獣道8
サギリの狂気の熱に照らされ、ルカンドはしばしサギリの瞳を見つめていた。
「僕は……」
机についていた手を握り締める。
思い返すのは、自身の目の前で殺された名も知らぬ少女の面影。呪縛のように脳裏を絡めとるその面影が、サギリの威圧を腹の底から跳ね除ける。
「何を犠牲にしても、ガドリアの平和を諦めるつもりはありません」
しっかりとサギリを見つめ返す灰色の瞳が告げるのは、決意の言葉。
「へぇ……ならジルの首、とってくるんだね?」
片眉を上げるサギリの問いかけに、ルカンドは俯いた。
「どうなんだい、はっきりしな」
「それも……お断りします」
スッと、手が伸びるのはルカンドがいつも使っている杖。
「しようの無い子だ……そんな我侭が通ると思って──」
「──通させていただきます」
「アタシのいうことが聞けないのかい?」
「動かないでください……サギリさん。動けば命を落とします」
ルカンドの両手に握られる杖に、サギリの視線が動く。
「……その杖、仕込み杖か」
コクリと頷くルカンドに、サギリは上機嫌に笑った。間合いは至近。命を握られているに等しいその状況で、なおも荒地の魔女は心底笑っていた。
「何が、おかしいんですか?」
一方のルカンドはいたって真剣だった。いつでも抜き打てるように細心の注意でサギリの動向を観察する。一瞬の隙さえ見逃さないとばかりに、睨みつけるようにサギリから視線をはずさない。
「アハハハ、クックック……まぁ、いいさ。それでアタシを殺してどうするンだい? 首をロクサーヌにでも届けてみるか?」
笑いを収めたサギリが、ルカンドに問い返す。
「そんなことはしません。ただ、僕の邪魔をしないでください。そうしてくれれば何をしてもらって……くっ」
「ああ、そういえばお前の質問に答えて無かったね」
急に片膝をつき、崩れ落ちるルカンドをサギリは見下ろした。口元に浮かぶのは弦月にゆがむ魔女の笑み。
「何がおかしいかって? 誰が味方かもわからないでアタシの命を取ろうとてるお前の姿が、おかしかったに決まってるじゃないか……ねえ? サイシャ」
その声にルカンドが後ろを振り向けば、見慣れた少女の姿。その瞳は虚ろに揺れ、唇をかみ締めながら……だが確かに手には、毒の塗ってある針を手にしていた。
「サイ、シャ……なん、で?」
「……ごめん」
俯く少女に、サギリの声が重なる。
「誰が誰に従うか、敵と味方の区別もつかないようじゃ、まだまだだねルカ」
低い笑いとともに落ちてくる声に、ルカンドは視線を上げる。あのサギリの高笑いは、サイシャの進入を気づかせない為のものだったのかと、今更ながら気がつく。
「ま、いいさ。これで力関係ははっきりしたろう」
椅子に座りなおすと、足を組んでルカンドを見下ろす。
「なぜそんなに争いを拒むんだい? お前だって憎かったろう? おまえ自身を物のように扱う奴隷商人や、お前を売り飛ばした親達がさぁ」
吐く言葉は毒となってルカンドの心を蝕む。
「……もちろん憎かった。だけど、今はそれよりも、もっと大切なモノがある」
「へえ、そりゃなんだい? アタシの気分が変わるようならお前の話を聞いてやってもいいよ」
痺れる手先に、抗いながらルカンドはサギリに視線を向ける。
「家族だ」
「っ!」
ぴくりと、片眉を上げただけのサギリと、ルカンドの後ろで息を呑むサイシャ。
「サイシャや、ケイフゥや、ジンさん、ナルニアにジルさんや、シロキアさん、クルドバーツさん……そしてサギリさん、このガドリア全てが僕の家族で故郷だ」
まっすぐに向けられる視線は、ルカンドに宿る情熱の全てを語るかのように熱の篭った物だった。
「……残念だよ、ルカ。アタシはもう少しマシな答えを期待していたんだがねぇ」
対して向けられるのは、殺気すら篭った鋭い視線。サギリの手には腰から音も無く引き抜かれた短剣が握られている。外から差し込む月光の光に、鈍く光る刀身。
「サギリさん、お願いです。ロクサーヌと今争っても、勝ち目はありません」
「今しかないだろう? 北は自由都市が押さえ、西にはもうすぐお前の手はずで、火の手が上がる。それに乗じて一気に王都を落とすのさ」
「……なんで、それを!?」
「クルドバーツを信用しすぎちゃいけねえよ。ルカ、情報だって商売の種だろう?」
奥歯をかみ締めるルカンドと、薄い笑みを浮かべるサギリ。
「お願いしますっ!」
頭を地面に打ちつけ、ルカンドは叫んだ。
「サギリさん、ロクサーヌとは戦っても勝てません。相手はディードのような獣じゃない! 訓練された兵士です」
打ち付けた石の床に、ルカンドの割れた額から血が流れ出す。だがそれでも、ルカンドは言葉をとめない。
「ガドリアの兵力は1000を超えることはありません。ですが、ロクサーヌには、常時3000を数える兵力が駐屯しています。西都で反乱がおきたとして、その差が縮まりこそすれ、逆転することなど無い。そんな無謀な賭けに、踏み切る必要は無い!」
「無謀な賭けね……それじゃお前はどうやってあの街を奪うんだい?」
否定するなら代案を出せとの言葉に、ルカンドは必死に答える。
「一時の和平を利用して、あの街の内情を利用します」
「ふン」
その情報は知らなかったと、サギリは軽く内心でクルドバーツを罵る。そんなサギリの様子にも気づかず、ルカンドは言葉を続ける。
「今ロクサーヌは、王位についたカル・スカルディア・ヘルシオラと十貴族の生き残りであるオウカ・ジェルのが覇を競っています。そこに付け込みます」
オウカ、の名前を聞いた瞬間サギリの表情に一瞬鬼気が浮かぶ。だがそれをすぐにしまい、平静を装ってルカンドの話に耳を傾けた。
「彼らのうちどちらか、あるいは両方に食い込み内部からロクサーヌを崩します」
ぜえぜえと喘ぐルカンド。
「……崩す策はしっかりとあるんだろうね」
静かに問う声は、
「必ず! ロクサーヌは獲れます! ですから、今戦を起こすのはやめてください!」
「わかった。下がりなルカ……サイシャもだ」
「ジルさんの命を、保障してくださいっ!」
「ちっ……うるせえ! 黙って下がれ!」
「いえ、下がれません。お願いします。お願いしますサギリさん!」
土下座するルカンドの隣に、軽い音がする。
「私からも、お願い、します。サー姐」
ルカンドと一緒になって土下座したのは、今にも泣きそうなサイシャだった。
「サイシャっ!」
驚いたのはルカンドだった。普段彼女の気の強さを知っているだけに、こんな屈辱的なことをするとはとても思えなかったのだ。
「サー姐の手はわずらわせないから、だから……」
「ああ、もう! わかったわかったよ! さっさと消えな」
くしゃりと、長い黒髪を掻くとプイっとテラスの方に歩いていく。月光に輝く短剣はいつのまにか、しまわれていた。
「じゃ、じゃあ!」
喜びのあふれる声で、問いかけるルカンドに、サギリは背を見せたまま手を振った。
「戦はやめだ。ジルもしばらくそっとしておいてやる」
ケッと吐き捨てながら、グラスを手にとってテラスに腰掛けた。
境界の山脈から吹き付ける風が、彼女の長い髪を揺らす。
「ありがとうございます!」
「ただし、期限付きだ。半年でロクサーヌに確固たる足場を作りな」
「はいっ!」
弾む返事に、サギリは苦笑した。
「用事が済んだらさっさと失せな」
その声に見送られて、サイシャとルカンドは部屋をでる。
「……どうにも、参ったね。クソジジイ、アンタに貸すんじゃなかったよ」
悔しさとうれしさが同居した不思議な気分だった。
見上げる月は、やはり煌々と輝き。
「家族、か……アタシがねぇ」
だが、舌に転がる酒の味は上々、こんな気分も悪くはなかった。
月から視線を移せば、闇に沈む境界の山脈。
「まぁ、いいさ。オウカ・ジェルノの首、この手で取れるならロクサーヌを奪うのが1年2年遅れてもたいしたことじゃない」
滴るような憎悪が、サギリの顔に笑みの形をとらせる。
「最後の一人だ」
この上なく上機嫌でサギリは笑った。
「その、ごめん」
ルカンドの手当てをしながら、サイシャはルカンドに謝罪していた。サイシャに与えられた部屋は薬草とそれに関する書物でいっぱいだった。唯一散らかっていないベットの上に、ルカンドを座らせ、治療に当たる。
「え?」
ルカンドの緩くウェーブのかかった赤銅色の髪を掻き分け、額に薬を塗りこんでいく。
「その、後ろから毒針で刺したこと……」
薬を丁寧に塗りこんだ後は、包帯を巻きつける作業だった。しばらく離れていたからだろうか、サイシャの女性らしくなった体に、ルカンドはどきりとして目の前の胸から視線をそらした。黒服の上からでもわかるそのふくらみを視界に入れないように、注意しながら。
「あぁ、うん。気にしなくていいよ」
治療を終えた包帯を触りながら、人を安心させる笑みを浮かべる。
「そんなわけにいくか!」
一方のサイシャは、目に涙すら浮かべている。普段の無表情かつ強気の彼女からは想像すらできないほどに、表情豊かだった。
不謹慎にもその彼女が可愛いなどと考えてしまい、あわててその考えを思考の墨に追いやる。
「でも、なんで……」
「サー姐から、事前に言われてたんだ……ごめん」
「そう、か……まだまだ勝てないね」
くすりと、笑ってルカンドは窓から覗く月を眺めた。
「土下座して、刃が振ってこなかった時には勝ったと思ったんだけど……良いとこ引き分けかな?」
「え?」
「何が何でも僕がロクサーヌと争わない理由の話に持ち込んでしまえば、サギリさんは聞く側に回らざるを得ない。あの人は頭のいい人だからね。だから、話さえ聞いてもらえれば、勝つ自信はあったんだけど……」
サイシャのことは予想外だったね。と笑うルカンド。
「私はてっきり、本気でサー姐の命を狙ってるのかと」
「あはは、僕の腕じゃ刺し違えるのだって無理だよ。今だってほら」
見せるルカンドの手は震えていた。
「ね? 今思い返しただけでも、怖くて」
肩をすくめて笑うルカンドに、サイシャは少し安心した。
「最初にジルさんの話を出された時に、気づくべきだったんだろうけど。あれはサギリさん流の、僕に与える試験なんだったと思うよ」
「何で試験なんか……」
薬の箱を手早く片付けながら、サイシャはルカンドの隣に座る。
「この足じゃ、もう僕は戦えない。だから、ほかに生きるすべを見つけろってことなんだと思う。思いっきり好意的に解釈してだけどね」
「合格、だったんだよな?」
ずいっと心配そうに顔を寄せるサイシャ。翡翠色の彼女の瞳が、ルカンドを覗き込む。彼女に内心の動揺を伝えないように、細心の注意を払ってルカンドは笑った。
「だと思う。ギリギリ及第点ってところかな……僕自身としても反省しなきゃいけないこともあるし」
「反省?」
「これ!」
そういって額を見せるルカンドに、二人で笑いあう。
「じゃ私は片付けて来るから」
ベットから立ち上がるサイシャ。その彼女が途中で止まる。
「どうかした? 忘れ物?」
「ああ、いや、その……」
歯切れの悪いサイシャに、ルカンドは首をかしげる。薬箱をもったまま、ルカンドと床を交互に視線が行き来する。
「ありがとう……家族だって、嬉しかった」
「……うん」
ルカンドの返事も聞かず、脱兎のごとく駆け去る彼女を見送って、今一度月を見上げるルカンド。
「これでロクサーヌとの戦は回避された。後は火をつけるだけだ……」
燃え上がる大火が、西都を焼く。
自分の故郷を守るために、他人の故郷を焼く。罪の深さを自覚して、尚、仕方ないことなのだと割り切るためルカンドはベットに寝転がった。
所詮、神ならぬ人の身では全てを救うことなどできはしないのだから。
<獣道>編終了です。
次回はカルとシュセのお話になります。主にシュセがメインになりそうな……。
西都征伐(未定)をお楽しみください。