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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦528年 魔女の系譜5章
65/103

獣道1

新しい章に入ります。

ロクサーヌでカルが即位したことを知ったサギリの決断は……。



 ゴード暦528年。

 東域最大の都市ガドリアをその支配下に置いたサギリは、本格的に荒れ地の制圧に乗り出した。王都ロクサーヌから境界の山脈を挟み、広がる荒れ地はいくつかの交易路を残しほとんどは未開の地となっている。荒地に住まう食人鬼ディードが、その最大の障壁となっているからだ。

 良質な鉄を産出するガドリアは、常に自由都市郡との戦に備えなければならないロクサーヌにとって、喉から手が出るほどほしい領域だった。一方のガドリアにしても、その人口を養うための食糧問題を常に抱えていた。如何に良質な鉄を産出しようとも、食えねば人は死ぬ。不毛の荒地と荒れ狂う海に挟まれたガドリアに、その人口を養うだけの食は確保できなかった。もっぱら食を輸入に頼るガドリアは、クルドバーツの商人連合、『赤き道』にその命脈を預けていると言ってもいい。



 降りしきる雨が視界を閉ざす。何万何千という窓辺にたたきつけて弾ける雨の音が、短い雨季の到来を告げていた。

「無茶です!」

 晴天なら、境界の山脈まで見通せるガドリアの山城の尖塔の一室。今や領主代行となったルカンドの怒声が響いた。

「無茶でもなんでも、やるんだよ」

 気だるげにルカンドの怒りを受け流すのは、行儀悪くソファーの上であぐらを組むサギリ。

「今のガドリアの国力で荒地に遠征軍を出すなんて、自殺行為にしかなりません!」

 ちらりと、難しい顔で頷いているクルドバーツを確認しながらサギリに向き直る。実質ガドリアの財政を担当するのはこの二人といっていい。

「ガドリアを制圧してからまだ半年も経ってません。今やっと民心も落ち着いて、国の基礎を整えつつあるところなんです! それをいきなり……」

「今回はあたしも反対だよ、双頭の」

 壁に寄りかかり、煙管から紫煙をくゆらせていた妖艶な美女が口を開く。

「艶花のジルも、雨季で目が腐っちまってンのかい?」

「ハン、こっちはやっと戦力の補充が終わったばかりだってんだ。今動かれちゃ、投資が無駄になった上に負債ばかりが膨れ上がっちまうよ!」

 睨みあげるサギリの視線に全くひるまず、ジルは言い切る。

「チッ、どいつもこいつも……シロキアあんたのところもかい?」

「うちは姐さんが行くってんなら、どこまでも行きますがね」

 白い着流し姿の博徒の棟梁は、笑いをかみ殺し、蛇がカエルを睨むようなサギリの視線を受け流す。

「行くが、なんなんだい?」

「ま、人数は期待しないでくだせえ」

「ケッ、そんなことだろうと思ったよ。まともに動けるのは双頭の蛇(アタシ)らだけじゃねえか」

 思わず天を仰ぐサギリに、シロキアはかみ殺した笑いを向けた。

「だいたい、なぜ今なんです? 別に半年が、一年先でもかまわねえでしょう?」

 シロキアの質問に、全員が頷く。

「いや、遅すぎるくらいさ。おい、クルドバーツ」

 天を仰いでいたサギリが邪悪な笑みで全員を見渡す。

「はい?」

 呼ばれた小太りの商人連合の長は、きょろきょろと全員の顔を見渡しながら席を立つ。

「今日の朝一番で届けられたロクサーヌの情報、言ってみな」

「え、あ、はい。ロクサーヌで動乱の果てにカル・スカルディア・ヘルシオラという16歳の少年が、貴族と平民の推挙で王に立ったと……それがなにか?」

 深いため息をついて、サギリは整った眉の間にしわを刻む。

「なにか、じゃないだろ。今までロクサーヌを仕切ってた十貴族どもをことごとく押しのけて、そんな子供が王位に就くなんてまともじゃない。後手に回る前に、ロクサーヌまでの道を繋げておきたいのさ」

「交易路なら今でも……」

「ばっか! そんなチマチマしたもんで一体何人が通れるんだい? アタシが言ってンのは、戦ができる程度の人数を送れる道の整備さ。そのためにはどうやってもディードどもが邪魔なんだよ」

 クルドバーツの返事を一蹴すると、サギリは視線をルカンドに向ける。どこか悪戯を楽しむような不穏なものを含みながら、真っ直ぐに領主代行に注がれる。

「ルカ、ガドリアの安定程度で気を抜くなよ。アンタより一つだけ年上のガキが王都をまとめちまったんだ。ぼやぼやしてると、そいつに全部飲み込まれちまうよ」

「僕は、別にっ!」

 言葉に詰まるルカンドから視線をはずし、視線をクルドバーツに向ける。

「とにかく、金は出してもらうぜクルドバーツ」

「また、ですか」

「ガドリアで供給された鉄を優先的にまわして、食料の買い付けをしてんだ。半年でずいぶん溜め込んだろう?」

「命がけで荒地を渡るのですから、相応の見返りだと思っていますが」

「その負担を軽減してやろうって話をしてるンじゃねえか。お前の好きな先行投資さ」

 口の端を吊り上げて笑うサギリ。もとの顔立ちが端正なだけに、その邪悪さが余計に際立つ。長く流れるような黒髪を邪魔そうにかき上げて、ほかの三人にも睨みを利かす。

「シロキア、てめぇは参加できる人数だけを正確に上げてルカに教えてやんな。ルカも、降伏した兵どもでやる気のあるやつがいれば数えあげろ。ジルは──」

艶花(うち)はあんたの下で参加するなんて一言も言ってないよ」

 サギリの言葉を遮るジルに、めんどくさそうにサギリは視線を向け、不敵な笑みを浮かべる。

「ならてめぇが率いればいい。まさか、艶花のジルが自ら率いて無様な戦いはしねえだろう?」 

「ふん、まあいいさ……雪華の訓練ぐらいにはなる。ただし嫌気が差したら抜けさせてもらうよ」

「かまわねえよ……さあ、そういうことだ。ルカ、モルトの名代しっかり頼むよ」

 それぞれに部屋を退出していく中、ルカンドだけが残った。

「……サギリさん」

「なんだい? 今更荷が重いなんてふざけたこと抜かすようなら、そっ首跳ね飛ばすよ」

「違います……ただ、ロクサーヌとわざわざ戦う必要はないはずです! なんなら交易の量を増やしたっていい。なぜわざわざ戦いを望むようなことをっ!」

 強く握られた拳が、ルカンドの意志の強さを物語る。

「そいつは相手の出方次第だねぇ。おとなしくアタシの下につくようならわざわざ戦なんてする必要はないしねぇ」

 低く笑うサギリは雨の降りしきる窓の外に視線を転じる。

「覚えておきな、ルカ。アタシはほしいものは全て手に入れる。財宝も領土も、この国も! 邪魔するやつは誰であろうと斬って進む。それがアタシの、双頭の蛇の道だ」

 気だるげな雰囲気から、一変したサギリの威圧は戦場に居るときに勝るとも劣らない。

「サギリさん!」

 気だるげにソファーに腰掛けていたサギリが音もなく立ち上がり、ツカツカとルカンドの前まで来る。

口元には邪悪な笑みを浮かべ、黒曜石のような漆黒の瞳は見るものを竦ませる。だがその瞳をルカンドはひるむことなく見返した。

「戦が嫌なら、アタシを出し抜いてみな。アタシに遠慮してるようじゃまだまだ無理だろうけどね」

 ぽん、とルカンドの肩を叩きサギリはその部屋を出る。

「くっ……」

 後に残ったルカンドは、自身の無力さをかみ締めながら杖をとった。




「終わったのか?」

 杖をついて部屋を出てきたルカンドに声をかけたのは、今日も黒い帽子を深くかぶったサイシャだった。

「うん」

 簡単に返事をするルカンドに、サイシャはそれ以上何も言わない。

 尖塔の廊下をルカンドの歩む速度に自然とサイシャは合わせてゆっくり歩く。先ほどまで振っていた雨はすでに上がりつつある。雲の間から光が差し込み、風に流されてゆっくりと形を変えていく。

「階段」

「大丈夫」

 時間をかけてゆっくりと、二人が尖塔を降り切った時には、雨は完全に上がっていた。雨上がりのにおいが風に運ばれて二人の鼻をつく。ガドリアもこの季節だけは、多少なりとも緑に恵まれる。短い恵みを精一杯享受しようと、一斉に花々が芽吹くためだ。

「いい風だね」

「あぁ」

 青い空を見上げるルカンドに、サイシャが頷く。強い風が心地よさをともなって二人を包む。

「僕はね、ガドリアが好きだよ」

「うん」

「みんながいるここが好きなんだ」

「うん」

「だからね、僕は誰を敵にしても、ここを守ってみせる……もう目の前で人が死んでいくのはたくさんだ」

「サー姐と何かあったのか?」

 サイシャの琥珀の瞳に映るのは、ルカンドを気遣う色。それに苦笑して首を振る。

「ううん、ただね叱咤激励されちゃったよ。ロクサーヌは覚えてる?」

「緑がいっぱいだったな」

「うん。あそこで僕と一つ違いの人が王様になったらしい。ガドリアなんかで満足するなってさ」

「ルカは、よくやってる」

 聞き取れないぐらいの小さな声で、褒められる。

「……ありがとう」

 帽子で顔を隠しながらうつむくサイシャに、ルカは視線を前に戻す。

 ロクサーヌが新たな王を戴いてガドリアを併呑する。その可能性の高さに、ルカンドはサギリの予想が外れはしないだろうと考えていた。





「具合はどうだい、爺さん」

「はん、てめえに心配された日にゃ治るもんも治らんぜ」

 領主の城の一室にルカと分かれたサギリの姿があった。

「その分じゃ当分死にそうにねえな」

「こちとら、体が資本の盗賊だったんだ。そう簡単にくたばっちゃ炎の運び手の名折れだぜ」

 ベットに横になったまま威勢の良いモルトに、サギリは肩をすくめる。

「まぁいいさ。今日はしばらくの別れを言いに来たんだ」

「いよいよか」

「ああ、荒れ地を統べる。本当の意味でな」

 不敵に微笑むサギリに、モルトは痩せさらばえた自身の手を見つめた。

「そうか。ディードとの決着はわしも望むところだったんだが……」

「ジジイがでしゃばるんじゃねえよ。奴らはアタシの獲物だ」

「いや、それもあるが……そればかりじゃねえ。お前には本当の意味でガドリアを救ってもらうことになっちまった。こんなこと言っちゃシロキアみてぇだが、ついこの間ガドリアに来たお前に、ここまでしてもらって、わしはなんと礼を言っていいのか」

 頭を下げるシロキアに、サギリは肩をすくめる。

「アタシは自分のほしいものを手に入れるだけだ。その過程でたまたま利害が一致しただけだろうよ」

「いや、今度の荒れ地の討伐だってそうだ。領主と四役の協調が出来上がっちまった今、ガドリア貯蔵の食料は確実に減っちまっている。他の四役のうち気づく奴はすでに気づいちまってるはずだ。このままじゃまた荒れ地に子供を追いやらなきゃいけねえことになる」

 一度咳き込んだモルトだったが話をやめようとはしなかった。まるで何かに急き立てられるように、サギリに対して言葉をかける。

「だが、ディードどもさえ居なきゃロクサーヌから食料が流れ込む。少なくても、子供を捨てるような時代にはならねえはずだ」

「ディードの討伐じゃ人が死ぬ、それもでもアタシがガドリアの恩人だってのかい?」

「ああ、間違いねえ」

「ハン、勝手にありがたがってろよ。じゃあアタシは行くぜ」

「おう」

 互いに、再び会おうとは言わなかった。

「それにな、蛇娘。てめえはガキの居ねえ俺にルカンドって言う宝をくれた。こいつばかりは感謝してもしきれねえ」

 サギリの去った部屋でモルトは雨の晴れた空を、窓ごしにみた。

「ちきしょう……眩しいな」

 窓からながれこむ風も、今日はいつにもましてやさしかった。





 朝焼けに燃える黎明の空に、炎と鉄槌の紋章旗が揚がる。

 総勢700名。

 ガドリアの治安を維持する最低限の人数を除けばほとんど戦える兵の全員を連れて、サギリ率いる荒れ地征伐軍はガドリアを出発した。

「野郎共!」

 先頭に立つのは、双頭の蛇を率いる女盗賊。

「命がけで働け! 命晒して働いた奴にはそれ相応の報償が待ってるぞ!」

 実質的なガドリアの支配者の言葉に、率いられるものたちの士気は上がる。

「化け物を根こそぎ殺す! きれいごとは言わねえ! ぶち殺して首を刈れ! 腸を引きずり出して、四肢をばらせ! 奴らに喰われた仲間を思い出せ!」

 飛沫一つなく静まり返る賊徒達に、待ちかねた言葉がかかる。

「出発!」

 朝焼けの空を揺るがす喚声とともに、魔女率いる賊徒が出陣した。




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