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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦528年 魔女の系譜5章
68/103

獣道4


 サギリが再びディードの群れに突入して、すぐディードの群れの間を駆け抜ける狼の一人を見つける。全身傷だらけで、息も絶え絶えのそれを見つけたとき、サギリの脳裏ではジンの死がよぎる。

「ちっ……」

 舌打ちすると、軌道を修正して狼の一人を保護する。

「ジンさんをっ……」

 走り続けたその狼の最初の一言がそれだった。

「生きてるのか、あの馬鹿は!?」

 何がどうなったのかは知らない。

「どっちだ!?」

 息も絶え絶えの狼が指差すほうに、サギリは双頭の蛇の進路を向けた。



「──それで、お前はどうしたい?」

「僕はロクサーヌと和平を結ぶべきだと思います」

 腕を組んで考え込むモルトに、ルカンドは言葉を尽くす。

「今の状況はあまりにも危険です。一つの勝利を呼び水にして、それを前提に全てを組み立てている」

「だが、生きるって事はそういうことだ。危険ない道なんてのは存在しない。お前も、もちろんあの蛇娘だって荒れ地じゃそうやって生きてきただろう?」

「分かっています。だから最もその危険の無い道を選ぶべきだと、僕は考えているんです」

「蛇娘の気性を考えるとなぁ……」

 髭面に微苦笑を浮かべたモルトは、ルカンドに向き直る。

「で、使者をどうする? 荒れ地の遠征軍にも補給を届けるんだろう? 今のガドリアには人材の余裕は無いぞ」

 剃刀色の瞳に、覚悟の色を浮かべてルカンドは頷く。

「補給にはサイシャに行ってもらいます。ロクサーヌの使者には、雪華から、人を貸してもらいます」

「中々思い切ったことをするが、サイシャは納得するかな? お前の側にいたがるんじゃないのか?」

「納得させます」

「ふむ、そうか……ならばやってみろ」

 剛毅な笑みを浮かべ、モルトは頷く。

「ロクサーヌとの和平、確かにそれが成り立つならガドリアにも希望の光ってやつが差し込むかも知れねえ」

「はい!」

「だがよ、ルカンド」

 一瞬覗くは領主よりも、年を重ねた者の経験がかもし出す独特の雰囲気。

「簡単に人を救えるなんて思っちゃいけねえぜ。特にお前の周りの奴等は業が深いからな」

「僕も含めて、ですね」

 寂しそうに笑うルカンド。その赤銅色の髪をぐちゃぐちゃとモルトがかき回す。

「年寄りの悪い癖だ。何でもかんでも忠告したくなる、まだ結果はでちゃいねえのにな」

「必ず、成功させます」

 力強く頷くルカンドを見て、モルトは開きかけた口を閉じた。

 変わりに同じく力強く頷くことで答える。

「やってみろ。責任はわしがとってやる」

 踵を返すルカンドの背中を、まぶしそうにモルトは見送った。




 一直線に走るジンの軌道上、振りかぶったディードの長剣が振ってくる。避けようとして、がくりと膝に力が入らない。反射的に足を踏み出し、倒れるのを防いだはいいが飛べそうには無かった。迫る長剣を受け止めようと、双剣を交差させる。

「くっ……」

 明確に迫る死のカタチ。

 力を受け流す余裕もなく吹き飛ばされる。双剣は明後日の方向に飛んでいき、ジンは後方まで地面を転がる。

 だが、それでも擦り切れて血まみれの拳を地面に叩きつける。

 怒りのままに、ふらつく足を動かす。

 引き結ばれた口元からは血が溢れ、武器はなくなった。

 眼前にひしめく食人鬼の群れ。

 噛み締めた奥歯が、ぎりりと鳴った。身の内を焦がす憎悪の炎、肌の下を這い回る怒りと言う名の生き物がジンの全身を支配する。脳を焼き、腹の中をぐらぐらと揺さぶり続ける灼熱の塊。

「るうぅ、雄雄おお、ぉおおお!!」

 それは既に人の声ではない。

 ジン自身でさえ、何の為に咆哮しているのかがわからない。ただ、叫んでしまわなければ何かに押し潰されてしまいそうだった。あるいは身のうちからの破裂か。

「……んで、アンタはまだ無駄に突っ込むのかい?」

 全身を朱に染めたサギリ、は呆れたように嘆息する。肩で息をしながら、それでも口元には不敵な笑みを絶やさない。

「やっと追いついたと思ったら、このざまだ」

 彼女の後ろに続くのは、ディードの群れを突き崩して来た狼の群れ。

「はン、アタシはお前に期待しすぎたか?」

 後ろからかけられる声に、だがジンは反応しない。獣のようにうなり、赤くなった瞳を向けるのは、背を向けようとしているディードの群れの中にいる老人。

 老人がサギリを認めると同時に背を翻した。

 それを、ジンが見逃すはずが無い。炎の塊となったような勢いで突進していく。

「バカが!!」

 瞬時にその間に割り込むサギリは、左手に力を集めジンに向って振りぬいた。

 眼に見えぬ何か、壁のように分厚い何かにジンは体の自由を奪われ、吹き飛ばされる。

「引き上げだ! 畜生め!」

 狼達にジンの体を抱え上げさせ、サギリはディードの群れから離れていく。ジンが執拗に狙ったあの老人も、既に逃げ去った後だった。ディードの群れを突破しつつ、距離をとる。

「くそっ!」

 悪態をついて、ディードの群れを睨むサギリ。

 気づけば彼らは、あの老人に続くようにガドリア軍に背を向けていた。

「なんてぇざまだよ」

 後ろを振り返れば満身創痍の手下達。

 自身を見下ろしても、所々に傷跡がある。

「しばらくは動けねぇか」

 舌打ちすると、ガドリアの本隊に足を向ける。

「てめえらも、休みな」

 手下に向って告げ、もう一度ディードの群れを睨むと、今度こそ振り返らずにガドリアの本隊へ向けて歩き出した。





 ──ぐちゃり、ぐちゃり。

「はぁ、はっ、はぁ……」

 ──ぐちゃり、ぐちゃり、ぐちゃり。

「うっ、はぁ、はっ」

 ──ぐちゃぐちゃ、がりっがりっ。


 瞼の裏をを焼くのは、守るはずの、妹の身体。

 真っ赤に染まったその腸を、貪る少年の姿。



「お兄ちゃん」

「大丈夫だ。ユリィ」

 握り返す手のぬくもりだけが、少年の守るべきすべてだった。

 難民に紛れて、父親の元から逃げ出して五日。食べ物は既になく、幼い兄妹は飢えていた。

 理性など、とうに枯れ果て、道徳などは、荒地の地平線の彼方にしかない。

「ちょっと待っててな」

「うん」

 優しく髪をなで、兄は盗賊に身を落とす。人を殺し、食い物を奪う為。

 幸にも、兄は強かった。

 首尾よく仕事を片付け、妹の元に戻る。

 妹に汚らわしい仕事を見せたくは無い。

 浅ましく、どうしようもなく愚かな考えだった

 獲物をとるために、わずかに妹と離れた隙に、運命の斧が振り下ろされた。

 少年が眼にしたのは、笑って食人鬼ディードをけしかける老人と、食人鬼ディードに喰われようとする妹の姿。

 どうやったのかは覚えていない。だがディードを殺し、瀕死の妹に近寄る。

「お、兄ちゃん……」

 狂気が思考を蝕み、マトモでいることなどできない。

「良かっ、た」

 妹の柔らかな笑顔に、臓腑を抉られる痛みを覚えた。

「ユリィ!」

「いき、てね。私を、食べて……い、きてね? おに──」

 それが、彼が守ろうとした者の最期の言葉。

 獣の咆哮と共に、少年は絶望を受け入れた。




「……っく!」

 飛び起きたジンの背に流れるのは、冷たすぎる汗。滝のように流れるソレと、全身に巻かれた包帯。脳裏を離れない悪夢の残滓が、夢と現実の境を曖昧にする。

 虚ろな視線を漂わせるジン。

 周りには同じようにして包帯を巻かれた怪我人が多く居た。

「ジンにぃ!」

 何かを取り落とすような音と、ケイフゥの声にジンはやっと夢から覚める。

「ケイフゥ」

 どこか力のない声に、近寄ってきたケイフゥも抱きつくのを我慢して踏みとどまる。

「今ルクを、呼んでくるからね!」

 間もなくしてルクが元は白かったであろう白衣を着て、ジンの側に来る。

 いくつかの問診をして、ジンの身体を触ると、ジンとケイフゥを安心させるように頷く。

「もう大丈夫だと思います。後は安静にしていてください」

 ぺこりと、頭を下げると次の患者の下へ向う。ルクの後姿とジンを見比べていたケイフゥは、名残惜しそうにしながら立ち上がった。

「ジンにぃ、休んでてね!」

 荷物を持つと脱兎のごとく走り、ルクに追いついた。その二人を何気なく見守っていたジンに、声がかかる。

「べた惚れだねぇ」

 静かに笑うサギリの声が、ジンの背後から聞こえる。表面上は静かだが、奥底には底知れない怒りを秘めた彼女の声。

「眼が覚めたって聞いてね……歩けるかい?」

「ああ、問題ない」

 立ち上がりサギリを振り返る。ジンを気遣う言葉をかけつつも、漆黒の瞳の奥は、笑っていない。

「ちぃと、そこまでね」

 サギリの後に続いて歩くジンは、一足歩むだけで、ぐらりと身体が揺れ、冷や汗が吹き出る。だがサギリは気づいているにもかかわらず、それを気遣う様子は無い。怪我人達の収容されている場所から、しばらく歩いた崖の上、地平線の近くまで見渡せる場所まで歩いて、サギリは歩みを止めた。

 全身に汗をかいたジンが、追いついたのはしばらくしてだった。サギリはジンを振り返ろうともせず地平線の彼方を睨む。

 ジンが息を整えるのを背中で聞いて、サギリは口を開いた。

「お前が目覚めるまでに、三日。その怪我じゃ動けるまでに十日は掛かるだろうな」

 静かな声音には何の感情もうかがわせない。現状の確認だけをするサギリに、ジンは沈黙を持って答えた。

「ジン、アレはお前のなんだ?」

 具体的に誰を指すのかなど、言われるまでも無い。白髪の老人の姿に、その視線に、ぎりっと奥歯を噛み締める。俯き何も答えないジンに、サギリは地平線から視線を転ずる。

 長い黒髪を風になびかせて、ジンに向き直る。

「言え」

 拒否を許さない断固とした言葉。

「俺は……」

 ジンの声が震える。泣き出しそうな、声で過去の傷を自身で開く。悲鳴を上げる心を、自身の言葉で抉っていく。

「あいつに、妹を殺されて……そして、俺は」

 ──お兄ちゃん。

「俺は、ユリィを……くっ」

 がくりと膝を突き、崩れ落ちるジン。

 彼は両手で顔を覆ってしまう。

 零れ落ちる涙を、荒れ地の風がさらった。

「復讐か」

 ジンの瞳を真っ直ぐ見つめるサギリ。漆黒の瞳が、かつてないほど真剣にジンを射抜く。

「お前も──」

 強い風が吹きぬける。

「ジン、今からお前は蛇の頭を降ろす。どうせその怪我じゃしばらく動けねえだろうしな」

「サギリ……俺は」

 顔を上げるジンに、サギリは言い渡す。

「頭はケイフゥに任せる。お前はしばらく怪我人の世話にでも回れ」

「サギリ!」

「ジン、別にアタシは復讐に走ったことを責めてるんじゃない。アンタが責められなきゃいけないのは、自分個人の復讐に手下を巻き込んだことだ」

 俯くジンに背を向けて、サギリは言葉を重ねる。

「結果お前の手下は、半壊だ。生き残った奴らも酷い怪我ばかり。この戦じゃもう使えない。熱くなって周りが見えなくなるような奴は、足手まといだ」

「くっ……」

 言い返すことの出来ないジンを、そのままにサギリは崖を降りる。

「個人の復讐に他人を巻き込むな、か。ちっ……どの面下げて言ってんだかな。アタシは」

 ジンの気配が消えると、自嘲に口の端を歪めて、サギリは小さく呟いた。



「よぉ」

 黒い帽子を目深にかぶった少女から発せられた、軽い挨拶。ガドリアからの補給の品物を届けに来た彼女は、今のルクには黒衣をまとった天使のように思えた。

「サイシャさん!」

 足りない薬草や包帯。絶対的にたりないのは、医術の心得のあるものだ。毒はともすれば薬にもなる。その専門家と言ってもいいサイシャは、ルクが喉から手が出るほどほしい人材だった。

「お、おい!」

 早速彼女の手を取ると、患者の下へと強引に引っ張っていく。

「時間が無いんです! 急いで!」

「な……」

 コイツ、こんな強引な奴だったか。という、そんなサイシャの思考を全く無視して、ルクは患者の下へサイシャを引きずっていく。

「手が足りないんです! 薬も! 包帯も! お願いします! 手を貸してください」

 眼に涙すら浮かべて、懇願するルク。

「……分かった」

 ルクのその姿に、ため息を吐きながらサイシャは頷いた。

「現状は?」

「危険な状態の患者が10人、今は大丈夫ですけど、このままだと危険な状態になる人が、ほとんどです」

「手術は出来るんだな?」

「はい……」

 自信無さそうに俯くルクを、サイシャは訝しげに見る。

「ルカは今、戦ってるぞ」

「え?」

「だから、私は戦う。アイツに、全部任せて守ってもらうような、そんな情けない女にはなりたくない」

 お前はどうなんだ? と視線だけで問いかけられる。

「それは、私もです!」

 頷くサイシャが足を進める。

 絶望しか待っていないかもしれない戦場。だが、ルクは毅然と顔を上げてソレに立ち向かう。隣に立つ友達がいる。遠くで、戦う少年が居る。

 その友達に羞じるような、醜態は見せられない。

「私が、やらなきゃ」

 自身に言い聞かせると、サイシャと共に怪我人の為の粗末なテントの中へ入って行った。。




「アタシは止まる気はないよ」

 シロキアを始めとするガドリア軍の首脳を集めて、サギリは宣言していた。このまま一気にディードの本拠地まで追撃する、というサギリの考えにそれぞれ年長者達の顔は渋い。

「姐さんの考えはわかりましたが、実際どうするんです? ジンの野郎だってやられちまったんでしょう?」

 言いにくいことをサギリに言うのは、最近シロキアの役目になりつつある。シロキアの言葉に城兵と雪華の代表もそれぞれ頷く。

「情けないねぇ。ジン一人抜けた程度でおたつきやがって」

 言葉に詰まるシロキア達をねめつけて、サギリは口の端を歪める。

「先陣はケイフゥに切らせる。ありがたいことに、ガドリアから補給も届いたしね」

 ケイフゥの名前に、シロキア以外の眉が晴れる。

「大剣のケイフゥか」

 囁かれる名前に、重かった空気が和らぐ。

「坊やにゃ、経験がたりないんじゃないですかい?」

「未だ眉をひそめたままのシロキア。

「経験ってのは黙ってりゃついてくるのかい? 違うだろう。それともアンタが先陣を切るかい? 経験豊富なシロキアがさ」

「生憎と、年寄りには荷が重い作業でしてね、一番掛けは」

 軽く受け流すと、頭を下げる。

「カシラがそういうなら、従うだけでさぁ」

 不敵に笑うシロキア、サギリは自信に満ち溢れた顔で全員を見渡す。

「この十日が勝負だ。ソレ以内にディードどもを駆逐する。いいね、お前達!」

 サギリの気迫に撃たれたように、彼らは頭を垂れた。





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