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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦528年 魔女の系譜5章
66/103

獣道2


 空は朝の力を取り戻し、ガドリアの領主城に翻る炎と鍛冶の旗は風になびく。

「良かったのかい? こっちに残って……」

 聞く声は心配そうに隣にいる小柄な少女に向けられていた。

「サー姐が、こっちでいいってさ」

 少しさびしげに、サイシャは返事をする。

「……うん、そうか。ありがとう」

 少年の感謝の言葉に、黒い帽子のひさしを下げることで答えると、サイシャは声を多少硬くしてルカンドに質問する。

「ケイフゥとルクもついて行ったな……良かったのか?」

「僕には僕の、やることがあるよ」

 苦笑して自身の足元を見下ろす。

「この足じゃ馬にでも乗らないとね」

「……悪かった」

「サイシャは優しいね」

 にっこりと人好きのする笑みを返す少年を目にすると、サイシャは視線をそらして悪態をついた。

「私は、お前のそういうところが嫌いだ」

「参ったな」

 苦笑するルカンドに、サイシャはそっぽを向いたまま声をかける。

「いくぞ。やることがあるんだろ」

 義足を一歩踏み出して、ルカンドはサイシャに声をかけた。

「心強いよ。ありがとう」

 ガドリアを夜明けの風が吹き抜ける。




 サギリ率いるディード討伐軍は、その狩りの範囲を着実に広げディード達を狩って行った。荒地の南部から討伐は、三日で100匹近いディードを駆逐するまでになっていた。

 常に先頭を切るのはジンを始めとした身の軽い双頭の蛇のメンバーであり、彼らが巨躯のディードの体勢を崩しそれを続く手勢で片付ける。という形が出来上がっていた。

 一日に数回の遭遇、多いときには20匹以上の大群に遭遇しながらそれでもこれまで死者がほとんど出ていないのはサギリの手足である彼らの活躍によるところが大きい。

 昼夜を問わず駆け、他と相容れない彼らはまさに魔女にのみ付き従う狼の群れに近かった。

「サギリ」

 呼んだ声が常より低いのは疲労のためか。ディードの討伐が始まってから、常に最前線に立ち続けるジンがサギリを呼び止めた。

「あン?」

 呼び止められたサギリは馬上、曇天の空と荒涼の荒地を睨みながらそれに応じる。

「ついて来れないやつが出始めてる。休んだ方がいいんじゃないか?」

 場所はすでに荒れ地の中部。南の交易路から徐々に北に攻め込んできたガドリア軍は、すでに食人鬼の領域の深くまで入り込んでいた。

 ほとんど道すらないような荒れ地の中、ここで脱落することは死を意味する。

「別にかまわねえさ……これは試験なんだ」

「試験?」

 疑問の表情を浮かべるジン。

「アタシはね、アタシだけの軍勢がほしいんだ」

「……俺たちがいる。それだけじゃ不満か?」

 ジンの答えにサギリは思わず噴出し、睨んでいた地平から視線を転ずる。

「数が少なすぎるだろ? せめて千……アタシの手足になって動くやつらがいる」

「千……そんなにか?」

「おいおい、王都にいる王様は万の大軍を率いるんだよ。せめてそのくらい居なくっちゃねぇ……んでそれを率いるのはアンタさ」

「俺は、ただの盗賊でいい」

「アンタが一人で万の大軍を止められるってんならそれでもいいけどね、ジン。ほしいものを手に入れられる。だからアタシ達は盗賊をやってるんだ。東方の一領主なんてもンで満足してもらっちゃ困るんだよ、ルカもお前も、ね」

「国を、盗むのか」

 以前モルトを除く三役に向かって吐いた大言を思い出してジンは、サギリに問いかける。

「盗む? ハン、奪い返すのさ」

 不敵に笑うサギリは、再び地平線に目を戻す。

「……アンタはアタシの為に生きる。そうだな?」

 黒く長い髪が揺れる背中越しに問う声は、どこか迷いながら。

「ああ、そうだ」

 しかしそれに答える声は、一片の迷いすらなかった。

「ジン、見えるかい?」

 指差す方向の地平線。わずかに靄がかかったようになっている。

「何か、いるな」

「それもかなりの数だ」

 地平線の彼方を少しづつだが、移動するその靄を親の敵でも見るようにサギリは睨む。

「あれを狩るぞ」

「……わかった」

 そういって身を翻す彼の背にサギリのくすりとした笑いが投げかけられる。

「いい子だ」

 一瞬優しげな眼差しにになったサギリは、次の瞬間、荒地の魔女として恐れられる邪悪な笑いを顔に浮かべると地平を睨む。

「さあ、そろそろ絞ってやるか」

 時刻は黄昏の迫る中、荒地討伐軍は獲物に向かうため疾駆しだした。




 地平線に見えた靄の正体は、近づくにつれて嫌でもわかってきた。それを追い始めてからディードとの遭遇率が跳ね上がったのだ。ほとんどは正面から向かってくるものばかりだが、突然軍勢の横腹を突いてくるような者まで出現しだす。

 夜の闇に松明を持った700の軍勢が疾駆する。それめがけてまるで炎に吸い寄せられる夜光虫のように、無数と沸いて来るディード達。そのあまりの多さに先頭を駆ける双頭の蛇だけでは手が足りなくなってくる。

 だがそれでもサギリは追撃をやめようとはしなかった。

 夜の闇の中、ディードの雄たけびと人間の悲鳴が重なる。右の側背から聞こえたと同時に、前に立ちふさがるディード達の姿がある。鬼火のような赤い瞳をちらちらと光らせ、手には無骨な鈍器を振り回す。狂猛な雄たけびは怒りのためか。

「シロキア!」

 咄嗟にサギリは博徒の長を呼ぶ。

「右の横、5匹程度だ。防げ」

「へい」

 必要最低限の言葉で命令すると、先頭の双頭の蛇を見る。靄を守るように立ちふさがるおよそ50のディードに迫る。

 自身短剣を抜き放ちつつ、ジンの姿を探す。

「ジン、蛇だ!」

 それだけで双頭の蛇の彼らにはサギリの意図がわかる。途端にジンとサギリの後に続くようにディードと向かい合っていた彼らが、二つの列になってジンとサギリに付き従う。文字通り、蛇の二つの頭となって、50はいるディードの群れに斜めから切り込んでいった。

 先頭を走るサギリとジンの突破力。一糸乱れぬジン揮下の双頭の蛇達が持つ衝撃力。何よりもその驚異的な速度。それを最大限生かした戦い方だった。

 ディードが鈍器を振り上げ先頭のジンに狙いを定める。だがその鈍器が下りる前に、ジンはディードに一撃を加えその横をすり抜ける。怒りとともにジンの方を振り向いたディードの背に次々と後続の者が一撃を加え、ジンの後に続いていく。

 彼らのとおった後、ディードは無数の牙に噛み千切られたぼろ雑巾のようになっていた。サギリの率いる蛇の頭でも同様のことが繰り返されていた。

 だが何分ディードの数が多い。

 双頭の蛇の切り込みを受けながら、彼ら以外の獲物に目をつけて向かうディードもいる。そのディードが向かう先では悲鳴と雄たけびが夜の闇に響き渡る。

 ディードを殲滅し終える頃には、深夜になっていた。

「くそっ!」

 血塗れた短剣についた脂を払い落として、サギリは悪態をついた。

 双頭の蛇が戦う場所以外での被害が大きすぎて、これ以上獲物を追撃できそうにない。

「後ろじゃ10人死にやした。怪我人はざっと30ほど。前の方じゃ死人が5人、怪我人40ほど

……おっと姐さん睨むのはやめてくだせえ」

 シロキアの報告に、眉間にしわを寄せるサギリ。だんだんと険悪になるその視線に、シロキアは釘を刺しておく。

「結構これでも抑えた方なんですがね……お前からもなんか言ってやれよ」

 話を振られたジンは、シロキアを一瞥する。

双頭の蛇(俺たち)は負傷5。全員戦える」

「かなわねえぜ。まったくよぉ」

 嘆息するシロキア。

「……わかった。とりあえず今日はここで休む。手下どもに知らせろ」

「へい」

 下がるシロキアと、遠くを睨むジン。

「追わないのか?」

「この戦はね、双頭の蛇(アタシら)だけがやるんじゃ意味ないのさ。さっきも言ったろ? アタシについて来る人数をもっと増やさなきゃいけない。使えそうな奴のえり分けも兼ねてるから、そう簡単じゃないのさ」

「その割りに、イラついてるな」

「アタシだって万能じゃないさ」

 口元に浮かんだ笑みをかみ殺し、サギリはジンと同じ方向を見る。

「さあ、アンタも寝な。疲れてンだろ?」

 何かいいたそうにしていたジンだったが、ゆっくり頷くとサギリに背を向ける。

 その夜の襲撃は、都合3回あったがその度にサギリが先頭に立ち返り討ちにしていった。




「ケイフゥ、痛み止めと包帯お願い!」

 襲撃の後の血臭の中、血と汗にまみれながらルクは怪我人の治療に当たっていた。白い肌に玉の汗を浮かべ、寝る間も惜しんで献身的に治療を続ける。その彼女の姿にいつしか、聖女と言うあだ名がついていた。

 ガドリアの動乱の折、レギーの元で医術の初歩を学んで依頼彼女はレギーの元で修行を重ねてきた。今では一人でも患者の治療を任せられるようになり、口の悪い一部の人間の間ではレギーを追い抜く日も近いともっぱらの評判だった。

「これでいいのかな?」

 大剣を背にしたケイフゥが、痛み止めの薬草と真新しい包帯を差し出す。

「うん、ありがとう」

 にこりと微笑むと、すぐに真剣な顔になって患者に向き直る。

 当初レギーが参加するはずだったこの戦に、彼女が急遽参加しているのはひとつにモルトの体調悪化があげられる。ルクでは傷の治療はできても、病気の治癒はできない。だからルクはレギーをガドリアに残し、志願してこの戦に参加していた。

 傷口を縫合して、薬草を塗りこみ包帯を巻く。

「よしっ! 縫合はしておきましたので無理に動かさないでください」

 患者に声をかける彼女。

「ルク、少し休んだ方がいいよ」

 治療を終えたルクに、ケイフゥが心配そうに声をかける。

「私は大丈夫。ケイフゥが守ってくれるもんね」

 ケイフゥはサギリに頼み込んで、ルクを始めとした医者達の護衛に当たっていた。

「それにケイフゥがいると、なぜかみんな素直に言うことを聞いてくれちゃって、助かってるんだよ」

「うん!」

 小柄だったケイフゥもこの半年で身長が伸びつつある。既にサイシャは追い越し、続いてルクと同じぐらいにはなっていた。

「何か必要なら言ってね」

 ひとえに柄の悪いガドリアの賊徒達が聖女とまで言われるルクに、ちょっかいをかけないのはケイフゥの存在が大きい。先の動乱では、常に最前線で戦い続けるケイフゥの姿を目撃した者が多い。傷つきながらも決して怯まないその姿と剣力は、畏怖と共に刻み込まれている。

 そのケイフゥが傍らにいる彼女に近寄ろうなどと言う無謀な者は、いるはずもなかった。

「……ねえ、ケイフゥ。モルトさんは……」

「ん?」

 あわてて手を振るルク。

「ああ、うん。なんでもない」 

 言いかけた言葉を飲み込み、次の患者の元に向かう。その傍らには、常に彼女を気遣うケイフゥの姿があった。




 松明を周囲に掲げ、ほぼ三日ぶりのまともな休息を取っていた。

「全くひでえ有り様じゃねえか。よくほかの奴らは着いていくつもりになるね」

「おうとも、俺ぁ手柄立てれば報奨金を弾むって話だから参加したんだぜ。それがどうだい、ディードどもを薙ぎ倒していくのは、あの魔女の手下どもで、俺達がすることと言えば夜の見張りぐらいのもんだ」

「それだけならまだしも、奴ら今日は討ちもらしてたらしいじゃねぇか」

「つまり俺達が見張りにつかなきゃならないのも、奴らのせいか。たまんねえぜ」

 周囲に漂うのは、境界の山脈から吹き付ける風がそんな愚痴までも流していく。

 結局のところ彼らは不安で仕方が無いのだ。

 既にガドリアで生活しているものには、未踏領域に達している。道を知っているのは、双頭の蛇のもの達だけなのだろう。いずれも、少年のような彼らに従わなければいけないのは、ガドリアで肩で風を切って歩いてきた彼らの矜持を痛く傷つけた。

 帰り道などわかるはずも無い。徐々に怪我人が増していく中、次は自分が死ぬのではないか、という恐怖の中で不満が無いというほうがどうかしている。

 だが、だからといって荒れ地の魔女に逆らうなど論外だった。

 なんといっても、ガドリアの動乱を勝ち抜いてその座に君臨しているのは、厳然たる事実。三役を従えたその姿は、恐怖が人の形を取った者としか思われない。

 彼らにとってサギリは、まさに魔女だった。

「俺達が前線に出れば、双頭の蛇なんざお払い箱なのによぉ」

「まったくだ」

「へぇ、そいつは聞き捨てならないね」

 夜の闇に向かって吐いた戯言に、若い女の返事が返ってくる。

「……ぇ?」

 どこかで聞き覚えのある声に、背後を振り返れば、そこには彼らが心底恐れる“荒れ地の魔女”がたっていた。

「アタシの双頭の蛇より、働けるって?」

「いや、それは、その……」

「それじゃ働いてもらおうかねぇ」

「いや、ですから」

 にやりと笑う荒れ地の魔女の笑顔に、氷塊を背筋に突っ込まれたような感覚を味わいながら見張りの二人はその場に直立する。

「逃げるなよ。まぁ逃げたところで、ディードどもの餌になるだけだけどなぁ」

 冷や汗が全身から吹き出る二人を置き去りに、サギリは上機嫌で鼻歌を歌いながら歩き去る。

「ど、どどうするよ!?」

 その小さな背中が見えなくなってから、二人の見張り止めていた息を一気に吐き出す。

「ど、どうするって……ジルさんに相談するしか」

 どちらともなくうなずくと、二人は走ってジルの下へ向かった。



「こんの、ばかたれ!」

 報告を受けたジルの怒声が、夜の闇に響く。

 しおれる二人をこれ以上せめても無駄と判断したのか、深くため息をつくと、椅子に倒れ掛かるように座る。

「……まったく」

 肘掛によりかかり軽く頭を抱える。

「とりあえず、見張りには他のやつをやらせるから、あんた達は休みな」

 疲れたように息を吐き出すと二人を追い出す。

 これまで雪華は直接サギリの指揮下には入っていない。ジルが直接指揮してこの討伐に参加していた。シロキアや城兵などと違い、ジルは直接サギリの手下というわけではないのだ。今現在は“よき協力者”という地位にあるし、今後もその姿勢を崩さないつもりだ。

 ゆえに、今回の討伐でも前面に立つのはサギリ指揮下のガドリア軍になり、“よき協力者”たる雪華はその補助を請け負うということで、サギリと話をつけていた。

 だが、今回のことで状況が変わる。一兵士の言葉とはいえ、雪華の者からの言葉だ。よりにもよってそれをサギリに聞かれた。

 前線に立っているジンや双頭の蛇と違い、雪華にディードと戦うノウハウはない。相当の被害を覚悟して前線に立つか、それとも今の地位を捨てる覚悟でサギリの指揮下に入るのか。雪華の長たるジルには、その決断を下さねばならなかった。

「ままならないね、なんとも」

 一度サギリの配下となってしまえば、そこから抜け出すのは至難だろう。不要と考えられればすぐにでも切り捨てられる。だが今ここで前線に立てば、せっかく補充をした雪華の戦力を、また削られることになってしまう。

 今すぐ戦うことはないにしても、所詮サギリ率いる双頭の蛇とは、敵同士でしかないのだ。今回の遠征に参加したのでさえ、利益と打算に基づいてのことだ。

 サギリの荒れ地の制覇に興味があるわけでも、交易路の拡大が必要というわけでもない。

 ぎりり、と爪を噛むとジルは立ち上がりサギリの元へ向かった。

「おや、ジル何か用事でも?」

 とぼけたような返事に、形よく整えられた眉がピクリと動く。にやりと笑う荒れ地の魔女に、ジルは明日は雪華が前に出ると伝える。

「へえ、たいした自信だね。ちなみにアタシは先を急ぐから、着いて来れない奴は置き去りにして進むことにするよ」

「雪華はそんなにひょろくはないさ」

「ふン、楽しみだね」

 伝えることだけ伝えると、ジルはきびすを返す。

「さて、うちのところも陣容を変えなくちゃね」

 意地悪く笑うサギリの視線に映るのは、城兵たちの眠る地区だった。




 翌日、荒れ地の戦場は一変していた。

 昨日までの犠牲の少なさとは打って変わり、怒声と悲鳴が交互に聞こえる修羅場と化していた。原因は二つある。

 ひとつは雪華が前線に出たこと。

 そしてそれに加えて、双頭の蛇が前線から退いたことだ。変わって前に出てきたのは元城主の軍勢だった兵士達。その後ろには双頭の蛇を配置している。

 未だディードに対して確たる戦法を確立していない雪華と、装備は統一されているが、個々人の戦いになれない城兵達。

 まともに連携も取れない中、苦戦は当然だった。ディードの圧力に、前線は崩れ立つ一歩手前。

 先日よりは大幅に少ない10のディードを相手にしてさえ、その被害は昨日の2倍近くになる。

「姐さん……ちょっといいですかい?」

 見るに見かねたシロキアが戦場を見守る彼女に声をかける。

「なんか用事かい?」

 ディードの大振りな斧で体をまっ二つに割られる城兵、幾本もの槍で体中を滅多刺しにされるディード、片腕をもぎ取られてのた打ち回る雪華の兵。それらから目を離さず、サギリはシロキアに答える。

「手下がカシラのすることに意見するなんざ、見当違いなのは重々承知してますが、それでも敢えて言わせてもらいます」

 シロキアの眉間に刻まれた皺は深く硬い。

「なんで狼どもを下げたんです? 城兵だけじゃディードになんてかなわねえのは、百も承知でしょう?」

「お前、双頭の蛇の力だけでこの先勝ち続けられると思うのかい? たった数十人の力だけで、ガドリアを長年悩ませてきた食人鬼(ディード)が本当に駆逐できると?」

「そりゃ、そうかもしれませんが」

 言葉に詰まるシロキアに、サギリはなおも言葉を続ける。

「ジンには、逃げる奴は殺せと命じてある」

「そりゃ……」

 無茶なと、言葉にしようとしたシロキアとサギリの視線の先。

 戦場の特有の極限の緊張感に耐え切れなくなったのか、城兵の一人が双頭の蛇の方へ駆けてくる。

「助けてくれ! もういやだ!」

 仲間の返り血に顔面を染め、片腕は自身の血で朱に染まる。泣き叫ぶ城兵が無理やり、双頭の蛇の列へ入り込もうとした瞬間。

 銀の軌道を描く双剣が、悲鳴を発するその喉に突き立ち、食い破った。

「逃げるな!」

 琥珀色の髪を荒れ地の風になびかせて、ジンは断固として叫ぶ。ジンの温度が感じられない赤い視線は、今まさに戦っている城兵達に向けられていた。死んだ仲間を横目で追っていた城兵達は、一瞬の恐怖に凍りつく。

「戦え!」

 双剣からふるい落とされた血糊が、死者の顔にかかる。

 仲間を殺された衝撃よりも、眉ひとつ動かさず仲間を斬り捨てるその男に恐怖を掻き立てられる。

「う、うおぉおおお!」

 背中から感じる恐怖を打ち払うように、城兵の一人が咆哮する。連鎖反応のように咆哮があがる。

「やるしかねえのさ」

 サギリの笑いを含んだ声に、シロキアは視線を戦場から戻す。

「逃げ場なんてものを残しておいたんじゃ、為りきれないだろう?」

 地獄の底で笑う女神のように、薄らと笑う。

「アタシ達は、人じゃねえ。獣なんだからよぉ」

 ぶるりと、戦士として百戦錬磨のシロキアの背を寒気が走る。

 荒れ地で生き抜くというのは、人を捨てねばならないほど過酷なものだという現実を、見せ付けられた。話には聞いてはいたが、それを見せ付けられて、シロキアは動揺しないではいられなかった。

「さて、こっちはなんとかなりそうだが……ジルの方はひどそうだねぇ」

 笑みを含んだ視線の先、次々とディード達を血祭りに上げていく城兵達。長槍を手に、巨躯を誇るディードに向かう城兵達。振るわれる鈍器に片腕を潰されながら、それでも怯まずに、狂ったように槍を突き立てる城兵達が、あれほど苦戦していたディードを圧倒する。

 だがもう一方の前線としている雪華では、ところどころディードに食い破られていた。

「仕方ねぇな……シロキア。ジルを助けに行ってやれ」

「へい」

 自身の手下の元へ戻ると、初めて口元をゆがめて笑う。

「尻をたたかれた気分だぜ」

 何物も映さないような深淵の黒を思わせる、サギリの瞳。

 自分には持ち得ないであろう圧倒的な狂気。だがそれゆえに、付いて行こうと思うのだ。

「野郎ども、気張れ! 生き残るためにな!」

 白木の刀を手にすると、手下を引き連れてシロキアは雪華の救援に向かった。




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