西域の主1
新しい章に入ります。カルとシュセがメインになります。ガドリア側からは、ナルニア達が、活躍するかと思います。
西都ベルガディ。
ゴード暦でいうところの421年、病に倒れた時の国王ユーヴァの末弟と、長男の間で行われた皇位継承戦争の際に、戦乱を嫌った貴族達が西方大森林への移住を始めたことにより、この都市の歴史は始まる。
以来100年近く、西方貴族達は西方候主の元に連携を図りながら、発展を続けてきた。
現在では、ロアヌキアを代表する4つの都市の一つとして数えられるほどに、その地位は重要なものがあった。王都ロクサーヌ、東都ガドリア、南都ジェノヴァ、そして西都ベルガディ。王都を中心に東西と南に位置するこれからの都市は、ロアヌキアを支える屋台骨だった。
政治と経済の中心ロクサーヌ。鉄と武器のガドリア。国内最大の穀倉地帯を有するジェノヴァ。そして林業と畜産、軍事的価値でいえば、騎馬の産地であるベルガディ。この4つが中心となり、ロアヌキアという一つの国の形を作っている。
磐石であらねばならないその4都市に、亀裂が入り始めたのは数年も前のことだった。力のある貴族が4つの都市の後ろ盾となり、その都市の意見を王都に吸い上げ政治に反映させていく。それが共和制時代のメリットであり、持ちつ持たれつの関係が出来上がっていた、はずであった。
その歯車が狂いだしたのは、スカルディアの女当主であるカルの母が賊の為に命を落としてからだった。先立って亡くなった西方候主ネアス・ノイスターの死因の究明をしようとしているところに、その騒ぎが起こった。
なし崩し的に、西方候主の地位はネアスの弟であるクレインの手に渡り、今現在は息子達との共同統治の手に帰していた。その地位に就くに際して、ヘェルキオスに多大な賄賂を贈ったというのは、もはや隠しようのない事実といってよかった。
王都からの西方候主を認めるという辞令を手にしたクレインは、まずネアスに忠実だった者達の追放を始める。
自身におもねる者達を要職に就けると徐々に、その力をほかの貴族にまで回していった。彼が今もなおその地位を保っていられるのは、その臆病さによる。決して無理はしない。自身の勝ちが確実になるまでは決して表には出てこないのだ。
彼よりも力のある有力な貴族なども多数いたのだが、彼らはいつの間にかその周囲を固められ、身動きができなくなっていた。白蟻がゆっくりと、だが確実に家屋を侵食するように音もなくその力をいき渡せることになった。
西都を中心とした西域を支配するのに、西方候主の地位を奪ってから4年の長きをかけ、その基盤を確立していった。だが、その地位が確固たるものになると、その統治は悲惨を極めた。
若く美しい少女達を見つけ、自身の妻にすることなど日常茶飯事。その少女の花を摘み、飽きたら物のように捨てる。税は彼の気分しだいで重くも軽くもあり、収められた税収の3分の1は彼の懐に入っていた。
上がそれでは、下が乱れるのは当然といえた。
賊徒は跋扈し村を襲っても、西都の兵が守ってくれるはずもない。彼らが守るのは、クレイン達西方候主の一族と、それに従う貴族たちだけなのだから。
よりひどいのは、西都兵が村や町に居座ることだった。盗賊と変わらない彼らの所業は、当の盗賊達までもが目を潜めるものだった。食料の徴発は当然として、彼らの夜の暇を潰すために何人もの女たちが涙を飲んだ。
中には夫を持つ者も関係なく差し出されたのだから、その酷さが伺われる。
だがそれでも、クレインの政権はまだ安定をしていた。
隣組と呼ばれる相互監視機構、密告の推奨により反乱の芽を事前に摘み取ることに成功していたからだ。密告者には、密告したものの財産の一部が与えられる。そうなっては濫発は、必至といえた。重苦しい暗雲が、西域全体を覆っているような空気の中、その主であるクレインは王都を注視していた。
西方候主クレインの屋敷。
長い机に一点のしみのないテーブルクロス。その上に並べられたのは、贅を凝らした料理の数々であった。庶民の年収に匹敵する高価なワイン。家が一軒建つほどの料理を前にして、三人の人間が議論を交わしていた。
「ヘェルキオス殿亡き後、オウカ殿も所在不明と聞く。はてさて……」
禿げ上がった頭をぴしゃりと叩いて、クレインは困ったように笑う。今年で50を数えるクレイン・ノイシュタットは痩せた長身の男だった。顔に浮かべるのは、それが地顔であるかのように常に阿諛追従の笑みを含む笑顔。
「ネアス亡き後、西方候主の地位を引継ぎはしたが、まさかこんなに乱れてしまうとは」
彼としては楕衣飽食を貪れればそれでよかったのだが、王都の混乱は既に聞き及んでいた。
「困った困った」
少しも困っていなさそうな笑顔で、手にした芳醇な葡萄酒を飲み干す。
「父上は甘い! なにをそんなに暢気に構えているのか! 今すぐ王都に攻め込んで、その地位を奪えばよかろう!」
血気盛んに吠え立てるのは、クレインの長子トゥメル。筋肉隆々とした大男は、外見そのままの性格をしていた。短く借り上げた髪に、粗暴な口調。
「有力な諸侯は皆、動乱で倒れ、いまや国の実権を握っているのが俺より15も年下のガキだと!? 笑わせやがるじゃないか! 今こそ、ノイシュタット家がその力を見せるとき! 王都を占領し、国に号令をかけましょう」
威勢は良いトゥメルをクレインはたしなめる。
「では、どうやって王都の戦力を削るのだ? 策はあるのだろうな、トゥメル」
「策など、俺の重装歩兵隊を前面に押し出して進軍すればそれでよかろう!」
トゥメル歩兵軍。
その重厚な装備と、トゥメル自身の猪突な性格もあって西域でもっとも強いと謳われる部隊だった。その数およそ1000を数える。数そして質ともに、他の軍団とは一線を画す。
「兄上は、強いですからなぁ」
へらへらと笑ったのは、優男。細い目と皮肉げにつりあがった口元、金色の髪は貴族的な雰囲気をかもし出していた。身長はあまり高くなく、トゥメルと比べれば、それは歴然として見えた。
「ガシュベル、愚弄するか!」
「いえいえ事実を言ったまでです。確かに兄上の歩兵軍は精強でしょう。西域で適う者などおりますまい」
「わかっておるではないか!」
「ですが、王都につくまでの補給などどうするおつもりで?」
「現地徴発でよかろう!」
細い目の奥、猫がネズミをいたぶる様な残虐さを潜ませて、ガシュベルは笑った。
「今の西都に1000もの兵を賄える町などございますまい? 兄上の歩兵軍が散々荒らしまわったのですからな」
「ぐっ……あれは盗賊退治のためであって、戦略上致し方なかったのだ」
言い争いになればトゥメルに勝ち目はない。脳みそまで筋肉でできているような単純な男なのだ。
「100程度の盗賊相手に、歩兵軍の大半を繰り出し、討ち取れたから良かったようなものの……その途上の村々は枯渇して餓死者まで出そうな勢いらしいですが」
うるさいっ! と怒鳴って沈黙するトゥメルを横目に、ガシュベルはクレインに向き直る。
「父上、ここはしばらく様子を見たほうがよろしゅうございましょう」
「小ざかしい! 貴様の魂胆は見え透いておるわ!」
盛大に鼻を鳴らすトゥメルに、ガシュベルは微動だにしない微笑を向ける。
「魂胆とは?」
「フン、王都の動向を注視するとなれば、何かあった時ものを言うのは速度ではないか! 貴様の騎馬隊の出番というわけだ!」
「ほぅ」
ガシュベルは心の中だけで感心した。本当にこの兄は、戦のことになると頭が回る。悪知恵といったほうがいいのか。自分に対する悪意にだけは敏感にできているらしい。ただし、それ以外には頭が回らないようだが。
「それは思い至りませんでしたな」
「フン!」
「ですが、先ほども申し上げたとおり、周辺の村に兄上の兵を配せる余裕はありませぬ」
「確かに村にはない。だが、お前の管理する村では余裕があろう」
「兄上……」
この男はどこまで厚かましいのか、内心で毒づきガシュベルはため息をついた。
「糧秣を輸送するだけでも、かなりの労力を必要とします。それを兄上の兵士たちが事故なく行えますか? 私の領内を荒らされるのは御免こうむります」
「まあまあ、良いではないか」
兄弟二人の言い争いに歯止めをかけたのは、変わらぬ微笑のクレイン。
「何も急ぐ必要はない。我らが西都に乱れはない。王都が徐々に崩れるのを待っても、また一興ではないか」
「父上は、野心がなさ過ぎる!」
「いい加減にしなされ兄上。言葉が過ぎますぞ」
「ふん!」
大股にその食堂を出て行くトゥメルを、ガシュベルとクレインは見守った。
「ほっほっほ、どうにもトゥメルは我慢が足らぬようじゃな」
禿げ上がった頭をぴしゃりと叩いてクレインは笑う。
「しかし兄上の言うことにも一理あります。熟した果実は切り取らねば、腐って落ちてしまいます。もしくは鳥獣どもの餌食となるか……」
「鳥獣どもの餌とするには、ちと惜しいな」
「ではなぜ?」
「ガシュベル……おそらくわしが亡き後、西都を継ぐのはお前になろうが、ひとつ覚えておかねばならぬぞ。臆病とは決して非難されるべきものではない。こんな乱世では特に、な」
高笑いを残して、クレインもまた食堂を去る。
「……機を逸することがなければ良いが」
一人呟いて、最後に残ったガシュベルも食堂を去った。後に残るのは、手をつけられない食事や飲みかけのワインだった。
誰もいなくなった食堂の片付けに、召使達が入ってくる。ガリガリにやせた少年少女。残飯を震える手でトレイに戻し、調理場へ戻っていく。彼らの背後にはお目付け役として、すぐ彼らを足蹴にする料理長らの姿もあった。
「あっ!」
足元がふらついて、転んだ少年が料理をこぼしてしまう。
「てめえ!」
怒鳴りつけると同時に、蹴りが少年の背を襲う。
「ふざけやがって! この、この!」
めちゃくちゃに蹴りまくり、少年の顔が腫れるのも構わず暴力を振るう。料理長の気分が収まったころにやっと少年は解放された。
陽光に照らされた緑は、みずみずしく輝き肌をなでる風は、温かい羽毛のように感じられる。麗らかな午後の日差しの中、不釣合いに荒々しく足を踏み鳴らしトゥメルは自身の邸宅に戻っていた。木造で作られた広大な邸宅。戦を考えられた高い堀と、頑丈な門扉。護衛の兵士達は、彼自身が選んだ精鋭ぞろいだった。
「まったく、父上は何をお考えか!」
トゥメルは不満をぶちまけるようにして荒々しく扉を開ける。召使に普段身につけている武具を投げ捨てるように渡すと、身軽な格好となってベットの上に身を投げ出した。
サイドテーブルに置かれたぶどう酒に手を伸ばし、まだ日も高いうちから水のような勢いでのどに流し込む。
トゥメル・ノイシュタットはこの歳20台の半ばに達しようとしていた。正妻と何人かの側室を抱え、表面的には何不自由のない生活を送っているように見えた。
しかし彼の心の中は嵐のように荒れ狂っていた。弟であるガシュベルは領地の経営に成功を上げつつあり、父の覚えもめでたい。比べてトゥメルはどうか。確かに武はある。馬の産地である西域において、歩兵で名を上げるほどに彼の武は高い。だが長兄という立場と武の力だけで、西方候主の地位を受け継げるかと、聞かれれば彼といえど否と答えるだろう。
領地の経営、そして王都との折衝がどうしても必要になってくる。その点、弟のガシュベルはその才能に秀でていた。あくまで兄と比べての話だが、一応彼の領地では盗賊の出現も抑えられ、住民が餓死するようなこともない。
それに比べてトゥメルの領地はといえば、村々に備蓄の食糧はなく、領民はその日を生きるのがやっとという有様だった。逃亡する民が後を立たず、経営を立て直そうにもその能力も人材もなかった。
「くそっ……」
せめて戦でもあれば彼の活躍の場も増えるのであろうが、ここしばらく戦どころか反乱すらも起こりはしない。彼の不満はたまる一方だった。
「酒だっ! もっともってこい!」
濁った瞳で召使をにらみつけ、走らせる。
「大若さま」
「なんだぁ!」
酒を持って持ってきた召使に、怒鳴りつける。
「街に旅の者が来ているそうでございます。何でも舞踊もたしなむとか、一度呼び寄せてはいかがでございましょう?」
主の気分を推し量って、申し出る召使。
「フン、芸人どもか」
太い顎をさすって眉間にしわを寄せる。
「ならば家臣どもの家族も呼んでやれ」
「かしこまりました」
ぐいっと酒瓶をそのまま口に当てると一気に飲み干す。
民に全く人気はない男だったが、部下には優しい男だった。娯楽の少ない西域で自身だけでなく兵士達の家族も招くのがその最たる例だ。兵士の結婚式には必ず贈り物をしたし、兵士の子供が生まれれば頼まれて名づけ親になったりもした。
そのため彼の歩兵は、トゥメルの為に命がけで働き、彼もそれに良く応えた。
ゆえにトゥメルの歩兵軍は強かった。
「少し、寝るぞ」
高いびきをかく主人にもかかわらず、トゥメルの屋敷は鉄壁の守り呈していた。
トゥメルの屋敷と並び西都でもっとも大きな屋敷のうちの一つに、ガシュベルの屋敷がある。トゥメルの屋敷が武人の要塞なら、ガシュベルのは貴族らしい貴族の屋敷だった。
広々とした庭園に、季節ごとの花が咲き乱れ周囲を囲むのは簡易な鉄格子のみ。木材ではなく、敢えてレンガ造りでこしらえた邸宅は、王都の貴族庭園を意識してのことだ。
二頭立ての馬車を引かせるのは、馬の産地である西域でも稀有な巨大な馬。その馬が地面を踏みしだき、堂々たる門の前に到着すると、既にそこには、家宰以下召使いたちが待ち構えていた。
「おかえりなさいませ。ご主人様」
綺麗に揃ったその声に、軽く頷いてガシュベルは馬車から降り立つ。
「変わりないか?」
問う声は極々優しげだったにも関わらず、家宰以下の召使い達は一様に身を強ばらせた。
「お家の方は何も問題ございません」
「そうか」
細い眼の奥から注がれる視線に耐えかねて、家宰は深く頭を垂れたままで答えた。
「ほぅ……」
邸宅へ向けて歩き出したガシュベルの目が捉えたのは、未だ少女の域をでない召使いの一人。ショートに髪を切り揃え、髪に結んだリボンが愛らしい。
「新しく入った者か?」
声をかけられた少女は、頭を垂れたまま震える声で返事をした。
「は、はい。先日からご奉公に上がらせていただいています。カチューシャと申します」
「いくつだ?」
「先日13歳になりました」
「そうか、仕事は家宰に聞くといい」
ガシュベルの猫なで声に、バネ人形のように少女は返事を返す。
「はいっ!」
舌なめずりしそうなほど、口元を歪ませるとガシュベルは声もなく笑い、邸宅へ入る。
「愉しみが一つ増えたな」
小さく呟いた彼の声に気づいた家宰は、小さく震えた。
はやしたてる笛と太鼓の音に、一人の美女が炎を手玉に取り、空中に投げたかと思えば、その吐息で吹き消してみせる。美女は観客からの歓声に、完璧な笑顔で答えてみせた。その横では、小柄な少女が小剣を手に持ち、巨大な玉の上に乗っている。顔を向ける先には、壁を背にした目隠しをされた妖艶な女の姿。
少女の今にも玉から落ちそうな、ふらふらとした動作に観客の中には悲鳴をあげるものもいる。ふわりと、玉の上で少女が宙返りをしたかと思えば、その手にあった小剣を目標に向かって投げつけていた。思わず目をつぶる観客の女達や子供たち、一瞬の静寂のあとに、軽快な音と共に壁に突き立つ小剣の数は、三本を数えた。
最後を飾るのは、物悲しく心に響く音色。三本線という弦楽器の奏でるメロディに合わせて、少女が歌う。赤銅色の髪、花の咲くような笑顔で一礼すると、自然とざわついていた観衆が静かになる。
歌われるのは、恋の歌。
結ばれない恋の歌だった。
歌い終わった彼女に万雷の拍手が起こる。
わっと湧き上がる観衆に、旅の芸人の一座の主であるナルニアは満面の笑みで答えた。
「見事だった」
最初は酔いの回っていたトゥメルだったが、旅芸人達の芸にその酔いも最後にはすっかり醒めてしまっていた。
片膝をついて、控えるナルニア達女ばかりの旅芸人達はトゥメルの屋敷で芸の数々を見せていた。その技もさることながら、彼女ら一人一人の美しさが観衆の注目を引いた。
「ありがたき幸せ」
可憐な口を開いたのは、赤銅色の長い髪を腰のあたりでまとめたナルニアだった。一緒にいる他の者達が成熟して大華を咲かせる華花とすれば、ナルニアは未だに小さく蕾をつけたばかりといったところだ。しかしそれを補って余りある、可憐な笑顔。思わずこちらが微笑んでしまうような、可憐な笑顔が彼女にはあった。
「出来れば、紹介してはくれまいか?」
西域一帯では傲慢で鳴るトゥメルだが、こと一芸に秀でた者に対しては驚くほどに真摯な態度となる。彼の兵士に蹂躙された村々の者が見れば、目を疑う光景だっただろう。
「はい。先程炎の芸を見せましたのが、エレガ」
「お見知りおきを」
茶色い髪を短くまとめた女が礼をする。見事なプロポーションと、強気を示すようなつり目。南方の血が混じっているのだろう。はちみつ色の肌に、薄く微笑む。
「玉乗りの芸を見せたのが、カーナ」
「初めまして、ごりょうしゅさま!」
舌足らずなあいさつをしたのは、柔らかく思わず抱きしめてしまいたくなるような少女。健康的に焼けた肌と、無邪気に笑う彼女からは色気よりも、保護欲をかきたてられる。
「私たちの一座の、裏子クシュレア」
サーシンを奏で、カーナの小剣の的になった妖艶な美女が立ち上がる。牡丹の花のように艶やかに、大輪の花を咲かせるクシュレアは、肌の露出した服を着飾っている。
「よしなに……」
弱々しいその口調からも、艶やかさは微塵も失わせない。
「そして私が、座長を務めます。ナルニアです」
「なんと、そなたがこの者達の長だと申すのか?」
「父と母より、今の地位を引き継ぎました。各別不思議なこともありません」
「それで、ご両親は?」
「先ごろなくなりました……理由は、聞いて下さいますな」
「悪かった……そうだ、お詫びも兼ねて、今晩晩餐にご招待しよう。田舎とはいえ、西域第一の都市、それなりのものを用意できると約束しよう」
「喜んで、ご領主様」
優雅に一礼するナルニア一行に、観衆から盛大な拍手が起こった。
輝きを放つのは赤地の旗に、白き盾とそれを囲む蔦の王冠。西の主を誇ったノイスター家の紋章は既に絶えたに等しい。晴れ渡る蒼天に翻るその紋章旗は、幼い日のシュセの記憶に焼け付いていた。
「シュセ?」
呼ばれた声に、幼い日の記憶から呼び戻される。
「失礼しました」
「どうかしたのか?」
問いかける湖水色の瞳には、心から彼女を案じる気配がある。
「いえ、つい懐かしくなりまして」
くすり、と笑う彼女に安堵の溜息を彼女の主はもらした。
「そうか」
思案するように、そらされる湖水色の視線を惜しいと僅かに感じつつ、シュセは口を開いた。
「西都は、緑水のベルガディと呼ばれることもあります。宝玉のロクサーヌ、鉄火のガドリア、南陽のジェノヴァと並ぶロアヌキアの支柱と言って良いかと思います」
思案顔で頷くカルに、シュセは続ける。時刻は既に、夕刻を過ぎ一日の政務が終わったあと、カル自身の勉学の時間だった。
「王都からは、馬を乗り継いで5日。行軍の速度で言えば10日程になります。ジェノヴァは馬でも10日かかりますし、ガドリアに至っては山脈と荒地を迂回せねばなりませんので、30日は必要かと見積もっています。それに比すれば、近しい都市といえますね」
休むということを知らないカルに、シュセが紅茶を運んでいったことからシュセの講義となった。
「特産と呼べるものは、果樹と馬ですね。もともと広大な森林を切り開いて作られた都市ですので、木材も挙げることができるかもしれません。広々とした放牧場で馬を飼いながら、生活をするのが一般的です」
机に向かい書物を開いているカルと、傍らでそれを見守るシュセの姿は、彼らにあるしがらみさえなければ、あるいは姉弟のようにみえたかもしれない。
「気候は、こちらと変わりないのか?」
「はい。大河ルプレからの恵みを享受している分、こちらよりも、霧が発生しやすい程度でしょうか」
「ありがとう、今日はここまでにするよ」
ふわりと、微笑むカルにシュセは優しく微笑んで黙礼する。最近のカルはよく笑うようになった。その安寧が何時までも続けばいいと、シュセは心の底から思っていた。
「はい、ではわたくしも下がらせていただきます」
部屋からシュセが出て行くと、カルは窓を開放った。
ロクサーヌの第一の実力者となってより、30日。カルは思いもかけず平穏の中にいた。十貴族を中心とした共和制の崩壊は、ロクサーヌに深刻な傷跡を残していた。騒乱により街の方々に火が放たれ、街のあちらこちらに、家を失った浮浪者が姿をみせている。
それにもまして深刻なのは、これまでロクサーヌを中心にまとまっていた、ロアヌキアを支える三都市の離反がそれだ。消極的、積極的の別はあるにしても、ロクサーヌと距離をおこうとしているのは、見て取れる。離反の影響は、人と物の流れとなって現れる。
「ジェノヴァは関税をかけ、ベルガディは門扉を閉ざし、ガドリアに至っては領主の座が奪われた、か」
弱き者は、食い物にされる。先の騒乱でスカルディア家は確かにその精強さを、ロクサーヌに見せつけることになった。しかし武門のラストゥーヌは、断絶に近く、経済を牛耳っていたケミリオ家は凋落の一途をたどっている。そしてロアヌキア中に名を知られたジェルノ家オウカに至っては行方不明。
ジェルノ家が後ろ盾をしていたガドリアの主の座がすげ変わったのは、あるいはその余波ではないかとカルは考えていた。経済に強いケミリオ家は、ジェノヴァと関係が強く、今回の関税はカルに対する牽制だった。
「前途は多難だな」
夜の風に豪奢な金色の髪が揺れる。
ロクサーヌの兵力は落ち込み、表面的には大きな人材を次々と失った。
「だが、ここからだ」
握り締める拳に力が入る。
王として、この街に君臨してから日は浅い。だがカルは、その施政に手応えを感じ始めていた。