最強のツヴェルフ ―シェル・シェールの武勇伝―
石造りの塔の屋上――夜空に一際大きく輝く青白い星の下、目の前で繰り広げられる惨劇を前に神官長は焦っていた。
つい数十分前に自分が召喚した異世界の人間が華麗で隙のない動きでこの世界の強者達を次々と叩き伏せ気絶させていく。
叩き伏せていくのは小柄ながらも筋骨逞しい肉体――お世辞にも綺麗とは言えないパサついて赤茶けた髪を雑に纏めた三つ編みが動く度に揺れる。
腰には丁寧に刺繍が織りこまれた腰布を巻きつけているが、随分と擦り切れたハーフトップや短いズボンから剥き出しになっている腕や太ももには爪によるものと思われる切り傷や噛まれ傷が何箇所にも見られ、顔にも鼻と瞼から頬にかけての切り傷が刻まれていた。
醜い訳でもないが、けして儚くも美しくも綺麗でも無い。それでも自信に満ちた暗い緑の目と笑みとその強さが《《彼女》》に近寄りがたい女帝の風格を纏わせていた。
(強すぎる……!)
もしこの世界に今、自分達が太刀打ちできないような恐ろしい存在がいたのなら彼女を召喚した自分の名は<異世界の女帝を召喚した者>として遠い末代まで語られる事になっただろう。
しかし、神官長がこの女帝を召喚した理由はけして世界を危機から救う為ではない。
その女帝――シェル・シェールと名乗った異世界人は自分達の<子づくり>の為に召喚した人間である事を神官長は認めたくなかった。
(すごく……ヤバいの召喚しちゃったのう……!)
神官長は今、彼女に叩きのめされていく多数の男達から後で恨まれ蔑まれ罵倒される自分の未来を案じる事しかできなかった。
神官長がシェルを招き入れたこの世界――ル・ティベルは生きとし生ける者皆色のついた魔力を有しており、人はその魔力によって周囲の危機から己の身を守ったり衛生的な生活を可能にしていた。
魔力の色は髪や目の色といった外見だけに留まらず特技や魔法の得手不得手や人との相性など、あらゆる面に強く影響を及ぼす。
自身の魔力の色は母親の胎内に宿った時に決まる。例えば赤色の魔力を持つ父と青色の魔力を持つ母の間ならほぼ間違いなく紫色の魔力の子が生まれる。
同じ親から産まれた兄妹でもその紫の色合いは微妙に違ったりもするし、一言に赤や青と言っても明度や彩度は皆バラバラだ。
その中でも特に、神が持つとされる色に近い赤、青、黄、緑、黒、白の6色とそれに準ずる色の魔力を持つ人間達は貴族として特別崇められ、尊重されていた。
そんな貴族達にはいくつかの大切な役目がある。その内の1つが<色を持たない異世界人と交配して子孫に自身の色を引き継がせる>という事だ。なお、交配の為に召喚された異世界人は男女関わらず『ツヴェルフ』と呼ばれる。
今日は近年新しく発見された異世界――ル・ジェルトから初めて異世界人を召喚する日だった。
神官長は一族が持つ稀有な魔力によってのみ使える異世界人召喚を任されており、つい先程塔の地下で召喚の儀式を終えた後彼女達を待ち望む貴族の男達と共に召喚されたツヴェルフ達が待つ塔の屋上に上った。
戸惑う彼女達と意思疎通が出来るように翻訳の魔力を込めた耳飾りと首飾りを身に着けてもらった後、神官長はこの世界についてと彼女達が何の為に召喚されたのかを説明した。
戸惑う女性達の真ん中にいたシェルが腕を組んでしばらく考えた後、こう言ったのだ。
「……分かった。あたしらの世界じゃ弱者は強者に従うんだ。あたしらを打ち負かした男の子どもなら何人だって産んでやるさ!」
魔力を持たぬツヴェルフからの予想外の突拍子もない提案に苦笑しつつ、神官長はそれを受け入れた。
神官長はこれまで別の星から2度ツヴェルフを召喚している。どちらの星のツヴェルフも皆困惑し、酷く警戒していた。その時の説明と説得の手間を思えば今回のツヴェルフがすんなり今の状況を受け入れてくれた事に内心安堵してすらいた。
魔力の無い異世界から召喚した若き女性。実力勝負なら魔力を持ち様々な魔法が扱える我らが圧倒的に有利――その慢心は数分で打ち砕かれた。
シェルは相手が魔法を放つ前に懐に飛び込んで気絶させる。では魔法を放つ前にやらなければ、と武器を掲げた者がいればそれを振り下ろす前に飛び蹴りを入れる。
卑怯にも複数人で連携を取ろうとした者には他の者が落とした剣を拾い上げて投擲し牽制した上で腹に渾身の一発を入れた。
うっかり殺しかねない勢いなのにきっちり気を失わせるに留まらせるその力加減が圧倒的力の差を神官長や男達に見せつけていた。
この世界の強者である貴族達がここまで一人のツヴェルフ――しかもか弱き筈の女に振り回された事がかつてあっただろうか?
「何だい、変な技を使うからどんなに強い奴らかと思えば全然弱いじゃないか!」
ツヴェルフ達を品定めしようとした貴族達をその身一つで返り討ちにした女性はハンッ、と言わんばかりに肩を竦めて首を横に振る。
「…まあ、そこの2人は負けちまったみたいだから単にあたしが強すぎるってだけかも知れないねぇ……ちゃんと大切にしてやんなよ? 見知らぬ他人とは言え同郷の人間だ。酷い目に合わせたりしたらタダじゃ置かないよ?」
この覇気を漂わせる女帝には勝てる気がしないと判断した神官長はシェルの言葉にコクコクと頷く事しかできなかった。
その姿にそれ以上言葉を続ける気が失せたのかつまらなそうにシェルは頭をかき、塔を降りる階段へと近付いていく。
倒れている男達に紛れて気を失っている他の2人のツヴェルフを見る限り、確かにあの女――シェル・シェールだけ破格の力を持っているようだ。
「それじゃ、あたしは自由にさせてもらうよ」
シェルが去った後、神官長を憐れむかのように淡く見下ろしている青白い大きな星を見上げて神官長は決意した。
今後ル・ジェルトから召喚する時の項目に<強すぎない人間>という条件を設定しておこう――と。
シェルは塔を降りながらこれからどうするか考えていた。
元の世界に戻りたい気持ちはあった。しかし元の世界で最強と唄われる武人達や動物を倒し、『覇王』と呼ばれるようになって数年――自分の周囲にどんどん人が集まり大好きな戦いや争いより面倒な内政に向き合わなければいけなくなってウンザリしていた所を召喚された。
(神様が頑張ったあたしにご褒美をくれたのかもね。)
ル・ジェルトでは弱者を守るのは強者の務め。自分がいなくなっても別の強者が弱者をまとめていく。
贅沢な暮らしも十分堪能したし尊敬の眼差しも絶賛の声も十二分に浴び、このまま務めを果たして生きていくのもつまらないと思っていた所だった。
要するに、シェルは元の世界に飽きていた。そして何のしがらみもなくなった今、ただただ強い者と戦いたい欲求が湧き上がる。
(この世界にはあたしを超える強者がいるだろうか……?)
踊る胸を抑えてシェルはこの街が大きな壁で囲まれている事に気づく。壁で覆うという事は外には少なからず危険があるのだろう。
そのまま街の門を抜けて外に出て歩きだすと、異常なスピードで向かってくる馬車が見える。どうやら魔物の群れから逃げているようだ。
シェルがいた世界、ル・ジェルトにも魔物は居た。変な術は使わず自身の持つ毒を宿した針や糸や爪や牙といった物で人を脅かすような毒に塗れた動物達だったが、倒していく内に毒に慣れていったシェルにとっては生温い相手になっていった。
果たしてこの世界の魔物達はどれほど強いのか――強い好奇心がシェルを動かす。
丁度、馬車はこちらに向かって走っている。このまま待っていれば――と構えた時に馬車から何かが落ちたのが見えた。
青白い星が照らす微かな明かりでも、シェルの眼にその何かが『人』である事を知らせるには十分だった。
強者は、どんな時でも弱者を守らねばならない。
先刻戦いを挑む男どもを叩きのめして《《少しだけ》》疲れていたシェルは、その信念を胸に走り出した。
魔物の群れは先程の男達のように手加減せず全力でブチのめし、改めて馬車から落ちた人間の方に駆け寄ると蹲る男は背中に大きな爪傷を負って瀕死の状態だった。
「悪かったね。もう少し早く来れたら良かったんだけど」
人の死にゆく姿など元の世界で見慣れている。自分は人を危険から守る事は出来ても命の危機から助ける力は無い事をシェルはよく理解していた。
「強き方……どうか娘を、お願いします……」
「娘?」
男がうつ伏せて何かを抱えるようにしていた状態からゴロンと横になると、震えている女児の姿が現れた。
(ああ。馬車から落ちた娘を守ろうとしたのか……)
年齢は6歳ぐらいだろうか? 少女と言うにはまだ幼さが強い印象を受ける女児は必死で父親にすがりつく。
「お父さん……お父さん! 一人にしないで!!」
「リーン、ごめんな……父さんも、母さんも…フェガリから、お前を……見守っているか、ら……」
泣きじゃくる娘の頭を撫でる手が力なく崩れ落ちた後、父親から離れない娘をこのままにもしておけずシェルは男の亡骸を抱えて一旦街の中に戻る事にした。
ここでは遺体の埋葬をどうするのか分からず、シェルは自身が召喚された塔に戻り、1階の広間で頭を抱えていた神官長に男の亡骸を託す。既に貴族達やシェルと同じ様に召喚された女性は何処かに消えてしまったかのように塔は静まり返っていた。
神官長が男の亡骸を浮かせて棺に納める様をシェルは物珍しそうに観察していた。ル・ジェルトには魔法というものは無かったからだ。
棺に蓋をされた後チラ、とリーンの方に視線を移すと女児はただただ涙を流しながら祈っていた。聞けば元々母親も亡くしていたらしい。
これからこの女児はどう生活していくのだろうか? 自分自身も年が2桁になる頃には父も母も死に、そこからは自分の力だけで生きてきた。だが6歳に同じ事をさせるのは酷だろうとシェルは考えた。リーンの父親に託されてしまった事もある。
「じいさん、この世界ではどうやって金を稼ぐんだい?」
亡骸を納めた遺体に向けて祈る神官長はシェルの言葉にあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。
俯いているからシェルからは神官長の表情は見えていないだろうが、その顔は(もうこれ以上この女に関わりたくない――)という思いで満ち溢れていた。
しかし同時に(この女が何かしでかせば召喚した自分の責任も問われる)とも考えた。結果、神官長はシェルにこの街にある冒険者ギルドについて説明した。
民や商人、貴族達が金銭と引き換えに困り事を解決してくれるよう依頼する場所――そこに貼られた探索や討伐の依頼をこなせば金が手に入ると。
そして『自分の名前とこのメダルを見せれば報酬も高い依頼も受けられるようになるから』と半ば押し付けるように透明なメダルをシェルに渡す。
(魔物に殺されて命を落としてくれれば良し、魔物を討伐してくれるならそれもまた良し……!)
先程意識を取り戻した貴族達から散々不平不満侮辱を浴びせられた神官長はその怒りを抱えながらも(何とかこの女を有効活用できないか)と考える程度には小賢しい男であった。
シェルはその日、リーンの家――街の隅っこにある古びた木造の家――に泊めてもらい、翌日ギルドまで案内してもらった。夜は気づかなかったがリーンの髪はシェルによく似た赤茶けた癖っ毛で、シェルはリーンに親近感が湧いた。
木造の2階建ての広い建物の中に入ると何人かが一面に張られた張り紙を眺めている。会話はできても文字が読めないシェルがリーンに読んでもらうと依頼の張り紙らしい。
「こっちは鉱石とか薬草とかの探索依頼で、そっちは魔物の討伐依頼……あっちに貼ってあるのは護衛依頼で、向こうのは荷運び依頼だよ。それ以外のはまとめて外に貼ってあるの」
あちらこちらに不規則に貼ってある依頼は場所で内容が違うとリーンは説明してくれた。
「リーンはよく知っているな」
「……よく、お父さんについてきてたから」
シェルが事細かに教えてくれるリーンに感心して頭をなでるとリーンは表情を曇らせて呟く。
父親を失ったばかりで暗く俯くをするこの女児を、何とか笑顔にしてやりたかった。
どの世界でも辛い事はあるだろうが、リーンの年齢は両親の死に耐えうる年齢としてはあまりに幼すぎるだろう。そんな年齢で巡り合ったのも何かの縁かも知れない。
強い魔物と戦うついでにこの女児が手に職をつけて生きられるようになるまで見守ってやるとするか――シェルがそう考えた時「よっ!」と背後から声をかけられた。
陽気な男の声に振り返ると、燃えるような赤毛と赤い目を持つシェルより二回りほど体格の大きい逞しい青年が立っていた。
赤を基調にした見栄えの良い服は胸元のボタンがいくつか外され、雑に着こなされていたがその青年が上流階級の人間である事を示していた。
「神官長からお前が街に戻ってきたからギルドを案内したって聞いてな! ここで待ってれば会えると思ったんだ! 昨夜はちょっと油断しちまって負けちまったが次は負けねぇ! 再戦を申し込む!!」
年は、自分より数歳下といった所だろうか? 真剣な眼差しで自分を見つめる赤髪の青年の見た目からある程度情報を推測した後シェルは青年から顔をそらした。
「弱い人間と再戦したって何も面白くない」
昨日我一番に戦いを挑んできた男。昨日一撃で叩き伏せた男と再戦してもまた一撃で叩き伏せるだけで終わる。
シェルにとって実力の知れた人間から売られる喧嘩ほど疎ましい物もなかった。戦う価値もなければ話す意味もない。
「昨日は油断しただけだって言ってるだろ!?」
「うるさいねぇ、弱者が吠えるんじゃないよ!!」
一括するとギルドの中にいる全員が押し黙る。シェルは気にする事無くカウンターに腕をかけ、受付の女性に神官長からもらった透明なメダルを見せた。
「神官長……だっけ? そいつからの依頼だって言えば割の良い仕事を教えてくれるって聞いたんだけど? これ、その証ってやつ」
シェルの言葉に受付の女性を始め周囲の人間が目を見開く。シェルが持つ透明なメダルは<神の加護を受けた者の証>であった。
「お、おま……! それ神官長がくれたってマジか!? それは色神を宿した人間しか授けられないメダルだぞ!?」
赤髪の男が言う通り、シェルが持つメダルは本来<色神>と呼ばれる神の加護を受けている者にしか授けられない。
それを何故神官長がシェルに託したのか――それは、民を脅かす凶悪な魔物を討伐してくれれば、あるいは死んでくれればと願う狡猾な理由に他ならないのだが、赤髪の男はその理由には辿り着けなかった。
「赤の魔力持ってる俺でさえ色神宿してねぇからってそのメダル貰えてねぇのに!! クソッ……俺らよりこいつの方が強ぇって言いたいのか、神官長は!!」
あいつ絶対後でシメる、などと物騒な事をブツブツ言う赤髪の男を無視してカウンターに肘をついたシェルは受付の女性と話を続ける。
「できれば日帰りできるやつが良いね」
「それでは……」
シェルが希望をつけると、女性は一枚の紙を取り出した。
「……ここより東にある森に最近住み着いたストーンドラゴンの討伐です。普段閉じている額にある第3の目が開くとそれを見た者は一瞬で石化してしまいます。石化は戻せても砕けた部分は元に戻りません。万が一石化してしまった時の為にすぐ石化解除薬を使えるサポートを付けるとよろしいでしょう」
「分かったよ。額にある相手の目を見なけりゃ良いんだね」
紙を受け取って雑に胸にしまう。その仕草に周囲がギョッとした事も気にせずにシェルはリーンを連れてギルドを後にした。
ギルドを出てすぐに、赤髪の男が追いかけてくる。
「お前……! 恥じらいってもんがねぇのか!? しかもちゃんと話を聞いてたのか!? 石化するんだぞ!? 石化して砕かれたら終わりなんだぞ!? ギルドはパーティ編成も請け負ってるんだから、誰か一人でもサポートを連れてけよ!?」
「額の目を見なければ問題ない戦いでいちいち他人と組む理由は無いよ。組んだら報酬を分け合わなきゃいけないだろう?」
ギャアギャアと喚く赤髪の男をシェルは心底迷惑そうに手で追い払う仕草をする。そんなシェルをリーンは不安そうに見上げていた。
「……お姉ちゃんも死んでしまうの?」
「死なないよ。見なけりゃいいのにこいつがうるさいだけだ。ああ、あんた、この子を家まで送ってあげておくれよ。私に勝てなくてもそのくらいの事は出来る位には強いだろう?」
「俺を顎で使うな! それに俺にはセヴィンって名前があるんだ! セヴィン・フォン・リアルガー! それが俺の名前だ!」
「じゃあセヴィン、リーンを頼んだよ。リーン、あたしはちゃんと帰ってくるから家で大人しく待ってるんだよ?」
間近で怒鳴るセヴィンの声にシェルは耳を塞ぎつつリーンを託し、走り出したシェルは電光石火の勢いであっという間に2人の視界から消えた。
東の森に辿り着くなり、シェルは目を閉じる。
ル・ジェルトの人間には気覚という感覚を持っている。例え目を瞑っても相手の持つ命の波動が見えるのである。
そして視覚とこの場に不要な味覚を閉ざす事で気覚、聴覚、嗅覚、触覚の4感が研ぎ澄まされ、見えなくともそこに何があるのかを不便なく教えてくれる。
昨夜の戦いでは見た事のない変な術に対抗する為に目を閉じるような真似はしなかったが変な術さえ使ってこなければ目を閉じて戦っても問題なかった。
ル・ジェルトの人間の中でも特に身体能力に優れているシェルに限っては視界を閉ざしているから不利、という事は全く無いのである。
生き物の吐息や足音に耳を研ぎ澄ましながら足を踏み入れていく。研ぎ澄ました4感は今この森にどの位大きな生物が、どの辺りにいるのかが掴める。
右手の方角で石が砕ける音が微かに聞こえる。それが小動物か人かまでは分からなかったが砕ける直前に何か硬い物にぶつかった音も含めれば石を砕いたのがストーンドラゴンである事は容易に推測できた。
目を閉じたままそちら側へ向かうと暗い橙色の大きな気の塊を感じる。荒々しい呼吸が聞こえてきて、その呼吸の流れが変わったと同時に大きな気質が不自然な動きを見せた。シェルは自分が向こうに認識された事に気づく。
(さて……この世界の強い魔物はどの位強いのかお手並み拝見といこうじゃないか!)
気の塊が大きな動きを見せる前に、シェルは気の塊に向かって飛び出した。
シェルの期待は、外れてしまった。
ストーンドラゴンは耐久力や防御力こそ高けれど動きが鈍く、気覚で見抜いた急所に数発加えただけで雄叫びを上げて倒れ込み、息絶えた。
叩き応えと短いスリルこそ楽しめたものの『強者』として認定するにはあまりに弱かった。虚しさを感じている内に女児の聞き覚えのある泣き声が響いてきた。
「リーン、何で来たんだい……!?」
争いの終盤に人の気配を感じて2人がストーンドラゴンの顔面を直視しないように反らしてたが、半分手遅れだったようだ。
「セヴィンお兄ちゃんが、お姉ちゃんが心配だからって……!! 石化解除薬いっぱい買ってきたの!」
シェルは石化したセヴィンに抱きしめられた状態のリーンから薬を受け取ると、勢い良くセヴィンにぶっかける。灰色と化した硬い体が色味と柔らかさを取り戻していく。
「お……おお!?」
突然目の前にシェルがいた事に驚いたのか、セヴィンが後ずさった瞬間シェルはセヴィンの顔面に張り手を食らわせ、尻もちをつかせる。
「全く……こんな小さい子連れて石化して、何考えてんだい!!」
「お、俺はお前が心配で……!」
「アンタは自分に勝った奴の心配するよりまず自分の心配しな!! もし私もアンタも殺られてたらこの子まで死んでいたんだよ!? アンタが自分を強者だと思ってるならまず、弱者を危険から遠ざけな!!」
怒鳴るシェルの気迫に押されて黙り込むセヴィンからシェルは顔を背け、再び目を閉じてストーンドラゴンの方へ歩く。
依頼達成の証としてストーンドラゴンの牙を手探りで力任せに抜き取ると、シェルは自分の右腕が少し痺れている事に気づいた。
「……勝手に付いてきたのは悪かった。ただ、魔物の血には毒性が有る物も多い……俺、浄化の術使えるからお前の役に立ちたかったんだ」
「なるほど……右腕が痺れているのはストーンドラゴンの急所を貫いたからって事かい。治せるって言うなら治してくれるかい?」
目を開きセヴィンの方に立ち上がってシェルが手を伸ばすと、セヴィンが赤く温かい魔力で全身を包むと体の痺れが嘘のように消えていく。
「……これで大丈夫だ。道具屋に売ってる浄化薬でも大抵の魔物の毒を中和できるからこれから魔物討伐する時はちゃんと携帯しろよ」
そう言ってセヴィンは酷く落ち込んだ様子でトボトボを哀愁を漂わせて去っていった。ただ単に自分の力を誇示したくて追いかけてきた訳ではないようだ。
肩にリーンを乗せて全力で駆け出した2時間後、ギルドに到着する。
あれだけプライドの高そうな男だ。ここまで言われて実力の差を見せつけられればもう二度とシェルの前には姿を表さないだろう。
言い過ぎたとは思っていないが礼を言いそびれたな、とシェルは思った。しかしストーンドラゴン討伐で得た金貨3枚で驚き喜ぶリーンの笑顔を見て罪悪感が失せていった。
こうしてシェルの冒険者人生は幕を開けた。まず周囲の魔物討伐の依頼を手当たり次第にこなし、1年が過ぎる頃には街の周囲の治安はすっかり良くなっていた。
そしてシェルの強さを聞きつけた貴族達から往復に数日ほどかかるような遠方の依頼も入ってくるようになった。
シェルは遠征する際に街にリーンを置いていく事は気がかりではあったが、弱者を危険な旅に連れて行く訳にもいかない。悩んでいると神官長からリーンは自分と街の皆で気にかけるから大丈夫だ、という後押しがあった。
この頃にはあらゆる所の面倒な魔物を退治してくれるシェルは街では『ちょっとガサツな女戦士』として親しまれるようになっていた。
(本来の目的とは大分違うが、まあ役立ってくれるなら少し位助けてやってもいいか)と判断した神官長は現金な男でもあった。
貴族達には『うっかりヤバいの召喚しちゃったけど悪い奴じゃないし利用するだけ利用して死ねばそこまで。次から気をつけるから許して』的な言い訳で貴族達を納得させ、それを聞いたら怒りそうなセヴィンには事前に『こうでも言っておかないとシェルやリーンが恨まれちゃう可能性があるからのう。』とフォローを欠かさない辺り、世渡りに長けた男でもあった。
そんな神官長の打算と街民の善意に包まれた協力もあり、後はリーンに遠征の事を告げるだけ……と思った日の夜。
シェルの考えを見透かしていたかのようにリーンはあの日――父親が荷運びの仕事をする際に一人が寂しいからと着いていった帰りに魔物の群れに襲われた事を話してくれた。
「だから私、ここで待ってる。お姉ちゃんが物凄く強いの知ってるから。それに……節末には帰ってくるんでしょ? セヴィンお兄ちゃんとの約束があるもんね」
そう、実はセヴィンとの関係も切れてはいなかった。
セヴィンはストーンドラゴンを倒した日の1週間後――ギルドを訪れたシェルを待ち伏せしていた。
『ストーンドラゴンと同じ位厄介なファイアドラゴンを倒したから再戦する権利をくれ』と。
「何度も再戦を挑みに来るんじゃない! 見苦しいよ!!」と一括してもセヴィンは諦めず、そこから街に泊まってシェルにまとわりついた。
そのあまりのしつこさに「そこまで言うなら私と同じ位魔物を倒したら再戦してやるよ!!」と言った結果、毎節末――日数で言えば30日前後――セヴィンがその節倒した魔物のリストを持って家にやってくるようになった。
「今節はこれだけ討伐してきた!! お前が先節討伐した魔物も入ってるぞ!!」
セヴィンが持ってきた討伐済リストの内容を確認したリーンが頷く。
「ふーん……そこまで頑張ったんなら仕方ないねぇ。どれだけ強くなったか確認してあげるよ」
こうして始まった毎節末の確認及び対戦は、シェルが遠方に魔物討伐に出るようになってからも変わらず。毎節末には必ず街に、リーンの家に帰ってきた。
旅に出ては魔物討伐して戻り、リーンと話し、セヴィンの討伐リストを確認して重い腰を上げては町の外で戦い、こてんぱんに叩きのめす――そんな日々が10年続いた。
この10年の間に稼いだ大金で一度リーンの家を立て直しているがけしてそれは豪華でも広くもなく、目立たない普通の家だった。シェルは稼いだ金の大半はこの街の孤児院や教会、ギルドに寄付していた。それでも金が余りあるからだ。
稼いだ金に固執しないシェルのお陰でこの街は以前に比べてずっと豊かになった。神官長は死ぬ間際にシェルに感謝し『酷い扱いをして済まんかった』と侘びて亡くなった。シェルは神官長が何の事を言っているのかよく分からなかった。
そんなシェルの強さは最強のツヴェルフという異名とともに国中に広がっていく。そして同じ位の速さでセヴィンの噂も広まっていく。
最強のツヴェルフが東のドラゴンを倒せば、真紅の男は西のドラゴンを倒す。
最強のツヴェルフが南のガルーダを倒せば、真紅の男は北のグリフォンを倒す。
旅の吟遊詩人が道行く街でそんな歌を唄い始めた頃にはリーンも成長し、女児はすっかり恋に生きる可愛い少女となっていた。
「お姉ちゃんはいつセヴィン兄ちゃんと結婚するの?」
夕方、街の鍛冶屋で働く彼氏とのデートから帰ってきたリーンは顔を赤らめつつ無邪気な表情でシェルに聞く。
「セヴィン兄ちゃんはいずれ真紅の神の祝福を受ける人だから、きっとお姉ちゃんも結婚式の時は真紅のドレスを着るのよね……」
「よしとくれよ。あいつはあたしに構うのは単にあたしに勝ちたいだけだよ」
うっとりとした顔で呟くリーンにため息を付き、肩を竦めて言ったシェルの言葉にリーンは目を見開いて驚く。
「え……お姉ちゃん、セヴィン兄ちゃんがもう30過ぎても誰とも結婚しないのはお姉ちゃんと結婚する為だよ!? だってお姉ちゃん、ツヴェルフじゃん!?」
リーンがそんな風に叫んだのと同じタイミングで家の戸が叩かれる。今日は節末。その勢いの良い叩き方も相まって誰が着たのか開けなくても明らかだった。
「今節はこれだけ倒してきたぞ!!」
先程のシェルとリーンのやり取りが聞こえていなかったのか、セヴィンはいつもと同じ様に挨拶もなくドンとシェルの顔の前にリストを突き出してくる。この世界に来て10年、リーンに少しずつ教えられてシェルもこの世界の文字が読めるようになっていた。
「セヴィン兄ちゃん! たまには何かお姉ちゃんにプレゼントでも持ってきたらどうなの!? そんなだから毎回お姉ちゃんに負けるのよ! 気づかれないのよ!」
自分より弱い男からプレゼントなど渡されてもシェルの心は微塵も動かない。
ル・ジェルトではそういう関係も勝負で決着を付ける。セヴィンに好意があろうがなかろうがシェルがセヴィンに負けない限り関係は何一つ変わらない。
以前に比べて随分打たれ強く、身のこなしも上手くなったセヴィンを打ち負かす事に時間を要するようになったとはいえ、まだまだ自分に勝つには程遠い――と、シェルはいつものように打ち負かして倒れ込んだセヴィンを見下ろす。
「あんたも懲りないねぇ……私に構ってる暇があるなら他の女と子を成した方が人生楽しいだろうに」
「あ……? 俺は、お前と戦っている時が一番楽しい。段々お前に近付いてる感じが嬉しい。もうすぐ勝てる気がする」
「ふーん……そう言えばあんた、私に勝ったらどうしたいんだい? 私に謝らせたいのかい?」
「は? 結婚するに決まってるだろ? お前言ったじゃねぇか、勝った男の子どもなら何人でも産んでやるって」
セヴィンのハッキリした言葉にシェルは元々自分が子作りの為に召喚された事を思い出す。強き者の子を産むと言った自分にまず真っ先に挑んできたこの男がそれを目的として再戦を挑んできているのは冷静に考えれば分かる事だったのだが、シェルはその事をすっかり忘れて魔物退治とセヴィンとの再戦を楽しんでいた。
こうして今、面と向かって言われた事で初めて自分がこの男に子作り対象として見られていた事を知る。
「ツヴェルフなら私の他にもいただろう? あの子達に産んでもらえばいいじゃないか。何で私にこだわるんだい?」
「俺はお前がいい。お前との子どもが欲しいからお前に勝ちたい」
「……あんたは良い所のお坊ちゃんなんだろ? あたしはそういう堅苦しい世界は苦手でね。この体格じゃ可愛いドレスも何も似合わないよ。まあ、あんたがあたしを打ち負かせたなら可愛いドレスでも何でも着てやるけどさ」
「お前に似合わないものなんて無い……少なくとも俺にとってお前は誰より美しい」
セヴィンの真っ直ぐ自分を見つめる目とハッキリした物言いに、心臓が跳ねるような感覚を覚える。
この男と戦ってもう、10年が過ぎる。その間ずっとこの男は自分に対してそんな事を思いながら、自分をものにする為に魔物を倒し、再戦する権利を得て挑んできたのだ。
シェルの中に暖かくくすぐったい感情がこみ上げてくる。それは強さだけを崇められ讃えられてきたシェルにとって初めて抱く感情だった。
その感情に戸惑いながら、パサついた髪のリボンを解いて編み直そうとした時にリボンがちぎれたのはリボンの寿命か、自分が力の調節を間違えたからかシェルには分からなかった。
「……お前のそのリボンもうボロボロだろ、これ使えよ」
セヴィンが真紅の無地のリボンを手渡す。
「悪いね。お代は……」
胸に手を入れるシェルにセヴィンは慌てたように首を振る。
「いらねぇよ。いつも再戦に付き合ってくれてる礼だ。本当に渡したいのはこのリボンじゃねぇけど…まあ、敗者の身分で渡せるようなもんじゃなくてな……」
セヴィンの言葉に(いつ、この男は敗者じゃなくなるのだろうか?)シェルの脳裏にそんな思いが過ぎる。それと同時に(別に立ち場が変わらずとも自分がセヴィンとの交配を求めればいいだけなのではないか)という考えも過ぎる。
「ねえセヴィン、あたしは……」
「あー! 柄にもねぇ事しちまうと喉が痒くて仕方ねぇ! でも、俺は諦めない。いつか勝者になった時はもっともっとお前への愛を聞かせてやるから、覚悟しておけよ!」
そう言って去っていく男の背中を見送りながら、シェルはどうしたものかと考え込む。
少しは張り合えるようになってきたとは言え、まだまだ実力の差はある。
それでも手を抜けば気づかれる程度には強くなってきているし、そんな事をしたら怒るだろう事も分かっている。わざと負ける事は、できない。
だけど――何も、勝ち負けは戦いによってのみ決めなくても良いんじゃないだろうか?
そう思った次の節から、シェルは行動に出る事にした。
「は? 大食い!?」
「あたしも年でね……毎節あんたと戦うのはキツイんだ。2節に1回位はこういう戦いでもいいだろう?これも立派な勝負だし、あんたが勝てば妻にでも何にでもなってやるさ」
「……分かった、大食いでも何でもやってやろう!!」
大食い、果実収穫、スクワット、1キロ走、腕立て――時にはリーンや街の民の力を借りたりしてあらゆる戦いを試してみたものの、どうにもセヴィンはシェルに勝てなかった。
セヴィン自身もかなりの実力を示しているのだが、シェルには全く叶わなかった。
「あんた……!! 一体何なら私に勝てるんだい!?」
大酒飲み対決で酔い潰れたセヴィンを軽く蹴り飛ばして管を巻くシェルをリーン及び周囲の人間は温かい目で眺めていた。
そうやって1年が立ったある節末の日――空に大きな赤い竜が現れた。窓からその竜を見上げたリーンがシェルを呼ぶと、竜は塔の方へと向かっていく。
シェルがこれまでこの世界で倒した何匹ものドラゴンより大きいその竜は静かに塔の前に降り立った。その背から降り立ったのは、真紅を基調としたきっちりとした衣装に身を包んだセヴィンだった。
「シェル、俺もついに色神が宿ったぞ! これが赤の色神、真紅の竜……カーディナルロートだ! 後、リアルガー家に伝わる神器、赤の斧もあるぞ! そして今日から俺はセヴィン・ディル・リアルガーだ!」
セヴィンはシェルを見つけるなり満面のドヤ顔で自慢するように説明した。この世界ではフォンは貴族の子息でディルは貴族の当主――そんな話をいつかの対戦でセヴィンが言っていた事をシェルはぼんやり思い出しながら大きな赤い竜と小型ながらも強い真紅の気質に包まれた美しい斧に目を奪われた。
(ああ、あたしは――ようやくあんたに正当に負ける事が出来るのか。)
しかし、その日の再戦でセヴィンは自慢した色神の力も神器も使わなかった。
「何故いつもと同じ様に戦った? 色神とやらを宿しているのならその力を見せてみなよ? 神器とやらも使わずに……あんた、ここにきてあたしをナメてるのかい?」
シェルは呆れと、怒りが混じった言葉で大の字に倒れるセヴィンを見下ろす。
「色神の力も神器の力も圧倒的過ぎてフェアじゃない。俺は俺の実力だけでお前を負かしたい」
「……なら何で見せびらかしたのさ?」
「親父が死んで、リアルガー家の当主になったカッコいい俺をまずお前に見て欲しかっただけだ」
新品の衣服をボロボロにしながら笑うセヴィンに、シェルは呆れたようにため息を付いた。
(馬鹿だね……アンタが持てる物全て挑んできてくれれば、あたしは……)
当主という存在になった色々な責務を背負いながらもセヴィンは節末には勝負をしに現れる。
良い戦いを出来るようになってきた事をセヴィンは喜んでいた。だがシェルは自分の肉体を老いが確実に蝕んでいくのを感じていた。
かつての自分より弱い自分を認識してしまって以降、シェルの中で強い者と戦う欲求は小さくなっていった。
そしてセヴィンと共にいたいと思う気持ちが少しずつ戦う欲求より勝り始め――半年が過ぎた。
「……お前のその、心意気に負けたんだ!!」
「お姉ちゃん、良い感じ!! その言い方ならセヴィン様も心打たれると思う!!」
既に1児の母になり、伴侶と子と別の家に住んでいるリーンだが、節末には必ずシェルが住む実家に顔を出す。
「この間の『敗者は勝者に従え!!』は俺を哀れんでるのか!? って怒って帰っちゃったけど、これなら嘘もついてないし受けとめてもらえるはず……! 頑張って!!」
リーンの言う通り、嘘はついていない。いくら肉弾戦で勝利を収め続けていようとも負けたいと思った時点でシェルの心が負けてしまったのは事実なのだから。
大分遠回りをしてしまったが次の節末でセヴィンはどういう反応をするのか――期待に胸を踊らせながらシェルは節末を待った。しかし節末になってもセヴィンは来なかった。
これまでも何度か来なかった日はあった。だがその時は必ず事前に連絡があったし、ご丁寧に代わりの日まで記載してあった。
初めて何の連絡もないまま来なかった事に珍しくシェルの中で不安がよぎる。せっかく朝からリーンが丁寧に編んでくれた三つ編みや、塗ってくれた化粧、赤色のワンピースをセヴィンに見せられる事無く無情にその日は過ぎていった。
翌日――カーディナルロートが空を舞う。
シェルが期待と決意に胸高鳴らせながら見つめる先で真紅の竜から降り立ったのは、セヴィンと同じ、燃えるような赤色の髪と目を持った別人だった。
「兄…セヴィン・ディル・リアルガーが亡くなりました」
絶望。それはこの世界に来てから――いや、シェルが生きてきて初めて感じた感情だった。
「……色神を宿していれば、敵無しなんじゃないのかい?」
シェルがまず真っ先に出した言葉に、セヴィンの弟が小さく頷く。
「そうです、色神の力さえ使えば兄上はあんな魔物に負けたりはしなかった。色神は石化などしないから……」
セヴィンより小柄で細身の若い男は拳をギュッと握りしめ、震える声で紡ぎ出す。
「石化?」
「……兄上が戦ったのはストーンドラゴンです」
セヴィンの弟が口と拳を震わせながら紡ぎ出していく言葉に、シェルは自身の怒りを抑えられずに吐き出す。
「色神もついてたんだろう!? どうして助けてくれなかったんだい……!?」
「貴方が、かつてストーンドラゴンを一人で戦って倒したからです……貴方が一人で倒した魔物に一人で勝てないようでは求婚できないから、と……カーディナルロートはけして手を出してはいけないと兄に言われていたようです」
(ああ……何処までも、何処までも真っ直ぐな男が――あたしの気持ちも考えずにただただ自分の気持ちを押し付けて逝ってしまったなんて)
シェルの心を怒りと悲しみが支配していく。その感情の矛先は――
「……そのドラゴンはまだ生きてるのかい?」
「……はい。兄が亡くなった時点でカーディナルロートは強制的に私に宿りましたので。私は今から兄の仇討ちに行きます。討伐前に貴方に兄の形見を渡しておこうと思いまして……」
セヴィンの弟がそう言ってシェルに手渡したのは金の装飾が施された真紅のリボンと赤い石が嵌った黄金のリング。どちらにもセヴィンの温かみを感じる。
「それらは婚約の証と、結婚の証となる物……貴方に勝利した際にすぐに手渡そうと兄が準備していた物です。対となる指輪は右手の人差し指に嵌められていました。すぐに目に入る場所だからと……」
セヴィンと同じ色のリボンと指輪をシェルは力強く握りしめる。
「……敵討ちは私にさせてくれ」
やはり、この感情は自分の手で昇華しなくてはいけない。シェルの中で固く決意する。
「色神無しでストーンドラゴンと戦うのは危険です。兄が討伐に向かった火山地帯に住むストーンドラゴンは高熱の息も吐き出します。貴方が20年前に倒したのは……」
「セヴィンが死んだのは20年前の私の責任だ……償わせておくれ」
誰にも譲れないシェルの決意はセヴィンの弟にも伝わったようで、一つのため息と同時に手を差し伸べられる。
「……分かりました。では、その場所まで案内させて頂きます」
セヴィンの弟と共に真紅の竜に乗って、マグマが吹き出る山へと向かう。
(もしセヴィンが生きていたなら――こうして、2人で空の旅ができたんだろうか?)
今はもう叶わぬ夢に焦がれながら山頂近くへと降り立つと、目を閉じて近くのほら穴から内部に侵入する。幸か不幸か、入ってまもなくストーンドラゴンの気質を感じた。
この世界に来てから、20年――40を前に勘も動きも鈍ってしまった状態で、しかも20年前に倒したストーンドラゴンより厄介な相手にシェルは奮闘した。
20年前と同じように目を瞑り気覚を頼りに聴覚と触覚、嗅覚を駆使してストーンドラゴンの攻撃を交わし、隙を突いて繰り出していく。
(あいつに、あたしと同じように気覚があったなら。こんな奴に負けなかったのに。)
カーディナルロートに乗ってここまで来る途中、セヴィンの弟と交わした会話の中でこの世界の人間が気覚を持っていない事をシェルは初めて知った。
(セヴィンは自分とあたしの感覚が違うって知ってたら、無茶な真似しなかっただろうか……?)
セヴィンの力を自分の基準で計ってセヴィンを弱い人間だと思い込んでいた自分もけして強者とは言えないのではないか?
セヴィンは気覚を持っていないのに、自分と対等に渡り合えるようになっていたのに。
(対等じゃなかった。あたしはセヴィンにない感覚を使って彼の力を防ぎを打ち負かしていたのにセヴィンは、あたしにない物を使って戦いはしなかった。)
魔力の有無の差はある。だがシェルの気覚によって魔法を使う隙を与えない分2人の戦いの中で魔力など殆ど無いも同然だった。
争いでは相手に合わせるなんて無謀な事はしない。だが、シェルとセヴィンの戦いは争いではなく勝負だった。だからセヴィンはシェルに合わせようとしたのだ。
(相手と対等な条件で戦おうとする、彼の真っ直ぐで熱い心とそれを成し得る体にあたしの心も体も……とっくに負けていたんじゃないだろうか?)
その答えはもう分からない。答えを潰してしまったストーンドラゴンの急所――心臓がある場所を全力で貫くとストーンドラゴンが雄叫びを上げて頭を振り乱す。
その勢いにバランスを崩して、地面に不自然な体勢で叩きつけられる。
痛みが下半身に走り、起き上がれない状態でストーンドラゴンの方から熱風を吹き付けてくるのを感じた。
(しまっ――)
熱い感覚が肌を襲う。が、肌は焼け焦げる事無く、熱い感覚はすぐに暖かい物に変わった。
(何で……)
シェルの右手の人差し指に嵌められている指輪から赤いオーラを感じる。全く熱さを感じない――代わりにシェルの心に感じるのは、セヴィンに感じていた、セヴィンがくれた温かいぬくもり。
熱風の息が止んでストーンドラゴンが倒れ込み息絶えるのとほぼ同時に半透明の赤い防御壁は消えた。
何が起きたのか分からないでいると、足元にカツッ、と何かを弾いた。拾い上げると、赤い宝石の原石が埋まっているような、変に細長い石だった。
赤い石の近くにはまるで指輪のような溝がある。シェルはそれをそっと胸に収めた。
「お見事です…兄の仇を討って頂き、ありがとうございました」
ストーンドラゴンが絶命した事を察したセヴィンの弟が、シェルに近付いて頭を下げる。
「……この指輪、何か細工がしてあるだろ?」
右手の人差し指に付けた赤い指輪を見せつけるようにして問う。
「その指輪の内側には、装備者の身に危険が降り掛かった時に防御壁が起動するような刻印がされています。真紅の防御壁は熱や火から人を守る。恐らくは兄上が一人で戦おうとする貴方を気遣って彫り込ませた物だと思います」
「……見事だね、アンタの兄さんは。本当に……晴れ晴れしい位に見事な馬鹿だよ」
「私もそう思います」
セヴィンの仇を取り、セヴィンの温もりともうこの世にセヴィンがいない事を実感したシェルの目から物心ついた時から一度も流した事のない涙が、溢れた。
それは、シェルがこの世界で流したたった一粒の涙だった。
1節後――この街を出る、と言ったシェルを見送るように街の門の前にリーンを始め大勢の人が集まった。大きな革袋を背負いに今にも旅立たんとするシェルにリーンが声をかける。
「お姉ちゃん……本当に行ってしまうの?」
か細い声で涙ながらに尋ねるリーンの頭を優しく撫でる。
「リーンはもう大丈夫だろう? 私はここに居すぎた。せっかく縁があって召喚された世界だし、後の人生はこの世界を回って過ごしたい。別の大陸にも行ってみたいしね。だけど誤解しないでおくれ。ここであんたと……ここの街の奴らと過ごした日々はとても楽しかったよ」
泣きじゃくるリーンの顔は幼くして父と死に別れた時の面影を残していた。その面影は、彼女を心配そうに見上げる2人の子どもにも引き継がれている。
この子の父親に託された役目はもう十分果たした――一片の悔いもなく、シェルはセヴィンが残してくれた物と一緒に街を旅立った。
(さて……あんたには散々振り回されたんだ。今度は私に付き合ってもらうよ。)
赤い指輪、赤い2つのリボン。火山で拾った一欠片の細長い石。それらから感じる愛する男の温もりをシェルは一生手放す事はないだろう。
数年後――髪を結ぶ真紅のリボンと右手に嵌められた赤い石の指輪が特徴の、何の魔力も持たぬ冒険者、シェル・シェールの武勇伝は様々な国から聞こえ届き街を騒がせたが、十数年後に自然に溶けて消えていった。
しかし、異世界の女帝の名は誰とも契る事無く生きた最強のツヴェルフとして数百年後の遠い未来でも語り継がれる事になる。
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