのは玉座なのだから、まさか超高齢のメイドなどではないだろう。
「さっきからうろついているネズミは、お前達かい」
名乗りはしなかったが、その言い方からして老婆が魔女キッカで間違いなさそうだ。ハズィランも言っていたが、やはりルルナ達のことはちゃんと気付いていたらしい。
「ずいぶん変わったもんだな」
ハズィランが知る魔女は、相手を凍り付かせるような冷たい青の瞳をしていた。
腰まである髪は波打ち、燃えているような赤。高すぎない鼻に、赤く潤ったくちびる。それらの絶妙な配置。世の女性がうらやましがる、均整の取れた身体。すらりと伸びた手足。存在全てが自信に満ちあふれて。
ハズィランの感情とは関係なく、キッカは確かに美しかった。身に着けた宝飾品が、さらに彼女の美しさを引き立てて。
今、目の前にいるのは、小さな老婆だ。半分とはいかなくても、かなり背が縮んでいる。座っていても、それがわかった。
艶のない白髪になったそれに、櫛は入れられてない。生彩のない、濁った色の目は半分だけ開いている。目尻や口元、手などに深いしわが刻まれて。色気を含んでいた声は、すっかりかすれていた。
「……お前は……」
キッカはしばらくハズィランを不思議そうに見ていたが、その顔を思い出したのか、はっとした表情を浮かべた。ぐったりと座っていた身体が、前のめりになる。
「お前、どうして変わってないんだい」
長い年月が経ち、魔力を消耗して自分はこんな年老いた姿になった。
なのに、目の前にいる魔性は、同じ時をすごしたはずなのにまるで変わっていない。記憶にある姿そのもの。
キッカのハズィランを睨み付ける目には、明らかに嫉妬が混じっていた。
「お前のおかげ、かもな」
「何だって?」
「お前がランプに戻れなくしたせいだ。そのために、俺の時間は止まったからな」
「ランプ……ああ、そう言えばそんな物もあったっけね」
キッカは喉の奥でクッと音を出した。笑ったらしい。
「で? 今頃になって、私に復讐でもしに来たのかい」
「復讐……」
ハズィランではなく、ルルナがつぶやいて彼の顔を見る。
ランプにかけられた魔法を解く方法を聞くために、ルルナはここまで来た。ココナと、当事者であるハズィランを引き連れて。
だが、ハズィランはそれだけでは済まないことに、今頃になって気付いたのだ。
ランプの持ち主、つまり自分の主を殺した魔女。さらには、自分にまで動きを封じる魔法をかけた。
彼がガーヘンディッシャンに本当はどんな感情を抱いていたにしろ、そんなことをした相手を前に、心穏やかでいられるはずがない。
そっか。ハズにとってキッカは憎い相手なんだ……。
ハズィランにかけられた魔法を解く方法ばかりに気が向いて、そういったことをルルナは全く考えつかなかった。
「まぁ、勝手におしよ。魔力を持った奴が入って来たのを知っても、そいつらの足止めすらできなくなっちまった。もう悪あがきする力も残ってやしない。簡単に終わるさ」
「俺が誰も傷付けられないのを知ってて、わざと言ってるだろう」
ずいぶんあきらめがいい、と思ったが、そうとも言えないようだ。
ランプの精は、誰かを傷付けることはできない。それがどんなに悪い魔女であっても。
そのことを知っているキッカは、ハズィランをからかったのだろうか。
ハズィランは武器を出すくらいならできる、と話していた。だが、ルルナやココナにそんな物は扱えない。扱えなければ、魔女をどうこうすることは不可能。
恐らく、キッカはその辺りもお見通しなのだ。
「んー……やっぱりいい性格ね」
ココナがつい本音をもらす。
「もっとも、そんな制約がなくても、俺はお前みたいな死にかけのばばぁに手を出す気なんてねぇよ。かえって俺のプライドに傷が付く」
「ふ……ん。じゃ、何をしに来たんだい」
少しいまいましげな表情で、キッカは聞き返した。
「あたし達、このランプにかけられた魔法について、聞きに来たのよ」
ルルナは持っていた荷物の中から、ランプを取り出した。
「ハズがランプに入れなくなる魔法をかけたでしょ。出入口をふさいで鍵をかけたって。その鍵がどこにあるのか、教えてほしいの」
「鍵?」
「……俺がわかりやすいように、そう説明しただけだ」
キッカが不思議そうな顔をしたので、ハズィランが補足した。
「あぁ、そういうことかい。さぁ、そんな鍵のことなんて、忘れたねぇ」
「忘れたなら、思い出してよ。あなたがかけた魔法でしょ」
あからさまにシラを切っているのがわかるので、ルルナがキッカに詰め寄ろうとする。
いくら老婆でも、魔女には違いない。ココナが慌ててルルナの腕を掴んだ。
「千年よ。そんなひどい魔法のせいで、千年もハズは長い間ずっとひとりぼっちだったのよ。あなたはずっと自由に動き回れて楽しかったでしょうけど、その間もハズは動けないでいたんだから。いい加減、もう解放してあげたっていいじゃない!」
ルルナの声が部屋に響いた。
「へぇ……その魔性をそんなに解放してやりたいのかい?」
「でなきゃ、用もないのにこんな所まで来ないわよっ」
話を聞いたルルナは、自分では想像もできない時の流れの中を、ハズィランは孤独に過ごしてきたのだと知った。これまでの時間は、誰にもどうにもできない。だから、せめてこれからの時間は孤独じゃないようにしてあげたかった。
そう思ったから、ここまで来たのだ。
「……いいよ、教えてやっても」
魔女の目の奥が、怪しく光った。
交渉らしい交渉はまだ何もしていない。だが、キッカは魔法の解き方を教えると言う。
魔女の性質を知るハズィランが、それを信じるはずもなかった。
「嘘を教えて、さらに俺を窮地に追い込もうって腹か」
「いやなら、いいんだよ。この先、お前がどうなろうと、私には関係ないからね」
「もう、ハズってば。せっかく教えてくれるって言ってるのよ。ねぇ、お願い。どうすればいいの」
ハズィランの言葉で魔女の気が変わらないかと思いながら、ルルナは尋ねた。
自分にできるかどうかはわからない。ハズィランはランプに関わる魔法には手が出せない、と話していた。でも、学校へ帰ればギルデント校長や他にも魔法使いの先生がたくさんいる。
とにかく、方法さえわかればこちらのもの。
「教えてやってもいいけど、一つ条件があるよ」
やはり、ただでは無理らしい。さすがにルルナも、何か言ってくるんだろうなー、という予想はしていた。
「どんな条件?」
お金を要求されると困るんだけど。お小遣いは少ししかないし。それとも、何か魔法に関連する物を持って来い……とかかな。
そんなことを考えながら、ルルナは魔女の答えを待った。
「お前の持つ魔力を、私におよこし」
しばし沈黙が漂う。
「……いいわ」
「ルルナ!」
友の答えに、ココナが声をあげた。
「馬鹿! お前、自分が何を言ってるか、わかってるのかっ」
ルルナの返事に、ハズィランが怒鳴る。
「お前が今までしてきた修行が、全部なしにされるんだぞ。やり直すにしたって、これまで以上に身に付きにくくなる。下手すりゃ、力を吸い取られる時に命まで吸い取られることだってあるんだぞ」
人間同士は無理でも、人間から魔性へ魔力を移すことは可能。移すと言うより、現実には「奪う」という形だ。
そんなことをするのに、安全であるはずがない。どうしたって、奪われる側に大きなリスクが存在する。どうなるかは、そのときのやり方次第。
「でも、がんばれば何とかなるでしょ? ランプの方は、がんばっても方法がわかんないと何とかなりようがないし」
「お前のなけなしの魔力を使ってまで、戻ろうなんて思ってねぇよっ」
こんな時でも、やっぱりランプの精は口が悪い。
「なけなしって何よ! まだ才能が開ききってないだけじゃない。これだって、あたしなりに考えた結果なんだから」
「そういうのは、考え足らずって言うんだ。言う程に長考もしてないだろ。とにかく、俺はお前の魔力を犠牲にしてまで、ランプへ戻りたいとは思わないっ」
「あたしがいいって言ってるのに、どうしてハズが反対するのよ」
「うるさい。黙ってろっ。おい、ばばぁ。今の交換条件はなしだ。こいつに妙な真似したら、この城ブッ壊すからな。お前に手を出せなくても、城ならどうとでもできる。死に損ないに渡すような魔力なんか、こいつらは持ってないんだ。ほら、帰るぞっ」
「やだ、離してよっ。今帰ったら、ここへ来た意味がないじゃないっ」
腕を引っ張るハズィランに、ルルナはしゃがみこんで抵抗する。その様子は、まるでだだっ子を連れて帰ろうとする親みたいだ。
それを見ているココナは、どちらを止めるべきか迷い、手が出せない。
この状況では、ルルナが魔力を取られることをいやがって帰ろうとし、ハズィランが自由を取り戻すために彼女を引き止めようとする場面……のはず。
どうしてふたりの立場が逆になっているのだろう。
あっけにとられてその様子を眺めていたキッカだが、しわがれた声で笑いだした。