西域の主9
怒れるトゥメルに率いられた彼の軍団は、獣の群れに近い。町中に情報網を張り巡らせていた衛士達も、万全の備えをして迎え撃つがトゥメルが先頭となり突撃するたびに、押しまくられ死傷者を出して敗退を重ねていた。
西域において当たる者なし、と評されるトゥメル歩兵軍の本領だった。トゥメルの館に集まった兵士は全軍の半数以下。それでさえ西都ベルガディ全体を守る衛士を歯牙にもかけない。
「このまま拘留所に向かう!」
衛士の槍を跳ね退け、堂々たる声で宣言する。
勇躍する兵士たちに、トゥメルは満足げに頷いた。
慌てたのは衛士の隊長だった。ほうほうの体で逃げ帰った部下の報告に、一刻の猶予もないのだと知る。
「あのケダモノめ!」
かつてはそのケダモノに仕えていたことなど、彼の頭にはない。
「こうなってはもはや仕方ない。ガシュベル様に応援を頼みに行く!」
身一つで馬を駆りガシュベルの屋敷へ向かう隊長。部下に対して何の指示もしない彼のために、部下たちは三々五々自身の判断で行動を決めねばならなかった。その場にいた多くの衛士が、トゥメルの怒りの矛先が今にも自分に向かってくるのではないかと恐れ戦き、トゥメル歩兵軍の勢いを阻むものは何も無いように思われた。
そしてその報せは、ガシュベルよりも早く彼らの父である西方候主クレインの耳へと入ることとなる。ただし、伝えたのは衛士であるがために、その報告は誇張と曲解を含んだものになった。
──長兄トゥメル、西方候主への野心をむき出しにし謀叛!
その一報は、支配者であるクレイン、ガシュベルはもとより、市民の間にも瞬く間に広がった。逃げ出す衛士達があまりの恐怖に、叫びまわったからだ。
西都の中央市場は狂騒状態となり、逃げ惑う人にもみくちゃにされ、必要以上の犠牲が生まれた。
「トゥメルが……?」
まさかと思いつつも、クレインはすぐに西都を捨てる決心をする。自身が兄を謀殺したときも、まさかと兄は思ったに違いないのだ。誤報ならば、すぐに西都へ戻れる。何はともあれ、命があってのことだ。
一方のガシュベルは、最も早くその報告に接することができる立場にいながら、カーナとの情事に溺れ報告に来た隊長に面会すら許さなかった。
普段からガシュベルを恐れること、雷を恐れるがごとくの彼の屋敷の使用人達が、ガシュベルの怒りを恐れるあまり、衛士の隊長を予約がないことを理由に面会を許さなかったのだ。
そしてその遅れがガシュベルを窮地に追い込む。
衛士の宿舎を襲撃したトゥメルは、ナルニア達の姿がないことに怒り狂い軍の矛先をガシュベルの屋敷に向けたのだ。貴族としての趣向を凝らしたガシュベルの館では、トゥメル率いる軍勢を迎え撃つなど到底不可能だった。
その段になってやっとガシュベルは兄トゥメルが兵を興したことを知ることになる。使用人たちを腕力でもってねじ伏せ、衛士の隊長がガシュベルの閨の扉をこじ開けたのだ。
最初こそ怒り狂っていたガシュベルだが、衛士の隊長の話を聞くにつけ顔色は赤から青くなっていった。
「狂ったか! あの男は!?」
怒りも露に、衛士の隊長を怒鳴りつけたガシュベル
は、貴族の見栄も何もかも打ち捨て馬に飛び乗った。
西都のトゥメルの歩兵から逃げ切りさえすれば、彼らを叩き潰す機会はいくらでもある。なにせ彼らは補給すらままならないのだ。ガシュベルの領地に逃げ込めば、どうとでもなる。侍従の手から手綱をひっくると、開門を叫び門から飛び出す。
このままではトゥメルに八つ裂きにされかねない衛士の隊長以下、少数の者がそれに続く。馬を持っていないものはその場に見捨てての逃亡。
だがそれは西都の城門をでる前に終止符をうたれることになる。
「いたぞ。ガシュベルだ!」
城門を先に固めたトゥメルの歩兵の声に、ガシュベルは青ざめた。
「何たることだ!」
悲鳴をあげ、後ろを振り返る。
「奴らをなんとかしろ!」
わずかな伴である衛士の隊長らに命じる。
「私が生き残らねば、貴様等も死ぬのだ! 命を惜しむな!」
トゥメルの歩兵らは10人にも満たない。騎馬である衛士は僅かに12人。覚悟を決めた彼らと、門を守るトゥメル歩兵達の間で、激烈な戦闘が行われた。強いはもちろんトゥメルの歩兵達だ。戦を前提として訓練した兵士と、取締りを目的とした衛士では動きからして違う。
だが、衛士達には馬があった。馬上から振るわれる武器は足りない実力を補って余りある。
戦力的にはほぼ互角の戦いが繰り広げられた。トゥメルの歩兵が馬上の衛士を槍で叩き落とせば、一方では衛士の振るう長剣がトゥメル歩兵の頭を割る。
一進一退の攻防はガシュベル達を追ってきたトゥメル歩兵の喚声で一気に均衡を失う。挟撃されるという恐怖に、後がないことも忘れ衛士達は背を向けて逃げ出した。
「な、何をしている!? 戦え!」
馬上で声を張り上げるが一度恐怖に火がついた衛士達には届かない。
「くっ……覚えておれよ」
無駄だとわかれば、ガシュベルの行動は素早かった。門に向かって馬を走らせるべく、鞭を振り上げる。幸い散り散りになった衛士の背中を襲うのに夢中で、歩兵達はガシュベルの動きに注意を払っていない。その空隙をガシュベルは縫うように、馬を走らせた。
門までは後少し、目の前を遮る兵士はもはやない。自身の勝ちを確信して振り向いたガシュベルは、驚愕とともに目を見開いた。
「ガシュベェェル!」
地を揺るがせ、天をも震わせる怒声はトゥメル本人のものだ。
「兄上……」
トゥメルが手に持つのは、投擲用の短槍。渾身の力で空へ向けて投げられた槍は、放物線を描きながら、ガシュベル目掛けてまるで吸い込まれるように落ちてくる。
「馬鹿な!?」
吐き捨てると同時、ガシュベルは必死に馬を御す。だがその度に、争う兵士の壁に阻まれ馬の方向を変えられない。
馬という生き物は本来臆病な生き物だ。それを戦に使うなら、それ相応の訓練を施さねばならない。だが、貴族趣味のガシュベルは戦の匂いのする馬を嫌った。
馬は優雅なものであると信じていた彼は、体格が立派で毛並みの美しい馬。つまりは外見の美しさだけを追い求めた。
結果、彼の愛馬は障害物に当たることも飛び越えることも出来ず、隙間を走り抜けるだけしかできなかった。
トゥメルの投げ槍は、ガシュベルの馬の頭上を越え、今まさに門を出ようとした目の前に突き立った。
突然眼前に柱のごとき投げ槍が生えた馬はたまったものではない。いななく馬にガシュベルは愛馬を静めるだけの技量を持たなかった。
たちまち振り落とされ、地面の上を転げ回る。そこをトゥメルの歩兵達が寄ってたかって押さえつけた。既にあらかたの衛士は捕らえられるか、撃ち殺されている。逃亡に成功したものは、ほんの僅かしかいなかった。
トゥメルの前に引き立てられたガシュベルは、幾重にも縄をかけられまるで罪人のような有様だった。その様子を冷然と見下ろすトゥメルに、ガシュベルは口元を歪めた。
「いい気分だろう、兄上だが覚えておれよ。父上はきっとお前を許しはしない」
嘲るガシュベルに、トゥメルは黙って首を振った。
「あの男はお前の復讐など考えるものか。それより、ナルニアはどうした?」
「ナルニア? あぁ……あの旅の芸人どもか」
「そうだ。貴様が故無き嫌疑よって捕らえた者たちだ」
心底不思議そうな顔をして、問い返すガシュベル。彼としてはなぜ、彼女らのことを兄が聞くのかが理解できない。
「ふん、知らぬ。そんなもの達より自分の心配をしたらどうだ?」
「俺のことなどどうでもいいのだ!」
目を見開くガシュベルの視線が、怒りにゆがむトゥメルの顔を捉える。
「あ、兄上……く、まさか……クックック、惚れたのか? どこの馬の骨ともわからぬ、あのような下賤の娘に!」
湧き上がる嘲笑に苦労しながら、ガシュベルは問い返した。
「貴様に何の関係があろう」
怒りの視線はそのままに、トゥメルは吐き捨てる。
「クックック、アハハハハハ! これが笑わずにいられるか! 西方候主の長兄にして、トゥメル歩兵軍の指揮官ともあろう人が、旅の芸人に心を奪われるか!」
涙さえ浮かべて笑い転げるガシュベルを、トゥメルは無理矢理引き立て、その頬を殴りつけた。
「貴様は、俺の質問にだけ答えればいい。ナルニアはどこだ!?」
丸太のような腕で殴りつけられ赤くはれ上がった頬に、嘲笑を浮かべ、ガシュベルは口を開いた。切れた口内なら血が滴り落ちるが、そんなことは問題ではなかった。
「クックック。そんなことなら、あの女も自身で尋問をすればよかった」
「無事なのか!? 答えろガシュベル!」
「さあ、知らぬ」
「知らぬはずがあるまい! 貴様の命令により捕らえたのだろう!?」
「フッフッフ、本当に知らないな。衛士に好きにしろと命じたからな」
ガシュベルの言葉に、トゥメルが凍りつく。
「フハハハ、奴らは品性というものがないからな。想像してみるがいい……穢れを知らぬ娘が野卑な男どもに陵辱されるさまをっ!」
おかしくてたまらないと、笑うガシュベルを震える手で突き飛ばすと、トゥメルは低く重い声で言った。
「……よく、わかった。殺せ」
「なに!? 殺すだと、待て! 兄上!」
制止の声を無視して、トゥメルは歩み去る。
ガシュベルの断末魔が、その背を追うように聞こえてきた。
横殴りの雨の中を、一騎の使者が西から東へ走りぬける。雷鳴がその姿に陰影を刻み、雨よけのフードはほとんど意味を成していない。石畳とは言わないまでも平坦に舗装された街道を走る使者の顔色は、被ったフードの隙間からでも見える緊張した面持ち。雨に叩かれる視界の中に、街の威容を見出すと使者は馬に最期の鞭を入れた。
スカルディアの屋敷の執務室で政務を行うカルの元へ、その知らせがもたらされたのは正午を回る頃であった。
「確かに、本人か?」
知らせを運んできた気弱なベルモンドの顔には、弱りきったという表情が明らかに見て取れる。隣でため息をつきつつ、話を補強するのはフィフィだった。下町の主婦といわれればそのまま通ってしまいそうな風貌に、こちらも困りきった表情で頷いた。
「間違いないね。私は一度お顔を拝見したことがあるんだ。オウカ・ジェルノ本人だったよ。しっかり足もついていたか確認もしたしねぇ」
何を今更迷い出たのか、三人とも共通の思いでため息をつく。
「ならば、会わねばなるまい」
「慎重にねぇ」
「謁見の用件につきましては、至急の用事ということでしたので伺っておりません。身体の検査も実施しましたが、怪しいものはこれといって発見できませんでした」
緊張のためか早口になるベルモンドに、カルは頷いた。
「待たせてあるのだな?」
頷く二人に、カルは立ち上がる。
「シュセ殿は先に近衛を率いて謁見の間に」
ベルモンドの言葉に軽く頷いて、カルは謁見の間に向かった。過去からの黒い影のように忍び寄る、オウカ・ジェルノに不吉なものを感じながら、それでもその足は迷うことはなかった。
「陛下の御なりにございます」
謁見の間に響く侍従の声とともに、控えていた騎士達が一斉に剣を石の地面に突き立て敬意を示す。両手を柄頭の上においた、その威風堂々とした姿は謁見者を威圧するに充分だった。
オウカ・ジェルノはその痩せた体を小さく平伏させて、カルがその部屋に入るのを待っていた。近衛の騎士達の緊張が伝わるように、その部屋にはガラス張りのような緊張感が漂っていた。
「聞こう」
玉座に座るカルの声が降って来る。飾り気の無いその声に、オウカは内心笑った。露骨ではないにしろ、相手に感情を悟らせるようでは、まだまだ未熟、と。
「陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう。先の動乱のおり、負傷をいたしまして長らくロクサーヌを離れていました。不在の間の不手際につきましては何卒ご容赦を賜りますよう」
いっそそのまま永遠に戻ってこなくて良かった。というのは、おそらく新王朝全員の意見だったはずだ。無言のうちに発せられれる近衛からの殺気のような気迫に、オウカは平伏したまま笑う。
「それで、至急の報せとは?」
これ以上下らぬ世間話などする暇は無いとばかりに、カルは本題に入る。
「このたび、西よりひとつの知らせがありました」
西──の言葉に、カルの隣で侍るシュセにわずかばかり、緊張感が漂う。
「西都謀叛」
常なら揺るぎもしないカルの冷たい顔が、僅かに曇り、シュセは思わず平伏するオウカを凝視した。
「首謀者はクレイン・ノイシュタット並びに、長兄トゥメル……シュセ・ノイスター殿の、叔父上でございますな」
苦渋をかみ締めるシュセと、驚きに僅かに目を見開くカル。オウカは平伏したままで、内心せせら笑っていた。シュセの血筋。その言葉に、謁見の間にはわずかなざわめきがおきる。近衛は礼儀正しく口など聞いたりはしない。
威厳を保つために不動の姿勢を保っている。だが彼らにも耳はあり、目はあるのだ。僅かに視線を見目麗しい少年王とその忠実なる女の騎士に、向ける。その少しばかりの動きが、謁見の間のざわめきとなった。
「西都が、謀叛か……なるほどご苦労」
近衛の騎士達の耳目を集めているのを意識しながら、カルは口を開いた。このままオウカを返したなら、近衛の口を通じてあらぬ噂が広まるかもしれない。
シュセが西都に通じている。
そんな根も葉もない噂で、シュセがその能力に見合ったものを奪われるなどカルは想像したくも無かった。だが現に、過去には噂程度で、職を解かれた者もあったのだ。
そしてシュセの性格を考えれば、その想像は現実味を帯びることさえありうる。
「討たねばな、シュセ?」
何気なくカルが言ったその一言に、近衛は今度こそすべての耳目を奪われた。
「御意。できますならば、我が眷属の不始末は我が手にて雪ぎたくございます」
一礼するシュセに、カルは満足げに頷いた。
「オウカ老、敵の数はいかほどだ?」
視線は一斉にオウカに戻る。
「おそらく4000程になるかと」
「おそらくとはどういうことだ?」
冷たく鋭いカルの声がオウカを打ち据える。肘掛によりかかり、悠然と足を組みながらオウカを見下ろす瞳は、湖水の色を湛えて射殺さんばかりにオウカを睨む。
「主力は長兄トゥメルの歩兵1000で間違いはございません。そして雑兵を採ると考えられますので、およそと申し上げたのでございます」
僅かに顔を上げたオウカのしわくちゃな顔には、張り付いたような笑顔がある。
「民を戦に駆り出すのか」
「西域は臣民一体の地でございます。民と領主が一丸となって開拓に勤しんだため、今日の繁栄があるのでしょう。ならば民が戦に赴くとて何の不思議がございましょうや?」
決してカルに瞳をあわせず、オウカは西都の情報を述べる。
「ご苦労」
「陛下のお役に立てたのなら、わが身の誉れ」
傲然と立ち上がると、謁見の間を後にするカル。一瞬だけ、オウカを睨み付けたシュセが黙ってその後に続く。
カルとシュセが退出したのを確認して、咎められることの無いように慎重に、だが必要以上に畏まらずオウカは退出していった。
「戦か」
「内乱だな」
主役の消えた謁見の間では、近衛の一人の呟きにみな押し黙ってその部屋を出た。
自室に引き取ったカルはひとつ息を吐き出した。
「さすがに、一筋縄ではいかないな。あの老人は」
一人呟いて眼前にいない古狸を睨む。
「陛下!」
遅れて走りよったシュセに、カルは振り向いて咎めるような視線を送った。
「二人のときは、名前でいいと言ったろう」
「失礼しました。しかし」
「わかっている。西都の件だろう? すまなかったな。いきなり無理なことを言い出してしまって……だが良く合わせてくれた」
人前では滅多に見せない笑みをシュセに向けて、カルは微笑む。
「あれは本心です。カル様の国に仇成す者をわたくしの眷属から出してしまったことは、万死に値すると思っています」
「思えば、私はシュセのことを何も知らないな……」
カルはシュセの生い立ちを知らなかった。オウカの話が本当ならシュセは、西方候主に連なる者となるはずだった。
今は遠い昔のように感じてしまうが、彼と彼女の最初の出会いはシュセが奴隷の鎖につながれていたとき。シュセはカルの母にこそ話をしたが、カルには西方の出身だとしか報せていなかった。
「甘えなのだろうな」
自嘲気味に口の端を歪めるカルに、シュセは首を振る。
「いえ、お話しなかったのはわたくしの落ち度です。まさかこのような形でご迷惑をおかけしてしまうことになろうとは……」
「では、聞かせてくれるか?」
頷いた彼女の琥珀の瞳に映るのは決意の光だった。
長い間お待たせして申し訳ありません。
やっと更新です。