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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦528年 覇を統べる王5章
86/103

西域の主14




 ロクサーヌの円状に広がる街の中央。裕福な商人たちが、店を構える地域。普段なら衛士が頻繁に巡察する場所だが、今はその頻度も少ない。

 西都遠征以来、スカルディアの私兵や、ロクサーヌの兵士らが警備していた場所も彼らの警備場所として盛り込まれてしまったのだ。

 スカルディアの私兵とロクサーヌの兵士とは所属がことなる。スカルディアの私兵とは文字通り、スカルディア家が抱える兵士たちのことで、カルの意のまま、自由に動かせる兵士だと考えて間違いない。

 ロクサーヌの兵士とはロクサーヌの都市が抱える兵士のことを指す。かつては王制下で、ロアヌキア国軍を担っていた兵士たち。だが十貴族たちが政治の実権を握ると、その巨大な武力を嫌い私兵として少数ずつ抱え込み、形骸化していたのをカルが復活させたのものだ。

 スカルディアの私兵も含め、ゆくゆくはロクサーヌ兵に統一させる予定だったが、その途上に西都の謀叛という事態になってしまった。

 今は二つの組織を両立させて対応するしかなかった。

 平時には衛士とともに街の巡察から、犯罪の取締りなどにも協力していた彼らの出陣は、警察能力の低下――ありていに言えば、人手不足を露呈していた。

 カルもそれには思うところがあるのだが、金も人もない状況では手打ちようがなかった。

 故に、オウカという老獪な貴族であり政治家を使おうと決意したのだ。治安が回復するならそれでよし。

 しないのなら、オウカにはその責任を取ってもらえば良い。

 そのオウカが実行した施策とは、罰則の強化と衛士の他に警邏隊(けいらたい)の組織だった。ジェルノ家の財力で雇い入れた警邏隊の面々は、ジェルノ家に思いを寄せる中小の貴族の私兵を集めたものと、オウカの地盤である南都ジェノヴァからの傭兵が中心であった。

 カルの側からみれば、それらはジェルノ家の私兵が名前を変えただけだった。

 しかも、カルの承認の元で大っぴらに行われたことであり、非難のしようもなく、クラウゼやユイルイらはほぞをかんだ。

 その数およそ五百。カルの持つ兵力には届かないが、充分対抗できる数だった。

 そしてその警邏隊の面々はジェルノ家やその傘下の貴族や商人たちの家を中心に巡察を繰り返しているばかりで、平民区やその他の商人の家は、まるで巡察すらしなかった。

 当然、その他の地域は衛士たちの担当になり、彼らの仕事は全く減らない。

 だが現実に治安は回復しつつあった。犯罪の件数は減少し、強盗や殺人の件数の割合は著しく減った。

 カルは首を傾げ、クラウゼやユイルイは悔しがったが、それと同じくオウカも首を傾げていた。

 治安が回復したことに、ではない。

 むしろその逆で、ロクサーヌの内外に耳目を張り巡らせているオウカの目を盗んで、昨日の夜も数は少ないが、賊が出たと言うのだ。手口は残虐にして、容赦というものが感じられない。

 最も問題なのは、それが自身の派閥を襲っていることだった。

「あの小僧」

 憎々しげに呟いたオウカ。

「まさか……」

 賊を(そそのか)しているのではないか。カルに兵力が無いのは疑いようがない。

 シュセ率いる西都討伐軍に、手持ちの戦力のほとんどを使い果たし、政敵であるオウカに治安をゆだねるほどに。

 だとすれば、手持ちでない他の勢力を使って敵の勢力を削ごうとしているのではないか。

 敵とは、無論オウカ自身のことである。

 何故彼がその結論に至ったのかと言えば、オウカ自身が使った手段だったからだ。

 ジェルノ家の勢力下にある傭兵やゴロツキに治安を悪化させ、オウカが地位を得ると同時に止めさせる。

 それをカルにやり返されたのかと、オウカが考えても無理はなかった。

 ふむ、とだが彼は考え込む。だがあの小僧にそれが可能だろうか。

 湖水色の凍るような視線と、母親似の怜悧な、整いすぎている表情を思い浮かべる。

 あの少年に、悪を――少なくとも自身が悪と断じる者を受け入れて使いこなす器量があるだろうか。

 少年の少し潔癖症じみた政治への姿勢を思い出せば、それはないように思われた。

 例えば、裏町の整理だ。わざわざ側近のシュセを投入してまで、あの区画を“掃除”したのだ。よく言えば、完璧を求める少年らしさ。悪く言えば、戦力の無駄な使い方でしかない。

 オウカに言わせれば、あんなものは計画的に焼き払えばいいという結論だった。調整された炎ほど便利なものはない。老朽化した建物だ、さぞよく燃えるだろう。人も巻き込まれるだろうが、いっそ手間が省いてちょうど良い。

 その他のカルの施策から、大まかながらオウカはカルの性格と限界を予想していた。

「いや、違うか……」

 だからこそ、オウカの陣営を狙ったような襲撃事件には相応しくないように思えた。

 では、何者が、となるとオウカ自身も迷わざるを得ない。恨みなど、文字通りはいて捨てるほど買っているのだ。

 あるいは、全く関係ない便乗した賊なのだろうか。だとすれば、治安を担う衛士の長と言う立場のオウカ自身、それらを取り締まらねばならない。

 加減を間違えた火など、災厄でしかないのだから。

 相手がカルならばその不正を暴き出し、その他ならば背後に誰がいるのを探り出したい所だ。

 しかし、状況がそれを許さない。

 新たに就任した衛士の長。それに期待する声は多くはないが、確かに存在する。その声を集め、束ねてカルの座に奪わねばならないのだ。

 なら、やはり早期の解決が必要。

「火種は根本からだな」

 深淵を思わせるオウカの視線が、手元の鈴を掴む。

 澄んだ音に、続いて現れたのはまだ若い男。部屋の隙間から、感情の感じられないガラス玉のような瞳を向ける。

「御用で?」

「クゥトゥザーラ。暗殺団を率いて、わが家門に仇なす賊を殺せ」

「やり方は?」

 低く聞くものを不安にさせずにはおかないオウカの声に、若者はかすれた声で返す。

「任せる」

 頷いた若者は、音もなく消えた。

「カル・スカルディア・ヘルシオラ」

 その名を持つ少年を、あの白磁の陶器を思わせる首筋をねじ切るのを夢見てオウカは、目蓋を一瞬だけ閉じた。




 “血濡れ”のターディことターディは、ある日突然現れ、自分の主になった黒髪の女の後を追っていた。

 時刻は既に深い夜。昼間の住人たちは眠りにつき、夜の住人の時間だった。今日は、四度目の仕事だった。

 仕事を重ねるごとに、彼は認識を改めた。

 最初はどす黒い憎悪しか抱かなかったのが、二回目三回目となると、次第にこの黒髪の女に認められたいとさえ思うようになっていた。

 盗賊が群を作る場合、強さは前提条件だった。腕っ節はもちろん、頭の良さも要求される。それらを含めて“強さ”なのだが、黒髪を揺らしながら目の前を進む彼女は、その点、満点をつけても良かった。

 身分も出自も、盗賊の中では意味を持たない。必要とされるのは、能力だけだ。

 身分や出自が意味を持つのは、平和にボケた奴らの中だけだとターディは考えていた。

 だからサギリが女だから、カシラに相応しくないとは思っていない。

 気前の良いカシラだと言うのも、盗賊の中では稀有なものだ。

 ターディが群れを好まないで“血濡れ”などと言う二つ名などをもらっているのも、前に所属していたカシラが強欲な奴で取り分を誤魔化していたからだ。

 カシラだから当然だと、開き直ったそのカシラをターディは全員の前で切り刻んだ。群れを率いるつもりなど無かったから、盗賊団はそのまま消えてしまった。

 それ以後、彼は一匹で生きてきたのだが、金も無くなってきた所で、一つ大きな仕事をしたいと思ったのだ。そこでサギリと名乗る女に出会った。

 不思議な女だった。仕事をすればするほど麻薬を決めているように、離れられなくなる。

 塗れた黒鳥の羽のように艶やかな黒髪、切れ長の目の奥から覗く深淵を思わせる漆黒の瞳。整った鼻梁から、黙っていれば貴族のお姫様と言われても通じる気品ある顔立ち。

 だが、貴族の人形のような“お上品な”顔立ちは、不敵に歪む口元によってその印象を一変させる。なまじ顔立ちが整っているだけに、牙をむく獣を連想させるつり上がった口許。

 抜群の剣捌き、身のこなし、自分たちよりも大きな獲物を狙うというその心意気、そのすべてがターディを惹きつけて止まなかった。

 普段なら、尻尾を巻いて逃げ去るしかない、貴族や弱い奴らから搾取するしかない大商人。

 そいつらの雇い入れた護衛、私兵を蹴散らして貧乏人から吸った甘い汁で、肥え太った奴らをぶち殺すのは気分が良かった。

 一種そのサギリという女は、ターディ達“法の外”を生きる者たちの理想を具現化していると言ってもよかった。

 不撓不屈。

 何者にも屈せず、己の力だけを頼りにこの世を渡る。

 そんな女の姿に、短い間ながらもターディは魅了されていった。

 最初の仕事は貴族だった。ハッシバル家。南方貿易で富を成した政商。南方から、食糧や珍しい動物を仕入れ、こちらからは人を――奴隷を送り出していた。借金の肩代わりに娘や息子を売るなど、貧乏人には当たり前のことだった。

 ターディもそんな貧困な家に生まれ、多くの姉弟が友人がある日消えていった。優しい姉も、仲のよかった友人も、喧嘩ばかりした悪友も。

 そして、二度と戻ってこなかった。

 サギリにうまく乗せられた形ではあったが、正面からハッシバルの門を破り、私兵を殺して、貴族を目の前にした時ターディの身を支配したのは、情け無いことに恐怖だった。

 初めて短剣で人を傷付けた遠い昔のように、膝は震え呼吸は不規則で、とても“血濡れ”などと凶悪な二つ名を持っている賊とは思えないほどだった。

 肩を寄せ合い、女子供まで盾にして助かろうとするハッシバル家の当主シウテ。豚のように肥満した彼が後ずさる姿を凝視しながら、ターディは鞭を振るわれる子供のように、怯えていた。

「怖いのかい?」

「うるせえ!」

 ターディ自身、その声が震えているのがわかる。

「逃げ出したって良いんだよ。全部忘れて、逃げ出したって」

 恐ろしく女の声は優しい。

「忘れて、だと……」

 湧き上がるのは腹の底を揺さぶる衝動。

 言葉に出来ない腹の底で黒く固まってしまった何かが、奴らを――泣いて命乞いをする奴らを見た時に、背を叩く鞭になってターディを後押しした。

 ターディはシウテに短剣を突き刺した。その場にいたシウテの家族にも突き刺した。

 忘却の海に沈めたはずの、過去の悔しさが、寂しさが、悲しみが、怒りが涙の形を取ってターディから流れ出ていた。

 全員を殺し終えた後、ターディは獣のように泣いた。狂おしく、血の海になった床を叩きながら、呪詛の言葉でこの世を罵った。

「こいつらは、人の面を被っただけの豚どもさ」

 ああ、そうだと彼は女の言葉に頷いた。

「世の中は、魑魅魍魎と獣同士がしのぎを削ってンだよ。豚に生きる資格なンざねえのさ」

 そういって笑う女を涙で塗れた瞳でターディは見上げた。

 以来、仕事を重ねるたび少しずつターディは女に惹かれた。

 そして今夜もターディは、その背を追っていた。小柄な背丈に、腰まで伸びた夜を切り取ったような黒髪。細く白い手足は、凶暴とすら言える性格とは無縁に見える。

 むしろ深窓の貴族の娘のようにすら見えた。

「ここだ」

 その背が立ち止まり、指し示すのは南方貿易で潤う穀物商。

「楽勝だろ?」

 女の挑発に、口の端を歪めて頷いた。

「おい、鍵師」

 鉄製の扉に、賊徒の一人が張り付き鍵穴に針金を伸ばす。僅かに数秒、鍵穴をいじり、カチャリと鍵を外す。

「行け!」

 静だが、威圧感のあるカシラの言葉に賊徒は商家に雪崩れ込んだ。




 商家の中から聞こえる悲鳴が聞こえなくなったのを確認して、クゥトゥザーラは手を振った。

 それを合図として、背後に控える十人は商家の中に侵入して行った。

「これで、小火は消える」

「そいつはどうかなぁ」

 背後から聞こえる声に、反射的に曲刀を振り抜く。

 手応えのない背後を振り向くと、同時。視界の下に沈み込む黒髪と、月明かりに反射した刃が見えた。

 とっさに腕を引く、だが僅かに遅く、腕に熱が走り曲刀を取り落とす。

 背後に体勢を逃がすと、追撃に備えて逆の手に短剣を握り締めた。

 だがクゥトゥザーラの予想に反して、あれだけの攻撃で向き合った女は追撃を止めた。

 当然追撃に対する備えはあったが、防ぎ切れず深手を覚悟していたクゥトゥザーラは、斬られた腕を庇いながら、女を見た。

 (もてあそ)んでいた短剣が宙を舞い、女の手に収まる。

「まだやるかい?」

 圧倒的優位に、女は余裕を見せて笑った。

 無言の内に短剣を構えるクゥトゥザーラ。女は苦笑と共に両手に短剣を構えた。

 月が照らす闇の中、張り詰めた空気が二人の間を埋め尽くす。

 質量を持ったような空気が重くのし掛かる中、女が前にでる。

 わずかに一歩。だがそのぶんだけクゥトゥザーラは下がる。

 更に一歩女が前にでる。再び下がるクゥトゥザーラ。それが二人の力関係の差を示していた。

「逃げないのかい?」

 闇すら飲み込む女の漆黒の瞳が、クゥトゥザーラを見つめる。

 背筋を流れる冷たい汗と、胸を支配する焦燥感に彼の心は悲鳴をあげた。

 更に一歩、女が前に出る。

「くっ……」

 クゥトゥザーラは背を向けて走る。後退する際、笛を鳴らす。商家の中から吐き出された手下に退却を告げた。

「クソッ! 奴らどこ行きやがった!?」

 息巻いて商家を飛び出してきたターディは、二つ名の通り頭から血を浴びたようだった。

「どうかしたのかい?」

 力を抜いたカシラの声に、血走った視線を向ける。

「カシラ! 敵だ!」

「ああ、追い払っておいたよ」

 ターディに続いて商家からは賊徒達が、出て来るがその表所ははっきりと二つに分けられた。

 怒りと恐怖。

「……奴ら、何なんだ? 俺たちを狙ってやがったみたいだが」

「どこかの暗殺団だろ」

 平然と答える女に、ざわめきが賊徒を支配する。

「どういうことだ? 何か知ってるのか?」

 腕を組んで平然と告げる女の言葉に、ざわめきが不信の声をもらす。

「まぁ、とりあえず――」

 女が双振りの短剣を腰から抜く。

「カシラ?」

 ターディの声にも疑問と不安が混じる。

「──警邏隊の犬どもだ」

 不敵に笑う女に、賊徒達は互いの顔を見合わせ、武器についた血糊を払い落とす。

「警邏隊だ! 大人しくしろ!」

「突き破るよ!」

 警邏隊の誰何(すいか)の声と女の命令が重なった。

 警邏隊に向けて駆け出す女に、賊徒達は目の色を変える。

 取締りを目的にするとはいえ、ジェルノ家が中心となって作った警邏隊の話は、噂好きな者の口伝てに、賊徒達にも伝わっていた。

 オウカ・ジェルノが王に対抗するために創った私兵にも等しい警邏隊。

 潤沢な金とコネにモノを言わせた彼らの評判は高い。

 彼らの持つ油夜灯(ランタン)の明かりが夜の闇を駆逐するように、商家の路地を照らす。

 夜を住処とする彼らにとって、その明かりは断崖絶壁を見下ろした心境に等しい。

 思わず立ち竦む賊徒達の群を抜けて、女が警邏隊に斬り込んだ。 途端、血飛沫が警邏隊の中であがる。一旦は彼らにおそれをなした賊徒達だが、それをみて持ち前の強気を取り戻す。

「カシラに続け!」

 ターディの声に、賊徒達が得物を振りかざし、警邏隊に殺到した。





「これ以上、我慢することなどできぬ!」

 ベルガディのトゥメルの屋敷に集まった幹部の一人が、会議の席上で不満をぶちまけた。

「王都からの軍勢は、既にこの西域の半ばにまで達しているのだぞ!」

 幹部の中でも古参の彼の言葉に、出席者たちは下を向く。彼らとてこのまま指をくわえて見ているのは不本意なのだ。しかし、頼みとするトゥメルの様子は、依然として消沈したまま。

「しかし、な……」

 そう言った視線の先には空席のトゥメルの座。

「もうよい! わしは勝手にやらせてもらう」

「グンメル殿!」

 呼びかけられる声を振り切って、幹部の一人は席を蹴った。

 室内を覆う暗くて重い空気の中で、頭をあげられるものはいなかった。







「敵が、篭城?」

 天幕で受けた報告に、シュセは柳眉をひそめた。

「間違いありません。数はおよそ300。ここより半日の距離にある村落に立てこもっています」 たった300、シュセの率いる軍勢に比べれば、人数比7対1にしかならない。

「ご苦労様でした」

 部下を下がらせると、視線を手元の地図に落とす。

 篭城している村の名前は、ケイウッド。

 村の周囲には僅かな畑と、その外側に果樹園が広がる。村に至る道は一つだけしかない。

 西域にはありふれた地形。別段要害の地というわけではない。

「罠、を仕掛けるにしては妙な……」

 果樹園は兵を隠せるほどに密ではない。矢を射るにしても、距離がありすぎる。火をかけるには季節が悪いし、何より枯れ木を集めている気配もない。

「何を、考えているのですか……?」

 地図上の敵に向かい、シュセは問いかけた。

「攻めないのか?」

 いきなり背後から声をかけられ、シュセは突然目隠しされた時のように驚愕した。彼女は内心の動揺を押し殺して、ゆっくり振り向く。

「女性の後ろから、いきなり声をかけないでください」

 動揺を押し殺した表情は、よくいって無表情。それをどうとったのか、ジンは意地悪く、口の端を歪めた。

「考えておく。それより攻めないのか?」

 シュセの手元の地図に視線を落とし、今一度彼女に問いかける。

「……考え中です」

 その近すぎる距離に、シュセは視線を地図に戻す。

「あなたは、攻めたそうですね」

「負けそうにないからな」

「罠に嵌ってしまえば、人数差は当てになりませんよ?」

「どんな?」

「それは……わかりませんが」

 柳眉をひそめるシュセに、ジンは不敵に笑う。

「罠があれば、食い破ればいい」

 確かに、罠を破れるならば問題は何もない。だが、もし……。

 尚も地図を凝視するシュセの頭に軽い衝撃がある。いや、衝撃というのすら軽すぎる。

「もしかして、気遣って頂けているので?」

 自身の頭に乗せられたジンの手。その手に問いかけるシュセ。

「怯えた、獲物の顔をしてる」

 頬を膨らませたシュセがジンを睨む。

「……そんなに、酷い顔ですか?」

 肩を竦めると、手をどかして背を向ける。

「なんだか、物凄く馬鹿にされた気がします。この借りは、忘れませんよ?」

 細く息を吐き出すと、シュセはジンに見えないように小さく笑った。

 天幕の幌を上げて外にでる。降り注ぐ陽光に一瞬目を細めると、駆け寄る部下に決然と言い放った。

「ケイウッドを攻め落とし、西域征伐の狼煙とします」

 準備は、と聞いた彼女に部下は胸を張って応える。

「すぐにでも」

 こくりと頷いて、未だ見えぬ敵将を睨んだ。





 魂を絞り出すような喊声をあげて、長槍兵がぶつかり合う。その隙間を縫うように長剣兵が剣を振るい、弓兵は後方から敵陣に向けて矢の雨を降らせた。

 村へと続く街道の出口。それを巡って広くもない畑を舞台にグンメル率いるトゥメル歩兵軍と、シュセ率いるロクサーヌ軍との戦いは幕を開けた。

 5人をひとまとまりに、(ユセ)を組む。伍が5つ集まって(ユーセ)。トゥメル歩兵軍の陣容は長槍兵五(ユーセ)長剣兵五班に、弓兵4班。通常12班を1(ユーセル)とする定員300名よりも、僅かに多い。

 対するロクサーヌ軍は長槍兵だけで2隊、長剣兵も3隊、弓兵が1隊、残る200名が騎馬隊としてシュセの直接の指揮を受ける。

 数だけを見れば圧倒的だが、それを生かし切るだけの地積がシュセには与えられなかった。

 数で劣るトゥメル歩兵軍が逆に押し出してきたのだ。ロクサーヌ軍が細い街道を抜ける手前を狙ってほぼ全軍を挙げて攻め寄せてくる。

 長槍兵を前面に押し出して、左右に2個長剣班。ロクサーヌ軍が街道から出て来た所を、左右の長剣班で囲い込み、半包囲を敷く。

 少数である身軽さを活かし、ロクサーヌ軍の先陣である長槍兵が陣容を整える隙を与えない。

 整然と揃った槍の列。盾に姿を隠した兵士たちは、針鼠のような陣列を構える。一列目は地面と水平に二列目は、わずかに槍が上を向く。三列目は更に上。

 前面に対する絶対の防壁。左右の防御を捨てたそれが、ゆっくりと前進してくる。左右に展開するのは、長剣兵。長槍兵の弱点を埋めるため、ロクサーヌ軍を包囲する。

 未だ整列が終わらないロクサーヌ軍に向かって、一気に襲いかかった。

 未だ整わない隊列の隙間を、槍の穂先が容赦なく突き崩す。

 悲鳴と怒声を引きずりながら、崩れだした隊列は整列を終えていた他の隊列までも巻き込んでしまう。

 敵の穂先に追われた兵士が味方の隊列に逃げ込み隊列を乱してしまうのだ。

 そこを狙ったかのように、トゥメル歩兵軍の長槍兵が押し進む。更に崩れた隊列を狙って、左右に配置された長剣兵が襲いかかった。

 ――前衛混乱。

 その報告に、シュセは僅かに頷いただけだった。

 その表情にはさざ波すらたっていない。数倍の兵力差にも関わらず、圧されている。予想外の出来事に慌てて報告に来た伝令は、彼女の表情を見て気持ちを落ち着かせた。

「長剣兵を前に出します」

 冷静な彼女の言葉に、伝令は自身の醜態を恥じた。

「左右の林を突破しなさい。長槍隊にはわたくしが向かいます!」

 その言葉に、伝令兵は背筋を伸ばす。

 将たるシュセが直接出向く。確かに兵士たちの士気はあがるだろう。あるいは数に勝るロクサーヌ軍ならば、それが勝利の決め手となるかもしれない。

 だがそれは、将である彼女の命をさらす事には違いない。

 つまり、シュセはそれほど危機感を持っているということだ。

 敬礼を返すと伝令は、すぐさま彼女の指令を伝えるため、駆け出した。

 敵の長槍兵に追われた兵士たちが、味方の隊列に入り込み混乱が増す中で、シュセは自身の直接指揮下にない長槍隊と長剣隊を混乱する前衛から引き離すべく、後退を命じる。

 と同時に、シュセ直属の騎馬隊を前に出した。

 走っていない馬など、ただの目立つ的でしかない。だが、その先頭に立つシュセには、それこそが狙いだった。

 騎馬隊を二つに分けて、左右から襲い来る敵の長剣兵の前に騎馬隊を乗り込ませる。

 当然殺到する敵の攻撃に狙われ騎馬隊は傷付くか、倒れるかしてしまう。だが、攻撃が彼ら騎馬隊に集中する間に、混乱する長槍隊をシュセは立て直してしまった。

「グリューエン! ハーネイル! ソセイグ! 班を掌握なさい!」

 彼女が名前を呼んだのは、初陣の頃から私兵としてスカルディア家に仕えた旧知の名前。

「グリューエン班良し!」

「ハーネイル班掌握!」

「ソセイグ班良いぞ!」

 返答に小さく頷く。

「一列横隊!」

 馬上から剣を抜いてシュセが命じれば、先ほどの混乱が嘘のように、整然と長槍の列を整える。

「カラック! ヒューイ! 残りのっ!」

 指示を出しかけたシュセに、敵の長剣兵が襲い来る。その剣を弾き、頭上に大剣を振り下ろす。

 革の兜ごと押しつぶした大剣を頭上に掲げる。

「敵は少ない、恐れず前を見よ!」

「カラック班良し!」

「ヒューイ班、掌握良いぞ!」

 自身の後ろからあがる声に、シュセは大剣を正面に向ける。

「前進!」

 その声に、混乱から立ち直ったカラック、ヒューイの班が槍の列を整えて前にでる。

 最前線で敵の槍兵を押し止めていた各班と合流すし、崩れていた“針鼠”が復活した。復活してしまえば数は元々有利なのだ。

「押せ押せ!」

「シュセ様に敵を近付けるな!」

 班長たちの檄に槍兵たちの士気は否が応でもあがる。

 正面が安定したことを確かめたシュセは、馬首を返す。

 盾の役目をした騎馬隊を撤収しなければならない。

 騎馬隊に後退を命じたのと、林を抜けた長剣隊が敵とぶつかるのは同時だった。

「騎馬隊を救え!」

 磨き抜かれた長剣を抜き放つロクサーヌの長剣隊。

 騎馬隊を追ってきた敵の長剣兵を認めた途端、吠えるような喊声と共に、長剣隊は敵に襲いかかった。

 ロクサーヌ軍を包囲しようとした左右の長剣兵が押し返され、まだ拮抗を保っていた槍兵が逆包囲される。

 短いが激烈な長剣兵同士の衝突の後、数に勝るロクサーヌ軍がトゥメル歩兵軍を押し込む。

 先程と同じ光景が、数と相手を代えて行われた。

「長槍兵どもに斬りかかれ!」

「敵が横から来るぞ!」

 ロクサーヌの長剣隊が雄叫びを上げれば、反対にトゥメル歩兵軍からは悲鳴があがる。

 崩れ出すトゥメル軍は両側からの圧力に、崩壊する。

「引け! 退却!」

「逃がすな、追え!」

 逃げる少数を、勝利の勢いを駆るロクサーヌ軍が追う。

 それは既に戦ではなく、勝利の余韻を駆った殺戮だった。

 遅れたものから長剣を突き立てられ、その牙を逃れたとしても、迫り来る鉄靴に踏みしだかれる。

 既にトゥメル軍は兵も将もない。等しく遅れた者から死んでいく。

 自軍の熱狂的な殺戮と、敵の悲鳴にシュセは自身の目を疑った。

 一度少数の敵に追い詰められたが故の、恐怖。それがロクサーヌ軍をして、執拗なまでの追撃となって現れた。

「シュセ様大勝利ですな!」

 騎兵の1人が茫然としていた彼女に声をかける。

「……こんな、わたくしが求めたのはっ!」

 違う、と青ざめた彼女は小さく呟き、手にした大剣を振り上げる。

「全軍に停止を命じます」

「はっ? いや、しかし……」

 戸惑う騎兵を睨み、怒鳴りつける。

「止めなさい!」

「は、はっ!」

 騎馬の伝令を走らせ、先頭を走る長剣隊を止まらせる。

「敵味方を問わず生きている者に、治療を!」

「敵にも、ですか?」

 確認する兵士を、憤怒の視線で睨み付け再び繰り返す。

「そうです!」

 返事をして駆け去る兵士を横目に、1人の騎兵が苦言を呈する。

「追撃を止めたのみならず、敵まで助けては、兵士の士気に関わりましょう」

 苦虫を噛み潰したかのような、騎兵の顔。仲間を殺した他人を助けろ。シュセの命令は、そういっているに等しい。

「敵、などではありません」

 頭を振るシュセは悲しみに顔を歪めていた。




 ケイウッドの戦いにおいて勝利を得たロクサーヌ軍。損害は多くなく、そのままケイウッドを占領する。

 当初予想されたトゥメル軍の抵抗はなく、主将たるグンメルは負傷して動けない所を捕縛された。

 シュセの指示通り、敵味方ともに行われた治療はトゥメル軍の抵抗の意志を奪うのに充分であった。

「なぜ我らに治療など……」

「感謝するんだな。シュセ様の命令だ」

 このようなやりとりが、生き残った敵味方の兵士同士で行われた。

 彼女の意図とは無関係に、治療を受けた敵は抗戦の意志を失い、それをみた彼女の部下もシュセに対する認識を改める。

「流石はシュセ様、慧眼とはこの事ですな!」

 兵士の1人に声をかけられ、彼女は苦く笑った。

 慈悲深き戦乙女。

 勝者と敗者の両方に知れ渡るその評価。自身の内面とはあまりに違う評価に、シュセは頭を抱えた。

 占領した村の村長の家を借り上げ、シュセはそこを本営とする。

「降伏したものたちはどうしていますか?」

「負傷者をのぞき、一カ所に集めています。これから尋問を適時始めていこうと思いますが」

 士官の1人の言葉に、軽く頷く。

「四周を警戒するように」

 テーブルの上に広げた地図上に、周囲の情報を書き込んでいく。

「それから、偵察班を」

 士官に指示すると、別の部下を呼ぶ。

「ハーネイルさん」

 長槍隊の班長たちの1人を呼ぶ。実直を絵に描いたような男が、厳つい顔をのぞかせる。三十代の半ば、シュセにしてみれば、父親にも近い年齢の彼に、住民の様子を聞く。

「悪くはありませんが、みな不安を抱いているでしょうな」

「村人に対する暴行の厳禁を、それと窃盗に関しても同様です。破るものには、陛下の名前を持って厳罰を加えます」

「承知しました」

 厳しいシュセの言葉に、同意を示すように彼は頷いた。

「付け加えるなら、布告として開示したほうが良いでしょうな」

「分かりました。立て札にして、村の広場に立ててください」

「御意」

 幾分柔らかくなった彼女の顔に、いささかも表情を緩めることなく頷いた。




「……後ろから近付くのはやめてくださいと、お願いしませんでしたか?」

 自身の背後に佇む気配に、シュセは振り返らずに問い掛けた。

「ふん」

 気配を嗅ぎ取られたのが悔しいのか、いささか不機嫌そうにジンは鼻を鳴らす。

「しばらくこの場所に居座るのか?」

「二、三日になるでしょうね」

「そうか」

 それだけ確かめると、ジンは音もなく彼女の部屋から消えた。

 彼女の部屋から出ると、ジンは着ていた兵士の鎧を脱ぎ捨てる。軽量の革鎧とは言え、普段の動きが制限されることを彼は憚った。

「……来るか」

 黄昏の風に混じる、不穏な気配。自身と同じ、どぶを這いずり回る獣の気配。

 その気配に、口の端をゆがめた。



仕事一段落シタ更新スル。


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