朱に染まる禁断の華〜悪役令嬢である私が、冷酷な王子様に断罪されなかった理由〜
豹変するイケメンが好きなので書きました(発作)
「オリヴィア。このダンスが終われば、私たちの関係もそれまでとなる」
月に一度、王城で行われている夜会にて。
天井からは煌びやかなシャンデリアが吊るされ、テーブルには豪華な食事や選りすぐりの美酒が所狭しと並んでいる。
想いを寄せる相手とダンスを踊る参加者たちは、喜びに顔を綻ばせていた。
誰にとっても楽しい夜――そのはずだった。
たった今、この国の王子様が断罪ショーの幕を上げるまでは。
「アルフィ様? 突然なにを仰るので……?」
ダンスホールで婚約者のアルフィ王子と踊っていたオリヴィアだったが、豹変したパートナーの態度に驚き、その華麗なステップを止めた。
「巧妙に偽装してあったが、君の犯した罪の証拠はすでに掴んでいる。聡い君ならばこれがどういう状況なのか……当然、分かるよね?」
貼りつけた笑顔に、感情のない淡々とした声。
オリヴィアに対する愛が彼に無いことは、誰の目にも明らかだった。
「さぁ、ダンスはもう十分だろう。婚約破棄の手続きは事前に済ませておいた。あとは牢屋の中でゆっくりと休むと良い」
「そんな!! 私は罪なんて犯していません!!」
しかしその言葉は、彼にはもう届かない。
王子が彼女から手を離すと、どこからともなく武装した兵が現れ、オリヴィアを拘束し始める。
「心からお慕いしておりましたのに……まさか、見せしめのために私をここへ呼んだのですか!! 放しなさい貴方たちっ、私を誰だと思っているのですか!!」
アルフィ王子は叫んでいる彼女を視界にも入れず、無言のまま手で兵たちに「連れて行け」と合図する。
「この仕打ち……いつか覚えていなさい!」
「そうだね。今日の日記にでも書いておくよ」
「――っ!!」
必死の抵抗も空しく……オリヴィアは恨み言を吐き続けながら、会場の外へと退場させられていった。
こうしてこの日、華やかなステージで一人の少女が断罪された。
次期王妃という輝かしい未来への道を閉ざしたのは、この国の王太子であるアルフィ王子。
表情を一切変えず断罪するその姿から『仮面の王』と恐れられる、とても冷酷な王子様だった。
◇
「――シエラ!!」
パーティ会場の壁際で佇んでいた私は自身の名を呼ぶ声に気付き、視線を上げる。
「お兄様……」
そこにいたのは、私のお兄様。アルフィ王子だった。
顔は相変わらずの無表情。だけど私には彼が怒っているのだと、ひと目で分かった。
「どうしてシエラがここに居るんだ。今日の夜会には参加しなくていい。私はそう言っておいただろう」
悲劇をただ眺めていた私を、『仮面の王』は冷たい漆黒の瞳で見下ろしている。
どうやらお兄様は、私がここに居るのが気に入らなかったみたい。
「私はお兄様の妹ですもの。王族を代表して、皆様を持てなしておりました」
お兄様の放つ威圧を軽く受け流しながら、私は笑顔でそう答えた。
だけど彼は私の態度が気に入らなかったみたい。
「――ハッ。分かり切った嘘を言うな……それに、お前が貴族の相手をする必要など無い」
「ですが……」
「お前の保護者である私が『参加しなくて良い』と言っている。もしや、そんなことも理解できなかったのか? 『仮面の王』の妹ともあろう者が?」
ピシャリとした、有無を言わせぬ物言い。
先ほどの罪人と同じような――いえ、それ以上に冷たい態度。
周囲で私たちの様子を窺っていた客たちは、お兄様が放つ冷気にぶるりと身を震わせた。
だけど私はそんなことでは態度を崩さない。変わらず笑顔のまま、カーテシーの礼をとった。
「ごめんなさい、お兄様。そして会場の皆様、お騒がせして申し訳ありませんでした。これ以上お優しいお兄様のお手を煩わせるのは私としても心苦しいので、今日はこの辺で失礼させていただきます。皆様は引き続き、楽しい夜をお過ごしくださいませ」
お兄様、そして客の順番で非礼を詫びた私は、お兄様の横を通り過ぎて会場を後にした。
「……お兄様、やっぱり怒っているかしら」
たったひとり、誰のエスコートもなく立ち去る私の背中に、掛けられる言葉は無い。
代わりにヒソヒソと、周りの客の声が耳に入ってくる。
「シエラ様……というと、例のあの御方か。お可哀想に……」
「殿下は妹君にまで手を掛けるつもりなのかしら……」
ギャラリーからはそんな心配の声が上がる。
でも当の本人である私は、全く気にしていなかった。
むしろあの態度は、お兄様にしてはまだ優しい方だもの。
「(本当に嫌いな相手には、喋りかけもしないんですのよ。あのお兄様は)」
それにお兄様は断罪する自分の姿を、私に見られたくなかったんでしょうね。
『我が国の王子には、断罪癖がある』
この国に住む者なら、誰でも知っている噂だ。
私の敬愛するお兄様は、自らの正義に反する存在を許すことができない。
「おそらくお兄様は、愛した妻でも躊躇いなく断罪なさるわね」
それは今回の断罪を見ても分かる通り。
これまでもこの国の貴族が犯してきた罪を次々と暴き、そして断罪してきた。
公爵家のような上位貴族でも、たとえ自分の血の繋がった家族だとしても構わない。
事実、お兄様が最初に行った断罪は、実父である先王だったから。
その一切の妥協もない処断と、親を殺しても眉一つ動かない表情から、いつしかお兄様は『仮面の王』と呼ばれ、国中の貴族から畏れられるようになってしまった。
「まったく。お兄様は人形と結婚するつもりなのかしら」
断罪の弊害で、とうとう王妃候補が一人もいなくなってしまった。
王妃の座といえば、普通なら令嬢たちがこぞって狙うものなのに。
今回のオリヴィアさんだって、ようやくできた婚約者だった。それをお兄様は……。
幸いにも、悪徳貴族を裁く行為そのものは民から支持され、人気も非常に高い。
「だけどまさか、平民を王妃として召し上げるわけにはいかないでしょうし……」
先王が処刑されてから、もうすぐ一年が経つ。
喪が明ければ、お兄様が玉座につくことになる。
だけどその隣に座る者がいつまでも現れないのは、非常にまずい。
次代の王を生み育てることも、王族として大事な役目なのだから。
「普通の女性に仮面の王は手に負えない、か……」
せめてもう少しだけでも、他人に笑顔を見せることを覚えてくれたら……。
一度それを私が指摘したら、ますます無表情になってしまわれましたけれど。
「あんなお兄様でも、可愛い所はあるのですけれどね……」
仮面の王には、私だけが知る裏の顔がある。
正義を貫く王子という仮面ではなく、アルフィ様本来のお顔。
そして私が決してお兄様に断罪されない理由が、そこにある。
でもその秘密を、誰かにバラすつもりはない。
だって私は――。
「愛しておりますわ、お兄様。私だけは、お兄様の幸せを心より願っておりますからね……」
こうなったらなんとしてでも、お兄様には幸せな結婚生活を掴み取っていただかないと。
◇
「ど、どうも……お久しぶりですね。今日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますわ。ローガン様」
王都にある、クリッド侯爵家の庭園にて。
私はひとりの殿方と一緒に、お茶会という名目のお見合いをしていた。
春の暖かな日差しの下。少し癖のある茶髪をしたローガン様は、やや緊張をしている様子だった。
ローガン様は今年で16歳になる。王家の血を引く侯爵家の嫡男だけど、それを笠に着て偉ぶる様子は一切ない。
彼とは以前にもお会いしたことがあったけれど、相変わらず純朴で優しそうな紳士だ。
「そ、それで。今日はその……」
「本日はクリッド家自慢の素敵な庭園を拝見できると聞いて、とても楽しみにしておりましたの。ローガン様、のちほど案内していただけますか?」
「あ、はい! 是非とも!」
会話やエスコートがぎこちないローガン様に対し、私はあらかじめ用意しておいた話題をさらりと提供する。
私もそこまで男性との会話に慣れているわけではないけれど。一番身近にいる人のおかげで、あまり緊張はしていなかった。
「(お兄様に比べたら可哀想になるぐらい、気の優しい人だわ。つい気遣いをしたくなっちゃう)」
彼はようやく緊張が解けたのか、今では自分の庭がいかに素晴らしいかを饒舌に語っている。
そんなお可愛らしいローガン様を眺めながら、私はこの庭のハーブで淹れたというお茶を口にする。
「(……どうしてこうなったのかしら)」
おかしいわね……私、お兄様の婚約者探しをしていたはずなんだけど……。
それがどういうわけか、お兄様よりも先に私が縁談をする事態になってしまった。
「ここだけの話なのですが。近ごろのクリッド領では、他国から取り寄せた医療用のハーブを栽培しているんですよ! とても珍しい、真っ白な雪の結晶に似た花を咲かせるんです」
「――それってもしかして『朱雪草』ですか!? 素晴らしいですわ……さぞかし綺麗な花なのでしょうね」
「ご存知でしたか! いやぁ、是非ともお見せしたいです!……今度、こっそりお持ちしますね」
「ふふ。楽しみにしておきますわね」
ウインクをしながら茶目っ気たっぷりに言う彼に、私は笑顔を返す。
すっかり調子が出てきたのか、ローガン様はちゃっかり“今度”の予定をこぎ着けてきた。
さすがは次期侯爵家当主、あなどれないわ。貴族としての話術は、それなりに身に付けていたみたい。
「私、城の外に出ること自体が久しぶりですの。今日はたくさんお話を聞かせてくださいね?」
私の好意的なその言葉に、ローガン様は目じりを下げて、優しく微笑んだ。
ふふふ、今日は良い気分転換ができそうだわ……。
◇
「それで、今度は来月にまた会う予定だと」
「えぇ。ローガン様はとてもお優しい御方でしたわ。一緒に居て安心できる、素敵な殿方です」
私が最大限の褒め言葉を口にすると、お兄様はハッと冷めた笑いを吐いた。
「ふん、どうだかな。男という生き物は誰しも、女の前でいい顔をしたがるからな……」
「……そう、でしょうか?」
「それで? 他にはどんな会話をしたんだ」
思わず喉から出そうになった「それはお兄様もですか?」という言葉を飲み込みながら、私は執務室で書類仕事に追われていたお兄様に、お見合いの報告を続けた。
基本的には文官たちが事前に書類の精査をしているはずなんだけれど、それでもお兄様の処理する分量は相当な数になっている。
もう夜更けだというのにお兄様は疲れた顔も見せず、それらを淡々と処理していた。
「(休んでくださいって言っても、まったく聞かないのよね。これから王となる御方が、身体を壊したらどうするのですか……)」
ひと通りの報告を終えた私は、立ったままそんなことを考えていた。
お兄様は机の書類に向いたまま、ひと言もしゃべらない。
もう用は済んだと判断した私は、お兄様に退室の許可を得ようした。
「……お兄様?」
口を開きかけたところで、お兄様がおもむろに立ち上がった。
何だろうと思っているうちに、彼は持っていたペンを机に置き、つかつかと目の前に歩いてくると――いきなり私を抱き寄せた。
「疲れた。少し、休ませてくれ」
……珍しく、熱の篭もった言葉だった。
それを彼は私の耳元で、吐息まじりに囁いた。
お兄様の服に染みついたインクの匂いが、ゼロ距離から香ってくる。
「……はい。お好きなだけどうぞ」
あぁ、これは素顔の方のお兄様が出てきたのね。
――私以外には見せない、お兄様の本当の顔。
「どうか分かってくれ。本当は、シエラをどこにもやりたくないんだ……」
「ふふ。お兄様は私が大好きですものね」
「……当たり前だろう」
仮面を外したお兄様は顔をクシャリとさせた。
それは普段の彼からは想像もできないような、愛と嫉妬に塗れた笑顔だった。
「(まったく、人前で甘える姿を見せたくないのは分かりますけれど。その分、感情を溜め込み過ぎなのよ。それを受け止める私の立場にもなって欲しいわ)」
お兄様は誰よりも、私を溺愛してくださっている。
もちろん、私だってお兄様を愛している。
だからこそ、今のお兄様を変えなくてはならない。
「(この先、もし私がどこかの家の妻となってしまったら。お兄様は今度こそ、この広すぎる王城で独りぼっちになってしまうわ……)」
寂しがりのお兄様のことだ。私という味方がいなくなれば、断罪癖はさらに過激になる。
そうなれば、貴族たちが抱く悪感情は比例して膨れ上がり……このままではいずれ、お兄様を亡き者としようとする暴動が起きてしまう。
「(早急に、お兄様をどうにかしないと。この国のため……なによりお兄様のために)」
最近では、なにやら怪しげな噂が王城で流れ始めている。
何もかもが手遅れになる前に。お兄様の伴侶を用意して、断罪癖を矯正させましょう。
「シエラ……私のシエラ……」
「お兄様……」
冷酷なお兄様の熱すぎる愛を全身で感じながら、私は改めて決意を固めるのであった。
◇
私がローガン様と最初にお見合いをしてから、3カ月が経った。
あれからも何度かお茶会や夜会を重ね、私たちは順調に親交を深めつつある。
……それに反比例して。お兄様の嫉妬は鎮まるどころか、悪化の一途をたどっていた。
「シエラ! あの男に変なことをされてはいないか!? お前を傷付けるような男だったら、私はクリッド家を潰すぞ!!」
「お兄様、そんな理由で我が国から侯爵家を消さないでください」
お兄様は自身の執務室に私を呼びつけると、開口一番にとんでもないことを言い出した。
執務机の上には、開封済みのブランデーの瓶とグラスが乗っている。
どうやら私が来るまでに、相当飲んでいらっしゃったみたい。
「だが……!!」
「いい加減にしてください、お兄様!!」
私は叫びながら、お酒の入ったグラスを奪い取った。
まったく……最近のお兄様はずっとこんな調子。
飲むお酒の量も増えているみたいだし、なにやらお薬にも手を出し始めたみたい。
あの仮面の王はどこへいってしまったのかしら……。
「こうなったら私が直々に会って、アイツの本心を問いただすべきか……」
「おやめください。こんな状態のお兄様を会わせたら、ローガン様が可哀想ですわ」
だってローガン様が少しでも変な態度をとったら、その場で断罪してしまいそうな勢いなんだもの。
心配してくれるのは嬉しいけれど、私の大事な人を嫉妬で殺されたら堪らないわ。
それにしても、予想していたよりも深刻な状況だわ。
お兄様がこんな状態になるのなら、もっと早く矯正した方が良かったかもしれないわね。
「だいたい人間というのはなぁ、いつ敵に回るか分からないんだぞ。どいつもこいつも、私を裏切るか見限って去っていくんだ……クソッ、この世に私の味方はひとりも居ないのか!!」
お兄様はそう言うと、私に奪われたブランデーのグラスをさらに奪い返す。
そしてグラスに残っていたお酒をグイッと呷ると、座った目で私を睨んだ。
お兄様の言い分は分かったわ。
だけど……。
「へぇ……この私に向かって、随分な物言いですわね?」
「……え?」
そろそろ、私の堪忍袋の緒が切れる限界だった。
「それは私もそうだと仰りたいのですか?」
「え、いや……シエラ?」
まさか私が怒るとは思っていなかったのか、間抜けな顔でポカンとするお兄様。
自分が何を言ったのか、本当に分かっていないのかしら。
この私に、最も言ってはいけないことを言ってしまったということを。
「えぇ、そうなんでしょうね。私の愛をちっとも分かっていないから、そんなふざけたことを仰ったのでしょう」
未来の王にこんな発言、失礼なのはもちろん承知。
だけどこれ以上、お兄様がボロボロになっていくのを黙って見てなんかいられない……!!
「私はアルフィ様を置いて逃げたお姉様とは違います。お兄様はそろそろ、私にお姉様の幻影を重ねるのはお止めになってください!!」
「シエラ!! いきなり何を言い出すんだ!!」
「私の名はシエラではございません!!……もういいでしょう!? 私は妹のエミリー。シエラお姉様は亡くなったのですよ、アルフィ様!!」
ごめんなさい、お兄様。私はもう、お姉様のフリを続けるのは限界なの。
今私が言った通り、私の名前はシエラじゃない。エミリーだ。
そしてお兄様が断罪したことで取り潰しになった公爵家で、唯一の生き残りでもある。
お兄様は婚約者を死に追いやった罪悪感で私を引き取り、シエラお姉様に代わる愛玩人形とした。それが私とお兄様の本当の関係――。
「違う!! シエラは私の……」
「貴方の婚約者だったシエラお姉様は、この世にはもういません!! アルフィ様が私の家を断罪なさった次の日に……お姉様は自ら命を絶ってしまったのですから……」
「でたらめを言うなっ!! そんな話、全部嘘だっ……!!」
眼に涙を浮かべながら、アルフィ様は私の肩を掴んで揺すった。
その姿はまるで、シエラお姉様の亡霊に許しを請うているようにも見えた。
「甘えるのも、いい加減になさいっ!」
だけど何をしても、お姉様は帰って来ない。
お姉様はアルフィ様を恨んではいなかったけれど、アルフィ様は罪の意識に囚われてしまった。
それからずっと、アルフィ様は罪から逃げてきた。
己の正義を正当化するために、断罪を繰り返して……。
誰も信用せず、愛する人も作らず。
私にお姉様を重ねて、贖罪を重ねる日々。
「(だけどそれじゃ、いつまで経ってもアルフィ様は幸せにはなれない……)」
もしかしたら彼は誰かに、自分の罪を裁かれることを願っていたのかもしれない。
正義感を支えにしていた彼はなにより、自身の罪を許せなかったのだから。
だからこそ私は、彼を罪の鎖から解放して差し上げたかった……。
「アルフィ様、やはり私は貴方様を……アルフィ様?」
「う、うぐ……」
私にしがみ付いていた彼の様子がおかしい。
急にガタガタと震え出し、こちらを見ていた目の焦点が合わなくなってしまった。
「な、んだ……身体がうごか……」
「まさか、誰かが命を狙って毒を!? ――誰か!! 誰か来てちょうだい!!」
アルフィ様は覚束ない足で、フラフラと執務室の中を歩き始めた。
バランスを取ろうと執務机に手を突いたものの、力が入らずそのまま床に崩れ落ちてしまう。
私の声が届いたのか、倒れたとほぼ同時に、外で控えていた衛兵たちが部屋になだれ込んできた。
「――どうされたのですか、アルフィ様!! こ、これはいったい!?」
「はやく医者を呼んで!! 毒を盛られたかもしれないの!!」
私は執務室の上にあった、空のグラスを指差す。
直前まで口にしていたのはアレだ。可能性があるとしたら、あのブランデーが怪しい。
「それと、使用人を含めて全員を拘束して!」
「え? それはどうして……」
「犯人が王城内に居る可能性があるの! おねがい!!」
誰かが毒を仕込んだとすれば、内部の人間しかいない。
逃げる前に早く捕まえておかなければ――。
私が言ったことをすぐに理解してくれた衛兵たちは、矢のように部屋から飛び出していった。
残された私は意識混濁になってしまったアルフィ様を抱き寄せる。
「アルフィ様、お気をたしかに! 私を置いて行っては駄目です!」
「え、エミリ……」
「私はここに居ます……大丈夫、絶対にお傍を離れませんから……アルフィ様――」
腕の中でうわ言を繰り返すアルフィ様を、私は何度も励まし続けていた。
◇
暗殺未遂が起きてから3日が過ぎ。
アルフィ様は奇跡的に意識を取り戻した。
後遺症こそ残らなかったものの、毒の影響で黒髪だけが真っ白に変わってしまっていた。
「でも良かったですわ。アルフィ様がご無事で……」
安静のためにベッドで横たわるアルフィ様に、私は穏やかな口調でそう言った。
白髪の王子様は儚げに微笑みを返す。
「エミリーがブランデーに入れられた毒を特定してくれたおかげだ。ありがとう」
「いえ、そんな。私は当然のことをしただけです……」
あの一件で憑き物が落ちたのか、アルフィ様はすっかり柔らかな性格になった。
だけどそれは、私にとって嬉しい変化だった。
「原因は『朱雪草』という薬草でした」
毒の正体は、とある薬草だった。
ただし本来の治療で使用される葉ではなく、その花の方が使われていた。
「その花はアルコールと混ぜることで赤くなり、毒を出すようになるそうです。アルフィ様が飲んでいたブランデーから、この花の毒が検出されました」
早期に原因が掴めたことで、素早く解毒することができた。
医者はもう少し処置が遅くなれば、手遅れだったと言っていた。
「しかし、よくエミリーはそのことを知っていたな」
「えぇ。実はシエラお姉様もこの毒で……」
「……そうだったのか」
その薬草は本来、この国では栽培されていなかった。
だから毒のことを知っているのは、ほんの一握りの人間だけ。
そしてアルフィ様の暗殺を仕組んだ犯人は……。
「まさか、君の婚約者であるローガンが犯人だったとは」
「えぇ……私もビックリしましたわ。とても優しい御方だったのに……」
この『朱雪草』はローガン様を始めとした、クリッド侯爵家だけでしか栽培されていない。
しかも花の毒は漬けてから1日で消えてしまうから、他国から輸入することもできない。
他にもいろんな要因からして、容疑者として上がるのはローガン様しか居なかったのだ。
「本人は最後まで認めなかったようですが……」
「まぁ、そうだろうな。王族殺しは未遂でも縛り首だ」
「ですが、彼はもう……」
「馬鹿な奴め。自死を選ぶくらいなら、最初からやらなければいいものを……」
ローガン様は連行される直前、この朱雪草の毒で自害してしまった。
よほどプライドが耐えられなかったのでしょう。
自分を殺そうとした者に同情心が湧いたのか、アルフィ様は苦虫を噛み潰したような表情をする。
これまでの断罪と違って、怒り以外の複雑な感情が入り混じっているようだった。
「しかし、証拠として『朱雪草』があること。そして以前アルフィ様が断罪されたオリヴィア様の関係者が、アルフィ様のお酒に毒を入れたことを自白いたしました」
「……オリヴィアの?」
「どうやら彼女の恨みを晴らしてやると、誰かに唆されたようですわね」
可哀想に、忠誠心を利用されて復讐も果たせず、処刑台送りだなんて……とんだ悲劇だわ。
「ローガンは私を亡き者にし、唯一の王族であるエミリーを妻とすることで、自分が王に成り代わろうとしたのだろう。まったく、浅はかなことをしたものだ……」
アルフィ様にとって、王位なんて呪われた肩書きでしかなかった。
あれだけ苦悩していたんだもの。譲れるものなら、譲ってしまいたいと思っていたはずだわ。
「私は……これからいったい、どうするべきなのだろうな……」
命を狙われ、すっかり弱気になってしまったアルフィ様。
うるうるとした瞳を揺らしながら、私を見上げている。
その姿はまるで捨てられた仔犬のようだ。
でも安心して、アルフィ様。私だけは貴方様を見捨てませんからね?
「実はそのことで、私からご相談があるのです」
◇
アルフィ様が暗殺未遂から生還して、さらに1か月が経ち。
先王の喪が明けたその日のうちに、アルフィ様はこの国の王に即位した。
そして今。
王城の広場にて、新国王は国民に向けた演説を行っていた。
これまでの断罪はすべて、国内に蔓延る悪を取り除くために必要だったこと。
民には安心感を、貴族に対しては誠意を持ってほしかったこと。
これからは自分が王として、みなに見本を示すことを誓う。
それら幾つかの言葉をまとめれば、断罪劇はもう終幕にするという宣言だった。
「そしてこのめでたき日に、我が妻として紹介したい者がいる。エミリー王妃だ」
私は王子の暗殺を防ぎ、命を救ったという功績を得た。
その報酬として、一時的に私の実家である公爵家を復興させた。つまり、私が公爵家当主となったのだ。そして――
「今までは私の妹として振る舞ってもらっていたが、実際は私の婚約者候補として王妃教育を受けていたのだ。今回のことを鑑みても、王妃となる権利は十分。よって本日、彼女を私の妻とさせてもらった。皆の者も、異論はないな?」
新国王がそう訊ねると、王城前の広場に集まった民から歓声が上がった。
王妃の空位や王の過激さに頭を悩ませていた貴族たちも、拍手で迎えてくれた。
「アルフィ様。これからも末永く、よろしくお願いしますわ」
「あぁ、エミリー。まだまだ頼りない王だが、隣りで支えてくれると嬉しい」
こうして私は愛すべきアルフィ様を矯正し、幸せな生活を手に入れることができたのだった。
◇
即位前こそ仮面の王と呼ばれたアルフィ王であったが、彼がその後の人生で誰かを処刑台送りにすることは一度もなかった。
その理由は、彼が愛した王妃が王の怒りを鎮めたからだと言われている。
雪のように白い頬を赤く染めて微笑む王妃の姿は、王だけではなく誰もが見惚れ、心が安らいだ。
そのことから彼女は『朱雪の花』と呼ばれ、多くの者から親しまれたそうだ。
そして王妃の部屋には、その花が表す『朱雪草』が毎日のように飾られていたという――。
最後まで御覧くださり、ありがとうございました!!
よろしければ、是非↓の☆★☆★☆から評価をお願いいたします!
次回作への活力へと繋がります……!