吸われた魔力
トイフェールが言葉に詰まり、ルルナは鏡の持ち主が彼だと確信した。
「やっぱりトイフェール先生の物だったのね。どうしてこんなひどいこと、するのよっ」
鏡には見覚えがある。倒れているハズィランも、トイフェールの視界に入っていた。
それらを合わせ、魔物以外の原因でハズィランが倒れている理由を、ようやくトイフェールは察した。ルルナの視線の意味も。
「ちょっと待ってくれ。確かにあの鏡はぼくの物だけど、ぼくは彼に何もしてない」
ハズィランに敵意を向けたところを、ルルナやココナに見られている。だが、こんなわかりやすい、言ってみればばれやすい方法でハズィランをどうかしよう、なんてことは考えていない。これは完全に濡れ衣だ。
「だって、あれは魔性の力を吸い取る鏡なんでしょ。だから、ハズがこんななっちゃったんじゃない。力がなくなって倒れたところに、天井が落ちてきて……だからこんなケガしたんじゃないっ」
最後は泣きながらの抗議だった。
「あの鏡はずっと前に作った物だ。授業の後でどこかに置き忘れたことに気付いて、ずっと探していて……」
「先生、細かい話は後でもいいです。あの鏡がハズィランの力を吸い取ったのなら、元に戻してください」
「元に……」
冷静にココナから言われ、トイフェールは口をつぐんだ。
彼は全ての魔性や魔物を憎んでいる。トイフェールにとって、そういった存在は全て退治されるべきもの、消滅させるべきものだ。
今、彼の目の前には、その退治するべき魔性が力を失って倒れている。逃げることも、抵抗することもできない。普段なら校長や他の魔法使い、生徒達の手前、何もできないでいたが、これは強力な魔性を消すまたとないチャンスだ。
この学校で、一番強い魔力を持つハズィラン。彼が致命的なダメージを受けているのは見て取れるし、わざわざ自分が手を下すまでもなく、放っておいても時間が彼を死に追いやるだろう。
だが……目の前にいる少女達が、それを許さない。
それに、トイフェールにはずっと理解しがたかったのだが、ハズィランは生徒達に結構人気がある。魔法使い達の間でも、評判は悪くないようだ。
何より、ギルデント校長が完全に彼を信じ切っている。ギルデント校長に言わせれば、ガーヘンディッシャンを信じているから、となるらしいが、そんな今は生きていない魔法使いのことをなぜ引っ張り出してくるのだろう。
「先生、早くしてっ。ハズが死んじゃうじゃないっ」
トイフェールがためらっていると、ルルナが叫んでせかす。傷を押さえるハズィランの手が、力尽きたようにずり落ちたからだ。恐らく、もう意識はない。
この少女と魔性の関わりを聞いて、トイフェールはずっと謎だった。なぜ魔性とこんな親しげに付き合えるのか。
彼女は今、魔性のために涙まで流している。なぜそんな気持ちになれるのだろう。
魔性は危険極まりない存在なのだ。そのはず、なのに。
「先生、お願いします。急いでください。このままハズィランが死んだりしたら、ルルナが壊れます」
生徒なのに。年下なのに。依頼口調なのに。
ココナの言葉は、トイフェールの反論を許さない強さがあった。
「……あ、ああ」
生徒の静かな口調に気圧されるように、トイフェールは鏡がある場所へ行った。
「……え?」
鏡を拾い上げようとして、それができない。鏡が信じられないくらい、重いのだ。まるで強い接着剤で床に貼り付けられたように、全く動かない。この鏡は、子どもでもすぐに持ち上げられる物のはずなのに。
これが……ハズィランの魔力なのか。
鏡の重みは、魔力の量。トイフェールに持ち上げることができない、扱えない程、ハズィランの魔力は高いということだ。
しかも、ハズィランはまだ生きている。完全に魔力を吸い取っていれば、ハズィランは死ぬか消えるはず。どういう形であれ、彼はもう存在できないはずなのだ。
つまり、鏡の許容量を超えてしまう魔力をハズィランは持っている、ということ。
この鏡は小さいが、二、三十の魔物の魔力を軽く吸い取るだけの容量がある。トイフェールが作った物だから、それは確かだ。彼はこういった魔法道具を作ることに長けているのである。
つい最近の授業で、技術があればこういった道具を作れる、という見本でこの鏡や他にも色々と持って行った。しばらくして、鏡をどこかに置き忘れたらしいことに気付いて探していたのだ。
それが偶然とは言え、ハズィランに対して使われるなんて、トイフェールは思ってもみなかった。
こんな強い魔力の魔性を、本当に復活させていいのだろうか。
そんな疑問がトイフェールの中でわき上がる。
ハズィランは昔、街だか国だかを滅ぼしかねないくらい暴れていた、と聞いた。これだけの魔力があるなら、それは可能だろう。
今は学校でまさかの教師をしているが、いつその時と同じことを始めるかわかったものではない。次は本当に国を、世界を滅ぼしてしまうかも知れないのだ。
しかし、このまま本当にハズィランが死んでしまったら、ルルナがどうなってしまうのか。
ココナは静かに「ルルナが壊れる」と告げた。それは間違いのない事実だ、と言われたような気がする。少なくともココナは、友人がそうなる、と思っているのだ。
生徒が、魔法使いのたまごが、自分の後輩になる者が傷付くことは、トイフェールも望んではいない。
それに、知りたい気もしてきた。
なぜ魔性のために、そこまでするのか。
これまで、魔性のせいで泣かされた人は自分も含めて何人も見て来たが、魔性のために泣く人は初めてだ。ハズィランの何がそうさせるのか、知りたい。
ルルナだけじゃない。彼がいなくなって悲しむでろう人は、この学校に大勢いる。ハズィランは魔性だと全員がわかっているのに、彼を慕う理由は何なのか。
トイフェールは、解呪の呪文を唱えた。鏡をハズィランのそばへ持って行くのは無理なので、鏡があるその場で。
図書室の外で、魔物が吠えているのが聞こえた。どうやら魔法使い達は苦戦しているらしい。知能は低くても、手応えがありすぎる相手なのだろう。
鏡の表面が七色に光る。その直後、風がルルナ達の間をすり抜けた。
しばらく誰も動かない。外の騒がしい声だけが、耳に入って来る。
「……う……」
ふいにハズィランが呻いた。その後、ゆっくりとその目が開く。
「……ハズ? ハズ、具合はどう?」
ハズィランの顔に自分の顔を寄せ、ルルナが尋ねる。
「良好……とは言いにくいな」
それでも、答える声にはずっと力がこもっている。さっきまでのささやくような、声にならない声とは違う。いつも通り、とまではまだいかなくても、音がもれているかのような声ではなかった。
「魔力、戻ったの?」
「ああ、そのようだ」
戻したふりをするのでは。何だったら、残っている魔力も吸い取ってしまうのでは、とルルナは少し疑っていたのだが、トイフェールはちゃんとハズィランの魔力を戻すようにしてくれたのだ。
「ハズ、起きられる?」
「……もうちょい待て。かなり血が流れたからな」
魔力は戻っても、流した血までは戻って来ない。その分が完全復活の足を引っ張る。
何度かまばたきをしてから、ゆっくりとハズィランは起き上がった。魔力が戻った時に自分で治したのか、傷の痛みに顔をしかめることもない。
座り直すと、ハズィランは短く息を吐いた。
「ったく……まだ一ヶ月ちょいくらいだろ。こんな短期間に二度も死にかけるなんて、ランプにいた時には思ってもみなかったぜ」
さっきよりさらに、声が本調子にぐっと近付いている。
「ハズ……ハズ、身体は大丈夫なの? もう平気?」
「そんな辛気くさい顔、するなよ。ああ、もう何ともない」
ハズィランがそう答えた途端、ルルナは彼の首に飛び付いた。今までの不安や恐怖が全て吹っ飛び、ハズィランが元に戻ったことがとにかく嬉しい。
そんな少女の頭を、ハズィランは軽く叩く。よしよし、とでも言うように。
「ルルナ。お前の治癒魔法、なかなかだったぜ。満点はちょっと厳しいけど、合格点はやれるな」
その言葉に、ルルナがハズィランから離れる。
「ちょっと……こういう時くらい、点数付けるの、やめてよねっ」
失敗したら補習三倍かも、と考えたことは黙っておく。
「実験台としては、ちゃんと感想を述べておくべきだろ」
「その実験台って言うのも、やめてよ。かわいくないケガ人ね」
「かわいいケガ人って、どんなだよ」
いつもと変わらない会話が、また始まった。
あれだけ切羽詰まってたふたりとは思えないわね。ここまで早く通常モードに戻れるなんて、感心するわ。
ココナが安心すると同時に、あきれたようにため息をついた。
とりあえず、図書室の中では事がおさまった……と思った途端、外からまた魔物の咆吼が彼らの耳に飛び込んでくる。
「まだ手間取ってるのか」
「巨大なミノタウロスみたいな魔物だったわ。見た感じも頑丈そうだった」
目撃者のココナが語る。
「牛なんて、焼いてステーキにでもすればいいのよ。図書室はこんなに壊しちゃうし、治ったからいいようなものの、ハズだって大ケガしたし。先生達、遠慮してるんじゃないの」
ハズィランが魔力を奪われたのはトイフェールの鏡のせいだが、あんな大ケガをしたのは魔物のせいだ。ルルナが怒るのも無理はない。
「あいつは、俺の気配に気付いてこっちへ来たんだろう。以前、似た気配を感じたことがある。色々な魔性や魔物を喰って、魔力を自分の物にしていく奴だ。本体は不定形だが、喰った奴の姿になれるから、最近喰ったのがミノタウロスもどきの魔物だったんだろう」
ルルナ達は知るべくもないが、魔物が学校内に現われたのはハズィランが魔力を鏡に吸い取られるほんの少し前だった。その時、ハズィランの魔力を感じ、それを喰おうと考えた時に鏡が魔力を吸い込んでしまった。
感じたはずの魔力が突然消え、とにかく自分が感じた方へと魔物は進み出したのだ。飢えた生物が、残り香を頼りに食物を求めるようなものである。その方向が図書室だった。
「校長は確か外出してるんだっけな。余程うまくやらないと、あいつらまで喰われかねないか」
この学校の魔法使いの中では、ギルデント校長が一番腕がいい。だが、今は不在だ。
他にも数名同行すると聞いていたし、残った魔法使い達では苦戦を強いられるのも当然だろう。
色々な魔物の力を喰っているので、知能は低くても攻撃力・防御力ともにとても高い。人間の魔力は興味がないようだが、あまり邪魔をすると「ついでに」喰われる可能性もある。
ハズィランが立ち上がった。さっきまでの重傷が嘘のように、まっすぐと。知らない人が見れば心配するので、床にある血の跡はさっさと消しておく。
「お前らはここでおとなしくしてろ」
そう言うと、ハズィランは魔物があけた壁の穴から外へ出た。
おとなしく、と言われてもやはり気になる。だが、足手まといになるのもいやなので、ルルナとココナは窓から外を見ることにした。
ちなみに、窓のガラスは割れてなくなっている。もちろん、魔物のせいで。
トイフェールは、ハズィランの後を追って外へ出る。
図書室のすぐ外では、魔法使い達が魔物の動きを止めるため、束縛の魔法をかけていた。魔物の動きが鈍ったところで、炎をかけたり、風の刃を放ったりするのだが、相手の身体にはほとんど傷が付かない。ここまで丈夫な魔物には、彼らもそうそう遭ったことはないだろう。
さらに、ハズィランが近付いたことで、魔物は束縛の魔法を振り切った。腹を空かせた獣が、エサの方から近付いたことに気付いて縄を切ったようなものだ。
かけていた力を振り払われ、何人かの魔法使いが倒された。
「ウマソウ……」
魔物の口から、よだれが滝のように流れ落ちる。
「マリョク……ヨコセ」
魔物は鋭い爪が伸びた手を、ハズィランへと伸ばした。
ハズィランは一言応える。
「やなこった」
誰も、ハズィランが魔法を使ったようには見えなかった。ハズィランは一言、魔物に返しただけだ。
しかし、ハズィランへ伸ばした手の先から、魔物が砂になってゆく。魔物は本物の牛が肉食の獣に襲われた時のような悲鳴を上げるが、どうすることもできない。
魔物はハズィランがルルナ達に説明した通り、これまでに色々な魔物を喰っていて、その魔力も自分の物にしていた。だが、喰うばかりで使いこなすことはほとんどできないのだ。
攻撃は適当にやっていれば何とかなるし、防御は自然と身に付いていたのであえて魔力を使うことがなかった。だから、こうやっていざ自分に本当の危機が迫っても、魔力を使って防ぐことができない。
もっとも、魔力を自在に使えたとしても、自分の身体が消えるのを止めることはできなかっただろう。
ハズィランとその魔物とでは、魔力の差がありすぎる。いくら魔物を喰って魔力をため込んでたとしても、目の前にいる魔性とは雲泥の差。
そんなこともわからないから、まともに戦うことすらできずに負けてしまうのだ。
学校中に不気味な悲鳴を響かせながら、魔物はとうとう消えてしまった。





