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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦528年 魔女の系譜6章
98/103

復讐するは我にあり5

重くて暗い話になっています。

あとついでにぶっ飛んでます。

覚悟をして読んでくださいませ。


 ロクサーヌの暗闇が黒鳥の羽のように、舞い降りる夜。

 街の西区、すなわち由緒正しい貴族の邸宅群(シューネルピア)は、静寂に包まれていた。その中を、駆ける一群の者たちはかつて閃光と呼ばれた女剣士を先頭に二十人ほど。

 油断なく周囲に目を光らせ、音を立てずに進む様子は奇襲を仕掛ける少人数の部隊に見えた。

「オウカ・ジェルノの邸宅……ではないようね」

 先年のロクサーヌでの動乱の折、オウカ・ジェルノが当時住まっていたジェルノ家の邸宅は焼け落ちていた。今は別邸をその孫に当主の座とともに譲り渡している。

 火の消えたようなその様子に、見切りをつけると他の邸宅を探すべく足を向ける。

「私たちに何も言わないで……」

 いや、半ばわかっていた。サギリがロメリアやベイシュらに頼ることなく復讐を企てていることは、わかりきっていたこと。

 だから、危険を冒してロクサーヌに留まり市街にオウカ・ジェルノに張り合えるだけの情報網を築いてきたのだ。

 サギリが一人で走り出してしまったのを知ったのは、その情報網に引っかかった情報からだった。

「言っても仕方ないわね」

 黒鳥の羽のような夜の闇をロメリアは睨んで、部下たちを率いて行った。


 




 一方由緒正しい貴族の邸宅群(シューネルピア)を東西に分けるクルン河。西側を進むロメリア達と平行に、ベイシュ達も川の東側を捜索して回っていた。

 人数はこちらのほうが少ない。10人いるかどうか、その中にジンの姿もある。

「ここらはまだ、内乱の傷跡が残ってるな」

 夜の闇に黒衣の衣装をまとったベイシュが周囲をねめつける。

 戦場に立つ将軍のように威風堂々と周囲を確かめるその様子に、ジンは眉をひそめた。

 どう考えてもサギリや自分達、賊徒達と一緒に行動するような輩には見えない。

 周囲には、焼け焦げた邸宅跡。没落したか、あるいは復旧もままならず打ち捨てられた邸宅跡が連なっていた。

「……どうやら当りを引いたらしいな」

 ベイシュの言葉に、ジンは周囲を見渡す。よくよく注意してみれば、薄っすらと敵意らしきものが漂っているのを感じた。

「ちっ!」

 風きり音とともに飛来する飛礫。

 舌打ちを残して、勘を頼りに飛びのく。

 と同時に、廃屋の影から走り出る敵の姿に、ベイシュとジンは距離をとった。

 ジンが鈍いわけではない。それが証拠にベイシュの率いてきた者の中には、飛礫に当たって怪我をするものが続出する。

 ベイシュが鋭すぎるのだ。

「ロメリアに知らせだ。走れ」

 ベイシュの指示に従って数名の手下が伝令として走る。

 闇の中待ち伏せしていた敵をぐるりと見回して、その数の多さにジンは内心舌打ちしていた。人数だけでなくそれなりの実力を備えていることは、ジンに気配を悟らせなかったことでもわかる。

 こちらの人数は10人を切り、すでに負傷者も多数。

 その圧倒的に不利な状況に、ジンは引くことも考えるが。

「っつ!?」

 頬を掠めた敵の刃に、思考を中断させられる。小太刀を抜き放ち、応戦しつつ距離をとったジンに、ベイシュが笑いかける。

「兄ちゃん、どうした。意外と慎重なんだな」

 こともなげに、腰から抜いた大刀を一閃。

 ベイシュに迫っていた敵の二つの首が落ちる。

 一拍遅れて吹き上がる血しぶきに、敵味方の動きが止まった。

「ベイシュ・ライラックの名を聞いて、尚向かってくるヤツァいるか?」

 王虎が獲物を見下すように、名を告げるベイシュ。 

 威圧の風すらともなって、ベイシュは周囲を睥睨する。

 ざわりと敵が動揺した。

 その隙を見逃すほど、ジンはお人よしではない。

 瞬く間に目の前に迫る敵を切り伏せると、動揺する敵に向かって瞬時に肉薄する。

 刃を二閃。暗闇に血しぶきの音だけが二条の線を描いて飛び散る。

 さらに動揺が広がる中を、ジンは獲物を蹂躙する。

 敵も味方もほとんど声を立てない争いの中、ジンの奏でる風切り音と、ベイシュの振るう大刀の轟音が敵の骸を積み上げる。

 結局ほとんどの敵を、二人で仕留めることに成功し、生き残った捕虜を荒っぽいやり方で尋問するとオウカの居場所を突き止めることに成功した。

「まぁ上々だろうよ」

 勝者の余裕で笑うベイシュ。

 だが、ジンは胸騒ぎがひどくなりすぎて、頭痛までしてきていた。

 割れるような頭痛が、ジンを蝕む。

「なんだ、気分でも悪いのか兄ちゃん」

 やれやれと、肩をすくめるベイシュにジンは睨み返すが、頭痛は立っていることも困難なほどになっていた。

「おい、誰か肩を貸してやれ」

 ベイシュの部下からさしだされた手を払う。

「一人で歩ける」

 渾身の力をこめて睨むと、ふらふらとベイシュの後に続いて殺戮の場を後にした。





 振りかぶられた刃が頭上から落ちてくる。

 雷鳴を想像させるその速さに、サギリは咄嗟に首をそらせた。

 直後鎖骨から響く、鈍い音。直後に遅い来る痛みに、自身の鎖骨が折れたことを知った。

「──っく、ぁ、ぁぁ!?」

 力の入らない左腕は死んだものと考えねばなぬまい。

 骨を折られた激痛に湧き上がる悲鳴を押し殺す。

 満身の憎悪をこめて睨むが、アズの顔には冷笑しか浮かんでいなかった。

 続けて振り下ろされる一撃は再び折れた鎖骨を襲う。

「──、あ、」

 声にならない悲鳴を上げるサギリに、アズは薄く笑い。

 そうしてオウカが、彼女の前に立つ。

「久しぶりだ。化け物め」

 口元には嘲笑の笑み、だがうな垂れるサギリを睨む瞳には、百万の憎悪を宿す。

「オウカ……」

 小さくささやく様にして呟かれた彼女の声。

 がちりと、彼女の奥歯がかみあわされた音がする。

「オウカァァ!」

 昇り詰める激情は、火山から噴出す溶岩を連想させた。

 体ごと戒めの鎖を“爪”で引き裂く。

「くっ!? 悪あがきを」

 サギリの漆黒の瞳に篭る憎悪。炎となって全身を焼き尽くすそれが、サギリに痛みを忘れさせた。

「死ねええええええええ!」

 全身を血に染めて振りかぶった爪が、オウカの体を引き裂く寸前。

「っ!?」

 間に割り込んだのは、北方の武人。

 脇に抱えられた剣が、サギリの左手を弾き飛ばす。

 流れた爪は空しく空を切り──。

「畜生!」

 振り下ろそうとした一瞬の停滞。

 その隙間に、アズの刀身がサギリの胴をなぎ払う。

「鎖!」

 アズの声とともに、再びサギリの体を巻き取るその戒め。

「アズ、まさか殺したのか!?」

「翁よく見ろ」

 指し示されて見たサギリの体は、確かに全身彼女の血にぬれているものの、アズが切りつけた傷跡はない。

「剣の平でやったからな」

 事も無げに言うアズの表情は微塵の動揺もない。

 その精神を頼もしく思いながら、今度こそ生け捕りにした魔女を値踏みする。

「気分はどうだ。化け物」

 彼女の頭を足蹴にする。

「……くっ……オウカ」

 意識のある彼女に多少驚きながら、アズは彼女を抑える。

「オウカ、オウカな……クックック」

 オウカの名前に突如その老人が笑い出す。目の前の憎い敵が最上の冗談でもあるかのように。

「何が、おかしい」

 小さな怒声に、尚もその老人は笑い続けた。

「貴様の言うオウカだが、死んだよ。“俺”が殺した」

 突然の告白に、サギリばかりでなくアズも怪訝な視線を向ける。

「何を、てめぇ、何を、言って……!?」

 かすれる声で問いかけて、サギリは直後目を見開く。

 オウカの瞳の色。

 記憶にあるその男はこんな瞳をしていなかった。

「てめぇ、誰だ?」

 目の前の老人は、徐々に理解の色が広がる無力な女を楽しそうに見下ろす。

「俺が誰か。クックック……」

「……トウカ、か」

 確信を持てないながら、恐る恐る呟いた名前に目の前の老人は嬉しそうに目を見開いた。

「ほぅ、思い出したか?」

 言葉から滴るような憎悪が、サギリの肌を刺す。

「死んだ、はずだ」

「それは貴様も同じこと」

 今まで作っていた温和な老翁の顔など、今はかけらも残っていない。

「貴様らの血に、呪われた我が臓腑」

 だが、記憶の中のトウカではいまだ三十台の半ばのはずだった。

「この姿が不思議か? 老いたこの姿が!」

 白髪の老爺。サギリの記憶にあるのは、若々しいトウカの姿だけだった。

「答えは貴様ら魔女の血にある。皺枯れた忌まわしきこの身になってしまった理由もな」

 彼女が最後にこの男を見時、この男はまだ二十台だったはずだ。このような姿になるには早すぎる。

「まだ、時間もあることだしひとつ昔話をしてやろう。貴様は自身の血に特別な力があるのを知っているな?」

 サギリの答えも聞かずオウカは続きを話す。

「最初に気づいたのは、ヘェルキオスだ。奴は、我が父オウカ、アトリウス、侍医のカンサスと結託して、兇王を追い落とした」

 裏切りの王弟と共謀者。

「王亡き後、その美しき妻をその手にかけたとき、剣についた血を啜ったのだ」

 まるで悪魔の所業だな、と低く哂うトウカ。

「湧き上がる力にヘェルキオス自身が戸惑い、そのうちにその力は霧散したらしい」

 愉悦に身を任せ、トウカは喋り続ける。

「そこで目を付けたのがお前ら姉妹だ。だがヘェルキオスは臆病で、自身二度とその血を飲もうとは考えなかった。そこで白羽の矢が立ったのが、俺……クックック」

 サギリ息をするのも忘れて、その話に耳を傾ける。

「オレを生贄に差し出したのは我が父だ。裏切られる恐れもなく、力を得ても問題ないとな。結果がこれだ」

 自身の顔を撫で、皺を確認するように指を沿わせる。

「オレは父の愛と若さを同時に失った。役に立たぬと切り捨てられたよ」

 歪に哂うトウカが項垂れるアタシを覗き込む。

「イシキアには、そこで気づかれた。仕方なく仲間に加えたがね。末の娘、そう無関心を装うな。貴様の母が死んでからのわずかばかりの平穏はどうやって購われたと思っているのだ?」

 獣のような唸り声が、サギリの口から出ていた。

「切り刻まれる貴様の姉の声を聞いたことがあるか? あれは化け物ながら中々そそるものだったぞ!」

 奥歯をかみ締めた歯軋りの音が、脳髄を焼く。

「挑発には乗らぬか。まぁよい、続きだ、我ら同志は一つの結論に達したのだ。人にはこの力は宿せぬ、とな。そこで、我が父たちは人が人になる前ならば、どうかと考えた。つまり胎児だ」

 トウカの話を聞きながら隙をうかがう。

 出血のひど過ぎる体。満足に動かない腕、全身に走る痛みは、気を抜けばすぐにでも意識を奪い去ってしまいそうだった。

「今の王と、その騎士などもそうだが実験は成功しつつあるようだな。全く喜劇というしかない。ヘェルキオスなどはせっかく手に入れたその駒に殺されたのだから」

「いつから、だ。いつから、なりすましていやがった!?」

「いつから? クックック……ずっとだよ」

 一人の人間の感情がその場を押し潰すほどに重い。

 トウカはサギリを睨み付ける。

「貴様が追っていたオウカだがな、最後に面白いことを教えてくれた。今の(オウカ)の孫がいるだろう?」

 懐から取り出した紫紺の宝石を額に突き当てられる。

「あれはな……俺の息子ではない。“弟”だ」

 目を見開くサギリに、トウカは笑いかけた。

「アレが、わが妻の腹の中にいると知ったとき、俺はオウカと成り代わった」

 哄笑の声は狂気の色を帯びる。

「妻はアレが生まれると同時に殺してやったがね。最後の言葉は“愛している”だとさ。クックック……カッハッハッハ!」

 いまだやみの支配する天を見上げ、トウカはおかしくて仕方ないという風に嗤う。

「わかるかこの意味が! 実験に失敗し塵芥のごとくに扱われた俺がどのような思いで、生きてきたか。愛するものを全て奪われたこの屈辱が! オウカを殺しても尚消えぬ、この憎悪が! 貴様にわかるというのか! クックック、カッハッハッハ!」

 紫紺の光は徐々に大きくなり、夜の闇を染め上げる。

「ああ、あああああ!?」

 サギリの全身を焼くような痛みが走り、急速に額に当てられた紫紺の宝石に吸い寄せられていく。

(カル)も、騎士(シュセ)も、全ての元凶である貴様らを駆逐し、約束されたはずの未来(ロアヌキア)を取り戻す! 当然だろう!? 失ったものを思えば、せめてそれぐらいはなくてはなァ!」

 狂笑の声が響く。

 憎悪の獣となったトウカの叫びが紫紺の光の照らす闇を震わせた。





「あの建物か……」

 千切れた雲が、月が青白く闇夜を照らす。

 風は死に、虫の声も聞こえない。その中を、ジンはベイシュと共に廃墟の前に佇んでいた。

 嫌な予感がする。胸の奥に虫が這い回るような不快感。

 崩れかけた屋敷に近づくにつれて、強くなるソレを振り払うように一度腰の小太刀に手を当てた。

「ここでいいんだな?」

 痛む頭を無視してジンがベイシュのほうを見る。

「信用しないならそれでもいい。で、他に当ては?」

 ジンの胸の奥で、悲鳴を上げるものがいる。魂が引き裂かれるようなおぞましい悲鳴。人の動く気配を感じて、ジンは一気に駆け出した。背中で呼び止めるベイシュの声が遠くなる。

 ──いる。

 敷地を守る門の場所に二人。驚く気配を感じたが何もせず通り抜ける。

 更にその奥、屋敷の玄関に、もう二人。今度は有無を言わせず切り掛かって来た。ソレをすり抜けて、更に奥へ。

 ──どこだ、どこにいる!?

 背中に響く怒声を無視する。

 玄関を抜けると、長い通用路があった。一息で駆け抜けたその奥。壁の崩れたホールに入った途端、ジンの視界を紫紺の光が覆う。咄嗟に腕を前に出し、視界を絞る。

 光が引いていく同時に、ジンはその光景を見た。

 鎖で腕を後ろに組まされ、横たわる女とそれを囲む何人かの人影。

 胸の奥から聞こえてきたのは、歓喜か絶望か。

「サギリィィ!」

 サギリを囲んでいた人影が一斉にジンに振り向く。その人影めがけて、ジンは全力で駆け出していた。腰の小太刀を一気に引き抜く。声にならない怒りが渦を巻いている。

 全力で駆け寄るが、それでもまだ遅いくらいだ。

 速く、もっと速く!

 一人はサギリからさっと離れて行き、残った何人かはジンに向かってくる。

「邪魔を、するな!」

 真上に放り投げられた鎖が、生き物のように曲がりくねって襲い掛かってくる。必要最小限の動きでそれを潜れば、待ち構えているのは二股の短剣を構えた男。

 ──鬱陶しい。

 ジンはその男を相手にせず、頭上へ飛んだ。

 ──より高く遠くへ……サギリのそばへ!

 胃が持ち上がるような浮遊感を経て、降り立ったのは傷つき倒れたサギリの傍らだった。足の裏から走る衝撃を、膝から逃がすようにして着地する。

「サギリッ……、おい!」

「何をしている! あの娘を奪い返せ!」

 怒声に呼応して、周囲の敵はジンを包囲する。

 小太刀を構え周囲の敵を牽制しながら、サギリの様子を伺う。目を閉じ、何の反応も返さないサギリにジンの中の不安が色濃くなる。グラリと、意識の片隅に妹とサギリの姿が重なる。

 ──殺してやる、殺してやる。皆殺しだ、皆殺しだ、皆殺しだ。

 意識が、裏返る。

「……憎い、憎い、憎い憎い憎い憎い」

 赤く、赤く染まる瞳。

 自分自身にだけ聞こえる程の声量で、口がその言葉を無意識に紡いでいた。身の内のどこに潜んでいたのかと思えるほどの、憎悪。片方の目に映る敵。もう片方の目には、真っ黒な月を背に十字架に張付けられた女が、血を流しながら哂ってやがる。

 誰だ、これは?

 右手を小太刀に、左手で頭を抱える。

 サギリを、助けなければという意思と、目の前の全てを殺し尽くすと言う意思が鬩ぎ合いを始める。

 視界に映るのは真っ赤な女の口。自分の意思と関係なく視線が固定されてしまう。

「憎い、憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い……」

 その女が発する言葉が、ジンの口から洩れていく。知らない女だ。なのに、ジンはそれを良く知っている気がした。忘れ去ってきた懐かしい記憶の彼方、遥か昔に犯された──。

 黒い月を見ていた眼の景色が鮮明に、逆に敵を見ていた風景が霞む。

 ふと、倒れているサギリが視界に入った。

 ──助ける、今度こそ、お前を。

 その意識は刃に似る。綱が切れてしまうように、その憎悪と景色は繋がりを切ってしまった。

 敵がにじり寄るのと、ジンの両手が小太刀を引き抜くのは同時だった。

 対峙するジンと敵の緊張を破ったのは、通用路から吹き飛ばされた人影。悲鳴を上げて地面を転がるその人影に、その場の全員が気を取られる。

「おい、兄ちゃんこっちは片付いたぞ。館の周りも包囲したしなァ」

 緊張感の欠片もなく、頭をガリガリと掻いてやってきたのはベイシュ。

「まだいやがったのか……」

 そう言ったきり、ベイシュの視線はサギリの上で止まる。

「……おい、兄ちゃん。そりゃ一体何の冗談だ?」

 そう言葉を発したベイシュの纏う雰囲気の変化に、その場の空気が凍りつく。

 視線で人を射殺せるほどに、その視線は鋭く俺を射抜く。

「わかんねえよ」

「わかんねえだあ? わかんねえじゃねえだろうが!」

 離れていても感じる圧倒的な威圧。

「俺は医者じゃねえんだ! わかるわけねえだろうが!」

 その威圧を吹き飛ばすように、声を荒げた。

「医者? じゃあなんでさっさと……ん、ああ、そうか。おいガキども見逃してやるからさっさと失せろ」

 視線をジンから逸らし、ジンを包囲していた敵に順番に向ける。

 びくりと、戒めが解かれたように固まっていた敵は顔を見合わせる。

「わかんねえのか? 失せろと俺は言ったぞ」

 ベイシュのごつい手が、腰に吊るした大刀に伸びる。

 徐々に後退を始める者と、反対に一歩前へ出る一人。その対応に、驚愕を露にしていたのは他ならぬ、後退をした者達だった。

「退くのか、退かねえのか! どっちなんだ」

 またじりっと二人は下がり、二股に分かれた短剣を持った男は一歩ベイシュの方へ進む。

「そうか、死にてえらしいな」

 砂を踏む音がベイシュの足元から聞こえた。ベイシュが前へ出た。

「アズ!」

 後退する二人から、前へ出る一人へ声がかかった。

 笑っていた。

 アズと呼ばれた北方の戦士が。

 狂気に満たされた笑みを浮かべ、アズはもう一歩前へ出る。

「アズ!」

 仲間の呼ぶ声を無視して、ベイシュの方へ近づく。と、その体へ一瞬にして鎖が何重にも巻きつく。

「退くぞ」

 鎖を持っていない背丈が少し小さい人影が、二人に呼びかけ抵抗するアズを引きずって月の光りの届かない闇の中へ消えていく。気配が消えたのを確認すると、ジンはサギリを抱き上げる。腕に滴る生暖かい血が、どうしようもなく彼の心を掻き乱した。




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