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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦528年 覇を統べる王5章
83/103

西域の主11

 孤児院に招かれたジンは、下にも置かれぬ扱いだった。子供たちからは、ミオンを助け出した英雄としてその目に映り、ガストンをはじめとする孤児院の職員たちからは、それこそ賓客をもてなすようにジンを出迎えた。

 一人シュセはその騒ぎの中、ミオンの言った“悪い人”の捕縛を衛士に依頼するため孤児院を一次的に離れていた。

 ジンはミオンの傷の手当てが済むと、足早に孤児院を去ろうとする。すでに夜道は暗い。暗夜を友とするジンでさえ、月さえ出ていない道に一瞬眉をひそめた。

「もう、お帰りですか?」

 孤児院をでようとしたジンに問いかけたのは、ガストンと呼ばれたラストゥーヌの元侍従。

「もう用はない」

 一瞥をくれて帰ろうとするジンに、ガストンは困ったような笑顔を貼り付けて、声をかけた。

「ミオンが泣いてしまうでしょうね」

「知らん」

 引きとめようとするガストンの声は、闇の中に消えるジンに追いすがる。だがジンはそれを振り切るようにして、闇の中に消えた。

 勢い良く孤児院を出てきたジンだったが、地理がわからない。その上暗いとあって、幾許かもしないうちに途方にくれることになる。

「くそっ」

 毒づいて、意識して歩調を緩めて周囲を確認しながら進む。

 何の屈託もなく、お兄ちゃんと呼ばれたミオンの声が耳にこびり付いている。過去からの呼び声はふと気を抜くと、闇の中にいるはずもない妹の姿を探してしまう。

 振り切ったはずの過去からの手が、ジンの体を絡めとっていくようだった。

 気がつくと、前に人の声と松明の明かりが見えた。目を細めてそれを確認すると、ジンは外套のしたにある双剣の握りを確かめた。

 巡察の衛士か、さもなくば盗賊か。

 ふっと、ジンの口の端がつりあがる。後者であってほしい。そうすれば、何も考えず剣を振れる。過去からの声を断ち切るための剣を。

 段々と松明の明かりが近づくにつれて、ジンは予想が両方外れたのだと知る。相手もこちらに気がついたのだろう。松明の明かりをこちらに向けて、近寄ってくる。

「おや、貴方は」

 掛けられた声に、ジンは落胆しつつ張り詰めていた気持ちを緩めた。

「ジンだ」

「わたくしは、シュセと申します」

 シュセの琥珀色の瞳が、好意を移して柔らかくジンに降り注ぐ。

「ちょうど、貴方のところへ行こうとしていたところなのです」

 疑問の視線とするには鋭すぎるジンのそれを、シュセは緩やかに受け止める。

「ミオンと貴方を襲った賊を捕らえましたのでご報告に、と」

「いらん世話だ。ミオンだけに言えばいい」

 素気無く断るジンに、だがシュセの態度は変わらなかった。

「そうはいきません。貴方はミオンの恩人なのですから」

 言い返そうとしてうまい言葉が見つからないジンは、頷くだけにとどめた。

「それで、ジンさんはこんな時間にどうして一人で?」

「帰る」

「では、お送りしましょう」

「いらん」

 隣に立つシュセの背は、ジンよりも頭ひとつ低い。腰に下げた銀細工の細剣の他は、どこにでもいる平民の少年のような格好をしている。

「ミオンを助けていただいたのに、何のお礼もできないとあっては、わたくしの気がすみませんから」

 にっこりと微笑むシュセの笑顔からジンは顔を背けた。

 その笑顔を見てたジンは即座に後悔した。自分の中に抑えがたい欲望が突き上がってくるのが分かったからだ。幼い日にサギリに向けたがむしゃらな敵意とは別の、シュセと名乗った目の前の女を滅茶苦茶にしてみたいと言う欲望。

 ひどく肉欲的なその欲望を、ジンは憎んだ。美しくない、と思うのだ。今までは憎むにしろ、悲しむにしろ、自分の心から生まれ出でた感情に彼自身は胸を張れた。

 心の底から湧き上がる噴水の水のように、一気に噴き上がり激しく心を染めていく。純然たるそれらは美しいと思うが、今目の前のシュセに抱いたものは、ひどく汚れていた気がする。

 自分の今の状況も忘れて、心底彼女が目の前から消えてくれれば良いのに、と思った。

「勝手にしろ」

 引きそうにないシュセに、ジンは背を向けた。

 どうしても彼女がついてくるようなら、殺そうと思った。双剣の柄を握り締めて感触を確かめれば、幾多の血を吸った愛刀が血を(すす)りたいと(ささや)いている様だった。

 物理的な声さえ、聞こえるようにジンには感じられた。先程胸をかすめた肉欲など、冷たく研ぎ澄まされていく殺意の前には、風前の灯火のようだった。

 そう言えば、しばらく人を斬って居なかった、とジンは暗闇に向けて口の端を歪めた。




 シュセから見たジンは、どこか野性的な印象を与える。今まで生きてきた人生の大半を、曲がりなりにも貴族の中で生きてきた彼女にとって、ジンは初めて会う(たぐい)の人種だった。他人とのかかわりを極力避けようとするかと思えば、年少の子供には随分と甘い。何かの事情があるのだろうが、きっと悪い人ではないのだろうと半ば強引に結論を引き出す。きっと不器用な人なのだと。

 言葉にこそ出さないがミオンを気遣う様子は、なぜか隠そうとする彼を裏切って、非常によくわかってしまった。一目見ただけでのその様子に、シュセは人知れず頬が緩む。

 だから彼が、一人でこんなところをうろうろしているのを放っておくこともできなかった。周囲を確認しながら歩く様子は、迷子のように思われた。シュセよりも身長が高く、おそらく年齢も上なのだろう。そんな彼が、どこか頼りなげな様子でシュセの前を歩く様子はどこか可愛さすら覚える。

「いつまで着いてくるんだ?」

 とがった口調にすら、微笑む余裕がある。

「貴方のご自宅まで、お送りいたしますよ」

 軽い舌打ちに、からかい過ぎたかと少しだけ彼女は後悔する。

 二人は貴族街を抜けて、平民街へ入っていた。ロクサーヌの中央から南に広がる平民街。貴族街とは違い、計画されて作られたわけではないそこは、雑多な建物が立ち並び夜ともなれば迷路のごとき顔を見せる。

「……どうかしましたか?」

 立ち止まるジンに、シュセが問いかける。

「もう、いいかと思ってな」

 黒いローブの下から、鍔鳴りの音ともに引き抜かれる双振りの剣。僅かに湾曲したその剣を諸手で構えたジンは、シュセと向き合った。

 まるで引き込まれるようなジンの圧力に、シュセは一歩足を引いてしまう。どのような相手とあたったときでさえ遅れをとることがなかったというのに、それほどまでにジンの態度の急変にシュセは戸惑った。

「ジンさん……!?」

 心臓が跳ね上がり、一度気後れした代償はすぐに目の前に来ていた。

 無造作ともいえる動作で、ジンがシュセに歩み寄って来たのだ。シュセの胸に警鐘が鳴り響く、危険だと心が悲鳴を上げるのに、連動すべき身体が動いてくれない。

 無造作にジンの刃が振るわれる。だらりと構えたその姿勢から、斜めに斬り上がる刃。

「っく」

 悲鳴を飲み込んだシュセは、体勢を崩すのと細剣が反動で抜かれるのは同時だった。体勢を崩したままでは受けきれるものではない。ジンの一撃によろめいて腰から転んでしまう。

 殺されるっ! その感情が何もかもを支配する。





 当然くるべき追い討ちを覚悟して、ジンに視線を向ければ、彼はシュセなど既に眼中にはなかった。恐る恐るジンの視線を追えば、そこには影の様に黒ずくめの、3人の男たち。

「何か用か?」

 至極平静な声に、殺気がこもっている。シュセの横を通り抜け、彼ら三人の前に立ちふさがるとジンは彼らを睨み据えた。

「小僧、退け」

 低い、まるで地面の底から響いてくるような声が三者の誰かから発せられた。黒ずくめの隙間から和僅かに覗く瞳が、心臓に杭を打ち込まれるような圧。

 全身にそれを浴びて、口元にうかぶのは狂気の弦月。

「ジンさん、その人たちは……!」

 シュセの言葉が発するより早く襲撃者達が動いた。肩を狙った一撃が両方から迫ってくる。迫る凶刃を左右の刃で受け止めると、残る一人が、真正面から突きかかる。

 ほとんど瞬時の連携にシュセは呆然と見守るだけだった。ジンの身体が前に出る。襲撃者達にも、シュセにも自殺行為としか見えないその動き。だが襲撃者が力を緩めることはなかった。当然ジンの両手にかかっていた剣の圧はそのまま、彼の方に圧し掛かろうとする。

 刃と凶刃に火花が走る。ジンの左右の刃が、左右からの凶刃の下を滑り、一瞬の火花が散った。

 襲撃者の両手で持つ剣を、僅かに一瞬だけジンの刃が跳ね除ける。前に出た勢いを利用して、一秒にも満たないほんの一瞬。その隙間に、ジンを狙った正面からの一撃に、彼の右手がぶち当たる。

 またしても火花。そして次の瞬間には血の花が咲いた。

 残ったジンの左の刃が、正面の襲撃者の喉首を掻き切ったのだ。だが血はそれだけではない。ジンの左右から迫っていた刃は、勢いこそ弱めたものの、ジンの肩に振り下ろされていた。

 その光景を見た全員が動きを止める。

 相手の傷を、自身の損害を、そして勝負の行方を確かめようとした静寂。

 一呼吸にも満たない静寂のあとに、最初に動いたのはジンだった。左右に交差していた刃を、左右に振り戻す。まるで蛇のように喉首に喰らいつく刃の光は、一瞬の光芒だった。

「……馬鹿な」

 襲撃者の一言のあと、彼らは自身の血溜まりの中に倒れ臥した。

 魔性の業という言葉がシュセの脳裏に浮かんで消えた。それほどに、無駄なく美しい。あるいは、自身の死すら呆然と眺めてしまうような、剣術。

 長く息を吐き出して刃についた血を一閃、振り落とす。黒いローブの中に、双剣を仕舞うとジンは自身の作り出した屍を、少しの間見入った。

「っ……ジンさん!」

 呆けていた自分に気がつくと同時、シュセはジンに駆け寄る。鬱陶しげな視線で、彼女に一瞥をくれると彼は一言もなく立ち去ろうとする。

「お待ちください!」

 声には凛とした芯が戻っている。先ほどまで彼の目の前で、驚いて腰を抜かしていたのとは同一人物とは思われないほどだった。

「貴方、貴方は死ぬのが怖くないのですか!?」

 僅かに震える声でシュセは問いかける。先ほどの攻防の恐ろしさが、今になってシュセの背を冷気のように撫でる。

 今は屍となった襲撃者の三人。その連携の見事さは、相当に鍛錬を積んだものだった。振るわれる剣は嵐のように敵を切り刻むもの……それを、その中をわざとジンは斬られにいったのだ。

 ジンが諸手に構えた双剣。それを見たとき襲撃者は思ったはずだ。左右から二人が全力を持って襲い掛かり、その両手を塞げば苦もなく彼は死ぬことになるはずだと。

 誤算だったのは、ジンが斬られるのを覚悟の上で左右二人の剣を受け止めたこと。そして、僅かに持ち上がった剣の合間にその両腕を振るえる技量を有していたことだった。

 一度受け止められ、勢いを失った剣がジンの肩を斬りつけ、ジンに止めを刺すべき最後の一人が死んだ時点で彼らは自身の敗北を悟らざるを得なかった。

 ジンの刃は、僅かな隙間にも震える余地があるのに対して、ジンに斬りつけてしまっている彼らの剣は再度振り上げねば使いようがない。

 最初から計算していたのか、それとも偶然の産物なのか。シュセには判断がつかなかったが、それゆえに背を撫でる氷塊の冷たさがとまることはなかった。そして、最初にジンが刃を抜いたときの殺気。あれは間違いなくシュセに向けられてのものだったはずだ。

「運が良かったな」

 自身の勝利の結果に対してか、あるいはシュセ自身のことか。それだけ言うと、ジンは彼女に背を向けて歩き出す。

 未だに震えの取れない自分の手を見下ろし、シュセは細く息を吐き出した。

「待ちなさい。怪我をしてるでしょう?」

 立ち去ろうとする彼に追いすがると、ジンは怪訝そうに振り向いた。

「近くに知り合いの医師がいます。案内しますので、おいでなさい」

 有無を言わせぬシュセの口調。

「お前──」

「文句でも脅しでも、後で聞きましょう。それより貴方の傷を治すことが先決のはずです」

 言いかけたジンは口をつぐんだ。見つめる琥珀のシュセの瞳が、ジンを気後れさせるほど真っ直ぐと彼を貫いていたからだ。

 言いかけた言葉を飲み込んで、ジンはシュセの後に続いていった。




 這い寄るおぞましい触感に、ナルニアは身震いした。夜の闇よりなお暗い視界。

「いやっ──」

 悲鳴は喉に張り付いて、凍えてしまう。

「いやっ!」

 執拗に追いかけてくるその触感は、ナルニアの全身を這い回り、彼女の抵抗をいとも容易く排除しながら圧し掛かる。

「んぐっ!」

 叫ぼうとした口にさえ入ってくる闇のそのもの。じっとりとした闇が、彼女の身体を押しつぶそうとしたとき、あらん限りの力を込めて彼女は叫んでいた。

「っ……!」

 せわしなく視線を動かしてあたりを確認する。

 家具と、テーブルと。

 それだけを確認して、ナルニアは止めていた息を吐き出す。

 荒い息の合間から、ゆっくりと身体を起こす。節々が痛む。べっとりと汗で張り付いた肌着の感触が気持ち悪かった。震える手を見れば、紫色になった痣と擦り傷。

 その手で自分の身体を抱きしめる。

 無力感。圧倒的なそれが心を超えて身体までも押しつぶしていまいそうになる。

「ナルニア……!?」

 扉を開けて届いた声に、ナルニアは目をいっぱいに見開いた。

 扉を開けて入ってきたエレガに向けて、怯えを含んだ紫の視線を向けた。

「気がついたんだね?」

 腫れ物に触るかのように、声をかける。

「いや……嫌……私……」

 それ以上ナルニアが言葉にする前に、エレガがその震える華奢な体を抱きとめた。

「良いんだよ。何も言わなくても」

 柔らかなその抱擁に、ナルニアは嗚咽を堪えることができなかった。

「あんたは立派だった。うん……大丈夫」

 まるで本当の妹にするように、優しく髪をなでるエレガの腕の中で、ナルニアの理性を繋ぎ止めていた最後の細い線が切れた。言葉を忘れたかのように泣きじゃくるナルニアを、ただエレガは抱きしめていた。

 泣き疲れたナルニアが眠りについたのを見計らって、エレガは彼女のそばを離れる。

 彼女のつり目には鋭利なナイフのような尖った気配。その視線は部屋の外で壁に背を預ける“友達”へと向けられていた。

「気がついたようで、良かったねぇ」

 温情の一片すらも感じさせない青の瞳が、寝室で横たわるナルニアに注がれる。クシュレアのその視線から彼女をかばうように、エレガは扉を閉める。

「……あの子の取り乱しようをみて、何も思わないのか!」

 低く、しなやかな猛獣の咆哮を思わせる声で、エレガはクシュレアに言い放った。

「……体が無事なようで良かったよ。明日にでも、ベルガディの支配者を気取るあの馬鹿(トゥメル)の所へ送ろうかね》

「クシュレア!」

 露出の高いクシュレアの服の胸元を掴むエレガ。

「放してもらおうか……エレガ。ガドリアと雪華のことを思えば、間違ってるのがどっちかなんて自明のことじゃないか」

「だからって!」

 感情を凍らせたようなクシュレアの青の瞳が、エレガを睨む。

「ずいぶんと予定が狂っちゃいるが、そろそろ幕を下ろそうじゃないのさ。ナルニアが馬鹿に一言、ロクサーヌを攻めてと言えば、全てが上手くいく。そうだろう?」

「あの状態のナルニアを、まだ使おうって言うのか!?」

「結構なことじゃないか。ぼろぼろになったナルニアを見て、あの馬鹿(トゥメル)が、自責の念に駆られてくれれば儲けものさ」

「あんた、それでもっ!」

「エレガ……私たちは遊びでやってるんじゃないんだ。生き延びるためなら、どんな汚いことだってするし、どぶの水だって飲むよ。そうやって生きてきたんじゃないのかい?」

「だからって、ナルニアは仲間じゃないか! それを」

「だから、私たちの為に役に立ってもらうのさ。仲間の役に立つ……ほら、おかしくないだろう?」

 口元に浮かべるのは、毒花の笑み。

 弱弱しく視線を下げるのは、クシュレアの言っていることが嫌というほど理解できたためだった。

「話がそれだけなら、私は行くよ。ブライズ達に村々を襲わせなきゃいけないからね」

 胸元を掴んでいたエレガの手を払って、クシュレアは歩き出す。

 その後姿を見送って、エレガは声もなくただ握り締めた拳を振るわせた。





この話は書くのに、時間がかかってしまいました。

ために、更新が遅れて申し訳ありません。

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