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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦528年 魔女の系譜5章
69/103

獣道5

 追撃が始まって二日。いまだディード達の本隊には追いついていなかった。それどころか、ディードの襲撃すらまばらな状況だ。津波の前の異様な静けさを彷彿とさせる、不気味な静寂に、サギリは内心舌打ちしていた。

「案外、ジンの判断が正しかったか……?」

 あの時群れの中心であった老人を討ち取っていれば、ここまで苦労することは無かった。誰にも聞かれないよう小さく口に出して、自嘲する。

 過ぎたことは仕方ない。と考えて後悔を切り払う。傷ついた狼達と、ガドリア軍を休ませることが出来ると考えれば、悪くは無い。しかし、なぜ襲撃が無いのか。怯えて出てこないのか、もしくはおびき寄せようとしているからなのか。おびき寄せて、罠に……とそこまで考えて馬の背で揺られるサギリは眉根を潜めた。

「ジッ……ケイフゥ!」

 とっさにジンの名前を呼ぼうとした自分自身に腹が立つ。

「偵察だ」

 睨むようにケイフゥに視線を向ける。

「ん~と」

 ひょこっと顔を出したケイフゥが、周囲を見渡して曖昧に頷く。

「やってみる!」

「やってみるじゃ困るんだけどねぇ」

 ケイフゥに毒気を抜かれ、困ったように苦笑するサギリ。

「まぁやってみなよ」

 うん、と元気よく返事を返すと脱兎のごとく駆け出していく。

「てめら、速度ゆるめな!」

 サギリの号令に、ガドリア軍はゆるりと前へ進む。




 追撃から4日経った。

 相変わらずガドリア軍の追撃にもかかわらず、ディードの尻尾を捕まえることが出来ない。代わりに襲撃も無い為に、比較的安全な4日間だったと言ってよかった。

 日のある明るいうちになるべく進み、夜は適当な場所を見つけて夜営の天幕を張る。故に怪我人の治療は、至急の場合を除き夜に行われる。

 自然、医術に心の得るルクなどは夜通し起きていることもしばしばあった。昼夜逆転の生活に、眠い眼を擦りながら、ルクは患者一人ひとりの間をめぐっていく。

 上空は強い風が吹いているのだろう、急ぎ足で流れる雲の合間から、星と月が短い感覚で顔を出す。

「寝不足か?」

 彼女の傍らには心強い友人が、いつもと変わらない様子でいる。

 ここ最近ルクと同じ生活サイクルを経験していると言うのに、全く変化が無いのは普段の生活の違いなのだろうか。気にしている余裕も無かったが、髪はボサボサになってしまったし、なんだか肌もざらざらする。横目でサイシャを確認して、普段と変わらないサイシャに少しルクは妬いた。

「うん、サイシャは?」

「いつも通りだな」

 いつ寝てるんだろう、という疑問を押し込め、ルクは次の天幕を目指す。

 最近は平穏な日が続いている為か、油断なら無い患者は多いものの、皆何とか快方に向かっている。そのことが僅かなりともルクの心を軽くする。出来ればこれ以上、怪我人を出さないでほしい。心の中で小さく祈って、天幕に入った。

「はい、腕の骨はくっついてきてますので包帯を取り替えて、安静にしておけば大丈夫です……お願いしますね」

 次々と患者を診て回るルクに、手伝いと称して程度の軽い怪我人達がついてくる。まじめに手伝うものもいるのだが、“聖女”と噂される彼女を近くで見ようとという、野次馬根性をだしているものが大半だった。

 その度にサイシャが睨みを効かせて、半ば強制的に野次馬どもを怪我人の看護に当たらせる。以前はケイフゥの無言の威圧で、近寄らなかった者達も、サイシャではケイフゥほどの威圧感は感じないらしい。あるいは少女二人と言う組み合わせに興味をそそられるのかもしれない。火に群がる虫のように次々集まってくるそれらをいなすのは、もっぱらサイシャの役目になっていた。

「なんか手伝ってくれる人がいっぱいいたね」

 天幕を出て、感嘆と共に述べるルク。的外れな彼女の感想にサイシャはため息を漏らした。

「男はバカばっかりだ」

 うんざりと感想を述べるサイシャを疑問の眼差しで眺めるルク。

「いっそのこと私の毒で、しばらく起きないように……」

 不穏なことを口走るサイシャを、ルクは苦笑と共に見つめ、次の天幕へ足を向けた。




 ぎりっ、と奥歯をかんで星空を睨む。

 全身に包帯を巻いたジンは、身体をなでる風に身を任せていた。座った岩肌から伝わる冷たさが、傷でほてった身体に心地よい。

 ジンは迷っていた。

 サギリのために生きる。そう誓ったのは、嘘ではない。曲がりなりにも、荒み切っていたジンに救いの手を差し伸べてくれたのはサギリだった。妹を失い、世界全てを敵としていたあの時に、生きる理由をくれたのは“荒れ地の魔女”だった。

 戦うことしか出来ないジンに、戦う相手と命を掛ける理由を与えてくれたサギリ。

 そこには一片の嘘も無い。

 だが、だがしかし……あの老人を見た瞬間、身体も思考も全てが沸騰した。

 涙を流すユリィの顔、血塗れて微笑むユリィの顔、ユリィの甘えるように呼ぶ声、苦しげに助けを求める──。

 あふれ出る憎悪は果てが無い。

 ジンの思考も、誓いもすべて押し流す激情の奔流。

 もしまた、あの老人を目の前にしたらまた全てを投げ出してしまうだろう。そして命を落とす。それではサギリのために生きる、という誓いに背くことになる。

 だからこそ、サギリはジンを前線から遠ざけたのだ。お互いが了解の上、だが、ジンにはそんな自分が許せない。

 グルグルと回る思考に、ジンは深く息を吐く。

「ジンにぃ! 何してるのさ!?」

 悲鳴に近い声を出して駆け寄ってくるサイシャの声で、ジンはまぶたを開く。

「風に当たっていた」

「っ! 怪我人なんだよ!? 安静にしてなきゃダメじゃない!」

 子供をしかりつける母親のように腰に手を当てて、ジンを見上げるサイシャ。以前に比べればだいぶ明るくなった。遅れて駆けつけたルクが息を切らして、呼吸を整えてるのを苦笑と共にジンが見守る。あるいはサイシャが明るくなったのは、この貴族の少女のせいなのかもしれないと。

 ガドリアの新しい力は着実に育っている。

 剣ではケイフゥが、政ではルカンドが、そして医術と言う点ではルクやサイシャが。

「聞いてるの? ジンにぃ!」

「ああ」

 気のない返事に、片腕を強引に引っ張られる。

「とにかく天幕に戻ってもらうよ!」

 遠慮の無いサイシャに、苦笑を深くして頷いた。

 ガドリア、ひいては双頭の蛇においてジンでなければならないことは、なくなってきているのだ。少なくてもジンは、そう感じていた。



 追撃から8日目。ついにガドリア軍はディードの群れの尻尾に喰らいつく。ガドリアの街から行程は20日ほど。あとにも先にも、荒れ地をここまで踏破した軍はない。

 偵察に出たケイフゥがその報告を持ってくると、サギリはケイフゥを伴ってディードの住処をのぞきに向かった。

「やっと追い詰めたねえ」

 荒れ地の北の果て。

 山岳地帯に入ろうと言う丘陵地帯に、ディードの住処があった。

「はン、いっちょ前に化け物が人間の真似事か」

 丘の麓、周囲には堀と柵を巡らせ砦らしき様相を呈している。うろつくディードの数は、今まで襲ってきた比ではない。優に300以上はいるだろう。丁度彼らから死角になる丘の上から、砦の全景を眺めるとサギリはうっすらと口元に笑みを浮かべた。

 巨躯のディードが群れる様子は圧倒的な迫力を持って、彼らの眼に映った。

「多いねぇ、サーねぇ」

 のんびりとした口調に、緊張感の感じられない物言い。慣れたとはいえ、サギリも時々ケイフゥの真剣さを疑ってみたくなる。

「まともにやりあっちゃ、厳しいだろうけどね」

 見るものは見たとばかりに、砦に背を向け、ケイフゥを促す。

「丘の麓なんかに、砦を築いたのが間違いの元さ」

 残酷な笑みを口元に張り付け、サギリとケイフゥはガドリアの本陣へ戻っていった。




「ジンにぃ……」

 呟かれた言葉とともに、握られた拳が小刻みに震える。

「寝てろって言ったのに、また抜け出したな……」

 視線は猛禽類のように鋭く、彼女の背中にはめらめらと燃える炎が幻視されるようだった。

「……ま、まぁ動けることを喜ばないと……」

 恐る恐る声をかけるルクに、がるるる、と獣のうなり声を上げてサイシャが振り向く。

「今度は縛り付けてでも、安静にさせてやる」

 ルクは乾いた笑いでもって彼女の闘志を眺めた。

「あ、こんなところに!」

 天幕の入り口から聞こえた声にサイシャとルクが振り返る。

「サイシャさん、サギリさんが呼んでますよ」

 双頭の蛇の少年の言葉に、サイシャは軽く舌打ちする。

「分かった」

 答えた声は、“毒蛇”と呼ばれる盗賊のもの。ルクとともに、治療に当たる少女の面影はすっかり鳴りを潜めていた。瞳に映るのは、暗く深い憎悪の炎。

「じゃ、行って来る」

「気をつけてね」

 そんな彼女の様子を悲しく思いながら、ルクは見送ることしか出来ない。

 軽く手を振るサイシャの姿に、ルクは無事を祈らずにはいられなかった。




「ルカの奴には、感謝しないとねえ」

 炎に包まれ燃え上がるディードの砦、丘の上からソレを見下ろしてサギリはにんまりと嗤った。

 補給で得られた油と、家畜を使っての火攻め。馬の背に油と薪をつみ、火をつけて一斉に放ったのだ。興奮した馬は自身の背についた火を振り払う為に、全速力で砦に向って駆ける。死に物狂いとなった馬は狂乱のままに柵に、砦自体にぶつかり背の火を撒き散らしていった。

 いかな屈強なディードと言えども、やはり生き物であるからには火は怖いらしい。身体に纏わりつく炎を振りほどこうと混乱のきわみに在った。

「さぁ、切り込むよ」

 そこへサギリ率いるガドリア軍が、突き進む。双頭の蛇を尖兵として、博徒、雪華、城兵。それぞれの得物を振りかざし、一気に柵を突破し砦の中へ進入を果たす。

 オォン!

 ディードの砦の前、しっかりとした木で組まれた砦から出てきたディードが吼える。手には長剣を構え、まるで戦士のような姿の化け物の咆哮。

 まるで吸い寄せられるように、今まで混乱していたディード達の視線が一斉にそちらを向く。

 オォォン!

 二声。

 今まで見事なまでに混乱してたディード達が、はっきりとした意思の元に行動を起こす。砦の中に進入したサギリ達を取り囲むように、遠巻きに包囲をしだす。

「おいおい」

 苦笑を顔に貼り付けサギリは、口の端を歪ませる。

「生意気なことしてくれるじゃないか」

 罠の存在を毛ほども疑っていなかったガドリア軍。

「姐さん、こいつはっ……」

 歴戦のシロキアでさえ、顔を引きつらせてる。眼に見える同様が広がるのを、肌で感じたサギリは声を張り上げる。

「おたつくんじゃないよ!」

 ケイフゥとサイシャを呼び寄せると、指示を出して走らせる。

「あいつを仕留める!」

 引き抜いた短剣で指すのは、群れの統率者たる戦士の格好をしたディード。

「ちっ……人手がたりねえな!」

 ジンが居ればな、という弱気な感情を心の中で笑殺する。愚痴にも似た感想をこぼして、サギリは狼を率い食人鬼の群れへ駆け出した。

 迫る凶刃。それを紙一重で避け、容易に岩を砕くであろう鎚の一撃をかいくぐる。と、同時に左右の短剣を振るいディードの腕の腱を切り裂く。次々と繰り出される一撃必殺のディードの攻撃をかわしながら、サギリは徐々に隊長格のディードまでの距離を詰めていった。

 強大なディードの群れに開いた針の先ほどの穴。それを双頭の蛇の全力を持って拡げていく。怪我をするのは覚悟の上で、ディードの群れに身を躍らせる。進むほどに厚く密集していくディードの壁。既にディード自体が武器を振るう隙間も無い。だがサギリの勢いを止める為、文字通り肉の壁となってその前に立ちはだかる。

 徐々に進む速度が落ち始めるサギリ。止まってしまえば後ろから、包囲されディードの圧力に皆殺しにされるのは眼に見えている。

「くっ……」

 荒れ地の魔女と謳われるサギリの技量うでをもってしても、緊密に固まったディードの群れを突破するのは至難の業だった。

「ケイフゥ! サイシャ!」

 叫ぶ大剣と毒蛇の名前に、僅か緊密に集まったディードの群れが揺れる。サギリが二人に与えた指示は、少人数を率いて敵の側方に回り込むことだった。サギリの勢いが止まった地点目掛けて、サギリの叫び声と同時に、二人が左右から切り込みをかけた。

 振り降ろされるケイフゥの大剣が、ディードの頭を叩き割り、サイシャの投げる投擲剣がディードを即効性の毒で瞬く間に殺していく。

 再び勢いづくサギリ率いるガドリア軍。一度は止まったかに見えたサギリの勢いが、再度加熱する。二人の切り込みに出来た動揺を縫って、サギリは再び猛烈な勢いでディードの群れを切り裂き始める。

 オォン!

 再び叫ぶディードの隊長格。今まで包囲に回っていたディードまでが移動を始める。サギリ率いるガドリア軍の突撃を止める為、なりふり構わずディードの群れを動かす。一重二重……四重となるディードの壁に、常に最前線を担っていたサギリにも疲れが見え始める。

「化け物め、知恵なんざ付けやがって!」

 悪態と共に弱気を吐き出し、血脂のこびり付いた短剣を振るい、新たな敵目掛けて跳躍する。

 前に、ひたすら前に。

 下がることの許されない蛇の頭は、想像を絶する重圧の中での戦いとなる。肉体的身体的な疲労は、後ろについてくる者の比ではない。下がれば即ち死が待っている。勢いが止まれば包囲されるのは眼に見えているし、後ろに続いてくる者と接触してたちまち混乱に陥るだろう。

 だから蛇の頭は決して下がれない。それはつまり、前方にしか選択肢が無いと言うことでもある。戦いの中で、選択肢を狭めるのは生き残る機会の激減に繋がる。

 その重圧が、サギリの心身を蝕み始める。

 激闘に次ぐ激闘。一重の包囲を食い破り、二重の包囲を突破し、三重の包囲網に掛かった時、その疲れがサギリの足元を攫う。

 ディードの流した血の海に足を滑らせたのだ。

「ちっ……」

 もれる舌打ちは、最悪の予想が出来たからだった。目の前に迫るディードの棍棒。

 圧倒的な圧力を伴ったそれは、サギリの小柄な身体をやすやすと吹き飛ばし、双頭の蛇の全滅を導くであろうと思われた。脳裏を駆け巡る最悪の結末に、サギリは歯を噛み締める。

 死に物狂いで身体を縮め、横薙ぎに振るわれた棍棒の下を潜り抜ける。と、同時に無防備なディードの腕に向けて短剣を振るう。人体の急所に向けて振るわれた短剣は、過たず主の意思を代弁する。赤い鮮血にぬれた短剣を握り直し、次なる獲物に向かい疾駆する。だがその勢いは誰が見ても分かるほどに衰えていた。

 サギリの命令で、左右からディードに切り込みを掛けたケイフゥとサイシャも苦戦を強いられていた。元々率いて来た数が少ない。その中で特攻を掛けるとしたら、最初の勢いで全てを決めてしまわねばならない。さもなくば、数の力に押さえ込まれジリ貧に追い込まれるからだ。

 その初手の勢いが徐々に弱くなっている。理由は明白で、予想以上に固いディードの守りとその圧力だ。30匹程度のディードの群れならいざしらず、300を越えるであろうディードに立ち向かうなど彼らの中でも初めての経験だった。

 後一押し。

 勢いがほしかった。今はまだ先ほど勢いを取り戻したサギリ率いる本隊の力で、ケイフゥとサイシャへの圧力はそれほどでもない。サギリ率いる本隊が止まったときこそ、ケイフゥとサイシャの全滅するときだった。徐々に落ちてくるサギリの勢いに、二人は死へのカウントダウンを見せ付けられているような気がした。

 後一押し。

 それはサギリの脳裏にも浮かんでは消える余計な考えだった。今現在ディードとガドリア軍の力は拮抗している。ソレを崩す為にもう一押しほしい。

 舌打ちしてその考えを脳裏からたたき出す。今居ない何かに頼ろうだなんて、虫が良すぎる。現状というものは自分の力で変えなければならないのだ。

 後方を振り返れば、シロキアを始めとするガドリアの本軍は誰も彼も必死にサギリの後に続いている。傷を負っていない者が皆無と言う状況の中、サギリは腹をくくる。

 密集したディードの群れの中に自身を踊りこませる。怪我を負うのは覚悟の上、最悪死すらも覚悟してディードの振るう暴風雨に似た間合いの中に正面から突っ込んだ。

 振り下ろされる長剣の下を掻い潜り、一気に喉元を突く。瞬時に引き抜く短剣を逆手に持ち替えて、首筋をさらに一閃。吹き出る血潮を浴びながら、次の獲物に食らいつく。

 手足の腱などを狙い、相手を戦闘不能に追い込む戦い方から一変して、サギリは殺しに出た。人体の急所を確実に貫き。そして突進の速度は緩めない。

 針の先ほどの相手の隙に乗じて、懐まで入り込み一気に勝負を決める。極限の集中力と蛮勇に近い勇気がなければ行えない戦い方だった。ディードの突き出した長剣が、彼女の長い黒髪を幾本かを奪い去る。だがそれでもサギリは前に出る。好機とばかりに、そのままディードの指を刎ね飛ばし、一歩踏み込むと同時、もう片方の短剣で首筋を絶ち斬る。

 すぐに横に身体をずらせば、彼女が先ほどまで居た位置に丸太ほどもある棍棒が振り下ろされていた。

「こ──」

 体勢を低く、横薙ぎの長剣をかわしながら。

「──のっ!」

 棍棒を振るったディードに短剣を突き立てる。前と横同時に遅い来るディードの拳を、身体を半分ずらしながら前に出ることでかわす。

 後ろに眼がついているのかのような、サギリの卓越した技術もディードの圧倒的な数の前に、徐々に勢いをなくしていく。彼女自身も、これは賭けだと分かっていた。自身の技量が続くうちにこの包囲を突破できるか、さもなくば死か。

 分の悪い賭け。

 そんなことが脳裏を掠めては瞬時に消えていく。雑念を振り払い目の前の、ディードとその周囲の動きを徹底して読む。

 だがサギリも、自身の短剣の切れ味が鈍っていることにまでは気が回らなかった。血脂で濁った刃の切れ味は僅かずつだが確実に落ち、首筋を断ち切られてもほんのわずかだが、生きる余裕を与えてしまっていた。

 その結果倒れたディードの腕が、サギリの跳躍しようとした足を捕まえた。喉を切り裂かれ、あとほんの数瞬で息を引き取るはずのディード。握った手に力はなく、間もなく命尽きるであろうはずの化け物が、サギリの動きを止める。

「なっ」

 驚きの声はサギリの喉にこびり付いて消えた。

 眼前に迫るディード。瞬時に足を掴んだディードに止めをさすが、目の前のディードの対処には遅すぎる。突き出された拳が、サギリの身体を捉え。

「後ろに跳べ!」

 聞きなれた声に、身体が反応する。後退するサギリと入れ替わり、前に出る一つの影。腰から抜き放つ二振りの刃が、光芒となって拳を突き出したディードを瞬殺する。

「てめえ! なんで来た!?」

 ディードを葬ると同時、サギリの叫びに背を向け一気にジンは群れの深くに侵入する。抜き放たれた双剣は血をすする牙に等しく、次々とディードをそのあぎとに掛ける。肘から断ち切られた腕が宙を舞い、首を刎ねる。

「ジン!!」

 叫ぶサギリの声も、一度開いてしまった絶対的な差が邪魔をしてジンには届かない。届いたとしてもジンは止まらなかっただろう。その背中から感じられるのは死すらも覚悟した悲壮な決意。

「ジン!」

 魔女の声にも振り返らず、ただひたすらに道を切り開く為、爪牙を振るう狼の姿。

 最期の一押し。

 誰もが望んでいたそれが、サギリの最も望まない者の手で押し開けられる。

 息を吹き返したガドリア本隊の攻撃に、ケイフゥ、サイシャの別働隊も勢いも取り戻す。

「ジンにぃ!?」

 血しぶきを上げて群れを食い破るジンの姿に、サイシャは嬉しさと不安が同時に頭をもたげる。全身に負った傷は、十日やそこらで治るものではなかった。

 手負いの獣。と言う言葉が脳裏をかすめ消えていく。

 命まで燃やし尽くしそうな激しさに、サイシャの危機感は募る。

「邪魔を、するな!」

 手持ちの毒薬で最も強力なものを惜しみなく使い、ディードを駆逐する。

 待ち望んでいた最後の一押し。

 オォオン!

 隊長格のディードがいくら吼えても、もうどうにもならない。勢いのついたガドリア本隊は最後の力を振り絞りディードの群れを切り裂いていく。

 そしてついに、包囲を突破してガドリア本隊がディードを分断するのに成功した。






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