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ル・ティベルシリーズ

最強のツヴェルフ ―シェル・シェールの武勇伝―

作者: 紺名 音子
掲載日:2021/10/10


 夜空に一際大きく輝く青白い星に照らされた、石造りの塔の屋上。

 目の前で繰り広げられる惨劇を前に、年老いた神官長は目を丸くしていた。


 つい数十分ほど前に自分が召喚した異世界人が、華麗かつ隙のない動きでこの世界の男達を次々と叩き伏せ、気絶させていく。


 ハーフトップと短パン、とりあえずヘソを隠す感じで巻きつけられた腰布。


 見事に?き出しになっている、やや筋肉質な手足には切り傷や噛まれ傷が何箇所にも見られ、顔にも数か所切り傷が刻まれ、お世辞にも綺麗とは言えない赤茶けた髪を雑に纏めた三つ編みが、動く度に跳ねる。

 

 醜い訳でもないが、けして儚くも美しくも綺麗でも無い。


 それでも強い光を宿す暗い緑の目と、自信に満ちた笑みと、他者を圧倒するその強さが《《彼女》》に近寄りがたい女帝の風格を纏わせていた。


(強すぎる……!)


 もし今、この世界を脅かすような恐ろしい魔物がいたら、彼女を召喚した神官長の名は<異世界の女帝を召喚し、世界を救った者>として末代まで語り継がれる事になっただろう。


 しかし――神官長がこの女帝を召喚した理由は、けして世界を危機から救う為ではない。


 その女帝――シェル・シェールは、神官長が自国の貴族の<子づくり>の為に召喚したのである。


(なんか、すごく……すごくヤバいの召喚しちゃったのう……!)


 神官長は今、彼女に叩きのめされていく男達から後で恨まれ蔑まれ罵倒される自分の未来を案じ、怯える事しかできなかった。




 神官長がシェルを招き入れた、この世界――ル・ティベルでは生きとし生ける者は皆、色のついた魔力を有しており。

 人もその魔力によって己の身を守ったり、衛生的な生活を営んだりしていた。


 魔力の色は髪や目などの外見だけに留まらず、性格や魔法の得手不得手、人との相性など、あらゆる面に強く影響を及ぼす。


 その中でも特に『色神』と呼ばれる存在が宿る6つの色――そして色神以外にも特別な武具や魔道具、魔法が扱える色を持つ人間達が『貴族』として特別(あが)められ、尊重されていた。

 

 そんな貴族達には、いくつか大切な役目がある。

 その中の1つが<子に自身の色を引き継がせる>事だ。


 自身の魔力の色は、母親の胎内に宿っている時に決まる。

 例えば赤色の魔力を持つ父と青色の魔力を持つ母の間には、ほぼ間違いなく紫色の魔力の子が生まれる。


 明るい赤と暗い赤の夫婦が子を成しても、親と全く同じ赤にはならない。

 全く同じ赤色の夫婦から生まれた子や、魔力を持たぬ者との子でない限り、親子の魔力の色は同じにはならないのだ。


 しかし生きとし生ける者が皆魔力を有しているこの世界に、魔力を持たない人間はおらず。

 その為、シェルが召喚されたレオンベルガー皇国では、別の世界から魔力を持たない人間――異世界人ツヴェルフを召喚して交配し、子に色を引き継がせていた。


 今日は近年新しく発見された異世界――ル・ジェルトから初めて異世界人を召喚する日だった。



 異世界召喚を終えた神官長が、貴族の男達を引き連れて塔の屋上に上がり。


 困惑しているツヴェルフ達に言葉を交わす為に、翻訳魔法を込めた耳飾りと首飾りを渡し。


 ツヴェルフにそれらを身に着けてもらった後、神官長はこの世界の事と彼女達が何の為に召喚されたのかを説明した。


 そこまでは順調だった。


 しかし――神官長の説明を聞いて戸惑うツヴェルフ達の真ん中にいたシェルが腕を組んでしばらく考えた後、こう言ったのだ。


「……分かった。あたしらの世界じゃ弱者は強者に従うんだ。だから、あんた達があたしに勝ったら従ってやる。あたしを打ち負かした男の子どもなら、何人だって産んでやるさ!」


 魔力を持たないツヴェルフから飛び出す、予想外で突拍子もない提案に神官長は苦笑しつつ、それを受け入れた。


 神官長はこれまで2つの星からツヴェルフを召喚した事がある。

 どちらの星のツヴェルフも皆困惑し、酷く警戒していた。


 その時の説明と説得の手間を思えば、今回のツヴェルフがすんなり今の状況を受け入れてくれた事に、内心安堵してすらいた。


 魔力の無い異世界から召喚した、うら若き女性達。

 実力勝負なら魔力を持ち、様々な魔法が扱える我らが圧倒的に有利――そんな男達の慢心は、数分で打ち砕かれた。



 シェルは相手が魔法を放つ前に懐に飛び込み、一撃で気絶させていく。

 魔法が通用しないと分かって剣を掲げた者がいれば、それが振り下される前に足払いをかけて盛大に転ばせる。


 卑怯にも複数人で襲おうとした者達には他の男が落とした剣を投げつけ、相手が怯んだ隙に目にも止まらぬ速さで腹に一発入れていった。


 皆殺しにせんばかりの勢いなのに、きっちり気を失わせるに留まらせるその力加減が、圧倒的な力の差をル・ティベル(この世界)の男達に見せつけていた。


 ここに色神を宿す者がいたら、また状況は変わっていたかも知れない。


 だが、この世界の強者である貴族達がここまで一人のツヴェルフ――しかもか弱き筈の女――に叩きのめされた現実に、神官長は愕然とするしかなかった。


「何だい、変な技を使うからどんなに強い奴らかと思えば、全然弱いじゃないか!」


 自分達を品定めしようとした貴族達をその身一つで返り討ちにした女帝は、拍子抜けしたと言わんばかりに肩を竦める。


「…まあ、そこで伸びてる二人は負けちまったみたいだから、単にあたしが強すぎるってだけかも知れないねぇ……ちゃんと大切にしてやんなよ? 見知らぬ他人とは言え同郷の人間だ。酷い目に合わせたりしたら、タダじゃ置かないよ?」


 倒れている男達に紛れて気を失っている他の二人のツヴェルフを見る限り、確かに、この女――シェル・シェールだけ破格の力を持っているようだ。


 この圧倒的な強さと覇気を誇る女帝には、勝てる気がしない――そう判断した神官長は、シェルの言葉にコクコクと頷いた。


 そんな神官長の情けない姿にそれ以上言葉を続ける気が失せたのか、つまらなそうにシェルは頭をかきながら塔を降りる階段へと近付くと、


「それじゃ、あたしは自由にさせてもらうよ。あたしより弱い男と子作りなんてまっぴらだ」


 そう言い捨てたシェルが去った後、気絶している男達を憐れむように淡く照らす青白い大きな星を見上げて、神官長は決意した。


 今後、異世界からツヴェルフを召喚する際は<強すぎない人間>という条件を追加しておこう――と。




 シェルは塔を降りながら、これからどうするか考えていた。


 ル・ジェルト(元の世界)に戻りたい気持ちが、全く無い訳ではなかった。


 しかし、元の世界で最強と唄われる武人達や動物を倒し、『覇王』と呼ばれるようになって数年――自分の周囲にどんどん人が集まり、大好きな戦いや争いより面倒な内政に向き合わなければいけなくなってウンザリしていた時に召喚された事を丁度良い、と思う気持ちもあった。


(神様が頑張ったあたしに、ご褒美をくれたのかもね)


 ル・ジェルト(シェルがいた星)では、弱者を守るのは強者の務め。

 自分がいなくなっても、別の強者が弱者をまとめていく。


 贅沢な暮らしも十分堪能したし、尊敬の眼差しも絶賛の声も十二分に浴びた。

 このまま務めを果たして生きていくのもつまらない――と思っていたところだった。


 要するに、シェルは元の世界に飽きていた。

 そして未知の世界に召喚された今、ただただ強い者と戦いたい欲求が湧き上がる。


(この世界には、あたしを超える強者がいるかねぇ……?)


 先程戦った男達を見た限りでは、あまり期待できそうにないけど――とため息をついて塔を降りきったシェルだったが、すぐにこの街が大きな壁で囲まれている事に気づいた。


 壁で街を囲む――という事は、外には人を脅かすほどの危険があるのだろう。

 踊る胸を抑えて塔から延びる道をまっすぐ進むと、街の門に辿り着く。


 開放されている門を抜け、また道に従って歩いていると、遠くから異常なスピードで向かってくる馬車が見えた。

 どうやら、魔物の群れから逃げているようだ。


 ル・ジェルトにも、魔物はいた。


 さっきの男達のような魔法《変な技》は使わず、毒を宿した爪や牙、糸や体液を使って人や家畜を脅かす動物達だったが、倒していく内に毒に慣れていったシェルにとって、生温い相手になっていった。


 果たして、この世界の魔物達はどれほど強いのか――強い好奇心がシェルを動かす。


 丁度、馬車はこちらに向かって走っている。

 このまま待っていれば――と構えた時、馬車から何かが落ちたのが見えた。


 青白い星が照らす微かな明かりでも、シェルの眼にその何かが『人』である事を知らせるには十分だった。


 強者は、どんな時でも弱者を守らねばならない。


 先刻戦いを挑む男達を叩きのめして《《少しだけ》》疲れていたシェルは、その信念を胸に走り出した。




 自分に襲い掛かる魔物達を、先程の男達のように手加減したりせず、全力であっという間にブチのめし。


 駆けつける前に馬車から落ちた人間に駆け寄ると、うずくまった男は背中に大きな爪傷を負って瀕死の状態だった。


「悪かったね。もう少し早く来れたら良かったんだけど……」


 人の死にゆく姿など、元の世界で見慣れている。

 自分は人を危険から守る事は出来ても、死から助ける事は出来ない事をシェルはよく理解していた。


「強き方……どうか娘を、お願いします……」

「娘?」


 男が何かを抱えるようにうつぶせになっていた状態からゴロンと横になると、震えている女児の姿が露わになった。


(ああ。馬車から落ちた娘を守ろうとしたのか……)


 年齢は6歳ぐらいだろうか?

 少女と言うにはまだ幼さが強い印象を受ける女児は、必死で父親にすがりつく。


「お父さん……お父さん! 一人にしないで!!」

「リーン、ごめんな……父さんも、母さんも…青白い星(フェガリ)から、お前を……見守っているか、ら……」


 泣きじゃくる娘の頭を撫でる手が、力なく崩れ落ちる。

 父親の亡骸から離れようとしない娘をこのままにもしておけず、シェルは男の亡骸を抱えて、いったん先ほどの街に戻る事にした。


 ここでは遺体の埋葬をどうするのか分からず、シェルは自身が召喚された塔に戻り、1階の広間で頭を抱えていた神官長に男の亡骸を託した。


 神官長が男の亡骸を浮かせて棺に納める様を、シェルは物珍しそうに眺める。

 ル・ジェルトには魔法が無かったからだ。


 男を収めた棺に釘が一人でに打たれていく様子を見届けた後、チラ、とリーンに視線を移すと女児はただただ涙を流しながら祈っていた。


 聞けば、リーンは母親も亡くしているらしい。

 親兄弟がいないこの女児は、これからどう生活していくのだろう?


 自分自身も年が2桁になる頃には父も母も死に、そこからは自分の力だけで生きてきた。


 だが、6歳に同じ事をさせるのは酷だとシェルは考えた。

 リーンの父親からリーンを託されてしまった事もある。


「……じいさん、この世界ではどうやって金を稼ぐんだい?」


 亡骸を納めた棺に祈りを捧げていた神官長は、シェルの言葉にあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。


 シェルからはうつむいている神官長の表情は見えていないだろうが、その顔は(もうこれ以上、この女に関わりたくない――)という思いで溢れていた。


 しかし同時に、(この女が何かしでかしたら、召喚した自分の責任も問われる)とも考えた。

 結果、神官長はシェルにこの街にある冒険者ギルドについて説明した。


 民や商人、貴族達が金銭と引き換えに、困り事を解決してくれるよう依頼する場所――そこに貼られた探索や討伐の依頼をこなせば、金が手に入ると。


 そして『そこでこのメダルを見せれば、報酬が高い依頼も受けられるようになる』と、半ば押し付けるように透明なメダルをシェルに渡す。


(その辺の冒険者では手も足も出ない凶悪な魔物に殺されて命を落としてくれれば良し、討伐してくれるなら、それもまた良し……!)


 先程意識を取り戻した貴族達から散々不平不満侮辱罵倒を浴びせられた神官長は、その怒りを抱えながらも(何とかこの女を有効活用できないか?)と考える程度には小賢しい男であった。



 シェルはその日、街の隅っこにあるリーンの家――古びた木造の家――に泊めてもらい、翌日ギルドまで案内してもらった。


 夜は気づかなかったが、リーンの髪はシェルによく似た赤茶けた癖っ毛で、シェルはリーンに親近感が湧いた。


 木造の2階建ての広い建物の中に入ると、何人かが一面に張られた張り紙を眺めている。

 会話はできても文字が読めないシェルがリーンに代読を頼んだところ、依頼の張り紙らしい。


「こっちは鉱石とか薬草とかの探索依頼で、そっちは魔物の討伐依頼……あっちに貼ってあるのは護衛依頼で、向こうのは荷運び依頼だよ。それ以外のはまとめて外に貼ってあるの」

「へぇ……リーンはよく知っているな」


 シェルが事細かに教えてくれるリーンに感心して頭をなでると、リーンは表情を曇らせて呟く。


「……よく、お父さんについてきてたから」


 シェルは父親を失ったばかりなのに何とか懸命に生きようとする女児を、何とか笑顔にしてやりたくなった。


 どの世界でも辛い事はあるだろうが、リーンの年齢は両親の死に向き合うにはあまりに幼すぎる。

 そんな年齢で巡り合ったのも、何かの縁かも知れない。


 強い魔物と戦うついでに、この女児が手に職をつけて生きられるようになるまで見守ってやるとするか――シェルがそう考えた時、


 「よっ!」と背後から明るい声をかけられた。




 陽気な男の声に振り返ると、燃えるような赤毛と赤い目を持つ、シェルより二回りほど体格の大きな青年が立っていた。


 赤を基調にした見栄えの良い服は胸元のボタンがいくつか外され、雑に着こなされていたものの、その青年が上流階級の人間――貴族である事を示していた。


「さっき神官長から、昨日お前をギルドに行くよう案内したって聞いてな! ここに来れば会えると思ったんだ! 昨夜はちょっと油断して負けちまったが、今度は負けねぇぞ!」


 真剣な眼差しで再戦を申し込む赤髪の青年が昨夜、我一番に挑んできて一撃で気絶した男である事を思い出したシェルは、つまらなそうに顔をそらした。


「弱い人間と再戦したって、何も面白くない」


 シェルにとって、実力の知れた人間から売られる喧嘩ほど面倒な物もなかった。

 戦う意味も価値もない人間とは、話す意味も理由もない。


「昨日は油断しただけだって言ってるだろ!?」

「うるさいねぇ、弱者が吠えるんじゃないよ!!」


 食い下がる男にシェルが一喝すると、ギルドの中にいる全員がその覇気に押されて黙りこむ。

 室内に漂う重い沈黙を、シェルは全く気にする事なくカウンターに腕を置き、


「ここの塔に住んでる爺さん……神官長、だっけ? そいつがここでこのメダルを見せたら実入りの良い仕事を紹介してくれるって言ってたんだけど、合ってるかい?」


 シェルはそう言いながら、受付の女性に神官長の透明なメダルを見せた。

 そのメダルを見た受付の女性を始め、周囲の人間が目を見開く。


 シェルが持つ透明なメダルは<絶大な力を持つ魔物と戦えるほど強い者の証>であった。


「お、おま……! それ神官長がくれたってマジか!? それは今まで、色神を宿した人間しか授けられた事がない、超希少なメダルだぞ!?」


 そんな物を何故神官長がシェルに託したのか――それは、民を脅かす凶悪な魔物を討伐してくれれば、あわよくば死んでくれれば、という狡猾な理由に他ならないのだが、赤髪の男はあわよくばの理由には辿り着けなかった。


「赤の魔力持ってる俺でさえ、色神しきがみ宿してねぇからってそのメダル貰えてねぇのに!! クソッ……俺らよりこいつの方が強ぇって言いたいのか、神官長は!!」


 シェルは『あのジジイ、絶対後でシメる』などと物騒な事をブツブツ呟く赤髪の男を無視して受付の女性と話を続ける。


「小さな子を待たせる事になるから、できれば日帰りできるやつが良いね」

「それでは……」


 シェルが希望をつけると、女性は一枚の紙を取り出した。


「……ここより東にある森に最近住み着いた、ストーンドラゴンの討伐です。普段閉じている、額にある第3の目を見た者は一瞬で石化してしまいます。石化しただけなら薬や魔法で戻せますが、砕けてしまった部分は元に戻りません。万が一石化してしまった時すぐ助けてもらえるように、同行者を募」

「分かったよ。そいつの額にある目を見なけりゃ良いんだね」


 女性の説明を遮ってシェルは依頼書を受け取り、雑に胸にしまう。


 その仕草に周囲がギョッとした事も気にせずに、シェルはリーンを連れてギルドを後にした。


 ギルドを出てすぐに、赤髪の男が追いかけてくる。


「お、お前……! 恥じらいってもんがねぇのか!? しかもちゃんと話を聞いてたのか!? 石化するんだぞ!? 石化して砕かれたら終わりなんだぞ!? ギルドはパーティ編成も請け負ってるんだから、一人くらいサポート役を連れてけよ!?」


「額の目を見なければいいだけだろ? その程度でいちいち他人と組んでられないよ。組んだら報酬を分け合わなきゃいけないだろう?」


 ギャアギャアと喚く赤髪の男にシッシッと手で追い払う仕草をするシェルを、リーンは不安そうに見上げていた。


「……お姉ちゃんも、死んじゃうの?」


「死なないよ。こいつが心配性なだけだ。ああ、あんた、この子を家まで送ってあげな。私に勝てなくても女の子のお守りができるくらいには強いだろう?」


「おい、俺を顎で使うな! それに俺にはセヴィンって名前があるんだ! セヴィン・フォン・リアルガーってカッコいい名前がな!」


「じゃあセヴィン、リーンを頼んだよ。リーン、あたしはちゃんと帰ってくるから、家で大人しく待ってるんだよ?」


 間近で怒鳴るセヴィンにリーンを託した後、シェルは電光石火の勢いであっという間に二人の視界から消えた。




 目的の森に辿り着くなり、シェルは目を閉じた。


 ル・ジェルトの人間には『気覚』という感覚を持っている。

 例え目を瞑っても、相手の持つ命の波動オーラが見えるのである。


 そして視覚とこの場に不要な味覚を閉ざす事で気覚、聴覚、嗅覚、触覚の4感覚が研ぎ澄まされ。

 例え視界が閉ざされても、何処に何があるのかを4感が不便なく教えてくれる。


 昨夜は見た事のない魔法《変な技》を発動させる前にケリを付けようと目を閉じるような真似はしなかったが、変な技を使ってこない相手なら目を閉じて戦っても問題なかった。


 ル・ジェルトの人間の中でも特に身体能力に優れているシェルに限っては視界を閉ざしているから不利、という事は全く無かったのである。


 生き物の吐息や足音に耳を研ぎ澄ましながら、森に足を踏み入れていく。

 研ぎ澄ました4感は今この森にどの位大きな生物が、どの辺りにいるのかが掴める。


 右手の方角で石が砕ける音が微かに聞こえる。


 それが小動物か人かまでは分からなかったが、砕ける直前に何か硬い物にぶつかった音も含めれば、石を砕いたのがストーンドラゴンだと容易に推測できた。


 目を閉じたままそちら側へ向かうと、暗い橙色の大きな気の塊を感じる。


 荒々しい呼吸が聞こえてきて、その呼吸の流れが変わったと同時に、大きな気質が不自然な動きを見せた。

 それでシェルは自分も向こうに認識された事に気づく。


(さて……この世界の強い魔物がどれくらい強いのか、お手並み拝見といこうじゃないか!)


 気の塊が大きな動きを見せる前に、シェルは気の塊に向かって飛び出した。



 シェルの期待は、外れてしまった。



 ストーンドラゴンは耐久力や防御力こそ高けれど動きが鈍く、気覚で見抜いた急所に数発加えただけで雄叫びを上げて倒れ込み、息絶えた。


 叩き応えと短いスリルこそ楽しめたものの、『強者』として認定するにはあまりに弱かった。

 虚しさを感じている内に、女児の聞き覚えのある泣き声が響いてきた。


「リーン、何で来たんだい……!?」


 争いの終盤に人の気配を感じて、二人がストーンドラゴンの顔面を直視しないように反らしてたが、半分手遅れだったようだ。


「セヴィンお兄ちゃんが、お姉ちゃんが心配だからって……!! 石化解除薬いっぱい買ってきたの!」


 シェルは石化したセヴィンに抱きしめられて出られないリーンから薬を受け取ると、勢い良くセヴィンにぶっかける。


 すると灰色と化したセヴィンの体が、みるみるうちに色味と柔らかさを取り戻していった。


「お……おお!?」


 突然目の前にシェルがいた事に驚いたのか、セヴィンが後ずさった瞬間、シェルはセヴィンの顔面に見事なビンタを食らわせ、尻もちをつかせる。


「全く……こんな小さい子連れて石になって、何考えてんだい!!」


「お、俺はお前が心配で……!」

「自分に勝った奴の心配するより、まず自分の心配しな!! もし私もアンタも殺られてたら、この子まで死んでたんだよ!? アンタが自分を強者だと思ってるんなら、まず弱者を危険から遠ざけな!!」


 怒鳴るシェルの気迫に押されて、セヴィンは黙り込んだ。

 シェルはそんなセヴィンから顔を背け、再び目を閉じてストーンドラゴンに近づく。


 依頼を達成した証として、ストーンドラゴンの牙を手探りで力任せに抜き取ると、シェルは自分の右腕が少し痺れている事に気づいた。


「……勝手に付いてきたのは悪かった。ただ、魔物の血には毒性が有る物も多い……俺、浄化の術使えるから、お前の役に立てると思ったんだ」


「なるほど……右腕が痺れてるのはストーンドラゴンの急所を貫いたからって事かい。治せるって言うなら、治してくれるかい?」


 シェルが目を開いてセヴィンの方に手を伸ばすと、セヴィンが赤い、温かい魔力でシェルの全身を包む。

 途端、シェルの体の痺れが嘘のように消えていった。


「……これで大丈夫だ。道具屋に売ってる浄化薬でも大抵の魔物の毒を中和できるから、これから魔物討伐する時は浄化薬なり石化解除薬なり、ちゃんと携帯しろよ」


 そう言ってセヴィンは酷く落ち込んだ様子でトボトボを哀愁を漂わせて去っていった。

 ただ単に自分の力を誇示したくてシェルを追いかけてきた訳ではないようだ。


 だが、あれだけプライドの高そうな男だ。

 ここまで言われて実力の差を見せつけられれば、もう二度とシェルの前には姿を表さないだろう。


 言い過ぎたとは思っていないが、礼を言いそびれたな――とシェルは思った。


 しかし、シェルが肩にリーンを乗せて全力で森を駆け出し、その日のうちにギルドに戻ってきた頃。

 ストーンドラゴン討伐で得た金貨3枚で驚き喜ぶリーンの笑顔を見た頃には、そんな罪悪感が失せていった。


 こうして、シェルの冒険者人生は幕を開けた。


 まず周囲の厄介な魔物討伐依頼を手当たり次第にこなし、1年が過ぎる頃には街の周囲の治安はすっかり良くなっていた。


 そしてシェルの強さを聞きつけた貴族達から、往復に数日ほどかかる遠方の依頼も入ってくるようになった。


 シェルは遠征する際、街にリーンを置いていく事は気がかりではあったが、弱者を危険な旅に連れて行く訳にもいかない。


 どうしたものかと悩んでいると、神官長から『リーンは自分と街の皆で気にかけるから大丈夫だ』と後押しされた。


 この頃には街の周辺にいる面倒な魔物を退治してくれるシェルは、街では『ちょっとガサツでめちゃくちゃ強い女戦士』として親しまれるようになっていた。


 一時はあわよくば死んでほしいと思っていたものの(金さえ出せば魔物倒してくれるし皆の評判も良いし、少しくらい助けてやってもいいか)と判断した神官長は、現金な男でもあった。


 貴族達には『うっかりヤバいの召喚しちゃったけど、悪い奴じゃないし利用するだけ利用して死ねばそこまで。次から気をつけるから許して』的な言い訳で貴族達を納得させ、それを聞いたら怒りそうなセヴィンには事前に『こうでも言っておかないとシェルやリーンが恨まれちゃう可能性があるから』というフォローを欠かさない辺り、世渡りに長けた男でもあった。


 そんな神官長の打算と街民の善意に包まれた協力もあり、後はリーンに遠征の事を告げるだけ――と思った日の夜。


 シェルの考えを見透かしていたかのように、リーンはあの日――父親が荷運びの仕事をする際、寂しいからと無理矢理荷運びに着いていった帰りに魔物の群れに襲われた事を話してくれた。


「だから私、ここで待ってる。お姉ちゃんが物凄く強いの知ってるから。それに……節末には帰ってくるんでしょ? セヴィンお兄ちゃんとの約束があるもんね」



 そう、実はセヴィンとの関係も切れてはいなかった。



 セヴィンはストーンドラゴンを倒した日の1週間後――再びギルドを訪れたシェルを待ち伏せしていた。


 『ストーンドラゴンと同じくらい厄介なファイアドラゴンを倒したから、再戦する権利をくれ』と。


「何度も再戦を挑みに来るんじゃない! 見苦しいよ!!」


 シェルがそう一喝してもセヴィンは諦めず、連日街に泊まってシェルにまとわりついた。

 そのあまりのしつこさに


 『そこまで言うなら、私と同じくらい魔物を倒したら再戦してやるよ!!』


 そう言った結果、毎節末――日数で言えば30日前後――セヴィンがその節倒した魔物のリストを持って、家にやってくるようになった。


「今節はこれだけ討伐してきた!! お前が先節討伐した魔物も入ってるぞ!!」


 セヴィンが持ってきた討伐済魔物リストと、シェルが討伐した魔物リストをリーンが確認して頷くと、


「ふーん……そこまで頑張ったんなら仕方ないねぇ。どれだけ強くなったか確認してあげるよ」


 こうして始まった毎節末の再戦は、シェルが遠方に魔物討伐に出るようになってからも変わらず。


 シェルは毎節末には必ずリーンの家に帰ってくるし、セヴィンも毎節末には必ずリーンの家に顔を出した。


 そしてリーンが二人の魔物討伐リストを確認し、シェルが重い腰を上げてセヴィンと町の外で戦い、こてんぱんに叩きのめす――そんな日々が、10年も続いた。



 シェルはこの10年の間に稼いだ金の大半をこの街の孤児院や教会、ギルドに寄付していた。

 稼いだ金に固執しない、高価な物に興味を持たないシェルのお陰で、この街は以前に比べてずっと豊かになった。


 神官長は老衰で死ぬ間際『酷い扱いをして、本当にすまんかった。ありがとう』とシェルに詫びて亡くなった。


 別に酷い扱いをされたと思ってないシェルは、神官長が何で謝っているのかよく分からなかった。


 そんなシェルの強さは『最強の異世界人ツヴェルフ』という異名とともに、国中に広がっていく。

 そして同じくらいの速さで、セヴィンの噂も広まっていく。


 最強のツヴェルフが東のドラゴンを倒せば、真紅の男は西のドラゴンを倒し。

 最強のツヴェルフが南のガルーダを倒せば、真紅の男は北のグリフォンを倒す。


 旅の吟遊詩人が道行く街でそんな歌を唄い始めた頃にはリーンも成長し、すっかり恋に生きる可愛い少女となっていた。


「お姉ちゃん、いつセヴィン兄ちゃんと結婚するの?」


 夕方、街の鍛冶屋で働く彼氏とのデートから帰ってきたリーンは顔を少し赤らめつつ、興味津々の表情でシェルに聞く。

 

「セヴィン兄ちゃんはいずれ真紅の神の祝福を受ける人だから、お姉ちゃんも結婚式の時は真紅のドレスを着るのよね……」

「よしとくれ。あいつはあたしに構うのは、単にあたしに勝ちたいからってだけだよ」


 うっとりとした顔で呟くリーンに肩を竦めたシェルに、リーンは目を見開いて驚く。


「え……お姉ちゃん、分かってないの!? セヴィン兄ちゃんが30過ぎても誰とも結婚しないのは、お姉ちゃんと結婚する為だよ!?」


 リーンがそんな風に叫んだのと同じタイミングで、家の戸が叩かれる。


 今日は節末――その勢いの良い叩き方は、開けずとも誰が来たのか告げていた。




「よう! 今節はこれだけ倒してきたぞ!!」


 先程のシェルとリーンのやり取りが聞こえていなかったのか、セヴィンはいつもと同じ様にドンと、シェルの顔の前にリストを突きつける。


 この世界に来て10年、リーンに少しずつ教えられてシェルも文字が読めるようになっていた。


「セヴィン兄ちゃん……! たまにはお姉ちゃんにプレゼントとか持ってきたらどうなの!? そんなだから毎回お姉ちゃんに負けるのよ! 気づかれないのよ!」


 自分より弱い男からプレゼントなど渡されても、シェルの心は微塵も動かない。


 ル・ジェルトでは色恋沙汰も勝負で決着を付ける。

 セヴィンに好意があろうがなかろうが、シェルがセヴィンに負けない限り二人の関係は何一つ変わらない。



 戦えば戦う程打たれ強く、身のこなしも上手くなっていくセヴィンを打ち負かすのに時間を要するようになったとはいえ、まだまだ自分に勝つには程遠い――と、シェルはいつものように打ち負かしたセヴィンを見下ろす。


「あんたも懲りないねぇ……私に構ってる暇があるなら、他の女と子を成した方が人生楽しいだろうに」

「……俺は、お前と戦っている時が一番楽しい。段々お前に近付いてる感じが嬉しい。今日は負けたが、次は絶対に勝つ」


 今日は負けたが、次は絶対に勝つ――セヴィンにそう言われ続けて、10年。


 何度打ち負かされても折れない精神だけは、認めてやってもいいか――とシェルが思った時、


「……そう言えばあんた、私に勝ったらどうしたいんだい? 私に謝らせたいのかい?」


 先程のリーンの言葉が引っかかってセヴィン(本人)に問いかけると、


「は? 結婚するに決まってるだろ? お前言ったじゃねぇか、『あたしに勝った男の子どもなら何人でも産んでやる』って」


 セヴィンのハッキリした言葉にシェルは元々自分が子作りの為に召喚された事を思い出す。


 強き者の子を産むと言った自分にまず真っ先に挑んできたこの男が、それを目的として再戦を挑んできているのは、冷静に考えれば分かる事だったのだが――


 シェルはその事をすっかり忘れて、魔物退治とセヴィンとの再戦を楽しんでいた。


 こうして今、面と向かって言われた事で、初めて自分がこの男に性的対象として見られていた事を知る。


「ツ……ツヴェルフなら私の他にもいただろう? あの子達に産んでもらえばいいじゃないか」

「俺はお前がいい。お前との子どもが欲しいから、お前に勝ちたい」


「……何でそんなに私にこだわるんだい?」

「お前に一目惚れしたからだ」


 セヴィンの真っ直ぐ自分を見つめる目とハッキリした物言いに、シェルは心臓が跳ねるような感覚を覚える。


「……あんたは、良いとこのお坊ちゃんなんだろ? あたしはそういう堅苦しい世界は苦手でね。この体格じゃ可愛いドレスもアクセサリーも似合わないよ。まあ、あんたがあたしを打ち負かせた時は可愛いドレスでも何でも着てやるけどさ」


 シェルも、この世界で美しく着飾る令嬢や可愛い村娘を見ていた。

 自分にはそんなヒラヒラした服も、脆い装飾品も似合わない――自分もそう思うし、他人もそう思っているだろうと、思っていたが――


「お前に似合わないものなんて、無い……少なくとも、俺にとってお前は誰より美しい」


 真っ直ぐなセヴィンの言葉と眼差しが、シェルの心をくすぐる。


 シェルがセヴィンと戦い始めて、もう10年が過ぎる。


 その間ずっとこの男は、自分に対する想いを曲げず、自分をものにする為に魔物を倒し、再戦する権利を得て挑んできた――


 それは強さだけを求め、求められ、讃えられてきたシェルにとって、初めて抱く感情だった。


 その感情に戸惑いながら、パサついた髪のリボンを解いて編み直そうとした時にリボンが千切れた。


 リボンの寿命か、力加減を間違えたからか――シェルには分からず、千切れた部分を縛り直そうとした時、セヴィンが真紅の無地のリボンを差し出した。


「……お前のそのリボン、もうボロボロだろ? これ使えよ」

「わ、悪いね。お代は……」


「いらねぇよ。いつも再戦に付き合ってくれてる礼だ。本当に渡したいのは、このリボンじゃねぇんだが…まあ、敗者の身分で渡せるようなもんじゃなくてな……」


 セヴィンの言葉に(いつ、この男は敗者じゃなくなるのだろうか?)シェルの脳裏にそんな想いが過ぎる。


 それと同時に(別に立ち場が変わらずとも、勝者である自分がセヴィンとの交配を求めればいいだけではないか)という考えも過ぎる。


 ル・ジェルトにいた頃のように。強者に従わせれば――


「ねえセヴィン、あたしは……」

「あー! 柄にもねぇ事しちまったから、喉が痒くて仕方ねぇ! でも、俺は諦めないからな! いつか俺が勝者になった時、改めてお前に求婚して子ども5人くらい産んでもらうから、覚悟しておけ!」


 そう言って去っていく男の背中を見送りながら、シェルはどうしたものかと考え込む。


 セヴィンはシェル(自分)に勝って求婚したいらしい。

 そんな相手にこっちから『あたしがお前を気にいったから子作りしよう』と言っていいものか――


 なんとなく、その方法を選びたくない、とシェルは思った。


 度重なる戦いで青臭さが残る青年から熟練の戦士に成長したセヴィンとは、少しは張り合えるようになってきた。


 手を抜けば気づかれる程度には、強くなってきている。

 セヴィンの性格からして、手を抜かれたら間違いなく怒るだろう。


 わざと負ける事は、できない。が、普通に戦うと負けない。

 どうしたものか――シェルは考えた末に、一つ妙案を思いついた。



 そして、次の節から、シェルは正々堂々負ける為の行動を起こす事にした。



「は? 大食い……!?」


「あたしも年でね……毎節あんたと戦うのはキツくなってきたんだ。2節に1回くらいはこういう戦いでもいいだろう? これも立派な勝負だし、あんたが勝てば妻にでも何にでもなってやるさ」


「……分かった、大食いでも何でもやってやろう!!」


 こんな勢いで、大食い、果実収穫、スクワット、1キロ走、腕立て――時にはリーンや街の民の力を借りたりしてあらゆる競争を試してみたものの、どうにもセヴィンはシェルに勝てなかった。


 セヴィンも常人やその辺の貴族とは比べ物にならない程の実力を示しているのだが、シェルには全く叶わなかった。


「あんた、いい加減にしなよ……!! 一体何なら私に勝てるんだい!?」


 大酒飲み対決で酔い潰れたセヴィンを軽く蹴り飛ばしてくだを巻くシェルを、リーン及び周囲の人間は温かい目で眺めていた。



 そんな、平和な対決が再戦の間に挟まって1年経った、ある節末の日――空に大きな赤い巨竜が現れた。


 窓からその竜を見上げたリーンがシェルを呼ぶと、竜は塔の方へと向かっていく。


 シェルがこれまでこの世界で倒したどのドラゴンより大きいその竜は、静かに塔の前に降り立った。


 その背から降り立ったのは、真紅を基調としたきっちりとした衣装に身を包んだセヴィンだった。


「シェル、俺もついに色神が宿ったぞ! これが赤の色神、真紅の巨竜……カーディナルロートだ! 後、リアルガー家に伝わる神器、赤の斧もあるぞ! そして今日から俺は、セヴィン・ディル・リアルガーだ!」


 セヴィンはシェルを見つけるなり、満面のドヤ顔で自慢するように説明した。


 この世界では『フォン』は貴族の子息で、『ディル』は貴族の当主――そうリーンから教わった事をシェルはぼんやり思い出しながら、大きな赤い竜と、小型ながらも強い真紅の魔力に包まれた、美しい斧に目を奪われた。


 真紅の巨竜と、赤の斧――どちらからも、尋常じゃないほどの力が感じられる。


(ああ、あたしは……ようやくあんたに負ける事ができるのか)


 シェルは悔しいとも、悲しいとも思わなかった。

 

 ル・ジェルト(シェルがいた星)では武具、獣、罠、人――何をどう使おうとも、勝った者こそが正義。

 『卑怯』を嫌う強者がいないでもないが、大抵は弱者の泣き言として扱われる。


 卑怯だろうと何だろうと、勝てばいい。勝った者こそが、正しいのである。


 だからシェルは卑怯だとは思わなかったし、セヴィンが尋常じゃない力を手に入れた事が本当に嬉しかった。


 しかし――その日の再戦で、セヴィンは散々自慢した色神の力も神器も使ってこなかった。

 結果、いつものようにシェルがセヴィンを打ち負かす。


「何でいつもと同じ様に戦った? 色神とやらを宿したんなら、その力を見せてみなよ? 神器とやらも使わずに……あんた、あたしをナメてるのかい!?」


 シェルが呆れと怒りが混じった言葉を大の字に倒れるセヴィンに吐き捨てる。


「色神の力も神器の力も圧倒的過ぎて、フェアじゃない。俺は俺の実力だけでお前を負かしたい」

「なら何で、見せびらかしたりしたのさ!?」


「リアルガーの当主になったカッコいい俺を、早くお前に見せたかっただけだ!!」


 新品の衣服をボロボロにしながらキリッと言い放つセヴィンに、シェルは呆れのため息を付いた。


(馬鹿だね……アンタが持ってる力全て使って挑んできてくれれば、あたしは……)


 それを言えないまま、シェルは真紅の巨竜に乗って帰るセヴィンを見送った。




 セヴィンは大貴族の当主になって色々な責務を背負いながらも、節末には必ず再戦を挑みに来る。


 段々良い戦いを出来るようになってきた事をセヴィンは喜んでいたが、シェルは自分の肉体を老いが確実に蝕んでいるのを感じていた。


 かつての自分より弱い自分を認識してしまって以降、シェルの中で強者と戦う欲求は小さくなっていった。


 そして。戦う欲求より、セヴィンと共にいたいと思う気持ちが少しずつ勝り始め――半年が過ぎた。



「……お前のその、心意気に負けたんだ!!」

「お姉ちゃん、良い感じ!! その言い方ならセヴィン様も心打たれると思う!!」


 既に1児の母になりシェルと別の家に住んでいるリーンだが、節末には必ずシェルが住む実家に顔を出す。


「この間の『結婚してやる! 敗者は勝者に従え!!』って求婚には『俺を哀れんでるのか!?』ってセヴィン兄ちゃん怒って帰っちゃったけど、これなら嘘もついてないし、ちゃんと受けとめてもらえるはず……! 頑張って!!」


 リーンの言う通り、嘘はついていない。


 いくら肉弾戦で勝利を収め続けていようとも、負けたいと思った時点でシェルの心が負けてしまったのは事実なのだから。


 だいぶ遠回りをしてしまったが、次の節末でセヴィンはどういう反応をするのか――期待に胸を踊らせながら、シェルは節末を待った。


 しかし、節末になってもセヴィンは来なかった。


 これまでも何度か、来なかった日はあった。

 だがその時は必ず事前に連絡があったし、ご丁寧に『この日に行くから』と代替日まで記載してあった。


 初めて何の連絡もないまま来なかった事に、珍しくシェルの中で不安がよぎる。


 せっかく朝からリーンが丁寧に編んでくれた三つ編みや、施してくれた化粧、赤色のワンピースをセヴィンに見せる事が出来ないまま、無情にその日は過ぎていった。


 翌日――真紅の巨竜(カーディナルロート)が空を舞う。


 シェルが期待と決意に胸高鳴らせながら見上げる真紅の巨竜から降り立ったのは、セヴィンと同じ、燃えるような赤色の髪と目を持った男だった。



「兄が…セヴィン・ディル・リアルガーが、亡くなりました」



 それはこの世界に来てから――いや、シェルが生きてきて初めて感じた『絶望』だった。




「亡くなったって……色神を宿していれば、敵無しなんじゃないのかい?」


 シェルがまず真っ先に出した言葉に、セヴィンの弟――セントが小さく頷く。


「そうです……色神の力さえ使えば、兄上はあんな魔物に負けたりはしなかった。色神は石化などしないから……」


 セヴィンより少し小柄で、細身の若い男は拳をギュッと握りしめ、震える声で紡ぎ出す。


「石化……?」

「……兄上が戦ったのは、ストーンドラゴンです」


 セントが口と拳を震わせながら紡ぎ出した言葉に、シェルは怒りを抑えられずに真紅の巨竜を睨みつけた。


「カーディナルロートも、お前もその場にいたんだろう!? どうして助けてくれなかったんだい……!?」


「貴方が、かつてストーンドラゴンを一人で倒したからです」

「は……?」


「貴方が一人で倒した魔物に一人で勝てないようでは、貴方に求婚なんてできないから、と……カーディナルロートは『絶対に手を出すな』と兄に言われていたそうです」


 色神が助けなかった理由を知って、シェルは愕然とその場に立ち尽くす。

 

 セヴィンらしいと言えば、セヴィンらしい――馬鹿な男だと、笑ってやりたいのに。

 きっと彼自身もそう思って欲しいだろうと、分かっていても、シェルは到底そんな気になれなかった。


(ああ……何処までも、何処までも真っ直ぐな男が……あたしの気持ちも考えずに、ただただ自分の気持ちを押し付けて逝ってしまったなんて)


 シェルの心を、怒りと悲しみが支配していく。その感情の矛先は――


「そのストーンドラゴンは……まだ生きてるのかい?」

「……はい。色神の宿主が死ぬと、色神は強制的に次の宿主の元に引き寄せられますので」


 セヴィンが死んだ場にいた真紅の巨竜は、仇討ちできないままその場を離れざるをえなかった。


 何処か悲し気な目をしている真紅の巨竜を背に、セントはシェルを真っ直ぐ見据えた。


「私は今から、兄の仇討ちに行きます。その前に、貴方に兄の形見を渡しておこうと思いまして」


 セントがそう言ってシェルに手渡したのは、金の刺繍が施された真紅のリボンと、同じく真紅の石が嵌った、黄金の指輪。


 どちらにも、セヴィンの強い魔力を感じる。


「それらは婚約の証と、結婚の証となる物……貴方に勝利した際にすぐに手渡そうと兄が準備していた物です。対となる指輪は、兄の右手の人差し指に嵌められていました。すぐに目に入る場所だから、と……」


 セヴィンと同じ色のリボンと指輪をシェルは力強く握りしめる。


「……仇討ちは、私にさせてくれ」


 大切なものを奪われた怒りと憎しみは、自分の手で昇華したい。

 固く決意したシェルに、セントは小さく首を横に振る。


「色神無しで、単独でストーンドラゴンと戦うのは非常に危険です。兄上を殺したストーンドラゴンは火山地帯に巣くっている事もあって、高熱の息も吐きます。貴方が二十年前に倒したストーンドラゴンとは違う」


「そんな事はどうでもいいんだよ。セヴィンが死んだのは、二十年前のあたしの責任だ……どうか、償わせておくれ」


 誰にも譲れないシェルの決意はセントにも伝わったようで、一つのため息と同時に手を差し伸べられる。


「……分かりました。では、その場所まで案内させて頂きます」


 セントの手を取って真紅の巨竜に乗り、ストーンドラゴンがいる火山へと向かう。


(もしセヴィンが生きていたら……こうして、2人で空の旅ができたんだろうか?)


 シェルはいつもセヴィンから熱く真っ直ぐな言葉と想いをぶつけられてばかりで、自分から愛や甘い言葉を紡ぐ事は無かった。


 そういうものに疎かったのもある。それでも――セヴィンに想いが伝わった時には、こうして二人で空を駆け、リーンが言っていたような『甘い言葉』の一つも言えただろうか?


 今はもう叶わぬ夢に胸をじりじりと焦がされながら、火山の山頂近くへと降り立つと、シェルは首を横に振って雑念を振り払った。


(……今は、仇討ちに集中しないとね)


 セヴィンが死んだからといって、後を追うような真似はしない。

 それは弱者が――心弱き者がする事だ。


 シェルは目を閉じて四覚を研ぎ澄まし、近くのほら穴から内部に侵入する。


 幸か不幸か、入ってまもなくストーンドラゴンの気質を感じた。


 この世界に来てから、二十年。

 四十路を目前に勘も動きも鈍ってしまった状態で、しかも二十年前に倒したストーンドラゴンより厄介な相手に、シェルは苦戦した。


 こんな危険な魔物相手に、セヴィンは死ぬまで『卑怯』を嫌った。


 それは弱者の泣き言ではなく、かつておのれを打ち負かしたシェルと肩を並べたい、強者のこだわり――


 そんなものを突き付けられた今、シェルも負けてはいられなかった。


 二十年前と同じように気覚を頼りに聴覚と触覚、嗅覚を駆使してストーンドラゴンの攻撃を交わし、隙を突いて攻撃を繰り出して相手の体力を削っていく。


(あいつに、あたしと同じように気覚があったら、こんな奴に負けなかったのに)


 カーディナルロートに乗ってここまで来る途中、セントと交わした会話の中でこの世界の人間が気覚を持っていない事をシェルは初めて知った。


(セヴィンは自分とあたしの感覚が違うって知ってたら、無茶な真似しなかったかねぇ……?)


 セヴィンの力を自分の基準で計った結果、彼を弱い人間だと思い込んでいた自分もけして強者とは言えないのではないか?


 セヴィンは気覚を持っていない体で、自分とある程度対等に渡り合えるようになっていたのに。


(対等じゃなかった。あたしはセヴィンにない感覚を使って彼の力を防ぎ、打ち負かしていたのに……セヴィンは、あたしにないものを使って戦ったりしなかった)


 魔力の有無の差はある。

 だがシェルの気覚によって魔法を使う隙を与えない分、二人の戦いの中で魔力など無いも同然だった。


 争いでは、相手に合わせるなんて無謀な事はしない。

 だが、シェルとセヴィンの戦いは『争い』ではなく『勝負』だった。

 

(相手と対等な条件で戦おうとする、彼の真っ直ぐで熱い心とそれを成し得る体にあたしの心も体も……とっくに負けていたんじゃないだろうか?)


 その答えはもう分からない。

 答えを潰してしまったストーンドラゴンの急所――心臓がある場所を全力で貫くと、ストーンドラゴンが雄叫びを上げて頭を振り乱す。


 その勢いにシェルはバランスを崩し、固い地面に不自然な体勢で叩きつけられた。


 痛みが下半身に走り、起き上がれない状態でストーンドラゴンが高熱の息を吐き出すのを感じた。


(しまっ――)


 熱い感覚が、肌を襲う。


 ――が、肌は焼け焦げる事無く、熱い感覚はすぐに暖かいものに変わった。


(何で……)


 シェルは、右手の人差し指に嵌められている指輪から、温かな『魔力』を感じた。


 全く熱さを感じない――代わりに感じるのは、いつしかシェルがセヴィンに感じるようになっていた、心地よい温もり。


 ストーンドラゴンが力尽きて倒れ込み、息絶えたのとほぼ同時に熱風の息が止んだ。

 そして、半透明の赤い防御壁も消えた。


 何が起きたのか分からないままシェルがゆっくり立ち上がると、足先でカツッ、と何かを弾いた。


 拾い上げたそれは、シェルがはめているものと同じ指輪がはまった、細長い石だった。

 シェルは目の奥から込み上げてくるものを堪えながら、その石をそっと胸に収めた。


「お見事です…兄の仇を討って頂き、ありがとうございました」


 ストーンドラゴンが絶命した事を察したセントが、シェルに近付いて頭を下げる。


「……この指輪、何か細工がしてあるだろ?」


 シェルが右手の人差し指にはめた赤い指輪を見せつけるようにセイルに問うと、


「ええ……その指輪には、装備者の身に危険が降り掛かった時に防御壁プロテクトが発動する印が刻まれています。真紅の防御壁は、熱や火から人を守る……恐らく、兄上が一人で戦おうとする貴方を気遣って、刻んだ物だと」


「……見事だね、アンタの兄さんは。本当に……晴れ晴れしいくらい見事な馬鹿だよ」

「ええ……私もそう思います」


 セヴィンの仇を取り、もうこの世にセヴィンがいない事を実感したシェルの目から物心ついた時から一度も流した事のない涙が、ついに溢れた。


 それは、シェルがこの世界で流したたった一粒の涙だった。




 1節後――旅に出ると言ったシェルを見送る為に、街の門の前にリーンを始め、大勢の人が集まった。


 大きな革袋を背負い、今にも旅立たんとするシェルにリーンが声をかける。


「お姉ちゃん……本当に行ってしまうの?」


 か細い声で涙ながらに尋ねるリーンの頭を、シェルが優しく撫でる。


「ああ。リーンはもう、大丈夫だろう? 私はここに居すぎた。せっかく縁があって召喚された世界だし、後の人生はこの世界を回って過ごしたい。別の大陸にも行ってみたいしね。だけど、誤解しないでおくれ。ここであんたと……ここの街の奴らと過ごした日々は、とても楽しかったよ」


 泣きじゃくるリーンの顔が、幼くして父と死に別れた時のものと重なる。

 その顔は、彼女を心配そうに見上げる2人の子どもにも引き継がれていた。


 この子の父親に託された役目は、もう十分果たした。

 この街でやり残した事は、何もない。


 これからは何を気にする事無く、自分が生きたいように生きてみよう。


(さて……あんたには散々振り回されたんだ。今度は私に付き合ってもらうよ)


 シェルの右手の人差し指に嵌る赤い指輪と、彼女の髪をまとめる赤い2つのリボン。

 そして火山で拾った、お揃いの指輪が嵌った細長い石――それらから感じる愛する男の温もりを抱いて、旅立った。


 数年後――髪を結ぶ真紅のリボンと右手に嵌められた赤い石の指輪が特徴の、魔力も持たぬ冒険者、シェル・シェールの武勇伝が様々な国から聞こえ届き、その度に街を騒がせたが、更に時が流れていくにつれて自然に溶けて、消えていった。



 しかし、異世界の女帝の名は『誰とも契る事無く生きた、最強の異世界人ツヴェルフ』として、数百年後の遠い未来でも語り継がれる事になる。



(完)



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「異世界に召喚されたけど価値観が合わないので帰りたい。」にて伝説のツヴェルフとしてシェルの名前がチラチラ出てきます。

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