西域の主6
長いことお待たせして申し訳ありません。仕事の方でお隣の国へ行っていたら、例の騒ぎです。今週やっと内地へ戻ってきました。
では、お楽しみください。
クシュレアとカーナに付き添われて連れてこられたセリアに、ナルニアは驚きに目を見開いた。
「ま、魔法使いさん!」
だがそれは、つれてこられたセリアも同じ。泣きはらした眼を見開き、ナルニアに抱きついた。
「魔法使い?」
少女の声に、全員の視線がナルニアに集中する。その疑惑の視線に、ナルニアは照れ笑いを返した。
「あ、いやいや、それでどうして……」
抱きついてきたセリアを撫でながら、ナルニアはクシュレアとカーナを交互に見る。
「お、お兄ちゃんが、お兄ちゃんが……」
泣きじゃくるセリアを守るように、ナルニアは小さな少女を抱きしめた。
「実はその子のお兄さまが衛士に、捕まってしまったのです」
カーナの言葉に、ナルニアは悔しさに唇をかみ締める。
「お兄ちゃん、何もしてないよ! ずっと、ずっと一緒だったもん」
泣きながら無実を訴える少女を、ナルニアは安心させるように微笑んで宥めた。
「大丈夫。お姉ちゃんは魔法使いなんだから、きっとお兄ちゃんを助けてあげる」
「ほんとう?」
人を疑うことを知らないセリアの視線に、ナルニアは頷いた。
泣き疲れて眠るセリアをベットに寝かせると、ナルニア達は再び集まった。
「それで、あの子に言ったことは本当にやるつもりなのかい?」
エレガの問いかけに、ナルニアは力強く頷いた。
「お人好しだねぇ」
「可哀相だとは思いますが、私達がそこまでする必要なんてないのです」
クシュレアとカーナの反対の声に、ナルニアは首を振る。
「今回のことは、仕事とは別。私の完全な我侭です。ですから、皆さんにご迷惑かけません」
「具体的に、どうするのさ?」
氷のように冷たい視線でクシュレアはナルニアを見つめる。物の値段を推し量るような、冷徹なその瞳は、ナルニアを萎縮させるに十分だった。
「セリアのお兄ちゃん、セイグリッド君は衛士の小屋に監禁されていると思われます。ですので、夜陰にまぎれてそこを襲って……」
「それでドジ踏んで、私ら全員檻の中かい? 勘弁してほしいねぇ」
クシュレアの言葉に、ナルニアは唇をかみ締めた。
「それに、仕事のことを忘れてるんじゃないだろうね? 今晩も進展はなかったそうじゃないか。こんなこっちゃぁ、いつまで経ってもガドリアになんか、帰れやしない」
二の句を告げないナルニアをエレガが庇うように反論する。
「何いってんだい。あの子から貧民窟にあるゴロツキどもに繋がりを持ちたがってるくせに」
「そりゃ、まぁそうなるだろうさ」
なんの利益にもならない少女を助けるほど彼女達には余裕がない。助けるからには、相応の打算があり、計算がある。彼女達の立場からすれば当然のこと。ナルニアにもそれは分かっている。だが、それを言い訳にして助けられる人を見捨てたくなかったのだ。
「クシュレアさん、カーナごめんなさい。やっぱり私は、あの子を見捨てることが出来ない」
一度揺らいだ紫の瞳に決意の火が灯る。
「そうかい。それじゃあ、仕方ないね」
「え?」
あっさりと引き下がるクシュレアにナルニアは疑問の視線を向ける。
「座長はお前さ。ナルニア、座長がやるというなら、裏子として協力するのが筋だろう?」
声音も表情も満面の笑みで、ただし眼だけは笑わずにクシュレアは答える。
「ありがとうございます!」
思わず出た大声に、その場にいたナルニア以外の全員が目を見張り、その後、誰もが瞬時に仮面を付けた。クシュレアは満面の笑みを、カーナは無邪気な笑みを、エレガは無表情を。
「気にしなくて、いいよ」
「でも、それでも! ありがとうございます」
心からの感謝に、再びナルニアは深く頭をさげた。
「魔法使いさぁん?」
目をこすりながら、起き出してきたセリアに全員の視線が注がれる。
「ほら、お姫様のお呼びだよ」
クスリ、と笑ってナルニアを促すクシュレア。その勧めに従い、ナルニアはセリアの手を引いて寝室に向かった。
「あんたも行ってやりな」
エレガに促されカーナは一度クシュレアを振り返る。彼女が頷くのを確認すると、トテトテとナルニア達を追っていった。
「なに考えているんだい?」
無表情から一転して、ナイフを思わせる鋭い瞳でクシュレアを睨むエレガ。
「ナルニアに言った通り、あのセリアって小娘のお兄ちゃんを助けることさ」
「それだけじゃないだろう?」
窓辺に腰掛けていたエレガが、クシュレアの座る後ろに動く。
「さぁて、どうだかね」
要領を得ないクシュレアの答えに、エレガはその背を睨み付ける。背中から放たれる殺気に近い気迫。それを感じながらも、クシュレアは軽く手に持った葡萄酒のグラスを傾けて見せた。その姿は、優雅にかつ妖艶に。最高級の娼婦に相応しい貫禄と、自信を持って彼女は微笑む。
「ねえ、エレガ……あんたあの子をどう思っているんだい?」
仕草とは裏腹に、その声はため息混じりに沈んだものだった。
「どうって……力になってやりたいとは思ってるけど」
戸惑い気味に答えたエレガに、クシュレアは自嘲気味に口元をゆがめる。
「私はね、正直あの子が恐ろしい」
「クシュレア……」
眉根を寄せるエレガをよそに、クシュレアはグラスを呷る。
「あの子を見てると、何者も信じないで生きていたはずの、私の人生を否定されているようで、ね。何よりも、私自身が、あの子を信じそうになってしまう。私は……」
空になったグラスに再びなみなみと葡萄酒を注ぎ、クシュレアはまた一気に呷った。
「信じたって良いじゃないか。ナルニアは悪い子じゃない」
「だめなんだよ。それじゃ、だめなんだ!」
普段の彼女なら決して見せないであろう、取り乱した怒りの声。一番付き合いの長い、エレガの前だからこそ見えるその姿に、エレガは心を痛めた。
「……裏子が舞台女優に惚れて舞台に飛び出ちゃ、芝居は失敗さ。そうだろう?」
「クシュレア」
「悪かったね。少し取り乱した」
「もう、酒は止めときな」
「ああ、そうするよ……あぁ、そうだった。ナルニアをどうするか、だったね? さっきも言った通り子供を助けるための策を与えてやるさ。ただし……」
「ただし?」
「ついでに、舞台を進めさせてもらう。あの馬鹿兄弟の仲を裂いてやろうじゃないか」
わずかに主に染まった頬に冷たい微笑を浮かべて、舞台を仕切る裏子のクシュレアは笑った。
翌日、ナルニアは一人でトゥメルに面会を求め、彼の前に傅いていた。
「今日は、頼みごととか?」
物憂げなトゥメルの声に、ナルニアは顔を上げずに返事をする。
「はい。今日は、閣下のお力におすがりしたく……参りました」
苦渋の声を絞り出すナルニアに、トゥメルの表情は曇る。
「顔を、上げてくれ。俺で力になれるなら、なんなりと言ってくれ」
クシュレアの書いた台本どおり、トゥメルの言葉を引き出すことに成功したナルニアは、次の言葉をし舌に乗せる。
「実は、先日街の方で、一つの騒動がありました」
語る内容はわかりやすく、同情を引く物語。だが、あえて衛士を悪者にはしない。衛士を完全に悪者にしてしまえば、それは領主側に非があることを強調するようなものだ。慎重なクシュレアがトゥメルの鈍さに賭ける気にならなかったのは、当然といえた。
あくまで衛士の些細な間違いという結論を話し終えると、ナルニアは再び顔を伏せた。
「そうか……」
そういったきり、黙り込むトゥメル。
ナルニアの背には冷や汗が伝う。永遠のようにも思われたトゥメルの沈黙が、不意に破られる。
「わかった。任せろ」
力強く頷くと、すぐさまナルニアを残して、立ち上がる。
数刻後、ナルニアは傷だらけになったセイグリッドを引き受けることに成功した。
涙さえ浮かべて感謝の言葉を並べるナルニアを見送ると、トゥメルはため息をついた。
「俺は、あの娘に……」
トゥメルとて、女を知らぬわけではない。妻もいるし、側室として一人を囲ってもいる。ただ、彼の中で女という生き物は、子供を生む機能を持った弱弱しい存在としか認識されていなかった。
だが、ナルニアに彼は妻や側室にはない輝きを感じて戸惑っていた。
首を振り、言葉の続きをかき消してトゥメルはまた、ため息をつく。
「いい年をした大人が……」
人に恋焦がれる、という感情を初めて味わうトゥメルは、その感情にあえて気づかぬ振りをした。
まぶたを閉じればよみがえる、あの歌。報われることのない悲恋を歌った恋の歌が、聞こえるようだった。
「兄上が、罪人を釈放したと?」
時刻はすでに深夜である。広い部屋に敷き詰められた毛の長い絨毯は、どんなに踏んでも足音を立てられそうにない。彫刻を施された重厚な本棚には、各国から集めた書籍が収まる。天蓋付のベッドは、上品な絹の肌触りと羽毛の柔らかさがあった。締め切られたカーテンの素材でさえ考えられる限りの贅をこらしたもの。
貴種の血を証明するかのような金色の髪に、細い目の奥から酷薄な光を湛える淡い緑の視線。皮肉気につりあがった口元は嘲笑の笑みを隠しもしなかった。玉座と見まがうほどに立派な椅子に座り傍らには少女を侍らせる。貴族の子弟が着飾るような豪華な服に身を包んだ少女は、主のためにグラスを奉げもっていた。
ただひとつ、違和感があるとすれば、その少女の首から伸びた無骨な鎖。虚ろな瞳で主のためのグラスを奉げ持つ彼女の首に戒めの楔が打ち込まれていた。
「はっ」
忠犬のように、かしこまって返事をしたのはセイグリッドを逮捕した衛士の隊長だった。
「くっくっく……良い。よく知らせてくれた」
手振りだけで、下がれと命じると衛士の隊長は一層頭を深く下げて退出する。
「兄上が、ここまで愚かだとは……」
これを材料に、父の前で兄を糾弾すれば自身の次期西方候主の地位は約束されたも同然だった。衛士はガシュベルとトゥメルのどちらの管轄でもない。父であるクレインの管轄なのだ。
思い上がった挙句に、父の領域に越権行為に及ぶなど、気が違ったとしか思えない。
“無様だな。女になどうつつを抜かしているからこうなる。臆病者め!”
トゥメルの部下からの笑い声がその後から追ってくる。屈辱とともに胸に刻まれたトゥメルの捨て台詞。かつて、盗賊の討伐に失敗し、後退したガシュベルに投げかけれられた言葉だ。
「許せぬ……くっくっく」
「あっ」
神経質に震える手で、少女の鎖を引っ張ると、少女が小さな悲鳴を上げる。立っていられなくなった少女はグラスを取り落とし、ガシュベルの服に蒸留酒がかかってしまう。
「おお、まったく今日はなんと言う日だ」
舌なめずりするように、視線を足元で崩れ落ちた少女に向ける。
「ゆ、ゆるして……」
「まだそのようなことを、言っているのか。兄上にもいずれ、私の恐ろしさを味わってもらわねばならぬ。屈辱の中でのた打ち回り、敗北の味を知らしめてやらねばな」
崩れ落ちた少女を鎖で無理やり引っ張り上げると、ガシュベルは愉しそうに笑う。
「だが、今日はお前にたっぷりと、味わわせてやろう。二度と粗相をしでかさぬように、な」
狂ったように哂うガシュベルの声と、少女の魂を引き裂くような悲鳴が重なった。
「さて、坊やから聞き出した場所はここで間違いないはずだけどね」
ちらりと、視線を隣のエレガに投げて準備の確認をする。動きやすい服装に、手にはめたグローブの調子を確かめて、エレがは頷いた。
クシュレアは傷だらけで帰ってきたセイグリッドに取引を持ちかけたのだ。
「盗賊どもの根城、知っているんだろう? 教えてくれれば、坊やと妹の安全は保障してあげるよ。ただし嘘をついたり、協力を拒んだら……賢い坊やなら言わなくても、ねえ?」
耳元で囁く悪魔の声に、目を見開きながらセイグリッドはクシュレアの底冷えのする青い瞳を見つめ返した。子供にさえ感じられるほどの媚に満ちた艶やかな笑み、だがその中で青い瞳だけが凍ったように笑わないのだ。
そうして聞き出した場所が目の前にある。中央市場からそう遠くない場所。うら寂れた酒場の周りには、たむろしている浮浪者や明らかにカタギではない者達がうろついている。
「ナルニアには、言わなくていいのか?」
鉄で補強されたグローブの握りを確かめ、エレガはナイフをもてあそぶクシュレアに問いかける。
「必要ないと思ったから、あんたも何も言わずに付いて来たんだろう?」
「荒事は私の領分だ。あの子は、こういうのは似合わないし。友達が心配だからな」
ふふん、と鼻で笑ってクシュレアは微笑んだ。
「ともだち、ね」
「なんだ?」
「いや、旅ってのはしてみるもんだね」
ふん、と鼻を鳴らしてエレガは視線を転じる。南方の狩猟民族の血を引く彼女のつり目が、獲物を前にした肉食獣のような鋭さを湛える。
「それじゃ、乗り込むかね」
酒場の腐りかけた扉を開けようとした二人の前に、数人の男が立ちふさがる。どの男も汚れた服に、濁った瞳を、吐き溜まりに咲いた花のような二人に向ける。
「姉ちゃんたち、こんなところに来ちゃいけねえなぁ。アブねえぜ……俺たちが送ってやるから、こっちへ来いよ」
黄ばんだ歯をむき出しにして、酒臭さの残る吐息で二人に詰め寄る男たちに、クシュレアは冷笑を投げかけた。
「あたしらが抱きたきゃ、金を持っておいで」
その言葉が終わるかどうかの瞬間、エレガの拳が容赦なく振りぬかれる。骨の折れる鈍い音ともに、目の前の男を一撃で沈める。続いて唖然としている仲間の男のあごに向かって、切り上げる剣のような鋭さで蹴りを放つ。あごを砕かれた男は酒場の中まで吹き飛び、エレガは振り上げた長い足をそのまま、呆けているもう一人の頭上に見舞った。
泡を吹いて倒れる男を尻目に、短く息を吐き出す。
「弱い」
道端の石ころを見下ろす無感動な視線を投げかけると、クシュレアを振り返る。見れば、優雅に歩くクシュレアの足元には、ナイフを突き立てられて呻く男の姿があった。
「ガドリアでの出入りに比べると、どうにも味気ないねぇ」
頬に浮かべるのは嗜虐の笑み。
ものの数瞬でゴロツキをたたき伏せた二人は、酒場の中に入る。
「ごめんなさいよ」
薄暗いホールに、たむろする輩の目つきは明らかに外で打ちのめした連中とは違っていた。
「おいおい、姉ちゃん達──」
長身のエレガの頭ひとつ上を行く肥えた大男が道をふさぐ。だがその言葉を、言い終える前に、エレガはその顔へ裏拳を叩き込むんで沈めると、腕を組んで仁王立ちになる。
「カシラに伝えな。面貸せってな」
鋭い視線とはき捨てる挑発的な台詞に、騒然となる店内。
剣に手を伸ばそうとするゴロツキの手元に、クシュレアのナイフが突き立つ。
「早く出てこないと、人死が出ちまうよ。今日の私はご機嫌だからねぇ」
ホールから二階に伸びる階段の先、二階席で女を片手にしている男に視線を合わせるとクシュレアは媚を含んだ笑みを振りまく。手にしたナイフが露出の多いクシュレアの肌を舐め、胸から首筋、最後にたどり着いた口元で紅を塗った口元から接吻を受けた。
周囲の男たちが息を呑む声が聞こえる。それほどまでに妖艶な彼女のしぐさ、そして一瞬の間をおいて、投擲されるクシュレアのナイフ。二階席の男の頬をかすめ、壁に突き立つナイフの軌道を一階のホールにいた全員が見送った。
片手で抱いていた女を放すと、男は立ち上がる。
「困ったお嬢さん方だ」
皮の胸当てをつけた傭兵風の男が、剣を手にして立ち上がる。
長いくすんだ金色の髪を後ろでひとつにまとめ、整った鼻筋、美男子と呼ぶにはとうが立っているが、やさぐれた退廃的な雰囲気はクシュレアと似通うところがある。どこか気品の漂う物腰で、ゆっくりと階段を下りてくる。
「あんたがカシラかい?」
問いかけというよりは、確認の意味を込めてクシュレアは降りてきた男を視線で追う。
「ブライズだ」
かすかに笑みさえ湛えて二人と対峙するブライズ。脱力しているかのように見えるブライズの手には、使い込まれた剣がある。瞬時に抜き放てるように、かといって緊張しすぎることはなく、自然体で立つ彼をエレガは鋭い視線で睨み、クシュレアは妖しいほどの笑みを湛えながら迎えた。
「初めまして、と言った方がいいのかね? 私はクシュレア、こっちのはエレガ」
「麗しい名前だ、が随分乱暴な入店だったな」
「ほめ言葉と受け取っておきますよ。旦那、私ら商人。初見で舐められたら、仕事がやりにくい」
ナイフを仕舞い、胸元が男の視線に入るように計算しつくされた礼をする。
「それで、商人というからには買ってほしい品物があるんだろう?」
「ええ、もちろん。飛び切りの商品ですがね……けど、人目があるところではちょっと」
媚を含んだクシュレアの視線に、ブライズは笑って答える。
「なるほど、なるほど……まぁ二階へあがってくれ」
維持の悪い笑みを見せてブライズは階段を再び上がる。その後に続く二人を確かめると、階下で見守る部下に鋭い一喝とともに、見張りを命じた。