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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦528年 覇を統べる王5章
92/103

西域の主20



 小勢をもって砦に向かったボーランデ以下の騎馬隊は、敵の全軍をその後方に引き連れながらギリングの平原へ向かっていた。

「これほど簡単に誘いに乗ってくれるとは予想外ではあったが……」

 後方との距離を確認して、ボーランデは馬上で呟く。

「考えたとて仕方あるまい」

 余計なことを振り払って馬に鞭を入れる。

 もはや決戦以外に道はないのだから。

 ギリングの平原に布陣してから、3日。トゥメルの率いる西域軍は、ボーランデを長として敵の挑発に当たっていた。砦の周囲に火を放ち砦自体には火矢を放つ。

 すぐに消し止められはするものの、その度に鳴らされる警鐘の音に、精神的な負担は増えていく。

 それでは、とロクサーヌの側から騎馬隊を出して妨害を止めさせようとすれば、敵はあっさりと引いていくのだ。そして彼らが寝静まった時刻になると再びやってくる。

 三日間それを続けたところで、ボーランデは敵を砦からつり出すことに成功していた。

 トゥメル率いる西域軍の待つ、ギリングの平原までこのまま着かず離れず敵を誘導するのが彼の役目となる。

 一方のロクサーヌ側にも討ってでねばならない相応の理由があった。

 純軍事的に見れば、砦に篭りつつ相手が弱った所で全軍を出撃させれば、苦もなくベルガディを始めとする西域はロクサーヌ側の手中に落ちるであろう。しかし政治の絡まない軍事行動がありえないように、ロクサーヌ軍を縛るのはその後方の事情だった。

 外交の問題でいえば、王都にいるカルの地盤を一刻も早く固めなければならないという事情がある。大河ルプレを挟んで向こう側には、未だ虎視眈々とロアヌキアを狙う都市国家ポーレの影があり。東都ガドリアを支配するサギリを味方につけたとはいえ、南都ジェノヴァは未だカルの治世に諸手を挙げて賛成しているわけではない。内部においてはオウカとカルの暗闘が続いている状態だった。

 またロクサーヌ軍を率いるシュセの心情としても、早期に故郷を取り戻したいと願うのは当然といえた。

 双方の思惑が合致した結果、ボーランデはギリングの平原にロクサーヌの軍勢をおびき出すことに成功し、ロクサーヌ軍としては一挙に西域の平定を果たすための会戦をする機会を得た。

 西域の主を決める戦いは、初夏の熱気がまだ目を覚まさない早朝にはじまることになった。



 ◆



「平原に到着次第、斜列陣を取る。先頭は長槍隊、順に長剣隊、騎馬隊、後方に弓隊を配置!」

 馬上にあって指示を出すシュセは、進軍速度を僅かに落としながら指示を各部署に伝える。走り去る伝令を見送ると、朝もやのけぶるギリングの平原が、目の前に迫っていた。

 彼女は新しく加盟した雑兵と呼ばれていた農民兵を戦闘に加えることはしなかった。砦の守備を命じるとロクサーヌから引き連れてきた2000の全軍を持って砦を後にする。確かに数量の優位は魅力的ではあったが、部隊同士の連携を重視した。

 訓練もまともに受けていない農民兵と、もっぱら訓練を受けているロクサーヌ側の兵士ではやはりその錬度にかなりの差が出来てしまう。その差を突かれてしまうのを、彼女は危惧したのだ。

「長槍隊前へ!」

「前へ!」

 彼女の命令をつたえる伝令が、隊長から班長へ、更にはその下にいる末端の兵士にまで水を流したように伝わっていく。

「ぬかるんじゃねえぞ!」

 髭に隠れた顔で、グリューエンは彼の部下達に笑いかけた。

「前の戦いじゃ長剣隊に良い所を取られっぱなしだからな! 気張れよ」

 応、と答える兵士達もその士気は高い。

「勝てる戦だぜぇ、手柄を立てなきゃ損だぞ!」

 グリューエンの言葉を聞くまでもなく、彼ら末端の兵士に至るまで、ロクサーヌ軍の士気は高い。難攻不落と思われたオシリスの砦を攻略し、シュセの手腕に絶対の信頼を置いているからだ。

「我らの女神に勝利を!」

 他の班から沸き起こる掛け声に、グリューエン隊も負けずに声を張り上げる。

「女神様に勝利を!」

 意気高く、長槍隊は先頭を切ってギリングの平原にいる西域軍へ向かって走り出した。





「敵が、長槍隊を前に出しました」

「うむ」

 待ち構えるトゥメルからでもその様子は確認できた。

 トゥメルには、シュセが仕掛けようとしていることが手に取るようにわかった。

「斜列陣か」

 呟いたトゥメルは、獲物を前にした獣のように猛々しく笑った。

 この時点で、トゥメルにはシュセのしようとしていることがほぼ正確につかめていた。斜列陣とは、敵の全軍をまず一部隊が引き受け、その一部隊が敵をひきつけている間に、残る軍を持って敵を包囲殲滅するのを意図する陣形だ。

「ボーランデは?」

「先ほど帰還なされ、今は騎馬兵の指揮を」

「よし」

 重々しくうなずいて、トゥメルは指示を下す。

「敵の正面を叩く。混成隊前へ」

 馬上に身を躍らせると、武骨な大槍を一振りする。風を唸らせる一振りは、彼の気迫が乗り移ったかのようだった。

「続いて貴族軍前へ。波状攻撃をかけるぞ」

 トゥメルは三段構えの陣を敷いていた。敵がどのような戦法を取ろうと、瞬時に対応できるようにだ。トゥメルが考えたのは、混成隊を一陣として敵にぶつける。当然数が互角なのだから、こちらが不利であるのは予想の範囲内だ。

 敵がここで包囲殲滅を企図するなら、包囲は簡単。詰将棋の要領で容易に勝利が転がり込む。

 だが、敵も馬鹿ではない。あの砦を落とした敵ならば、ここでは包囲をしてくることはないだろう。

 ゆえに第二陣として西域に所領をもつ貴族軍を投入する。これで数の問題は解決する。押されている戦線も一時ながらでも、持ち直すであろう。あるいは、敵の長槍隊を押し込むかもしれない。

 ここで敵が包囲の態勢を取るならば、一気にトゥメル子飼いの第三陣歩兵軍を投入して勝負を決める。包囲しようとした敵の外側から、歩兵軍を投入し、挟撃の態勢を取る。

 だが、もしここでも敵が包囲を取らぬのなら、トゥメルの歩兵軍を控えさせたまま、二つの陣を持って相手を押しに押せばよい。そのうち耐え切れなくなった敵は音を上げる。

 斜列陣の弱点とは、敵の全軍を引き受ける部隊が無事であってこそ半包囲が完成するのだ。その部隊が壊滅してしまっては、逆に各個撃破の的とされてしまう。

「お手並み拝見といこうか」

 敵を率いる将がどの程度の器量なのか、胸の奥に高揚感を覚えながらトゥメルは全軍に出撃を命じた。





 ロクサーヌ側の長槍隊と、西域軍の混成隊が衝突したのはギリングの平原のちょうど中間あたりだった。ぶつかった瞬間からロクサーヌの長槍隊はその精強さを発揮する。

 走ってギリングの平原まで来たというのに、彼らはすぐさま隊列を整えハリネズミもかくやというほどの密集隊形を作り上げる。大盾の合間から突き出される無数の長槍が、敵を貫くのを今か今かと、待ち構えているようだった。

 一方のトゥメル混成隊は、走ってきた速度をそのままに盾を前にして速度を殺さずハリネズミに衝突した。幾人かの串刺しが出来上がるが、後ろから押されてとまることができなかったのだ。だが盾を前にだしてうまいこと槍の隙間をくぐりぬけた者もいる。

 ハリネズミに取りついた何人かが、大盾をよじ登ろうとした途端に、わずかに開いた大盾の隙間から矢のような速度で繰り出された長槍で体を貫かれ、押し寄せる味方の列まで吹き飛ばされる。だが味方の屍を乗り越え、混成隊は前にでる。

 長槍の隙間をすり抜け、強固に守られた盾の隙間に、刃をねじ込もうとした混成隊の兵士がまたもや長槍で胴体を射抜かれる。ロクサーヌの長槍隊は敵の圧力に耐えながら、その圧力が弱まるのをじっと耐え忍んで待っていた。

「耐えよ!」

 バッセールが声を枯らして味方を鼓舞する。正方形に並んだ大盾と槍の隙間から、よじ登ってくる敵を突き殺しているのは、グリューエンら班長の役目だった。1個班で1個の正方形型の陣を作り、それを並べることによって一つの陣を構成する。

 遥か上空から見下ろせば、四角い箱がいくつも密集しているようなものだった。

 複数の隊を指揮するのは、シュセの信任厚いバッセール。小さくともがっちりとした体つきに、気迫をみなぎらせ、風雨に刻まれたような厳しい顔を紅潮させ力の限り槍を振るう。

「クレイモン隊は左に、ゼルエブ隊は右にそれぞれ密集隊形だ。敵を誘い込むぞ!」

 隣で控える副官に銅鑼の音によって、命令を伝えさせる。

「こっちは敵をひきつけながら後退する! あせるなよ!」

 敵からの圧力を受けながら、徐々に気づかれないように下がる。徐々に前に出る左右の隊と呼吸を合わせつつ、下がっていくのは精神と体力をことのほか消耗させる。熱狂のままに槍を振るい、突撃をしてしまえばどんなに楽だろうか。

 一瞬のあとには死が待っているとしても、刹那の恐怖さえやり過ごせばそれは非情に魅力的にすら思えた。だがそれを、強靭なる精神力でねじ伏せると腹の底から声を出して味方を鼓舞する。

「班同士の密集度をしっかり保て!」

 隙間なく並べた大盾の合間をあけないように、細かな指示を下しつつ、戦場を見渡す。

 徐々に凹型になりつつある陣形を確認するのと、敵がしっかりと食らいついているのとを確かめると、バッセールは、歴戦の兵らしく冷静に決断を下す。

「反転、反撃だ!!」

 その声を聞いた瞬間、銅鑼は気が狂ったように激しく叩きならされ、兵士は今まで耐えに耐えてきた鬱憤を晴らすかのように槍を突き出す。

 バッセール隊の反撃を見て取った左右のクレイモン、ゼルエブ両隊も、前進を止めてバッセール隊にひきつけられていた獲物を襲いだす。

 前方と左右から挟み撃ちにされた西域の混成隊はたまったものではなかった。今まで、自分達の優位を疑いもしなかったために、その衝撃は計り知れない。突然の反撃に、唯一空いている後方に向かって、隊列も武器も何もかも捨てて逃げ出していく。

「追撃だ! かかれェ!」

 バッセールの声に合わせて、彼の長槍隊が前に出る。逃げる混生隊を蹴散らすのは、羊の毛を刈るよりもたやすく、人の命を奪い去っていった。

 今までほとんど、拮抗していた状態が一つの戦線で崩れると、まずはその左右の部隊に影響を及ぼすことになった。クレイモン、ゼルエブの両部隊の前に立ちはだかっていた混成隊に、前面の敵を蹴散らしたバッセールの長槍隊が襲い掛かったのだ。

 声を枯らして戦線を維持しようとする混生隊の指揮官達の言葉も、古参兵達の奮闘も、大局を帰ることまでは出来なかった。大多数の雑兵にとって、目の前に突きつけられた仲間の屍骸を引きずった長槍は、魂が飛び出るほどの恐怖であり、死が形を持って現出したかのような重圧をもって、彼らに襲い掛かっていた。

 バッセールの長槍隊に襲い掛かられた混成隊はクレイモン、ゼルエブからの圧力もあって、時間が経つほどに陣形を崩され、撤退をしていくしかなかった。

「踏みとどまれ! 今にきっと、援軍が──」

 混成隊の指揮官の言葉が、突き刺さる長槍に阻まれる。だが、その長槍の柄を切り落として、指揮官の男は踏みとどまった。

「トゥメル様っ……!」

 立っていることすらままならず、片膝をつく。命じられたことを仕損じた無念さと、敬愛するトゥメルに対する申し訳なさが彼の両肩に重く圧し掛かっていた。流れ出す血潮は、彼の命脈が長くないことを伝えている。

 そのとき後方から、歓声があがった。

 思わず振り返った彼が見たものは、後方から迫ってくる第二陣の勇姿だった。

「援軍だ! 援軍だぞ、我らは負けぬ!」

 周りにいるはずの味方に向かって、声を張りあげる。

 命が尽きることを恐れず、立ち上がる彼に、ロクサーヌの長槍が殺到する。

「侵略者などには、決して負けぬ!」

 最後の力を振り絞って、長槍を叩き折ると混成隊の指揮を任せられたその男は絶命した。



 ◆




「長槍隊が、敵を撃破した模様」

 告げられる言葉に、シュセは頷く。

 バッセールは見事に期待に応えてくれた。ならばその勝機を逃すべきではない。

「長剣隊を投入! 敵を左から半包囲なさい。弓隊は長剣隊に続き前進。長剣隊の援護をしつつ、その後方に展開。騎馬隊については左から敵の後方に回ります!」

 シュセは自身を先頭に立てて、騎馬隊を率いる。

「旗を!」

 片手に持つのは、ノイスターの紋章旗。

 父の紋章である“緑水の円環”を掲げながら、彼女は馬を走らせる。

 ここが勝機!

 耳元で囁かれるような、脳裏に響く声。

 それに従うようにシュセは戦場へ向った。




 伝令の言葉を聴くまでもなく、トゥメルは自身の混成隊が危急に陥ったことを悟った。

「ボーランデの騎馬隊に出撃を命ぜよ」

 予想よりも遥かに敵の長槍隊の連携がいい。俄か作りの混成隊では、圧力をかけるだけでそれを崩す所まではいかなかった。

「混成隊を救え」

 このままでは混乱した、混成隊はこちらの陣形を崩す恐れさえある不安要素となってしまう。

「イアーソン、騎馬隊の一部を割いて敵の長剣隊をけん制せよ」

 てきぱきと指示を下すと、第二陣の戦いを見守る姿勢をろうとし、ロクサーヌの騎馬隊が動きだしているのに動きを止めた。

「ここを、勝機と見たか……」

 不気味な沈黙が、あたりを覆う。

「ウィンネ、歩兵軍を動かす。前衛を努めよ!」

「御意!」

 猛々しく笑うと、全軍に出撃を命じる。

 歩兵軍の前までいくと、横隊になっている彼ら一人ひとりの前を騎馬で通り抜けながら、声をはりあげる。

「戦友諸君、いよいよ決戦のときだ。噂では、スカルディアは精強を持って鳴る武門の家柄だそうだ。ここまで彼らの戦いを観察してきたが、事実と認めざるを得ない」

 ざわざわと兵士達の間に不安のざわめきがおこる。それを聞きながらトゥメルは更に言葉を重ねる。

「だが、その噂も今日で塗り替えられるだろう。我らの後ろには守るべき家族がいる! 愛する者を守るために我らは勝たねばならぬ!」

 応、と応じる歩兵軍はトゥメルの雄姿を注視する。

「西域にトゥメル歩兵軍ありと、ロクサーヌ中に知らしめようではないか! 我らは侵略者には負けぬ! 虚構で塗り固めた王都の軍勢など我らの敵ではない!」

 喚声が沸き起こる。

「さあ、出撃だ!」

 トゥメルそのもののような無骨な鉄槍を掲げると、彼の率いる歩兵軍は前進を開始した。




 ロクサーヌの長槍隊と、西域第二陣の戦いはトゥメルの予想したとおりに、西域第二陣の方が有利であった。連戦による疲れと装備を交換する間もなく戦わされる物質的な欠乏。バッセールらが、なんとか戦線を維持しているものの、明らかに圧しているのは西域側だった。

 指揮官を討たれた混成隊は、ボーランデ指揮の下に後方に下げ再編成をしている途中。戦力としては、この戦中に間に合うかどうか微妙なところであった。

 じりじりと下がる長槍隊を追うように、第二陣は圧されていた戦線を押し戻す。

 長槍隊を助ける為に出撃を命じた長剣隊は、イアーソン率いる騎馬隊の絶え間ない後方へ回ろうとする動きに翻弄されて、なかなか長槍隊を援護に行くことができない。

「いいぞ。このまま、敵をひきつけておけば、勝利の女神は我らに嫌でも媚を売るだろう!」

 イアーソンの軽口に、彼に従う騎士が笑う。

「──前方敵騎兵!」

 焦りの含まれたその報告に、長剣隊を翻弄していたイアーソンは忌々しげに舌打ちする。

 やはり簡単には勝たせてくれない。

 そんな思いを胸に敵の騎馬隊を見たとき、彼の目に飛び込んできたのは一流の紋章旗だった。

「……おのれ、そこまで我らを愚弄するか」

 先代ネアス・ノイスターの“緑水の円環”だった。それを掲げるのは、年端も行かない少女。

「子供の遊びではないのだ! 続けェ」

 長剣を引き抜くと、騎馬隊と雌雄を決すべく方向を変える。

 西域の地方は良質な馬を産出することで、ロクサーヌ中に知られていた。馬体の大きさ、その毛並みの美しさは特に際立っていた。一回り馬体が違えば、その分騎手は上から攻撃が出来る。それがどれほど優位に働くか、イアーソンは知り尽くしていた。

 数では劣るが、ロクサーヌ側からしたら巨馬の類が一塊になって突進してくる。その恐怖は、いかに勇敢な騎馬隊といえども逃れられるものではない。

 ロクサーヌ騎兵の鼻先を掠めるように走り去ると、方向を変えて再び向ってくる。戦々恐々としている騎馬隊に向って、シュセが言い放った。

「ここで敵に向わない者は、わたくしの兵士ではありません!」

 宣言すると単騎、敵の騎馬兵に向って駒を進める。

 それを見て焦ったのは彼女に従う騎兵達だ。指揮官の重荷を背負った、自分達より遥かに年下の少女が勇敢に敵に向っていく姿を目にしては、勇気を奮い起こすしかない。

 丁度そのとき方向を変えたイアーソンの別働隊がシュセに狙いを定めた。

「シュセ様を救えェ!」

 その声と共に猛然と、巨馬の騎馬隊に突撃をかける。

 騎馬隊同士の激突が始まった。

 イアーソンの別働隊に捕まっていた長剣隊は、シュセ率いる騎馬隊が敵を引き付けている間に、長槍隊の援護に向った。

 西域の第二陣に徐々に圧されて後退する長剣隊の丁度側方に到着すると、騎馬隊に押し込められていた鬱憤を晴らすかのように、激烈に敵に襲い掛かった。

 浮き足立った第二陣の様子を見て、今まで押し込められていた長槍隊も息を吹き返す。

「長剣隊に遅れを取るなっ!」

 バッセールの指揮の下、猛然と反撃に転じたのだ。

 第二陣は、長剣隊と長槍隊の攻撃に浮き足立つ。長剣隊の猛攻が、長槍隊の正確無比な突進が襲い掛かってくる。

 だがそれでも、戦列をなんとか維持できていたのは個々人の質という点がやはり大きい。第一陣の雑兵を交えた混成隊とは違い、この第二陣は貴族を中心とした軍勢だった。家の誇りと戦への名誉を刻み込まれている貴族達は、第一陣に比べて粘り強く戦った。

 だがそれも、ロクサーヌ勢の猛攻の前には決壊寸前。打ち倒され数を減らしていく仲間と、迫り来る敵の勢いに思わず浮き足立つ。

 西域の第二陣が崩れかかるかと見えたそのときに、流れ落ちる瀑布の勢いをもって戦線に加わったのはトゥメル率いる歩兵軍。

 先頭に立つトゥメルは縦横に鉄槍を振るい、ロクサーヌの長剣隊を圧倒する。それに続く兵士達も天にも届くほどに士気が高い。突き刺し、叩き伏せ、屍を踏み越えて猛然とトゥメルに続く。まるで一個の生き物のようになった歩兵軍は、長剣隊を蹴散らしながら、前進する。

「ウィンネ! 第二陣の援護に向え!」

 馬上で鉄槍を振るいながら、トゥメルは指示を下す。

 未だ若いウィンネに、一部隊を任せて崩した長槍隊の側面を突かせる。と同時に、歩兵軍の本隊は崩れた長剣隊の追撃に移る。

「進めェ!」

 貫いた兵士の体を、槍で貫いたまま、片手で持ち上げると投げ飛ばす。

 戦局の天秤は一気にトゥメル側へ傾いた。



 ◆




 騎馬隊同士の激突をなんとか切り抜けて、シュセは中央の戦局を確かめようとするが、イアーソン率いる西域の騎馬隊は、執拗に彼女を狙い反転しては突撃を仕掛けてくる。

 騎馬というものは、走って突撃して初めてその真価を発揮する兵種である。長槍隊ががっちりと、陣地を守るのに適しているように、騎馬は走ってこそその真価を発揮するのだ。

 ゆえに、立ち止まってのんびりと戦況を眺めてなどいられない。相手が突撃を仕掛けてくるなら、応じるにしても逃げるにしても、こちらも移動しながらというのが鉄則となる。

 馬首を巡らして、再び敵騎馬隊に向き合うと駒のわき腹を軽く蹴ってやる。

「切り抜けて後、敵本隊の背後に回りこむ!」

 すなわち、次で敵の騎馬隊を仕留めよと、彼女は命じたのだ。

 このまま騎馬隊に関わりあっていては、長槍隊と長剣隊が敵の餌食となってしまう。

 武器を握り締めることで、彼女の騎兵は無言の返事とする。

「前進!」

 シュセに率いられた騎馬隊が土煙をあげながら、猛然と駆け出した。




 正面の敵を追撃しながら、トゥメルは高揚感に包まれていた。自身の策が当たった快感に身を震わせ、無限に沸いてくるような力に任せて鉄槍を振るう。眼下に見下ろす敵の長剣隊を蹴散らし、進軍を速度を緩めないまま戦況を見渡した。

「第二陣のほうも持ち直したな?」

 敵の長剣隊と長槍隊の挟み撃ちにあい、壊乱していた第二陣もウィンネの援護もあって指揮系統を回復できたようだった。

 敵はといえば、第二陣の正面である敵長槍隊は既に、陸に上げられた魚のように力がない。歩兵軍の正面に当たる長剣隊は、ほぼ敗走に移っている。

 残るは敵の騎馬部隊だが、それも時間の問題でしかない。この時点で、陣形を完成させていないのならばもう、包囲殲滅は不可能だろう。

 通信手段が未熟なこの時代においては、独断専行はむしろ奨励されるべきものだ。

 イアーソンはよく敵をひきつけてくれた。

 後は第二陣と呼吸を合わせて、長槍隊を押し潰せば良い。

 勝ったな。

 その感慨を胸に、再びトゥメルは鉄槍を振るう。

 思考を重ねる間にさえ、彼の前に立ちふさがった敵の兵士を3人までも突き殺している。

「一気に行くぞ! 突撃用意!」




 長剣隊を本来なら預かっているイェンルは、砦攻略の際に足に受けた傷が元で、ギリングの平原における戦いでは長剣隊から離れていた。

 彼がいるのは、弓隊。長剣隊から、かなり離れた位置に布陣している。

 長剣隊を後方から支援する為の部隊に配属されていた。

「くそ、このままでは……」

 狙いを定める為に、小高い起伏の上から戦況を見渡したイェンルは、暗澹たる面持ちで呟いた。敵の猛攻を受けて、長剣隊が潰走を始めている。シュセ率いる騎馬隊は敵の、騎馬隊をなんとか切り崩すことに成功したようだったが、如何せん遠すぎる。

 敵を包囲の網の中に誘い込み、殲滅するというのが戦術の基本だったが、それに従うなら包囲の輪は今まさに食い破られようとしている。

 だが既に敵味方は混戦状態に陥っている。援護の為の弓兵も、これでは射撃すらできない。

「なにか、ないかなにか……?」

 状況を覆せる一手。せめて時間を稼げぐための方策を。

 見れば自身の率いていた長剣隊の部下までも、ほうほうのていで逃げ出して、弓隊の前まで来ると荒い息を整えている有様だった。

 このままでは、敗北は必至。せめて逃げてきた長剣隊の面々を再び戦いに向わせねばならない。それがいかに困難かということを、歴戦の経験から彼は知っていた。

 だが、やらねばならない。

 痛む足を引きずりながら、彼は逃げてくる長剣隊の前に立ちふさがった。

 通り過ぎようとする兵士の首根っこを捕まえるとその場に、引きずり倒す。

「な、なにを」

「座れ!」

 有無を言わせぬ一喝に、兵士は周囲とイェンルを交互に見る。それを何度か繰り返し、20人ほども集まったときだろうか。初めてイェンルは口を開いた。

「まったく、貴様らなんて様だ」

 言葉は鞭となって、逃げてきた兵士を容赦なく打ち据える。

「見ろ、長槍隊は未だ陣形を保ったまま戦場にいる。貴様らは仲間を見捨てて逃げ出した臆病者だ」

 指差す方向には、苦戦を強いられる長槍隊の姿。

 うな垂れる兵士達に、イェンルは更に言葉を重ねた。

「貴様らに恥というものが少しでも残っているなら、仲間を思う気持ちが少しでもあるのなら、今から俺について来い。班長連中を探して隊を組め──」

 告げられる言葉は、次第に兵士達の胸を打つ。

「──もう一度、戦場へ戻るのだ!」

 イェンルにしてみてもこれは、賭けだった。恐怖に打ちのめされて逃げ出した兵士に、どうやってそれを克服させるか。

「もし、俺が一度でも弱気を見せて逃げるような真似をしたなら、貴様らの持っているその剣で俺を刺すがいい!」

 言い放つとイェンルは痛む足を引きずりながら、敵に向って進む。

「……仲間を見捨てるな!」

「イェンル隊長に続け!」

 顔を見合わせて頷いた兵士達は、口々に叫ぶ。

 彼らの顔に浮かぶのは、戦場から背を向けた逃亡者の顔ではなく、仲間を救う為に命を張る勇者の表情だった。

「長剣隊、前進!」

 統制と秩序を取り戻した長剣隊は、イェンルの指揮下再びトゥメル歩兵軍と対峙した。



 ◆



 イアーソン率いる敵の騎馬隊を辛くも打ち破ったシュセは、長槍隊と長剣隊の様子に目を止める。先ほどまで壊乱状態だった長剣隊が持ち直しているのを確認すると、騎馬隊をトゥメル歩兵軍の背後へと向けた。

 逃したはずの包囲殲滅の為の好機、再びめぐってきたそれを、今度こそは逃がさない為、高々とノイスターの旗を掲げる。

「全軍、敵後方を扼す! 時が勝負です。全速前進!!」

 先陣を切る彼女に、騎馬隊が続いて走り出す。





 崩れていたはずの敵軍の突然の、猛反撃にトゥメルは戸惑いつつも自軍を鼓舞する。

「最後の足掻きだ、踏み潰せェ!」

 命ずる声に不安のはない。兵士達の全幅の信頼を得て、トゥメル歩兵軍は長剣隊を踏み潰そうと槍を構えて前進する。馬上から鉄槍を振るうトゥメルも、先頭を切って長剣隊を駆逐するが、先ほどとは敵の粘りが違った。

 盾でしっかりと身体を守りながら、歩兵軍の猛攻を受け止め、僅かな隙に乗じて反撃に移る。負けるとは思わないが、互角までの勝負に持ち込まれたことにトゥメルは驚愕していた。

 何が彼らを蘇らせたのか。

 先ほどは圧力に負けて敗走したはずの、敵軍が何を拠り所に再び目の前に立ち上がったのか。僅かな隙に、馬に突き刺さる長剣。

「くっ」

 倒れる馬から、飛び退くと、歩兵となって先陣を駆ける。

 吹き飛ぶ敵兵が、だが再び向ってくる。命果てるまで向ってくるのではないかと錯覚するほどの敵の士気の高さに、トゥメル歩兵軍の前進はとまらざるを得なかった。

 トゥメルは気づいていなかったが、長剣隊の後方に待機していた弓隊までもが、弓を捨て、武器を剣に持ち替えて長剣隊の戦線を支えていたのだ。

 倒されるそばから新手に、変わるような錯覚の中でトゥメルは戦っていた。

 接近しすぎた間合いから、徐々に乱戦へ移ろうとしたそのとき。

「後ろから敵騎兵!」

 最も避けねばならない事態が迫ってきたことをトゥメルは悟った。

 猛然たる土煙を上げて迫る騎馬隊、先頭に立つのは白亜の鎧と、ノイスターの紋章旗を掲げた小柄な騎兵。

 引くか、攻めるか、一瞬のトゥメルの迷いは全軍に伝播する。今まであれほど攻勢に終始していた歩兵軍が俄かに浮き足立った。

「シュセ様が来たぞ!」

 敵軍から聞こえる希望の声は、トゥメルにしてみれば絶望の宣告に他ならない。

 長剣隊のあれほどの粘りがあれば、攻めたとて、包囲を突破することは難しい。いったん包囲されてしまえば、騎兵を失っている西域軍は、逃げ場所がない。

 ならば──。

「全軍、転進! 第二陣は敵騎馬兵に向え!」

 ならば、包囲される前に後退するしかない!

 苦すぎる現実を飲み下し、トゥメルは決断を下す。

「歩兵軍は前面の敵を、防ぎつつ後退!」

 自身殿(しんがり)となって、徐々に引き始める西域軍。それに襲い掛かるのは、今まで防戦一方だった長剣隊と長槍隊だった。前面の第二陣が騎馬隊に向ったおかげで、長槍隊の正面はがら空きとなり、今まで第二陣が引き受けていた圧力を、歩兵軍が一手に引き受け得ねばならなくなった。

 猛火のように、激しく攻め立てる長剣隊に、長槍のハリネズミの陣形のまま突撃してくる長槍隊。それらに侵蝕されて瞬く間に歩兵軍は数を減らしていく。

「まだだ。まだ終わっていないぞ!」

 まだ西域軍には、再編成にまわしているボーランデ以下の混成隊が残っている。あの兵力を、ボーランデならこの期に投入してくるはずだ。

 敵の騎馬隊とは別方向から見える土煙。

「来てくれたかっ!」

 トゥメルの言葉に、まだ勝負は見えていないのだと周囲の兵士も気を取り戻す。

「若様っ!」

 むかしと変わらない呼び方で、トゥメルを呼ぶ老将の声。

 騎馬をそのままに、トゥメルの側まで分け入ってくると、即座に馬を下りて、手綱をトゥメルに渡す。

「お逃げください、わが身の失態でした」

 涙すら浮かべて彼は詫びる。

「敵軍の掲げる旗を見た途端、雑兵どもは反旗を翻し……」

 それはこの戦の帰趨が誰の目にも明らかになった瞬間だった。

 奥歯を噛み締め、襲い来る絶望を跳ね除けようとするトゥメル。

「イアーソンと合流し、僅かな騎兵だけを連れて参った次第」

 迫り来る敵軍を見据えながら、ボーランデは背後に控えるイアーソンに合図する。

「俺は、この軍の指揮官だ。西方候主たる俺が、どうして兵士達を置いていけようかっ!」

 その予想していた反応に、ボーランデは素早く対処する。

「御免」

 叫ぶやいなや、トゥメルの鎧の隙間に、鎮静効果のある毒物を塗った短剣を突き入れる。

「ボーランデ!?」

 何が起きたのか分からない、トゥメルの視界は徐々に暗闇に落ちていった。

「イアーソン! 閣下をベルガディにお運びしろ!」

 ボーランデの言葉に従い、トゥメルの巨躯をボーランデの馬に乗せるとその手綱を握る。

「ウィンネ! 貴様は第二陣とともに敵騎馬隊を攻撃、折を見てベルガディまで下がれ!」

「では、ボーランデ様は?」

 老将は静かに笑うと、前面の敵に視線を据えた。

「行け!」

 厳しい声で言い放つ。

 彼らが出発したのを確かめると、周囲の兵士に頭を下げる。

「皆の者すまぬが、トゥメル歩兵軍の勇姿、この老骨の前で今一度発揮してくれい!」

 言うや、槍を取って、敵を打ち据える。

 敵の目をひきつけねばならない。

 例え命を駆けることになろうとも、他に老将がトゥメルにしてやれることは残っていなかった。




 ◆




 戦いの勝敗は決した。

 ボーランデ以下、西域で最強を誇ったトゥメル歩兵軍はその日壊滅し、西域の主を決める戦いは、ロクサーヌ側の勝利で幕を閉じる。

 西方候主トゥメルは、ウィンネ、イアーソンら少数の者に守られてベルガディまで落ち延びることに成功するが、一方戦場に残った歩兵軍とボーランデは最後まで降伏を拒み、壮絶なる戦死を遂げた。



読了時間が約1000分を越える作品になってしまいました。

鬱。


老兵は死なず、と申しますが・・・死んでこそ浮かぶ瀬もあれ、です。


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