初陣1
街で起こったツラド家追い落としの謀略から半年、カルとシュセは私兵の増強に勤しんでいた。一度解雇した者にも、密かに渡りをつけ金を握らせる。そうして実際に雇っている人数以上の私兵を抱えることに成功していた。
その数が500を超えた所で、カルは初陣を迎えた。実際に引き連れるのは、200名ほどだが、選りすぐった精鋭であることに違いはない。ヘェルキオスの率いる全軍の二十分の一と言えども、立派な戦力として成り立つ。
街の北部、自由都市群と自称する者達の旗が川を挟んで対岸に犇めいている。小高い土手の上、風にたなびく貴族の紋章旗。二つの槍を組み合わせ、双方に蛇を巻き付かせる。その図柄を頭上に見やり、カルは再び敵を見やる。
漆黒を基調として朱を織り交ぜた防具を纏う。黒い鎧に、炎を意匠した文様を各所に鏤め、プレートにはスカルディアの紋を彫り込んでいる。戦馬の鞍には、特別に造らせた三叉の槍を据え付けたカルは精悍という言葉がしっくりくる。
「お見合いだな、まるで」
吐き捨てるように出た言葉に、横に駒を並べたシュセが苦笑した。白亜の鎧に身を包み、だが今は腰に無骨な両刃の大剣を帯びる。戦場で使う、鉄をも押し潰すモノだ。
「そう仰いますな。被害が出なくてよろしいではありませんか」
「それでは戦にならぬだろうに」
ふん、と鼻を鳴らす主を宥めるようにシュセは言葉を選ぶ。
「ご活躍されたとて、手柄は全てお父上様のものです」
お父上、と言う言葉に強い視線でシュセを見返すカルだが、シュセは気にせず言葉を続ける。
「ここはどうか、御自重を……」
川を挟んで両岸に陣を敷き十日余り、それぞれの陣地に引きこもったまま動きはない。
「いっそのこと、ヘェルキオスの天幕を攻めてみようか」
ヘェルキオスの天幕は陣地の中央に位置しており、陣地の最後尾にカルの天幕が留め置かれるようになっている。
「余程、私に手柄を立てさせたくないと見える」
冷たく笑うカルに、困ったようにシュセは笑う。
「戦う気がないのなら、さっさと引き上げればよいものを……」
「誰かに聞かれると厄介です。余り大きい声でそのようなことは……」
「分かっている。お前だけだ」
それにしても、とシュセは対岸に視線を向ける。
「敵は随分数を集めてきましたね。こちらの二倍近い」
「見た目だけ、と言うことも考えられるがな」
「どちらも攻めたくとも、攻められないのでしょう」
「臆病者共め」
「カル様……」
労るようなシュセの言葉に、幾分か反発を覚えながらカルは視線をヘェルキオスの陣地に向けた。
「シュセ、同行せよ。このくだらぬ戦から離れるぞ」
主従は馬を走らせ、ヘェルキオスの天幕へ向かう。この陣地の主の天幕は他のどれよりも大きく、豪華なものが当てられていた。入り口には衛士の姿があるが、それを無視するように、カルは天幕へ向かう。
「入るぞ」
短く言葉をかけて、カルはシュセを連れて中にはいるが、漂う酒の香りにすぐに顔を顰める。
「お、これはスカルディアのご子息殿。良いところへ参られましたな」
酒盛りをしていた下級貴族の一人が、カルへ声をかける。酒盛りの中心にはヘェルキオスが座り、酔いつぶれた様子の者も多数見受けられる。舌打ちと共に、声をかけた下級貴族を睨みつける。黙り込むその男を尻目に、ヘェルキオスに視線を向け直す。
「……何という有様ですか、父上」
侮蔑も露わな視線を受けて、ヘェルキオスは不快な様子を隠そうともしない。
「何の用だ?」
「何の、ですと? 決まり切っているではありませんか、なぜ戦をなさらないのです?」
「戦ならしておる、今軍議の真っ最中だ」
「これが、軍議ですか」
強かに酔った貴族達を見渡す。
「ふざけるのも大概になされよ! 戦をなされる気が無いのなら、私に兵権をお渡し遊ばし願いたい。この戦三日と待たず終わらせて見せましょう」
烈火の如き勢いのカルに、ヘェルキオスは手に持っていた杯を投げつける。飛来する杯に、隣に控えていたシュセは大剣を抜く。鞘から抜き放たれたその大剣は、重厚な風音を伴って空中にある杯を粉砕する。
その威力と扱った者の持つ技量に、その場に沈黙が降りる。面子を潰されたと感じたのはその場の誰もが同じであったが、カルの傍らに控える女騎士の大剣がいつ自らの身に降りかかってくるかもしれないと言う恐怖に、竦み上がる。
「去れ! 貴様の魂胆は見え透いておるわ!」
萎縮する貴族達の中で、怒りを露わにしたのはヘェルキオスだった。しばらく無言で睨み合う父と子。先に言葉を発したのは子の方だった。
「では、お言葉に甘えます。帰るぞシュセ」
身を翻し、天幕から出て行くカルの姿を眺める貴族達の中から、やっと飲み直そうと言う声があがる。同意の声と共に、再び開かれる酒宴。だがヘェルキオスだけは、鬱々として楽しまぬ様子だった。
天幕を出た後、無言のまま戦馬に乗るカルにシュセが続いた。大仰な天幕を出てしばらく経つとシュセが駒を寄せてカルに小言を言う。
「余り無茶をしないでください」
「許せ、だがおかげで少し胸のつかえが取れた」
「またそんなことを……」
「さて、街へ戻るか。こんな所で無駄に兵と時を費やすわけにはいかぬからな」
二人駒を並べて、カルの陣営へと向かう。
「折角の初陣でしたのに、残念ですね」
「夜までには荷を片づけさせよう。明日にはここを立つ。できるな?」
シュセに本心を言い当てられたとき、カルは強引に話題を変える。それを知っているシュセだけに苦笑しながら、それに合わせる。
「ご命令とあらば」
馬上で礼をしてシュセは、私兵を指揮するため馬を駆けさせる。真昼の太陽が揺らめく、生ぬるい風が川を渡り、雲は急ぎ足で空を駆ける。
「初陣か……」
もし、母が生きていたら喜んでくれただろうか。それとも心配してくれただろうか。下らぬ感傷だと、思いながらも尚考えずにはいられないその想い。
忘れはしない。この痛みも、憎しみも。身に宿る力、それを解き放つ場所は、確かに此処にあるのだ。全ての敵を見渡し、カルは自らの陣営へ駒を進めた。
ロクサーヌを囲む状況について。
東西南には、それぞれガドリア、ベルガディ、ジェノヴァがあります。これからいずれもロクサーヌの支配下にある都市ですが、北を接するポーレは敵対関係です。