えこひいき
一通りの指導が終わり、補習時間は終了した。
自分の技量アップを手伝ってもらっているとは言え、大変な時間には違いない。
今日はここまで、と告げられて、生徒達はほっと息をついた。
「ルルナはまだだぞ」
教室を出る用意をしようとしていたルルナを、ハズィランが引き止める。
「え、どうしてよ」
「言っただろ。他の奴の二倍、時間取ってやるって」
確かに、満点が取れなければ補習で、さらに二倍の時間でたっぷりと、というのが約束だった。
「……そこまで律儀にしなくたっていいじゃない」
そういう二倍だの、たっぷりだのはいらない。
「何言ってんだ。俺達は契約って奴にはうるさいんだぜ。中にはあっさり破る奴もいるけどな。俺はきっちり守るタイプだ」
だから、ギルデント校長から依頼、つまり契約して受け持った以上は落伍者を出さないよう、こうしてしっかり補習までする。律儀で真面目な魔性だ。
ルルナにすれば、新手のいやがらせに思える。
「もぅー、まだやるのぉ」
「何だ。これくらいで音を上げるような、根性無しかよ。もう少し骨のある奴かと思ってたけど、偉そうなのは口だけか」
「偉そうに言うのは、ハズだって同じじゃないっ」
そう言い返したものの、ルルナも自分が不利なのは薄々感じていた。
「俺が二倍って言った時、受けて立ったのはお前だぞ」
ルルナとしては、はっきりと言葉にして「やる」と言った覚えはないのだが……話の流れを見れば、言ったも同然。
「俺は約束を守ろうとしてるんだぜ。それを破ろうとしている奴に、まだやるのぉ、なんて言われ方はしたくないよなぁ」
「……やらないって言ってないでしょっ。破る気なんてないわよ。……こんな補習、最初で最後にしてやるんだから」
「ふぅん。じゃ、次は一発で満点取るってか?」
「やってやろうじゃない!」
ルルナは言ってから、心の中で「しまった」と思ったが、もう遅い。完全にのせられてしまった。
「ほぉ、自信がありそうだな。取れなきゃ、もちろん補習だぜ。うんと中身の濃い補習してやるからな」
どんな内容か想像できないが、しごかれるには違いない。
「肩すかしになるだけよ」
今のルルナが言える、精一杯の虚勢。他の生徒達は「あーあ……」と言いたげに苦笑する。
「どうだかな。まぁ、それは後日のお楽しみってことで。今は今の補習だ」
「はいはい」
疲れた顔を見せるのも悔しい。
ルルナはやる気だと言わんばかりに、意味もなく腕まくりする。とにかく自分を奮い立たせるしかない。
「他に付き合いたいって奴、いるか? 一緒に面倒みてやるぜ」
ハズィランが他の生徒達の顔を見回した。途端に誰もがびくっとする。
「あ……いえ、今日は……」
「ありがとうございました!」
そそくさと教室を出て行く生徒達。もう十分すぎる程に補習してもらった。これ以上は遠慮したい。
ルルナ一人を置いて行くことになるが、これは彼女の問題なので助けようもなかった。
あたしも帰りたーい。ハズの挑発にのって、無茶な約束しちゃったなぁ……。
しかも、懲りずにまた約束してしまった。ココナに言えば、きっとあきれられるだろう。
「どうする? もうやめるか?」
隠そうとしてもばればれなルルナの気持ちを見越し、ハズィランが言った。親切心、と言うより、やはりこれは挑発か。
「やめるなんて言ってないでしょっ」
言えたら楽だろうなー、とは思うが、口には絶対できない。他の先生であればぐずぐず言うかも知れないが、相手がハズィランだと言えない。
どうして素直になれないのかしらね、あたし。少し休ませてって言うくらい……ハズには言えないっ。負けないもん。
一人で勝手に盛り上がりながら、ルルナは呪文を唱えるべく、息を整えた。
☆☆☆
「ハズィラン」
とあるクラスの授業が終わり、職員室へ戻る途中で声をかけられ、ハズィランは振り返った。
彼を呼び止めたのは、トイフェールだ。半月前に魔法学校へ来た新任教師である。二十三歳という若さなので、魔法使いとしても教師としても経験はまだ浅い。
「何だ?」
ハズィランが立ち止まると、砂色の髪に薄い茶色の瞳の魔法使いはこちらへ向かって来る。
ハズィランはこれまで、トイフェールと会話をしたことがほとんどなかった。いや、皆無だ。
全校集会でギルデント校長が生徒達の前で紹介し、職員室でも教師達の前で改めて紹介をしている。だが、その後で個別に話をする機会というものがなかったのだ。
名乗るだけの自己紹介は、ハズィランもその場でしている。ただその時、トイフェールがなぜか敵視するような目つきでこちらを見ていたのだ。
それを感じたハズィランは、自分からトイフェールと話をしようとも思わなかった。なので、彼についての個人情報をハズィランは持っていない。
それが、なぜ急にあちらから声をかけてきたのだろう。やっぱり目つきは剣呑とも言える険しさだし、あまりいい話ではなさそうだ。
遠くで他の誰かと話しているところを見た時は穏やかな顔で、どこにでもいそうな明るい青年に思えるのに、どうしてこうも変わるのか。
不思議に思いながら、ハズィランは相手の出方を待つ。
「昨日、補習をされたそうですね」
ハズィランの正面に立ったトイフェールは、いきなりそう尋ねた。
「? ああ」
補習をしたという話をするだけで、このトゲのあるような口調は何だろう。
及第点が足りない、課題に追い付けない生徒のために、それを補うための授業をすることは、教師として特別なことではない。他の教師もやっていること。
トイフェールの口調は、さも悪いことを見付けて問い詰めるかのようだ。
「ある生徒達から聞いたのですが、あなたはルルナだけを他の生徒より長く指導していたとか」
「ああ」
事実なので、ハズィランは肯定する。
ある生徒達、とトイフェールは言うが、ルルナに倍の補習をしたことは彼女のクラスメートならみんな知っている。なぜそういうことをしたのか、ということも。
「それは問題ではありませんか?」
「どうして?」
ハズィランは何の悪気もなく聞き返したのだが、それが相手の気をますます悪くしたらしい。
トイフェールの眉が、さらに上がった。
「どうして? そんなことを言うんですか、あなたは」
「……何をそうカリカリしてるんだ?」
ハズィランは、相手の怒る理由がわからない。
「一人の生徒を特別扱いすることが問題ではない、と言うんですか。世間ではそれを、えこひいきと呼ぶんです」
全く予想しなかった単語が出て、ハズィランはぽかんとなる。
「俺はルルナをえこひいきした覚えはないぜ」
「あなたに覚えはなくても、そういうことになるんです」
ふたりの険悪な……と言うより、トイフェール一人が熱くなっているだけなのだが、場の空気がおかしいことを察した生徒達が、遠巻きに様子を見ている。
「えこひいきってのは普通、試験で足りない点数をこっそり上乗せするとか、そいつに有利な状況をつくってやることだと思うが……」
「一人だけを熱心に指導し、点数が上がるようにするのも十分えこひいきです」
断言されてしまった。確かに、そう言われればそう考える者もいるだろう。
しかし、ハズィランとしては、やっぱりそういうつもりはない。
「ねぇ……もしかして、あたしが話題の中心?」
たまたま近くを通りかかったルルナは、自分の名前を聞いたような気がして話の中へ入った。
この際、場の雰囲気が悪い、ということは気にしない。自分が関わっているなら、素通りする訳にはいかないだろう。
その後ろから、ココナもついて来る。
「もしかしなくても、お前中心。ついでに俺」
「逆です。中心はあなたでしょう」
トイフェールがしっかり否定・訂正する。
そんなに長い会話ではなかったが、すでにハズィランは疲れてきた。
「お前に二倍補習したのが、気に入らないとさ」
「ああ、あれのこと? どうして?」
こんな所で、昨日の補習の話が出るとは思わなかった。
しごかれた当事者のルルナが気に入らない、と言うならともかく、どうしてトイフェールが気に入らないのだろう。しかも、ルルナはトイフェールの授業を受けたこともないのに。
「気に入る、入らないの問題じゃありません」
「じゃ、どういう問題なんだよ」
単に難癖をつけられている、としか思えない。
「ですから、あなたがえこひいきした、ということが問題なんです」
「えこひいき? ハズが? あたしに?」
ルルナがきょとんとした顔でトイフェールを見て、それからハズィランを見る。
「やっだ、トイフェール先生。考えすぎ」
ルルナがけたけた笑い出す。
「ハズがあたしにえこひいきなんか、するはずないじゃない。授業中はさすがに言わないけど、普段はしゅっちゅうバカって言うし、からかうし、何より偉そうだし」
「ルルナ、それってあんまりフォローになってないわよ」
横にいるココナが、小さく突っ込む。
「あなたは、彼女とは付き合いが深いそうですね」
「……浅いとは言わない」
ハズィランとランプ、そしてルルナとココナのことは、噂好きの生徒でなくてもこの学校にいれば話の断片を聞いたことはあるはず。彼らの身に起きたことは、新参者であるトイフェールの耳にも入ってきているのだろう。
「あなたが時間外に彼女とどんな話をしようが、それはぼくが口を出すことではありません。ですが、それを授業中に持ち込むのはやはり問題です」
「トイフェール先生。補習を二倍にしたのが、そんなにいけないこと? あれってあたしが課題で満点を取るって言ったのに取れなかったからで、えこひいきって言うより罰ゲームみたいなものだと思うんだけどな」
今度こそ、まともなフォローを入れたルルナ。罰ゲームはルルナの感じ方だが、過程については本当のことだ。
しかし、トイフェールは納得しない。
「罰ゲームだとしても、どうしてそれをきみ一人だけがするんですか。授業はもっと公平であるべきでしょう。そういう取り決めをすること自体、おかしいんです」
トイフェールが熱弁をふるう途中、次の授業を知らせる鐘が響いた。
「ほら、授業だ。さっさと教室へ入れ」
ハズィランは、遠巻きにしている生徒達を促す。
「お前らも早く行け」
ハズィランはルルナにも言うが、ルルナは大きく首を横に振った。
「行けないわよ。誤解されたままで、行けると思う? ねぇ、ココナ……ってあれ?」
横を向くと、友人の姿がない。くだらないと思って、先に教室へ行ったのだろうか。
「ルルナ、きみは教室へ行きなさい。この話はハズィランとしますから」
「行けませんってば。えこひいきされた、なんてあたしにとっても問題だわ」
「問題なのはした方であって、された方ではありません。頼んだと言うのなら、話は別ですが。そうではないのでしょう?」
「だから、ハズはえこひいきなんてしてないし、あたしもされてません。トイフェール先生、どうしてそんなに補習の話にこだわるのよ」
そう思われるのは、ルルナとしては心外だ。
ひいきにされた、ということは、ズルをしている、と人からみなされているようなもの。ルルナは人から指を差されるようなことはしていない。
「お前、俺には省略した名前で呼ぶくせに、同じくらい長い名前のトイフェールには先生って呼ぶのか……」
そんな場合ではないのだろうが、ハズィランとしてはちょっと引っ掛かる。
「え? あ、だから……定着しちゃったからって言ったでしょ」
ハズィランの冷たい視線に、ルルナは笑ってごまかしておく。
「尊敬してくれとは言わないが、先生を先生とも思わない奴をえこひいきするような奴がいるのか?」
これはトイフェールに対する反論と言うより、ハズィランのグチ。
「と、とにかく、トイフェール先生が思うような、不公平な状況がある訳じゃないです」
「ぼくにはそうは思えませんが」
ハズィランは、この議論が心底いやになってきた。
「だったら、どうしろって言うんだよ。もう補習は終わっちまってる。時間を戻すなんてできないぜ」
「ええ、終わってしまったものは仕方ありません。ただ、今後はこういったえこひいきなことを、絶対やめてください」
こういう言われ方をすると、すでに次の約束もある、なんてことは言えない。また延々と同じ話をされそうだ。
ルルナとしては、次の約束を話してなくなればいいな、なんてことをちょっと思う。だが、ルルナに対するえこひいき、というイメージがさらに濃くなりそうで言えない。
「だーかーらー、えこひいきじゃないってば。先生、どうしてわかってくれないの」
言いながら、ルルナもだんだん空しくなってきた。話がずっと平行線だ。
ハズィランもそう思っているのか、いつもより口数が少ない。ルルナと話す時なら、一言えば十は返るのに。
わかってくれない。もっと正しく言うなら、わかろうとする気がない。
ルルナはトイフェールを見ていて、ふとそんな風に感じた。
「どうしたのかね?」
三者三様に場の空気を張り詰めさせた時、やんわりした声が緊張を破った。