復讐するは我にあり4
細い雨は空から降り注ぐ針のように、地面に落ちてくる。
大地を打ち付けるその雨粒はまるで罪人を打ち据える天の裁きのようだった。
「ひでぇ、雨だ」
ぼんやりと窓辺に腰掛けて外を眺めるサギリに、ターディやジンは不信の視線を向ける。ジンなどは先日からシュセに連れまわされて、孤児院にいき子供の相手をさせらてご機嫌斜めだった。
「へぇ……」
どうにもやりにくいと、視線でジンに告げるターデイ。彼の視線を受けてジンは憮然としたままサギリに声をかけた。
「買い集めさせた奴隷はどうするんだ?」
サギリに言いつけられた通り、ターディ達は役に立ちそうな奴隷を買い集めてきていた。その数三十余人。今はクルドバーツの所有する隠れ家のひとつにまとめておいてあるが、いつまでもそのままというわけにもいかない。
数日前からずっとこんな調子のサギリに、ターディ達は戸惑いを隠せず、ジンは苛立ちを隠そうともしない。
「奴隷どもは、ルカに任せてやんな」
「全員ですかい?」
「ああ……」
視線を向けようともしないサギリに、それでもターディはすんなりと頭を下げる。
「承知しやした」
早足に部屋を出るターディを確認すると、ジンは珍しくため息をついた。
「……何かあったのか?」
「別に……なぁジン」
やはりサギリの視線は、降り注ぐ雨粒に注がれたまま。
「アンタ、もしアタシと出会わなかったらどうしてた?」
「昔同じようなことを聞かれた。俺の答えは今でも変わってない」
まっすぐなその言葉に、サギリは。
「そうか」
と答えただけで、それ以上は問いかけてはこなかった。
「──少し出てくる」
小降りになった雨に、ジンの横をすり抜けて部屋を出る。
まるで細い針が無数に降り注ぐような、雨を見つめながらサギリは郊外の廃墟に蹲っていた。体が冷えるのを避けるために、適当に雨が防げる場所を探して入り込み、そのまま目を瞑って耳を澄ました。
あの情報屋から買った情報。
十中八九罠であろうことを確信しながら、彼女は引く気になれなかった。
罠だとしたら、あの情報屋を締め上げればオウカに繋がる糸が見つかるかもしれない。罠でないのなら、ここで決着をつけられる。
ジンに遅くなるって伝えておけば良かったかな。そんなことをぼんやりと考えながら時間が経つのに任せていると、雨を弾く足音と数人の話し声が聞こえてきた。屋敷自体はかなり広い方だろう。サギリが潜んだ二階部分から、ホールが見渡せるが端から端まではかなりある。
現れたのは四人。全員が黒い外套を着ており表情は見えない。手には皮の袋に詰められた何か、が握られている。あれが取引の品物なのだろう。背の高いのが三人に低いのが一人。
他の護衛を探すが、サギリのいる位置からではわからない。
手持ちの武器は、短剣が4本と投擲剣が16本だけ。
「どれが、てめェだ」
今すぐに走り出したい衝動と、敵を見極めようとする理性が、歯軋りとなって彼女の内側を焼く。肌の下を這い回る憎悪の炎が、恐怖すらともなって全身を駆け巡る。
気づけば、サギリの心臓は早鐘を打ち左手は知らずに震えが走っている。
吐き出す息は白く、初めて人を殺した時よりも、強張った筋肉は失敗を予感させた。
口元を無理やり弦月に歪ませて、サギリは笑う。
「アタシは怯えている」
隣にいつもいるはずの誰かが居ないのが、不安でたまらない!
あの憎きオウカを討ちもらすのではないかと、心細さと不安が頭をもたげてくる。
「だが──」
「だが、それでも!」
腰に結いつけた短剣を、音を立てないように引き抜くと震える左手を薄く切り裂く。流れ出る血を舐めて、気持ちを昂ぶらせる。
臓腑の奥底から這い上がってくるこの憎悪が、涙を流すほどの狂喜を引き連れて、不安と恐怖を押し潰す。
サギリは震えの止まらない左手に噛み付いていた。
「フゥー……フゥー……」
噛み付いた左手から血が零れる。それでやっと腕の震えは収まった。
視線を転じれば、ホールの四人のうち二人が袋を交換しあっているところだった。
袋が受け渡されるその瞬間を狙って、サギリは身を潜めていた二階から飛び降りる。
空中で指の間に挟んだ投擲剣が三つの軌跡を描き飛翔する。
動きは最少にして、気は内に潜ませる。極限まで無駄を省いたその動きは芸術的でさえあった。
「なんだ!?」
誰かの驚愕の声と同時にサギリは地面に降り立つ。
足が地面の感触を伝えると同時に、背の低い一人に向かって地面すれすれを、翔る。背の低い外套の男とその連れの中間を通り抜けざまに、一閃。
確かな手ごたえを感じ、次の獲物に狙いを定める。立っているのは二人の背の高い男。一人に投擲剣を投げつけ、もう一人の懐へ入ると同時に一短剣の一閃。これにも確かな手ごたえを感じ、振り向くと投擲剣を投げつけておいた方も倒れている。
周囲に満ちるのは苦悶の声。どうやら全員男のようだ。血溜りが見る見るうちに広がり、雨と溶け合い流れていく。
「違うか……」
四人全員の顔を確認したあとに、口から言葉が漏れ出す。
やはり罠だったのか、そう考えた瞬間、砂を踏む音と、不快な鉄が擦れ合う音が耳を捉えた。
サギリは反射的に身をかがめそれをやり過ごす。軽い衝撃とともに、雨を避けるための外套が鎖に捉えられ、剥ぎ取られた。バラける長い髪の隙間から、毒と皮肉の篭った声が鼓膜を打つ。
「いや、見事だ」
廃墟となった邸宅の入り口、その暗闇からその声は聞こえた。
「その不吉な髪の色、顔立ち……昔を思い出す」
擦れ合う不快な鉄の音はサギリの後ろから尚も聴こえる。
「姉に生き写しだ。魔女というのは皆、お前のような姿形になるのかね? 末の娘よ」
闇にしっとりと馴染んだ暗い声音。
隠し切れない歓喜が、その声からにじみでる。
「久しぶりじゃないか。オウカ」
入り口に立つ小柄な影が、低く哂った。
「母と姉をむざむざ殺された小娘が、ワシを呼び捨てにするか」
憎しみが、サギリの口元を笑みに模らせる。
──やっとここまできた。
その思いが、彼女につかの間、過去の温もりを思い出させ、同時に引き裂かれた冷たさを呼び起こした。
「おぞましき呪われた血統よ。今夜ここで絶えてもらおう」
言葉が終わると同時に、サギリの背後に控えていた気配が再び鎖を振るう。降り注ぐ雨を蹴散らし、鎖は闇に踊る。と、同時にオウカの周囲にはバラバラと人影が立ち並ぶ。
──罠だ。
だがそれすらも、恐怖に値しない。
「オウカァアァァ!」
激情が空気を震わせる。
腹の底から湧き上がる、この怒りがあらゆる感情を灰にする。
溢れる力が背を駆け抜け腕に宿り、不可視の力場を作り上げる。腕に溜まったそれを左手の平を介して走る鎖に当て、弾き飛ばす。
右手に溜まった力は、短剣を通じて不可視の刀となす。あらゆる物を切り裂き、決して切れ味の鈍らない魔女の名刀。
不可視の名刀を握る右手に力を篭める。
――狙うはオウカの首!
姿勢を可能な限り低く抑え獣の如く、足の指先に力を集め、自身を引き絞られた矢に見立て解き放つ。
加速する暗い景色の中で、オウカへ至る一点だけが流れずにはっきりとした輪郭を伴っていた。雨除けの外套に隠され一気に広がるその顔を、彼女の刃が貫こうとした瞬間、腕の先に走る衝撃と共に視界がぶれた。
「アズ! しっかりせぬか」
焦ったような早口のオウカの言葉。転じる視界の先には、無表情に佇む男がいた。雨に濡れるのも構わず滴る水滴が長くもない髪を伝って落ちる。その奥から周囲の闇よりも一層暗い瞳が、敵対者を見据える。
足を踏ん張って勢いを殺し、さっき鎖を弾いた左手の鉤爪を男に見舞う。狙いは過たず、アズと呼ばれた男は吹き飛びサギリの視界から消えた。
「アハト!」
オウカの声が上がるとほぼ同時に、オウカの背後から飛来する飛礫。それを、アズを薙ぎ払った鉤爪の返す刀で弾き返す。
首筋に走るゾッとする気配を感じ身を屈める。直後、頭上を駆け抜ける風圧を伴った鎖。
──バシャリ!
オウカの背後から大きな黒い物が飛び上がった。それが人だと判断出来たのは、それが飛びながら曲がる飛礫を放ったからだった。 曲線を描き飛来する飛礫を同時に六つ叩き落とした所で、アハトがサギリの頭上を越えた。
そうなることで出来た空間の隙間、オウカへ至る最短の道筋を全力で翔た。
飛礫を受け流し体勢が崩れたまま、飛翔したので牙と鉤爪を引き摺るように体が前へ出る。着地したアハトの位置を音で見当を付け、サギリとオウカの位置を確認する。
背後からの投擲は無い。少なくともアハトが着地した位置からではサギリとオウカが直線で重なる。
場所を変えるまでにはオウカを仕留める。彼女にはその一瞬で充分だ。
サギリは心の中で喝采を上げた。遮るものは何もない。
後一撃、牙でオウカの喉笛を噛み切れば終わる。期待と安堵に身を委ねようとしたサギリを衝撃が襲う。
薄く笑うのはさっき吹き飛ばしたはずのアズ。構わず、振るった牙にアズが二叉のダガーを合わせるのが見えた。
暗夜に、火花が咲いて散った。
「てめぇ!」
怒りに任せて左の鉤爪を叩きつけようと腕を持ち上げた瞬間、左の脇腹に思い切り殴られたかのような衝撃が走り、骨が嫌な音を立てた。
──鎖!?
サギリの空白に、目の前の敵は、一片の迷いも無く得物を振り下ろす。
彼女は飛び退いた。反撃する余裕も無く、目の前の一撃をかわすため、反射的に行ったその後退に、飛礫が襲い来る。逃げ場の無い空中、がむしゃらに振るった鉤爪の隙間をすり抜けて、左の太腿と右の脇腹を切り裂かれた。
「くっ……」
思わず苦悶の声が漏れる。
「血をあまり流させるなよ。奴にはまだ用件がある。他はどうなっても構わんが」
サギリの口元が、赤く下弦の月を思わせる。
「可笑しいか、末の娘」
「あぁ、アンタさっきアタシを殺すって言わなかったかい?」
傷口から流れ出した血が、体力と熱を容赦なく奪う。だが、サギリの念頭には残りの体力の計算などはなからしていない。
「用があるのは、貴様の血のみだ。貴様自身が生きようと死のうと、わしには興味ないでな」
「だから、貴族ってのはバカなンだ。一定量の血を抜いたら人間は死ぬンだよ。等しくな!」
「あぁ、人間ならばな……」
その侮蔑を含んだ言葉に、過去の罪業が記憶の瘡蓋を引き裂いて血を流す。
「わしは貴様等を人間としては認めぬ。貴様等は化け物だ!」
オウカの声を合図に再び、アハトが飛礫を放つ。憎悪一色に塗り替えられそうな頭で、彼女は飛礫を避けつつ、アズへ向かった。
無数の火花を散らしながら、サギリは目の前の敵を乗り越えることが出来なかった。一つ牙を振るう度、苛立ちが募る。一度、鉤爪を避けられる度に、焦りは一歩近づいてくる。
血を流す体は徐々に力と集中力を失い、呼吸は次第に困難になる。それでも彼女にとって救いなのは、サギリとアズのが打ち合っている間は、飛礫も鎖も襲って来ないことだ。
優勢に打ち合っていたものが互角に、そしてすぐそれが劣勢に変わる。一瞬が何十倍にも引き延ばされたような苦しみの中、サギリの気力を支え続けたのは、怒りと憎しみだった。
あと少し、あと少しで長年憎み続けた敵に手が届く。力を蓄え、腕を磨いた。人の殺し方も覚えた。幼い少女だった彼女の、父を、母を、姉を、幸せを奪い取ったにくい仇まで、あと少しで届く。
泥を舐め、這いつくばったのも一度や二度ではない。命を危険に晒してきたのも、数え切れない。折れた肋骨も、血を流す太腿も脇腹も今まで味わって来たものに比べれば、大したことは無い。
「茶番もここまで」
打ち合うサギリとアズを眺めていたオウカは、後方に向かって声をかける。
ぞろぞろと闇の中から湧き出る護衛の兵に暗殺者。金に糸目をつけず、招きよせた異国の武人。
その数を視界に納め、三度彼女は鉤爪でアズを吹き飛ばした。
「上等だァ、上等だよ……皆殺しにしてやる」
深淵にすむという鬼のが、彼女に憑いたかのようにその笑みは壮絶極まりないものだった。
「どこいったんだ」
ロクサーヌの町並みを眺めながら、ジンは不満に鼻を鳴らしていた。
ちょっとでてくると、言ったまま一向に戻る気配のないサギリ。
夕闇が迫る時刻にはまだ時間があるが、今日はやけに胸が騒いだ。
「出るか」
クルドバーツの店を出て街を歩く。混雑する町並みを避けて、裏路地を歩く。
表の熱気を避けるように、寂寥の支配する裏路地。
時間がたてばたつほどに、胸の騒ぎは大きくなる。
イライラとしたまま何度目かの裏路地を抜け出すと、そこは一転開けた区画に出た。
表の熱気には及ばないまでも、市場の熱気はガドリアの比ではない。さまざまな人種と様々な品物が流れ着く裏の市場。
奴隷、邪教の徒、賊徒の類。盗品を扱う商店や、発掘品を並べる露天、新鮮な果物は相応の値段で売られ、怪しげな薬は所狭しと並べられる。
「くそっ」
引き返すのも癪に障ったジンはそのままその市場を通り過ぎようとし、一人の男と肩をぶつける。
「おい!」
声をかけたのは、ぶつかった大男の取り巻きだった。
不機嫌なままに鋭い視線を向けたジンに、一瞬ひるんだものの、取り巻きはジンの肩に手をかけて怒鳴る。
「てめえ、誰にぶつかったと思ってやがる!」
ジンが見上げるその男は。
「ん? どっかで見た顔だなぁ兄ちゃん」
前に一度であった異様な巨躯の男。
「ベイシュさんに、詫びのひとつも言えねえのか」
ジンの耳にはほとんど入らない怒声と、ルクをさらった時の記憶が鮮明によみがえる。
「確か……」
「ああ。昔、俺の獲物をさらってくれたな」
口元に狂気の笑みを浮かべる。目に宿るのは殺気の焔。
胸の奥の苛立ちとあいまって、当り散らす相手を見つけた凶暴な感情が出口を求めていた。
「おお、あのときの」
ベイシュも同様に獰猛な笑みを浮かべる。
一瞬にして二人の間には、空気すら死に絶える緊張感がみなぎる。
「あの、お知り合いですか? ベイシュの旦那」
取り巻きの声に、ベイシュが視線をジンから離さずに口元だけで笑う。
「まぁちょっとな」
ジンの目はベイシュの隙を伺い、ベイシュの視線は猛獣すら威圧するほど力がある。
二人の間にただならぬ空気に、ようやく気づいた取り巻きが唾を飲み込んで一歩下がる。
「ちょっと、何やっているの!」
今にも殺し合いを始めそうになっていた二人を止めたのは、女の怒声。
二人の視線の先には、波立つ銀の髪を一つに束ねた女が走りよってくる姿。
「ロメリアか」
舌打ちして去ろうとするジンに、ベイシュが声をかける。
「待ちな……兄ちゃん。面白い話があるんだが、のらねえか?」
背を向けるジンが無視して足を踏みだそうとして。
「双頭の蛇、聞いたことあるだろう?」
聞き捨てならない言葉に、足を止めた。
「なに?」
振り返ったジンに、不敵なベイシュの笑みと駆け寄ったロメリアの怒声が聞こえた。
「死ねェ!」
魔女の哄笑は血しぶきを伴って群がる一騎当千の実力者たちを血の海に沈めていく。無駄な動きを最小限に収め、相手に触れさえせずに人を斬るその姿は、舞踏を舞う巫女にも見えた。ただし彼女の周囲では彼女が腕を一度振るうたび、断末魔の悲鳴があがる。血が夜の闇を染め上げる。
極限にまで研ぎ澄まされた彼女の感覚が、降りかかる剣の雨を、打ち寄せる槍の一撃を、背を襲う暗器の刃を、その身に触れさせることを許さなかった。
積み上げた屍の数は、ゆうに20を超え。
そしてその数はさらに増える。
鮮血に濡れて輝くサギリの妖しい魅力が、襲い来るオウカの護衛をさらに減らしていく。
「手間取らせおる」
だが、その魔女に狙われているはずのオウカは自身の優位性をまったく疑っていなかった。
「鎖を使え。いつまで手間取るか」
夜半も既に過ぎている。
狂気に呑まれそうになっていたオウカの護衛たちは主の声で目を覚ます。
闇の中から放たれる鎖が縦横に走る。
サギリの小さな身体を外側から囲い込むように走ったその鎖が、徐々にその範囲を狭め彼女を捕らえようとその手を伸ばす。
闇に擦れ合う鉄の不快な音が響く。並みの者ならその先の未来を想像して恐怖を伴って聞く音に、サギリは瞬時の躊躇いすら見せず迫り来る異国の武人と対峙する。
振り下ろされた斧に似た武器を交わし、懐に入り込む。途端に繰り出される膝蹴りを。
「ぐぁ――」
左手で押し潰す。
下半身の崩れた男に、右手を振るってトドメを刺す。
すかさず左右から襲い来る敵にサギリは舌打ちした。砂糖に群がる働き蟻のようだった。その想像に吐き気がする。
鉄をこすり合わせる不快な音が、サギリの耳に届いたのは直後だった。
四方から迫りくる鎖の鞭。
受けきれないと判断して空中に身を躍らせるが、そこにすら頭上と四方から鎖が迫る。
「こんのっ!」
左手の爪をもって迎え撃つが、頭上と後ろから迫る鎖には爪すらも届かない。彼女の小柄な体躯を打ち据える重い一撃は巫女の舞踊のための体力を確実に奪い去る。
背と左肩を襲った一撃は、彼女を中空から地上へ叩き落した。
「オウカァ!」
怨念の炎を瞳に揺らし、痛みを憎悪に転化する。
地上に降り立つと同時彼女はまたしても駆ける。その小さな体のどこにそんな力があるのかと疑うほどの跳躍力とその持続力。
吐き出す息は焔よりも熱く、彼女の内側を焼く。
立ちふさがるオウカの暗殺団。
彼女の突進を防ごうと、長剣を盾にして牙を受け止める。如何に不可視の刃といども、腕の振りから察すればどこを狙っているのか程度は、熟達者になれば容易にわかる。
不可視の刃と長剣が火花を立て、彼女と暗殺者の体がすれ違う。
そのわずか一瞬、彼女を止めようとした暗殺者の体は彼女の爪によって宙に舞い上がる。横から入れられる槍の一撃を、服を掠めさせるだけにとどめて、相手の顔面に肘打ち。さらに足元を浚う鎖の動きに、彼女の体は再び宙を駆ける。
振るわれる刃と刃の合間を縫うように、彼女は血路を切り開く。
だがそれにも限界がある。
憎悪に身を焼き、沸騰する頭でもサギリは自身の限界が近いことを悟っていた。
後退の二文字が脳裏にちらつく。取り囲まれている状況の中で、わずかな隙間から周囲を確認する。迷いとなってしまう前に、彼女は引こうとし。
「そういえば、忘れていたが」
オウカの言葉に足を止めた。
「貴様の姉は、実に健気なものだった。自身の命よりも、貴様を救えと煩くてな」
心底おかしいのだろう、オウカの言葉に嘲笑の色がある。
「あれは、人外のものなれど……いや、だからこそか? なかなかにそそる声をだしおったぞ」
「オウカアアァアァァ!」
サギリの思考が一瞬にしてはじけ飛ぶ。身の内に流れる力が、彼女の感情に火をつけ、あっという間に燃え上がる。
「クカカッカッカ! あの娘はな、死ぬ直前までわしに嬲られていたのだ。そうして、わしに嬲られながら、この手で殺してやった!」
「てめえが、仇かァァ!」
我武者羅にオウカに向かって迫るサギリ、振るわれる横なぎの槍の下をくぐり、投げられる飛礫に肌を裂かれながらも、立ちふさがる者共を叩き伏せる。
彼女の目に映るのは、姉を殺した男のみ。
その彼女の前に、アズの姿。
「どけェ!」
左腕の爪でなぎ払おうとし、その腕に絡まる鉄鎖の重みに、目を見開く。
「っち──」
一瞬気をとられた直後、彼女の体に幾本もの戒めの鎖が巻きつく。四肢を固定され、それを引きずるようにして彼女は前に出る。
あと少し。
「オウカァァ!」
「面白い手品だったぞ、小娘」
怨嗟の声と、アズの一撃がサギリに降り注ぐのは同時だった。
ベイシュの宿には、彼の声かけで数十人の男達が集まっていた。いずれも腕の立つものたち、その中心に、ベイシュとロメリアそしてジンの姿があった。
「いいか。まず二組に別れて西区の川縁を探す。見つけたら無理せず、知らせを走らせろ」
「わかっています」
ロクサーヌの詳細な地図を覗き込み、武装したロメリアは答える。腰に差すのは銀羽の細工も見事な細剣。急所だけを守る軽装が往年の伝説を髣髴とさせる。
「あの子のためですもの」
深緑の瞳に宿すのは、幾百の戦場を駆け抜けてきた鋼の意志。
「では、先に行きます」
「おう、気をつけてな」
ロメリアを見送るベイシュに不安の色はない。少なくとも周囲にはそう見える。
「さて、俺たちは北区の今は使われていない貴族邸だ。俺の勘じゃここがくせえ。ぬかるなよ」
それだけで周囲の男達は決意の頷きを返す。
「兄ちゃんは、俺についてきな」
「ああ」
軽く頷いてジンはベイシュの背を視線で追う。
──双頭の蛇の女頭首が、オウカ・ジェルノと一戦やらかすらしい。そこで俺たちは、その健気なお嬢さんに加勢しようってのさ。
先ほどベイシュから聞いた言葉を、その背を見ながら思い出していた。
サギリがオウカ・ジェルノの首を狙っていると聞いていたジンにそれほど驚きはない。問題は、なぜこいつらが、その情報を仕入れられたのか。そして本当にサギリに加勢するのか、ということだ。
例の胸騒ぎはいまだに大きくなっている。
不快な胸の騒ぎを意識の外に追いやり、柄にもないと思いながらジンはサギリを加勢するという一派に加わっていた。