西域の主12
ジンは憮然として目の前の光景を眺めていた。時折向けられるサギリの視線は、剣に斬る以外の価値を見つけたように、興味深そうだった。サギリの対面に座るのは、柔らな梢の葉を思わせる緑色の髪と、琥珀色の宝玉のように強固な意志を感じさせる瞳を持つ女の騎士。
彼女は結局ジンの住処までついてきて、あろうことかサギリに話を持ちかけたのだ。
「シュセって言ったかい?」
口元には弦月に歪む嘲笑の色。整った顔立ちを、不敵に歪ませてサギリは目の前で行儀よく座る女を見た。
「要件は分かったけど、即答はできないねぇ」
シュセの背と、サギリの顔を見比べてジンは目を見開いた。常に即決即断のサギリが回答を引き延ばすというなら、それは考える余地があるということだ。
目の前のシュセが持ってきた提案。ジンを西都ベルガディへの遠征軍に加える、という提案を!
「っ……!」
ちょっとまて、と声を掛けようとしたジンを漆黒の刃を思わせるサギリの視線が刺した。無言の内に反論を封じ込めると、シュセに突き放すように言う。
「とりあえず、今日の所は帰りなよ」
「分かりました。また後日お伺いします」
椅子から立ち上がり、振り向くと彼女はジンに目配せした。意味ありげな視線に、ジンはわけもわからずたじろぐ。
「では」
口元に微笑すら浮かべて、シュセは歩み去る。
「ふふん、ジン。アンタ一晩で騎士様と知り合うなんて、どんな魔法を使ったんだい?」
面白がって問い掛けるサギリに、ジンの表情は苦い。
「付きまとわれたこっちの身にもなれ」
吐き捨て眉を寄せたジンは、眉間に深い皺を刻む。
「王都に出てきて早々騎士様を引っ掛けたんだ。もう一回出歩いて、今度は王様を引っ掛けておいでよ」
冗談とも本気ともつかないサギリの言葉に、ジンは彼女に無言の抗議をする。
「そういえば、まだ聞いてなかったな」
「あン?」
口元に貼り付けた笑みを崩さず、サギリはジンのほうを見た。
「なんでロクサーヌに来たんだ?」
問いかける声には嘘を赦さぬ響きがある。
「知ってどうなるってもンでもないだろ」
「……国奪り、見せてくれるんだろう?」
真摯なジンの視線に、サギリは口元をゆがめた。
「……しょうがないやつだね」
一呼吸、ジンから視線をはずしたサギリは頬杖をつきながら、口を開いた。
「今ロクサーヌじゃ王様とオウカ・ジェルノって貴族が覇権を争ってるのさ。まずは、そこに付け込む」
「二人が戦ってるところに割り込むのか」
「まさか、ここは王都だよ。アタシらの賊都じゃない。戦いはもっと陰湿で腰が引けたもんになるだろうさ」
首をひねるジンに、サギリは笑いながら答えを教える。
「腹に敵意を隠しながら、笑顔で権限を奪い合う……んで最終的により多くの権力を得た方が勝つ」
「権力ってのは……そんなに良いもんか?」
ジンの疑問にサギリは、彼ら二人の考え事吐き捨てた。
「くだらねえ物だよ。まったくな! だから、二人が争ってる間に、アタシらがぶん獲るのさ」
権力という目に見えない虚構に、ジンは眉をひそめた。そんなものよりも、眼前に迫る刃の方が、何倍もわかりやすいと思うのだ。
「……やっぱりわからねえな」
低い笑い声とともに、サギリが呟いたジンの肩をたたく。
「気にするなよ。あんな物はわからなきゃ、わからない方がいいかもしれねえしな」
ベッドに横になりながら、サギリは先を口にする。
「今回は王様の味方さ」
だから、と言い置いて。
「行ってきな。西都」
あの騎士様を助けてやれ、との言葉にジンは眉間の皺が深くなる。
「あいつは、苦手だ」
「クックック……良いじゃないか。とりあえず、アタシは旅の商人。アンタはその弟兼、護衛さ」
「弟かよ」
「ふふン。恋人にしてほしきゃもっと腕を磨くんだね」
冗談とも本気とも取れない言葉で、ジンの不満を退けると、サギリは荒地の魔女の名に相応しく邪悪に笑った。
「どうせなら、吹っ掛けてやるか」
「ナルニア!? 無事だったのか!」
西都ベルガディ全域を占領したトゥメル。彼の館に、クシュレアに伴われてナルニアはやってきた。あわただしく駆け寄るトゥメルに、だが、ナルニアはクシュレアの袖を掴むだけだった。
「ナルニア……?」
その様子に気づいたトゥメルは、不審の目を彼女に向ける。走りよった勢いは徐々になくなり、やがて彼女の側に来たとき、それ以上トゥメルはナルニアに近寄れなくなってしまった。
あの花の咲いたような笑顔など、もうどこにもない。痛々しい傷痕が体中に残り、視線は怯えを含んでトゥメルを見る。
「……なにが」
そう言ったきり、ナルニアのあまりの変貌振りにトゥメルは固まった。
「どこから話していいものか」
トゥメルの視線から逃れるように、クシュレアの後ろに身を隠すナルニア。彼女に代わってトゥメルの疑問の答えたのは、クシュレアだった。
トゥメルの視界から、ナルニアを庇うように口を開く。
「お前はナルニアの一座で……」
「裏子のクシュレアでございます。閣下」
丁寧に礼をするクシュレアに、トゥメルの視線は釘付けになった。
「最初からで、いい。すべてを話せ!」
「ですが、ここでは……」
困惑したようなクシュレアの視線に、トゥメルは周囲を見渡す。そこで初めて、自分が館の外にまで走り出てしまっていたことに気がついた。
「わかった。一室を用意しよう……ナルニアも」
トゥメルと視線があった瞬間ナルニアは体をクシュレアの後ろに隠してしまう。
奥歯を、砕けるほどにかみ締め、トゥメルは彼女たちに背を向けた。召使の中から女を特に命じて、彼女たちの案内役につけ、自身は館に入る。
質実剛健を旨とするトゥメルの屋敷。クシュレア達の通された部屋は、決して豪華ではないものの貧相と呼ぶには立派なものだった。
長いすに彼女らと向かいあうように座ると、トゥメルはクシュレアの話す言葉にただ黙って耐えた。ナルニアの身に起こったことと、その傷の深さを思えば、クシュレアの言葉は氷の鞭に似ていた。その鞭が自身の心に深く傷をえぐっていくのを、トゥメルはただ耐えた。
目の前のナルニアのおびえた姿を見れば、耐えねばならないと感じたからだ。
「……よくわかった」
鉛のように重くなった心。頭を抱えてしまいたい衝動を必死で堪え、トゥメルはやっとそれだけ吐き出した。眉間の皺は、苦悩というひびを彼の眉間に掘り込み、麻痺してしまったかのように虚ろな心は目の前の二人をまるで空虚な虚像のように見せていた。
「……ごめんなさい」
ぼそりと呟いたナルニアの声に、トゥメルとクシュレアは驚いて彼女を注視する。
思わず一歩踏み出してしまうトゥメル。
「トゥメルさま、が……お優しい方だと、わかっては、いるのです。でも、でも……」
がたがたと震えだすナルニアの肩を強くクシュレアは抱く。これ以上何もいう必要はない。彼女の今日の舞台はここまでなのだ。
「私は、怖いんです……」
明確な拒絶。愛するものの怯えた視線は、トゥメルを打ち据えた。
二人を部屋に下がらせた後、トゥメルは一人慟哭の声をあげる。獣ののた打ち回る苦悶の声に似たそれは、駆けつけた侍従達をたじろがせた。
「オオォオォォォ、オオォァアアア!」
手近にあるものを、素手で殴り飛ばし、拳の皮が破れ血が吹き出るのもかまわずに、トゥメルは荒れ狂った。
「俺は、俺はあぁああぁぁ!」
狂気じみたその双眸からは、涙があふれ出し、抱えた頭からは爪を立てたせいで血が流れ出る。
「大若さまを、抑えろ!」
侍従の長がもがき苦しむようなトゥメルを抑えようと、兵士達に命じる。だがトゥメルはその制止を振り切って、尚も拳を振るうのをやめはしなかった。四人がかりでようやく彼を抑えつけると、寝室に無理やり運び、睡眠効果のある薬を調合して彼にかがせた。
「おいたわしい……」
老いた侍従の呟きが、彼の暴れまわり、無残な姿となった部屋に響く。失ってはいけないもの、おのれの守るべきものを守れなかった男のそれは悲鳴だった。
シュセ率いる王都ロクサーヌからの軍勢は、王の直参であるスカルディア私兵と王都ロクサーヌの防衛を担う兵士との混成軍となった。2,000の兵士しかだせないと、言ったカルだったが、その2000は精鋭を選び抜いた。
内乱を戦い抜いた私兵と、王都の兵士の双方から若く実戦経験も豊富な人材をシュセに任せたのだ。
「行ってまいります」
白亜の鎧に身を包み、腰には戦で使う大剣を佩いたシュセは玉座にいるカルに頭をたれる。
「何も言うことはない。征け」
湖水色の瞳の奥で輝くのは炎にも似た激情。言いたいことがないなど、上辺だけのことだった。シュセを心配する色、征伐の成功を期待する色、それら膨大な感情が交じり合ってひとつの大きな炎のようになってしまった感情を、だがカルは表情にさざなみすら立てず押し殺した。
「御意。誓ってロクサーヌの光を翳らせるようなことはいたしません」
カルの治世を守る、その峻烈な意思を琥珀の宝石のような瞳に宿らせて、シュセは頷いた。シュセの淡い緑色の髪が揺れる。一気に立ち上がると、颯爽とすらしてシュセはカルに背を向けた。
スカルディアの屋敷の外には、今回の遠征に付き従うロクサーヌの兵士とスカルディアの私兵が彼女の出発をいまや遅しとまっていた。
兵士の一人から愛馬の手綱を受け取ると、ひらりと乗馬して彼らの先頭に立つ。一度よく晴れた青空をみあげて、まぶたを閉じ決意も新たにまっすぐ前を向く。
「征きましょう」
穏やかに、シュセは征伐の開始を宣言した。
二階の窓からは花が投げられ、街の通路は鈴なりの人だかりだった。シュセ率いる征伐の軍を一目見ようとロクサーヌ中から人々が集まってきたのだ。
好奇と無事を祈る歓声の中、シュセの軍勢は粛々と城門を抜けて行った。
「あまりご機嫌はよろしくないみたいですね」
「……別に」
「拗ねないでください、ジンさん」
微苦笑を含ませて向けられた声の先は、シュセの愛馬の轡を取る兵士の姿。深めに被った革の兜、軽さを重視した革の鎧に、手には槍を持っている。
「これから二十日ほどで西域に到着します。そこで戦い、そして勝つまでよろしくお願いしますね」
鼻を鳴らしただけでジンは答えを返さない。そんな様子を気にも留めず、シュセは微笑んだ。
「行ってしまわれましたが、本当によろしかったのですか?」
「良いさ。何か問題でもあンのかい?」
逆に問い返されて、クルドバーツは返答に困った。自身の経営する武器の店の二階席からサギリは、彼女の傍を常に離れない狼が、白亜の騎士に連れられて西域に向かうのを見届けていた。
なぜ、と言われても彼としても困る。ただ、なんとなく魔女の傍に狼がいないのは、何か寂しい気がしたのだ。そしてそんな風に考える自分に、ふと首を傾げてしまう。果たして自分は、そんなにもこの二人のことを知っていただろうか、と。
あの魔女の後姿が、寂しそうに見えたなどと、きっと自分の見間違いに違いないと頭を振る。
「いえ、それで……ルカンドさんからはなんと?」
ガドリアから手紙が届いたのは、つい先ほど。その中身を確かめてもらうべく、クルドバーツはサギリの居室に足を運んだのだ。
「……ふん。あいつめ、アタシに芝居をさせようってンだね?」
鬼気迫る笑みに、クルドバーツは先ほどの考えなど吹き飛ばされてしまった。
投げ渡される便箋にクルドバーツは慌てて視線を走らせる。
「……少し、細工が過ぎはしませんか?」
一読して、息を呑む。そうしてクルドバーツは勇気を振り絞って言葉を放った。
「そうかい? なかなかアタシは気に入ったけどねぇ……それに一度やってみたかったんだ。正義の味方ってやつをさ」
双頭の蛇を率いる魔女の笑みを含んだ視線に、クルドバーツは必死で耐えた。ここで唯々諾々としたがってしまって失敗すればロクサーヌでの足場を完全に失うことになる。今まで築いてきた物がすべて、崩れ去るのだ。その危機感が彼をいつにもまして勇敢にした。
「ルカンドなら、蛇どもを送って来るはずだ。それまでに、王様にはちぃと痛い目にあってもらう必要があるねぇ」
「王がそれを潜り抜けたら?」
恐る恐る聞いたクルドバーツに、サギリは邪悪としか見えない笑みを浮かべたまま答える。
「そのときは、蛇の何人かで襲わせれば良いだろう?」
愕然とするクルドバーツに、サギリは視線を窓の外に投げた。
「まぁ、そうならないように期待しようか、ねぇ?」
開け放たれた窓から吹き込む風が、サギリの長い黒髪をさらった。