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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦528年 覇を統べる王5章
91/103

西域の主19




「ギンメル殿!」

 敵襲の報に耳を疑いながら、それでもできうる限り迅速にギンメルは武具を身に着けた。そこに訪れた他の二人の将。ユネックとティターの姿に、ギンメルは眉をひそめた。

 よろい姿も何もない、寝間着姿であわててかけてきたのだろう。部屋の明かりに、彼らの顔にある怯えと汗がギンメルには不快に映る。

「敵襲だとか? 敵勢は?」

「なぜここに敵が来ているのだ。ありえぬ、ありえぬぞ!」

 不安に怯えるユネックと、わめき散らすティター。

「黙れ! 敵が来たのなら好都合であろう。今ここで殲滅すればよいではないか!」

 若いギンメルはその不快感を抑えるすべを知らなかった。敵を前にして狼狽する自分より年上の二人の姿に、嫌悪を通り越して憎悪すら抱く。

「な、なにを若造が!」

「礼儀をわきまえよ!」

 怒鳴って返す二人を鼻で笑うと、近くにあった長剣を抜く。

「邪魔だ! そこをどけ! 戦う気のない臆病者め!」

 立ちふさがるようにしていた二人を抜き身の長剣で追い散らすと、自身の配下をに命じてありったけの松明をともさせる。

 罵詈雑言を並べて逃げ去る二人の姿を鼻で笑うと、部下に次々指示を出す。

「これからは俺一人で指示を出す! 使える雑兵どもを連れて来い! 目見もの見せてくれるわ!」

 夜の闇を煌々と照らす松明のように、彼の闘志は燃え上がっていた。




「気づかれたか!」

 砦全体に灯がつくのと同時に、一気に騒がしくなる気配を感じてイェンルは思わず舌打ちする。できればこのまま、首脳部を抑えてしまいたかった。理想に過ぎる考え方だが、それでも舌打ちせずにはいられない。

 ベルゼイの説明によれば砦の中枢である将官らの区画に到達するには、まず雑兵達と兵士を分かつ外門を抜ける。次いで、将官らと兵士の区間を分かつ内門を抜け、最後に将官らの区画を守る士門を抜ければ砦を攻略できるはずだった。

 ここからは、一気に駆け抜けるしかない。

 音を忍ばせる必要も、もはやなかった。

「イェンルの長剣隊に告げる! これより敵首脳部を一気に落とし、我らがシュセ様に勝利を差し上げ奉る! 我と思わん者共は俺に続けェ!」

 押し込めてきた気迫が実質的な重さすらともなって周囲を圧する。立ちふさがるものは、今まで溜めに溜めた気迫をぶつけられ、見たそばから切り倒されていく。

 バラバラと立ちふさがる敵兵を切り捨て、あらん限りの声で吠え立てる。まるで剣を握った獅子のような雄雄しさで、イェンルの長剣隊は砦の中を攻略して行った。

 夜も明けようとするに突然の襲撃が重なり、砦に詰めていた兵士たちの混乱は蜂の巣を突いたような騒ぎだった。その混乱を切り裂くように、イェンル率いる長剣隊が進む。

「立ちふさがるもの以外、捨て置け! 目指すのは将の首だけだ!」

 先頭に立つイェンルの声に、眼前の敵を蹴散らしながら、長剣隊が続く。

 その彼らが抵抗らしい抵抗にあったのは、砦の中枢まで後2門を残すのみといったところだった。外門を問題なく抜け、内門へと向かう途中でギンメルの指揮下にある一部隊と乱戦に持ち込まれてしまった。

「くそっ! 俺としたことがっ」

 肩口を掠める敵の白刃を弾き、体が流れた敵に対して長剣を叩き付けながらイェンルは罵った。隊長であるイェンルを一点の穂先として一体となったロクサーヌの長剣隊だったが、それは同時にイェンルに攻撃が集中するということにもなった。

 結果、篝火をふんだんに灯した兵士の区間に差し掛かったところで、イェンルを始めとする先頭集団に、手投げ槍が降り注ぐことになる。砦の中に建てられた宿舎の屋根の上から降り注ぐ槍は、落下速度も加わって平地で投げられるよりも遥かに威力を増して、彼らに襲い掛かった。

「恐れるなっ! 進めっ!」

 だがその程度で進撃を緩ませるイェンルではなかった。部下を叱咤激励すると同時、イェンル自身が先頭となって降り注ぐ槍の中を走りぬける。

「先頭の男だ。狙えェ!」

 次いで立ちふさがる敵の長剣隊。

 それと真っ向から切り結んぶ。瞬く間にその場は、血しぶきが吹き荒れ、屍が横たわる修羅場と化した。

 外門を越えた頃から、敵の質が明らかに変わっていたことにイェンルは気づいてはいたが、それほど気にしてはいていなかった。奇襲にとって必要なのは、勢いである。

 ロクサーヌ全軍の先鋒を賜ったイェンルは、ひたすらに前を進むことが要求される。先鋒の勢いが鈍ければそれだけ相手に反撃の時間を与えることになるのだ。

 だからイェンルは敵の質が変わっていることに気づいてはいても、ゆっくりと隊列を整えている時間などはなかった。むしろこのまま内門へ襲い掛かったほうが衝撃力をそのままに相手にぶつけられる。

 その判断を下したイェンルは、先頭を切って敵陣へ切り込んだ。

「続けェ!」

 血脂の滴る長剣を振りかざし、切り込むイェンルだったが、繰り出された短槍に、足を切り裂かれる。いかに歴戦の戦士といえども、足を負傷してそう走れるものではない。

 徐々に落ちる速度が、そのまま長剣隊の速度となった。

 それでも彼の率いる長剣隊は強かった。平素から戦のための訓練をつんだ長剣隊の個々の技量は、西域の軍勢と比べてひとつ上をいく。徐々に、ではあるが内門の方へ繰り出してきた敵を押し返していく。

「ひゃ」

 ベルゼイに降りかかる白刃を払うと、間髪おかずに自身に遅い来る短槍を跳ね除ける。

「道はあっているんだな!?」

 怒鳴るイェンルにベルゼイは頭を抱えながらうなずく。

「よし!」

 顔についた血糊を拭いながらイェンルは頷く。

「このまま押し切るぞ!」

 周囲で戦う部下に向けて声を張り上げる。

「断じて通すな! 数はこちらが多いのだ」

 敵の指揮官らしき者が負けじと声を張り上げる。

 その声の主を確認した途端イェンルは向かってきた敵を力任せに押し退けると、敵の指揮官目掛けて走り出す。

 それを阻もうと、左右から迫り来る槍。それを撥ね退け、指揮官に襲い掛かる。

 一刀のもとに指揮官を切り倒すと、その首を掲げた。

「道を開かねば、貴様らもこうなるぞっ!」

 それに呼応するように、イェンルの部下たちが勢いを増して敵に切りかかる。

「よし……片付いたな。ベルゼイ、ここから先はどうなっている?」

 足に負った傷をものともせずにイェンルは傍らのベルゼイを顧みる。

「ここから先は、まっすぐにぬけられるはずです」

 イェンルの鬼気迫る戦い方にベルゼイは震えながら答える。

 頷いてかがり火に照らされた内門を睨むのと、部下の悲鳴が聞こえるのは同時だった。




「ロクサーヌなど、いか程のことがあろうものか!」

 ロクサーヌの兵士を切り倒し、ギンメルは気勢をあげた。

 ギンメル率いる長剣隊は、彼自身の領地から連れてきた直卒の私兵と、トゥメル歩兵軍からの兵士から構成されていた。トゥメルのように、古参兵と雑兵を混ぜたりはしなかったために、ギンメル自身に従う兵は砦全体でそう多くはない。

 だがその分、混じり気のないオシリスの砦で最精鋭といってもいい戦力だった。

 さらに、それを率いるギンメルが血気盛んな指揮官である。父の無念を晴らすという一念で、先陣を切って進むギンメルに、彼を守ると誓って戦う私兵や、トゥメルから直々にギンメルを守ることを厳命されている歩兵軍の兵士達は、奮い立たずにはいられなかった。

 内門を超えて来たロクサーヌの兵士を瞬く間に殲滅すると、逆に内門を超えてギンメル自身が突出する。

 その火の付いたような勢いに、疲れの見せ始めていたイェンルの長剣隊は、態勢を整える間もなく蹴散らされてしまう。

 先ほどまではあれ程に押しに押していたイェンルの部隊は、怒涛のごときギンメルの勢いにのまれ、散り散りになって後退するしかなかった。

「くそ! 無念だ」

 態勢を整えるため、止む無く後退するイェンルは悔しがったが、彼一人が敵を倒そうとも、その勢いは覆ることがなさそうだった。

 痛む足を引きずりながら、殿となって部下を先に行かせる。左右と正面から突き出される槍を、今や防戦一方に回す長剣で払いながら、なんとか後退していく。

「押せ、押せ! このまま一気にロクサーヌの雑魚どもを葬るのだ!」

 血を浴び尚猛るギンメルが気勢を上げた。

 その抑えようのない勢いに、イェンルが呑み込まれようとしたとき、後方から幾本もの長槍が彼を守るように突き出された。

「苦戦してるな、イェンル!」

「バッセールか!」

「先陣で駆けていったと思えば今度は殿か! ずいぶん働き者だ」

「抜かせ!」

 互いに無事を祝って不敵な笑みを交わす。

「後は任せろ!」

「くっ……すまん」

 下がるイェンルを守るようにしてバッセール率いる長槍隊が、ギンメルの長剣隊の前に立ちふさがる。

「グリューエン! 方陣だ。先陣3列横隊!」

「了解、聞こえたか!? 野郎ども! 方陣を敷くぞ!」

 山賊顔負けノグリューエンの濁声が、戦場に響き渡る。それだけで班員達は、眼前に迫る敵にも、ある程度心の余裕をもって対応することができた。

 凄まじい勢いで襲い掛かってくるギンメルの長剣隊に対して、正面に重点を置いた槍の陣を敷き対応する。一列目は片膝をつき、二列目は中腰に構え、三列目はその隙間を埋めるように槍を突き出す。そのまま突き進めば、間違いなく串刺しになるであろう槍の密集度。

 短時間の間にそれを作ったグリューエンは、班員達を鼓舞することを忘れない。

「この戦が終わったら、オヤジにたっぷり奢ってもらわなきゃ割に合わんな!」

 そうだ、そうだという声が槍列の間からも上がる。

 その声ににやりと、笑ってグリューエンは気勢を上げた。

「死ぬんじゃねえぜ、てめえら! オヤジの財布が空になるまで飲み明かすためになァ!」

 真面目にやれと、バッセールの怒声に押され、不敵に笑ったままグリューエンは自身も槍列に加わる。

「さあ、掛かってこいや!」

 ギンメルの長剣隊とバッセールの長槍隊が、激突した。




 ギンメル率いる砦の守備兵と、ロクサーヌの兵が内門を舞台に激しい攻防を繰り広げていたころ、人知れず闇の中でも、二人の獣が牙を剥きあっていた。

 手を地面について四足の獣のような構えをとるオウカの暗殺者。その頭上から、地面を断ち切るがごとき強烈な一撃が襲いくる。死神の鎌のごとくに襲いくるそれを、後ろに飛びのいてかわしたと思えば、追い打たれるのはさらなる一撃。

 この死神には、命を奪うべき鎌を二つもっている。背中に滴る冷や汗を無視するように、暗殺者は考察する。今まで戦ってきた手練れの中でも、1、2を争う難敵に、経験のすべてを費やして対抗策を考える。

 目の前の敵が、難敵たるゆえんは一つに双剣を使いこなしている点。まずもって、双剣などという代物を使いこなせる者はそういるものではない。人間には必ず利き手というものがあり、その逆に利き手でないほうの手は、自然と不器用になる。

 だが目の前の敵はどうだ。まるで両手が利き手であるかのように、左右どちらの斬撃も強く鋭い。加えて暗さを物ともしない、眼の良さ。赤く不気味に光る瞳は、まるで血を求める本能でもあるかのように錯覚させる。こちらの一挙動を正確に捕捉しているかのように、動きを合わせてくる。

 月すらない新月の夜になのに、だ。

 そして最も厄介なのが──。

「くっ……」

 襲いくる刃に、暗殺者は身をひそめてそのまま突進する。低い姿勢から鉤爪を振う──が、火花を散らしてそれは双剣の片方に受け止められた。頬を掠めるように、銀色の白刃が目の前を奔り抜ける。

 ──このしつこさだ。

 まるで影が本体に寄り添うようにして、体術を合わせ、それも、段々と振るわれる刃が、暗殺者の体に近づいてくる。

 このままではいずれ切り裂かれるのは目に見えている。ここは、一旦引くべき。理性ではわかっていても、その切っ掛けがつかめない。執念ともいうべきしつこさで、敵は執拗に追いすがってくるのだ。心の臓を鷲掴みにされたように、明確に死を意識させられるその一撃。

 それが振るわれるたび体から自由が奪われていくようだった。

「……何故に」

 切り裂かれる片腕。

 吹き出る血潮に、息が乱れる。

 こんなはずではない。はじめて向かい合ったときには、すり抜けるのも容易な小僧のはずだった。

 幾十年もオウカの元で暗殺をこなしてきた。しくじったことなど一度もありはしないのだ。

 だが、なぜ……なぜこんなにも目の前の敵が恐ろしく感じるのか。常には自由に動くはずの体が、なぜにこんなにも重く言うことを聞かないのか。

 この胸の奥から湧き上がる言い様のない濁流は、いったい何なのか。

「貴様のような小僧に!」

 思わず発したその言葉に。

 新月の夜に鬼火の様にゆれる赤の瞳。

 立ち塞がる死神の口元が弦月に歪んだ。





 剣と剣がぶつかり合い、長槍が敵を貫く。だがギンメルとロクサーヌ側はどちらも引きはしない。気迫と気迫がぶつかり合い、盾すら使い相手を殴り倒す。

「敵もやるものだ」

 バッセールの小さな賛辞。直後迫りくる敵兵を槍で刺し貫く。

 事実ギンメル率いるオシリスの守備兵達は、決して引こうとはしなかった。イェンルの長剣隊と交代したバッセールの長槍隊にも疲労の色が見え始めていた。

 せめて将を打ち取ればこの劣勢も覆せる。

 そう考えて戦場の中にその姿を探し求めるが、ギンメルの近くには彼の直卒の私兵が固く彼を守ったまま近づけそうにない。

 決して低くはないバッセールの長槍隊の士気だったが、ギンメルの守備隊はさらにそれを上回っていた。

 徐々に押し込まれていくバッセールの長槍隊。

「イェンルに大きなことを言って置いてこのざまかっ!」

 自嘲気味に笑いながら、冷静に撤退の機会をうかがう。

「あと一息で敵を追い込める! ここが勝機ぞ」

 血塗れた剣を振り上げ、ギンメルの指揮ぶりはいっそう磨きがかかる。

 わっとあがる喚声の声の方角を見れば、方陣の一つが打ち崩され長槍兵がギンメルに討たれる様子が目に入る。

 軽く舌打ちするとすぐさま決断する。

「後退だ、後退ィ!」

 大声でバッセールが呼ばわると、班長達がそれを復唱していく。

「グリューエン、後退部隊の指揮を執れ!」

 そういうと自身直属の部隊を最後尾にして、敵の圧力を受けきるべく、方陣を敷きなおす。

「逃げるぞ野郎ども!」

「班長、後退なんじゃ?」

「似たようなもんだろうが!」

 すばやく自身の部隊と、隣接していた部隊に呼ばわりながら内門の外へと逃れ出るグリューエン。自身の部隊を除く、すべての部隊が撤収したのを確認して、バッセールも部隊を下がらせる。

「焦るなよ、慎重に少しずつだ」

 だがそれを黙って見逃すほどにギンメルは優しくなかった。バッセールの引くタイミングにあわせて、彼に対する圧力をこれでもかというほどに厚くしていく。その圧力の中では、バッセールの制止の声にもかかわらず、隊列を乱してしまう者が続出してしまう。

 一人抜け、二人ぬけた方陣など穴の開いた盾と同じ。

「崩れたぞ! 一気に殲滅するのだ!」

 開いた穴目掛けて勇敢な戦士達が突入する。

 ギンメル率いる守備隊の戦士達は、いまやはっきりと勝利を確信していた。最前線で戦うギンメルの姿に勝利の栄光を見ていた。

 どちらも必死の攻防が続く。

 数ではロクサーヌが、士気ならばギンメル側が上回るこの戦いは互角に思えた。徐々に引いていくロクサーヌ側の兵士を追ってギンメル率いる守備隊は内門の外にまで戦いを押し戻していた。

 必死に防戦をするロクサーヌ側の兵士たちが内門の外にまで下がる。

「ゆけ! 押し戻せ!」

 ギンメル自身も敵を切り、迫りくる槍を跳ね飛ばす。そうしながら味方の士気をあげつつ、進撃する。

「勝てるぞ! この戦ァ!」

 トゥメル配下であった者も、ギンメルの所領から従った私兵も、いま矢誰一人としてこの若き将の実力を疑うものはいない。

「押せえェ!」

 気合の声とともに、内門で殿を勤めていた槍兵を殴り飛ばし、敵を内門から追い落とした。

 だがそこで彼らが見たものは。

「ぅ……そんな」

「なんだ、これは……」

 肩で息する合間から見たものは、彼らを包囲するロクサーヌの軍勢だった。いや、よく見れば、その中には自軍にいたはずの雑兵らの姿も見える。

「降伏なさい!」

 目の前に迫る絶望を、理解できぬまま声をかけた主の姿を目で追う。

 白亜の鎧姿に、夏の木々の梢を髣髴とさせる切りそろえた髪、細剣を腰に吊った姿は、登ってきた朝陽に照らされて、見事な細工が輝く。

 噂に聞こえた敵の将軍。

 あろうことか、前西方侯主の遺児を名乗る不埒者。

 凛としたその姿に、美しさを感じる。その自身の心にすら憎悪を抱く。

「貴様が、僭称者か!? 小娘!」

 ギンメルの身の内から滲み出る憎悪を一身に受けて、尚彼女はひるまない。

「我が名はシュセ・ノイスター。先の西方侯主であるネアスの娘であり、ロアヌキアを統治なさる唯一の王の剣である」

 堂々たるその宣言に、ギンメル以下は気を呑まれる。

「王の名において、命ずる。武器を捨てよ!」

 背筋を駆け抜ける衝撃に、何人かの者は武器を取り落としそうになる。

 抗いがたい衝撃に、彼は抗った。

「戯言を!」

 だがその宣言を跳ね除けるギンメル。

 彼にはわかってしまった。戦場の中にあっては普段いかな豪華に飾り立て、優雅を旨とする貴族達といえども、狂騒に荒々しくなるものなのだ。

 だが目の前の将は、戦場の只中にあるというのに気品すら漂わせている。

 これが、あるいは先の西方候主から受け継いだ、人そのものの品格というものなのかもしれない。だが、そんなものを認めてしまえば、自分たちの戦いはいったいどうなってしまうのか。それも正確に、しかも瞬時に理解してしまった。

 敗北の二文字が目の前の戦乙女の姿をして、自身とひいては敬愛すべきトゥメルに襲い掛かってきているのだ。

 許せるはずがない。やっとめぐってきた戦場を。飢えるばかりの日常に、やっと巡って来た潤いを。

 例え、分の悪い賭けであろうとも彼は負けるわけにはいかなかった。

 背中を押すのは、勇壮に戦って死んだはずの父の姿。小勢といえども、大軍を相手に出来ることを見せてくれた父の背中。胸の中にだけあるそれが、ギンメルの背を押した。

「貴様などが、先の西方侯主さまの子であるはずがないっ!」

 いうや否や、彼の護衛も押しの超えて単身シュセへ向かう。手にした長剣はロクサーヌの兵士の命を幾人も奪ってきた凶剣。

「ぐあぁぁあ!」

 狂猛な叫びとともに突進する彼の行動を、ロクサーヌ側でも予見できたものはいなかった。ゆえに生じる一拍の間。

 空白となったその瞬間に、ためらいすらなくギンメルは入り込む。

「死ねィ!!」

 予見できたものはいなかった……そう、ただ一人を除いては。

 シュセの手元から銀の閃光が迸る。

 風を巻き上げるギンメルの凶剣が、シュセの鎧を掠めるのと、シュセの手から放たれた閃光がギンメルの首を切り裂くのはほとんど同時だった。

 すれ違った瞬間に勝負はついていた。

 糸の切れた人形のように地面に倒れこむギンメルと、すこしふらついたものの、しっかりと立っているシュセ。

「これ以上、西域の者同士で争って何になるというのです? 決してあなた方を祖力にはしません……どうか」

 涙すら浮かべて懇願する彼女の姿に、身構えていたギンメル以下の兵士達は武器を捨てた。

「彼の犠牲を持って砦の戦いを終焉とします。降る者は、容れなさい。去りたい者は去りなさい。ですがそれでもわたくし達に刃を向けるようなら、わたくしが直接に参ります」

 実質彼女の布告が出された時点でこの戦は、ロクサーヌ側の勝利となった。おそらくもっとも頑強に抵抗したであろうギンメルはすでに息絶え、ユネックとティターについてはすでに姿がない。雑兵達は既にロクサーヌ側の味方であった。心配されたトゥメル歩兵軍の兵士による反撃も、要となるべきギンメルが既に戦死したのでは求心力に欠けた。

 結局半日もしないうちに、わずかにあった反乱の芽は摘み取られ、夜が開けきるころには砦にはロクサーヌの旗が翻っていた。





 報告を受けたときは半信半疑だったが、目の前に広がる光景はトゥメルの予想を完全に裏切るものだった。

 自身の築き上げた砦に翻る“交差する蛇槍”。それが噂に聞くロクサーヌの若き王のものだと確認するまでもなかった。

簒奪者(スカルディア)め」

 憎しみを吐く声にこめて、トゥメルは呟いた。

「いかがしますか?」

 ボーランデの声でわれに返る。兵たちが動揺している中に、自身まで動揺してしまったことを恥じて、毅然とトゥメルは命令を下す。

「ギリングの平原まで引く。それしかあるまい」

 睨みすえる砦の上には、高々と敵の旗が翻っている。あの旗が偽者で、城主を任せた部下の三人が遊んでいるのではないとすれば。

「それしかありますまいな」

 無念そうに呟くと、ボーランデが殿を務めて来た道を引き返す。

 ギリングの平原は、ちょうど部隊を収容するのに適した広さをもっている。西域では数少ない会戦に適した地形といえよう。砦を奪われたトゥメルらにとって、かの砦は西都ベルガディの喉元に突きつけられた短剣に等しい。

 彼らに残された選択肢は、砦を落とすか、さもなくばロクサーヌ側を野戦に引きずり出して殲滅するかの二者択一となっていた。砦を放置すれば先に干上がってしまうのはベルガディだ。砦には二ヶ月をゆうに戦えるだけの兵糧を運び込んでいたのだから。

 ひとまずギリングの平原に到着したトゥメルは、宿営地を設置させるとともに、斥候を四方に派遣した。砦が奪われたのなら、中にいた兵士たちはどうなったのか。まさか一人残らず全滅ということはないだろう。

 彼らから情報を聞き出し、今後の対策を練らねばならない。

「基本的には、野戦をせねばらないが、ではどうやって誘き出すか」

 周辺地域を詳しく描いた地図をにらみながら、軍議を行う。

「砦自体を攻め落とすのは、容易ではないですからな」

 周囲の地形は、大軍を持って砦を攻めるに向いていない。それはロクサーヌ側からと同様にベルガディ側からも同じであった。

「報告! ユネック殿、ティター殿ご帰還!」

 トゥメルを中心として彼らが頭を悩ませているときに、続々と入ってくる斥候からの報告。数多いその中にあって、その一報はトゥメルをはじめとした首脳陣にとって、思わず腰を浮かせるのに充分だった。

「すぐに呼べ!」

 トゥメルの命に応じて、ユネックとティターらが軍議の席に呼び出される。取るものも取らずに、砦から逃げ出してきたのだろう。その姿は汚れ、外傷はほとんどないものの、表情は青ざめてすらいた。

「述べよ。いったいいかなる仕儀ぞ!?」

 ボーランデの言葉に、ユネックとティターは押し黙り、俯いてしまう。

「見れば貴様ら剣や鎧すら身につけておらぬではないか。まさか一戦もせずに砦を明け渡したのではなかろうな?」

 老将の苛烈な追及に、小さく答えたのはティターだった。

「……これは、裏切りによるものにて」

 びくりとユネックの背が跳ねる。恐る恐るユネックが覗いたティターの顔には、焦燥と憎悪がたゆたっていた。

「裏切りじゃと?」

「さよう! ギンメル殿の裏切りにて我らこのような仕儀と相成りました!」

 顔を上げたティターの表情には必死さ以外のものはみえない。

 思わずトゥメルの顔を見つめるボーランデ。このまま尋問を続けていいものか、彼は迷っていた。この話が陣内に広まれば士気が下がるのは明白だった。父親をロクサーヌに討たれ、猛り狂っていたはずのギンメルが敵に通じていたなどと。疑心暗鬼になる元を自ら生み出すようなものだ。

「虚言は死罪と決まっているが、その言葉今なら取り消せるぞ」

 強い視線で睨むトゥメル。

「トゥメル様」

 いけないと、ボーランデは思った。ティターは一度ギンメルの名を自身の口から出してしまっている。一度吐いた唾を、だれがいまさら飲み込めようか。

「いいえ、決してさようなことはっ!」

 思わずボーランデは舌打ちしたくなった。ティターの態度はこれで頑なになってしまったようなものだ。ギンメルを裏切り者として全軍に広めるか、さもなくば虚言の罪でティターを処罰するか。どちらにしても戦う以前から、士気が落ちるのは火を見るより明らかだった。

「ギンメルと彼の部下、そして雑兵たちが結託し、砦を占拠したのでございます。我等は寝込みを襲われ、着の身着のまま……このような有様で逃げ出さざるを得なかった!」

「うそを、いうな! ギンメルは父を討たれ本気で怒り狂っていたわ! なぜそれが敵に寝返るのだ!」

 ギンメルと仲のよかった若手の将が、我慢の限界という風に口を挟む。

「貴様、礼儀をわきまえよ! このわしが嘘をついているとでもいうのか!」

「そうだとも!」

「事実奴の部下は、一人として戻ってきてはいないではないか!」

「ギンメルは戦い、貴様は逃げた! そうに違いない!」

「なんだと!?」

 喧々囂々の言い争いの中、トゥメルの一喝が雷鳴のごとくに落ちる。

「やめよ!」

 天幕を揺らすほどの声量。いい争いをしていた諸将は、トゥメルの一喝でおとなしくなるが視線だけは互いに角突き合わせたままだった。

「そのような無益な話し合いをするために、お前たちを呼んだのではない。わが軍の砦にいた兵士はどうなった? ユネック答えよ」

 平身低頭したまま、争いにも口を出さなかったユネックにトゥメルが質問する。

「し、襲撃を受けたのは夜半だったもので、敵の正確な数は知れませぬ。わ、我が方につきましては、不意の奇襲だったため、その全容を把握することは叶わず……」

「つまり、何もわからないのだろう」

 ティターに突っかかった若手の将の一言に、ユネックは黙り込む。

 話にならないと憤る若手の将をボーランデがたしなめる。

「雑兵は寝返ったという話だったが?」

「雑兵の大半は、すでにロクサーヌ側の手が伸びていました」

「わかった。二人ともしばらく休め」

 下がるように命じるトゥメルに、若い将は不満の声をあげる。

「閣下は奴らの言うことを信じるのですか!? ギンメルが本気で我等を裏切ったと!?」

「そうではない」

 ゆっくりと首を振るトゥメルは、ボーランデに視線を向ける。

「わからぬか? ユネックとティターの話では雑兵どもは丸々敵に寝返ったと考えてよい。しからば数の優位を保つ上で、彼らの力はおのずと必要になろう」

 ユネック、ティターともに、中小とは言え自分の領地を持つ貴族である。彼らを処罰すれば、その下にいる兵士までも今回の戦で使えないことになるだろう。

「……では、ギンメルは」

「おそらくもう生きてはいまい」

 拳を、白くなるほどにきつく握り締める。

「仇はとるぞ、ギンメル」

 その宣言にうなずくと、トゥメルは軍議を再開させた。





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