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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦527年 覇を統べる王4章
64/103

謀略の使徒27

 



 ティザル達が尖塔で祝杯を挙げている同時刻、ラストゥーヌの屋敷に向かう少数の者達がいた。頭からすっぽりと闇色の長外套をかぶり、長身の男と小柄な男を先頭に立てて、地下の通路を進む。

「バトゥ、ティザル……」

 低く呟かれた声は、全てを呪い殺す亡者の響きがある。

「翁」

「焦るな。もうすぐじゃ……やつらの生皮を剥いで、目玉を抉り出すのは」

 自身を鎮めるような声に、大男が無感動にこたえる。

「俺は強い奴が殺せればいい」

「なぁに、招かれた客は200人。護衛を含めれば500人はいるだろう。その中には一人ぐらい貴様を満足させうる相手がいるだろうて」

 低く笑う声は煉獄に住むという鬼の声。

「だといいがな」

 復讐に燃える悪鬼は、静かに獲物を狙う。




「殿下が、お隠れになった!? 馬鹿な!」

 その知らせを受けたシュセの衝撃は、普段の彼女を知るものでさえ想像できないほど大きく激しかった。へなり、と足腰の力が入らぬように、その場に座り込む。

「……いえ、わたくしは信じません」

 気丈に立ち上がると、その場にいる者に指揮を任せ単身馬を駆る。

「信じるものですか!」

 スカルディアの屋敷に戻り、自身の部屋に一直線に向かう。

「誰か」

 侍女を呼びつけると、戦装束に着替える。白亜の鎧に、腰に身につけるのは銀細工も見事な細剣(レイピア)

「カル様が、死ぬわけがないっ!」

 戦装束を身に着けたシュセは、単身ラストゥーヌの屋敷に向かった。

 そしてその後をスカルディアの私兵たちが追っていった。



「……本当に死んでしまったなんてね」

 冷たいカルの骸を見下ろしてウェンディはため息をついた。

 ラストゥーヌ家の離れ。無骨なつくりではあるが、決して粗略な感じは受けないその場所に、カルは安置されていた。

ヘルシオ家のご当主(あなた)様におかれては、カル様を憎く思っておいでではなかったのですか?」

 カルの屍のそばに侍従のように居座って動かないテクニアが、彼女を見咎めた。社交界を餌場に飛び回る一つ目鴉(ミザーク)ではなく、ただ慕っていた者の死を嘆く彼に、ウェンディは苦笑を漏らす。

「お若いこと」

 カルが死した後、ミザークの立場は非常に微妙なところにいる。ヘルシオ家のウェンディなどにはもっと慎重な言葉を交わすべきなのだ。

「大切な者を失って嘆かぬものはいない。また、そうなりたくもありませんよ」

「とても、一つ目鴉(ミザーク)の当主のお言葉とは思えませんわね」

 ぎりり、と奥歯をかみ締め握った拳を震わせながらテクニアは言葉を搾り出す。

「私は後悔しているのです。もっと慎重になるべきだった……十分予想できた事態だったのにっ!」

 それに対してウェンディは何もいうべき言葉を持たなかった。彼女とて油断していた、といえばそれまでだ。まさかティザルがここまで果断な処置を講ずるなど予想してないなった。

 いや、その下にいるヘリオンの差配だろうか。正直あの男もウェンディは見誤っていたというしかない。味方を装って彼女に取り入るカルからの間者だと考えていたのだ。

「私の人を見る眼も、堕ちたかしらね……」

 最後にカルに一瞥をくれるウェンディ。

「え?」

「何か?」

 カルの白磁の肌に若干赤みが戻っているような気がして、目を瞬くが、苦笑して思い直す。

「いえ、なんでもないわ」

 そんなはずはない。まだ愉しい夢を見たりないのかと、自分の幼さを哂う。

「さようなら、坊や」

 離れから出たウェンディは目を見開いた。微笑を常にたたえる彼女が表情に出した驚きはそれだけ。

 彼女が目にしたのは、暗夜を染める紅蓮の炎だった。



「なんだ、なんだこれは!?」

 ラストゥーヌの尖塔、十貴族の全てとヘリオンのいるその場所が紅蓮の炎に包まれていた。床から這い上がる黒煙と、肌を焼く紅蓮の炎。下の階からの出火は明らかだった。窓の外を見れば、地上は遥か下にある。

 煙に追われるように、ティザルを始めとする十貴族達は下の階を目指した。少しでも地上に近づければその分生存の可能性は増える。

「おお、ヘリオンではないか! これはいったいどういうことだ!?」

 黒煙に追われたティザルが声をかけたのは、常と変わらず無表情でたたずむヘリオンの姿。彼の後ろには下の階へ通じる扉がある。

「放火、ですな」

「何をのんきな! さっさとどかぬか!」

 黒煙に咳き込みながら、強引にヘリオンをどかせようとしたティザルの取り巻きが、ヘリオンに手をかけた瞬間。ヘリオンは、体ごとその貴族に体当たりした。

「ぎゃぁぁ!!」

 泣き喚くティザルの取り巻きを見ればその腹部からは、短刀が突き立っている。

「貴様……ヘリオン!」

「ここをお通しするわけには、参りませんな……ティザル殿。せっかくご用意してあげた舞台ですのに」

 口元には冷笑を浮かべ、瞳は凍てついたままヘリオンは懐からさらに短刀を取り出した。

「お前達が一同に揃う機会を待っていました。お前達を皆殺しにできるこの機会を」

 その瞳の冷たさに、熱さも忘れてティザル達は慄いた。

「殺すだと!?」

「全ての扉は塗り固め、もはや出口はございません。精々苦しんで逝かれませ」

 冷たい毒が、肌を焼く熱さの中に満ちていく。

「うそを申すな。それでも貴様自身も焼け死ぬではないか!」

「狂っている!」

 恐慌に陥る取り巻きの中にあって、ティザルは多少は冷静だった。

「なぜ今更になって、私を害そうとする!? あの小僧は死んだはずだ。何のために!?」

 ヘリオンはその言葉を哂った。罠に落ちた者を高所から見下ろす歪んだ笑みで。

「……私にも小さな野望というものがございます。まぁその為と申し上げておきましょう」

 騒ぐ取り巻きにかまわず、ティザルは眉をひそめた。

「野望だと? 領地か、それとも地位か!? どちらにしても、私の元でなら思いのままであろう!」

「いえ、あなたの元では決して手に入らぬもの……」

 口の端を吊り上げて苦笑するヘリオンに、ティザルの自尊心は傷つけられる。

「もはや問答も無用だ! 所詮奴は一人だ。みなでかかれば押しのけられぬことはないっ! いけ!」

 取り巻きたちをけしかけ、自身はその隙に来た道を引き返す。

「くっ……なんてことだ。本当に開かないではないか!」

「どうするのだ、このままでは我らは!」

 ヘリオンを殴りつけ、扉からどかした十貴族達はその扉を前にして絶望に駆られていた。と、その中の一人がヘリオンの胸倉を掴んで、怒鳴りつける。

「出口は、出口はどこなのだ! 貴様本当に死ぬつもりなのか!? あるのだろう? どこかに出口が!?」

「あるはずがないでしょう」

 真実を告げる忌まわしい宣告に、その貴族の心は耐え切れなかった。

「うぅぅ……いやだ、わしはまだ死にたくない!」

 叫び声をあげつつ逃げ去ったその一人を見て、他の者の恐怖心にも火がついた。鎮めるべきティザルは既に居らず、恐怖に駆られるままバラバラの方向に走り出す。

「いやだ。死にたくない、死にたくない!」

 咳き込み、鼻水を垂れ流し、滂沱の涙を流しながら逃げ惑う。普段の権勢など、その炎の地獄では何の意味も持たなかった。

「さて、後は……」

 殴り倒され、立ち上がることもできないヘリオンは静かに目を閉じた。



「死んでたまるかっ! この私が、十貴族の長たるこの私がっ!」

 ティザルが駆け込んだのは、ラストゥーヌ家の尖塔にある一室。

「確か、ここに!」

 以前オウカに教えられた隠し扉。

「あった!」

 積み上げられた荷物をかなぐり捨てるように乱暴に捨てる。ぎぃ、となる扉に、ティザルは改心の笑みを浮かべた。この扉は閉ざされていない。この扉があれば、炎に巻かれることも泣く地上へ降り立つことができるだろう。

「やっと、やっと手に入れたのだ!」

 オウカも、カルもいなくなった。やっとティザルの出番が回ってきたのだ。祖先のなしたように、秩序ある平和を築き、歴史に名を刻む。その願いがやっと叶う時になって、死ぬわけにはいかなかった。

 暗い石作りの頑丈な通路だけあって、煙も炎も入り込んでは来ない。長い長い下りの階段を降りることさえ苦にならない。

「ここまで、くれば……」

 息を切らしながら、階段を降りていく。暗い長い通路の先、星明りにティザルの心は躍る。

「……どうだ、私は、生き延びた! 生き延びたぞ!」

 星の明かりに辺りを見れば、そこはラストゥーヌの家から近い下水道付近。月の光が水面に映え、水面を覗き込んだティザルは、すす汚れた自身に苦笑した。

「泥と汗に塗れるなど野蛮人のすること。だが、このざまではあの小僧を笑えぬな」

 ひとしきり哂ってから、立ち上がりその場を離れようとする彼の背後から。

「久しいのぅ、ティザルや」

 地獄に堕ちたはずの悪鬼の声が聞こえた。

「な、ぜ……」

 振り返ったことを後悔しても既に遅い。目の前にいるのは、死んだはずのオウカとその護衛の男。

「なぁに、飼い犬に手を噛まれると言うのは何度経験しても不愉快なものでのぅ」

 黒い長外套のフードを取ったオウカの顔には、火傷の痕。

「ティザル、この世の春は謳歌できたかの?」

「私は、私はっ!」

「死よりも苦しい拷問を与えてやろう。たっぷりと、味わうがよい」

 護衛の男がオウカの前に出る。背を向けて逃げようとしたティザルの足に一閃、つまらなそうに湾刀を叩き込む。

「ひっ!?」

 闇の中、あるべきはずのものがない。足のくるぶしから先、靴が。

 靴の中にあるはずの、足が。

 ない。

「ひぃぃやぁあぁ!」

「ヒッヒッヒ! 良い声で鳴いておくれ、かわいいティザルや。それでこそこの火傷の傷も癒えようというもの」

 オウカの哄笑は、護衛の男がティザルの首を切り落とすまで続いた。




 ラストゥーヌの元家宰ラクシュは住み慣れたはずの屋敷の有様に、動揺を隠しきれなかった。

「一体、何だというのだ!?」

 見渡せば紅蓮の炎がとぐろを巻き、懐かしき我が家をその舌先で舐めていく。しかも、その炎に照らされて逃げ惑う群集。それを追う悪鬼と見紛うばかりの盗賊たち。

「おのれ……!」

 逃げる獲物を追うことに夢中になっている盗賊を袈裟懸けに切り払う。

「我が家を、ラストゥーヌを汚す不埒者どもめ!」

 捨てられたはずの家。もはや関わるまいと決めたはずの家だった。

 だが、この無残な姿を見れば胸の中に残っていた激情に火が灯る。

「許せ、ヘリオン殿! 私はラストゥーヌを捨てられぬ!」

 たとえ自身が捨てられようとも、ラクシュはラストゥーヌを見限ることが出来なかった。ヘリオンから頼まれていた役目も忘れ、一人賊徒に立ち向かう。

「ひひゃはは!」

 血を浴びて正気をなくしたような盗賊。正面から向かってくるそれを、天高く振り上げた長剣で一刀両断に切り落とす。

 悲鳴を聞きつけて集まるほかの賊徒を、次々に切り伏せる様子はまるで無人の野を行くようだった。

「はぁ、はぁっ……」

 幾十人敵を葬りその場所に来たのか、全身は血にまみれ手傷も数え切れず、だがいまだ衰えぬ気勢を持ってラクシュはその場所にたどり着いた。

 その建物にはいまだ火の手があがっていない。ラストゥーヌの屋敷でもっとも守り易い通称“剣舞場”。初代が直々に建造を命じたと言われる修練のための建物だった。

 シン、と静まり返ったその建物の中にラクシュは人の気配を感じていた。

 石造りの外観と木造の内観。先代のラストゥーヌ家当主に拾われてから、一心に修練した場所。そしてラストゥーヌの家族たちを鍛えた場所だった。

「お屋形さま、いらっしゃるか!?」

 息を整え、扉を開けて問う。ここにバトゥがいる。半ば確信をもってラクシュはその扉を開いた。

「おお、家宰! 今まで何をしておったのだ?」

 暗闇の中に出迎えた主の姿にほっと息をつく。

「これはいかなることでございます!? なぜ盗賊どもがこの屋敷に!」

「わからん。不甲斐ないことだが、まったく俺のあずかり知らぬところだ」

 肩を落とすバトゥに、ラクシュは再び問いかける。

「何の、私に任せていただけるなら今すぐにでも蹴散らしてごらんに入れましょう」

「さすが、ラクシュ・ラスティア! 父上が見込んだだけのことはある。ラストゥーヌを頼むぞ!」

 その言葉にラクシュは耳を疑った。

「お屋形さま、今なんと!?」

「許してくれ。俺は今になってようやくお前の心に気がついた。俺のためとは言わぬ。だがラストゥーヌに対するお前の忠義、今一度発揮してくれぬか」

 その言葉にラクシュは、積年の苦労が一気に報われた思いに(むせ)ぶ。

「何よりの、お言葉にございます」

 涙で曇る視線を主に見せぬようラクシュは膝をつき、礼をする。

「ではまず、現状を説明せねばなるまい。ラクシュ、こちらへ参れ」

「いえ、主に前を歩かせたとあっては……」

「律儀なことだな」

 軽い笑い声が、わき腹を貫く衝撃とともにラクシュの鼓膜を震わせた。

「くっ……」

 膝をつき、崩れ落ちるラクシュにバトゥは冷たい視線を向ける。先ほどかけた言葉が何かの間違いだったかのような、憎悪以外には何も映らない瞳。

「お屋形さま、何をっ……」

「なにを、だと!? 貴様、余計なことをしてくれおって!」

 嘲笑にゆがむバトゥの顔。

「賊徒どもが何ゆえに侵入したと聞いたな? 冥途の土産に教えてやろう。やつ等はな、この俺が手引きしたのよ」

 口から漏れる血が、ラクシュの命数がないのを伝える。それを見取って、得意絶頂のバトゥの口は軽い。

「な、ぜに……」

「なぜ、なぜだと!? 奴らこの俺をっ! ラストゥーヌの栄光を担うこの、俺を侮辱しよった! 末席だと!? ティザルが頂点で、俺が末席だぞ! 許せぬ! 許せるものか! 生意気な小僧も、才をひけらかすだけのティザルも! ヘルシオの毒婦も! みな死ねばいいのだ! そうすれば、そうすれば俺がロクサーヌを手に入れる。この街は俺の、俺のものだ! くははははは!」

 壊れている、嘲笑をあげるバトゥを、歪む視界に納めながらラクシュは口惜しさに歯噛みした。自尊心が、彼を襲う現実に耐えられなかったのか。その笑い声は狂人に似ていた。

「首尾は良いようじゃな」

 暗い屋敷の中が一斉に明かりに照らされる。

「おお、オウカ様!」

 主に擦り寄る犬が、褒められるのを期待するような顔でバトゥはオウカに近づいていく。

「ジェルノ家の……死んだはずでは……」

 息も絶え絶えのラクシュを、バトゥは見下ろし鼻で笑う。

「オウカ様が、死ぬわけがなかろう。ティザルの反乱を討つ絶好の機会を待っておられたのだ!」

「そうじゃな」

「さあ、オウカさまこのバトゥめに、なんなりとご用命をお言い付けくださいませ!」

 額から右頬にかけて出来た火傷の痕が、にんまりと、口元にあわせて歪む。

「アズ、始末を」

 後ろに控える巨漢の護衛に一言命じれば。

「え?」

 バトゥの片腕は間の抜けたバトゥの声とともに吹き飛んでいた。

「ぐぎゃぁぁあぁ腕が、腕があぁあぁあああ!」

 痛みに叫び、転げまわるバトゥを、好々爺の表情そのもののオウカが笑う。

「裏切ったのは貴様も同じ。まさか許されるなどと思っているとは……滑稽の極みじゃのぅ」

 カカ、と笑いながら怯えるバトゥを足蹴にし、護衛の一人から受け取った剣でなぶる様に突き刺す。

「翁」

 その一言で、スッと身を引けば、オウカとバトゥの間には立っているのがやっとのラクシュが立ちはだかっていた。

「ほう、邪魔をしようてか」

「バトゥ様、お逃げを!」

 剣を支えに、彼らの前に立ちはだかるラクシュ。

「うわぁあああ!」

 一方のバトゥはその姿を視界に入れることなく逃げ去った。

「屑の始末は外の雑魚どもに任せるとして」

 カカ、と笑いながらオウカはラクシュを見る。

「王の剣の生き残りが相手じゃ、不満はあるまい? アズ」

「手負いの、老人の間違いだろう」

 ぎらり、という音が聞こえてきそうな重圧感を伴ってアズが鞘から引き抜いたのは、両刃の大剣。

「すぐに終わる」

 振り上げた大剣は、空気を切り裂く雷鳴となってラクシュに落ちる。

 振り下ろされたのが雷鳴なら、迎え撃ったのは勇気。その一撃を見たなら、いかなる猛者でも逃げ出すか硬直するしかない。しかしその一撃を、血を流しすぎた体で、満足に動かぬ腕で操る長剣でラクシュは弾いて見せた。

「ぬっ!」

「いかせぬっ!」

 死に掛けた老人の気迫とは思えない鬼気迫るラクシュ。一瞬とはいえ、アズはそれに呑まれ、防戦を余儀なくされる。

 修練に修練を重ねた剛の剣。天才的な閃きや、もって生まれた才能とは無縁の、剛直な剣がアズに迫る。死を覚悟したラクシュの剣はすさまじいものだった。生きることを考えないということは、捨て身になれる。生と死の交わる白刃の交差の中、僅かに混じるはずの戸惑いを消し去ったその剣は、速く重い。

「ぬぅおおっ!」

 口から溢れる吐血を噛み下し、動かぬ体を文字通り命を削って動かす。

「いいぞ、そうではなくてはっ!」

 すべてにおいて無表情だったアズの顔に、喜悦が浮かぶ。地獄を覗き見るような、恐ろしげな笑顔。

「名乗れ! 俺は戦士アズ!」

 いったん距離をとり、北の地方独特の礼をするアズに対し、僅かにラクシュは笑った。

「ラクシュ・ラスティア」

 唸りを上げる両刃の大剣。弾き飛ばす勇士の長剣。

 だが勝負はじめから見えている。一振りするごとに、ラクシュの足元には赤い水溜りが広がっていく。

 だが、それでもラクシュは引かない。その場にとどまったまま、アズと打ち合う。

 響く剣戟の音。

勇士(ラスティア)かっ!」

 遠い昔に、戦士達の村の長老から聞いた名前にアズは震える。

 アズの振りかぶり、打ち下ろす一撃にラクシュの膝が折れる。その機を見逃さず、反撃に転じるアズ。風を巻き起こす強力な一撃が雨のように隙なく降り注ぎ、徐々にラクシュを追い詰めていく。

「とどめ!」

 ラクシュの首を刎ねようと、ほんのわずか振りかぶったアズに、ラクシュは迷わず突進する。

「くっ!」

 それはどちらの苦悶の声だったか。ラクシュの肩に牙を立てる両刃の大剣、そして突進した勢いのまま繰り出されたラクシュの長剣はアズの首筋を掠めていた。

 ぐしゃりと、ラクシュの体が崩れ落ちる。

 僅かに弾んだ呼吸。

「言い残すことはあるか?」

「やめろ、やめてくれええ!」

 武人の礼を尽くそうとするアズの耳に、耳障りな声が聞こえる。

 死闘を演じた二人が視線を向ければ、そこにはオウカの前に引きずられていくバトゥの姿。

「あの、方の命を、救って、くれ」

 か細い声。すべてを出し切ったラクシュの声はかすれ、聞き取りづらかった。

「正気か、あれを救って何が残る?」

 それ以上何も言わないラクシュに、アズは他の護衛に声をかける

「やめろ」

 無表情に告げるアズに、護衛はオウカとアズを交互に見て、バトゥを手放した。

「これでいいのか?」

「感謝、する……」

「さらばだ。真の忠臣“勇士ラスティア”よ!」

 振りかぶった両刃の大剣がラスティアの首をはねる。

 兇王の時代から続いたラクシュ・ラスティアの戦いはここに幕を閉じた。

「さて」

 視線を転じれば、肥満した体で震えるバトゥの姿。

「た、助けてくれるのだろう!? そう約束しておったな!?」

「助けてやろう、全ての恐怖からな」

 一閃。

 バトゥの首が落ちた。




 深淵のような意識の底から、徐々に薄明かりの中へ自身が昇っていく。

「──カル様っ!?」

 耳に届いたのは、悲痛な叫び声に似ていた。

「私は……?」

 自分自身の喉から出たとは思えない乾いた声。続いて乾ききった喉に、カルは眉をひそめた。体は鉛のように重く、物を考えてくれるはずの脳髄はしびれたままだ。

「私がお分かりになりますか?」

 慎重に、だがどこかおびえを含んだ声で、テクニアはカルに問いかける。

「テクニアか?」

 なんとか自分に呼びかけている人物を特定するが、頭が割れそうに痛かった。

「奇跡だっ!」

 思わず天を仰ぐテクニアを、頭痛をこらえながら横目で見る。

「私は、どうしたのだ?」

 確か舞踏会にて少女と、そこまで考えいたったところで一気に脳裡の霧は晴れる。

「テクニア、あの後舞踏会はどうなった!?」

 急に鋭さを増したカルの声に、テクニアは一瞬硬直するがすぐに、現状を知らせる。

「はっ、現在屋敷は賊徒の侵入により混乱しております。ですが、ご安心を。こちらには未だ誰も気づいておらぬ様子。幸いここは、出口に近い。今のうちに屋敷を脱出し、いったん屋敷へお戻りになられてください」

「賊徒、だと!?」

 未だ覚醒のままならない体を強引に起こし、窓の外を見れば、夜の空を染める紅蓮の色。

「館の警備は!?」

「バトゥ殿が執っておられるはずですが……」

「わかった」

 俯き力の入らない体を見下ろすカル。

「テクニア、お前はスカルディアの屋敷に向かいシュセと合流せよ」

「カル様は!?」

「この状況で見て見ぬ振りなどできない」

 目蓋の裏を焼くのは、最愛の者達を失ったあの夜の炎。

「無茶ですっ!」

 留めようとするテクニアは、カルの前に立ちふさがる。ここでもしカルを生かせてしまえば、せっかく助かったはずの命を無駄に捨てさせてしまうことになる。だがカルはふらつく足で、テクニアの肩をつかむと、驚くほどの強さで彼をどかす。

「私には、夢がある。みなが平和に、命永らえることができる国を、この手にするのだ。こんなところで死ぬようではこのたび幾度もあるであろう試練を、乗り越えられるはずがない!」

 何者にも侵されることのない強大な国を。

 母に誓い、家臣(クラフト)に託され、そして最愛のルクと共に見るはずだった強大な国を作る。

「私がこんなところで死ぬわけはない! テクニア、槍を持て!」

 ぎりりっとかみ締める奥歯が音を立てる。踏みしめるたびにぐらつく足を叱咤して、カルは離れを出て行こうと足を踏み出した時、派手な音共に扉が開かれる。

「シュセ!?」

「カル様!?」

 驚きの声は二つ同時に。

 すぐ後に大きく目を見開いたシュセは、膝をつき騎士の礼をとる。

「……殿下! ご命令をっ!」

 涙を見せぬよう下を向き、震えそうになる声を叱咤してシュセは声を励ました。

 本当ならすぐにでもカルを抱きしめたい。生きていたことを喜び、涙を流したい。だが、それをしてしまえば騎士としてのケジメがつかない。精強なるスカルディアの騎士ならば、主の無事を喜ぶ前に、己の役目を果たさねばならない。

 自分の心を切り捨てて、シュセは騎士に徹した。

「問いたいことは多々あるが、時間がない。この群盗を駆逐する。できるな!?」

「ご命令とあらば、この命に代えましてもっ!」

 優雅ささえ漂わせ、立ち上がりカルに背を向けるシュセ。

「シュセ殿と申されましたか!? おやめください、群盗の数は多い! とてもあなた一人ではっ!」

 テクニアの声に、シュセは肩越しに振り返った。

「一人ではありません。それに……」

 シュセとカルに続き離れをでたテクニアは、外に控えるスカルディア私兵に息を呑んだ。中には怪我をしている者もいたが、どの兵士の瞳も熱くたぎっている。

わが国(ロアヌキア)に、我がスカルディアの武に勝るものは無い!」

 シュセの言葉に、兵士達の奮い立つ気炎が見えるようだった。




 老いさらばえた肌の火傷の跡を、夜風がなでる。

「風が変わったのぅ」

 のたうっていた混沌が、一陣の風によって切り払われていく。

「アズよ、引き上げ時じゃ」

 ティザルとバトゥの首を持った護衛にオウカが声をかけた。

 アズと呼ばれた長身の護衛は、ラクシュの屍を一瞥すると黙ってうなずく。

「残った奴らは捨て置け、目くらましぐらいにはなるじゃろうて」

 カカと笑いながら、復讐の悪鬼は闇に消えた。



 黒煙を払う一陣の風。

 シュセとカルが率いるスカルディアの私兵はまさにそれだった。

「殿下! ティザル、バトゥ殿いずれも所在は不明にございます」

「よい、彼らなど捨て置け。それより戦えぬ者の保護を最優先にせよ」

「シティーア家の方々を無事保護いたしました。ご息女のシャルナ様もご無事です」

「わかった」

 群盗をなぎ払う合間に消火と捜索を一手に行う。

「殿下! 群盗はあらかた制圧した模様です。残党は逃走しています」

「追え、奴等を街に解き放つな!」

 次々とあがる報告に、適時適切な命令を下していくカルの元に、その報告が入った。

「殿下、ヘリオン殿の行方がわかりません……最後に見た者の話によれば尖塔にいたと……」

「尖塔!?」

 闇夜を照らす蝋燭のごとく燃え立つ尖塔が視界に入った。

「まさか、だが……」

 いるはずがない。あの男がそんな無様な真似をするはずが無い。そう思いながら、カルの足は自然そこにひきつけられていた。

 ごう、と燃え立つ尖塔。その火の勢いは周囲の空気を吸ってそそり立つ強大な火柱そのものだった。わずかに火の黒煙の合間から、窓と尖塔の石壁が見えては消えた。

「ヘリオンっ!」

 玄関だったところはすでに炎の壁の向こう。

「ヘリオン、いるのか!?」

「殿下、おやめください火の勢いが強すぎます」

 シュセの制止の声が聞こえないようにカルは炎の壁を睨む。

 壁に阻まれたその向こうはすでに灼熱の地獄だろう。

 もしこの先にヘリオンがいるのなら、とカルが一歩を踏み出しかけた時、その声は尖塔の高みから聞こえた。

「とまれ!」

 見上げる先には黒煙にけぶる尖塔の窓。落ちてはまず助かるまいと思われるその高さの窓から、ヘリオンの姿が見えた。

「ヘリオン殿!?」

「ヘリオンっ……何をしてるっ!?」

「何をとは、手厳しい」

 シュセの悲鳴とカルの声にヘリオンは苦笑を返す。

「カル……いや、殿下。このヘリオンお暇をさせていただきたくございます」

「ふざけるな!」

「私にも望むものがあります」

「何を悠長にっ!」

 別れを告げる言葉に、カルは炎の中に飛び込もうとする。

「カル様おやめください」

「シュセ!」

 後ろからカルを抱きかかえる彼女に、ヘリオンは温かな視線を注ぐ。

「カル・スカルディア……数多の眷族を従える貴族の当主たるものは毒さえ笑って飲まねばならぬ。そしてその貴族たちを束ねる王ならば、股肱の臣を死地に送って尚平然としていなければならぬ」

「ヘリオン殿っ!」

 崩れ行く尖塔に、黒煙が濃くなる。もはやヘリオンの姿は輪郭を確かめるのが精一杯となっている。

「王となれ、カル・スカルディア。強き偉大な王となれ」

 ヘリオンの声はどこか晴れ晴れとしていた。

「私と主従になると申したであろう! 私の夢に付いて来るのだろう!? ヘリオン!」

 血を吐くようなカルの叫びに、ヘリオンは背を向ける。

「さらばだ、カル・スカルディア! 飛翔への舞台は整った! 勇躍せよ。これからはお前の時代だ!」

 炎の瓦礫とかした尖塔が崩れ落ち、その姿を覆い隠す。

「ヘリオンっ!!」




 観音開きの扉の両板に、朱宝玉(ルビー)蒼宝玉(サファイア)をそれぞれ、一つ目に埋め込んだ鴉が描かれていた。重厚な扉は高価な樫の木材で作られた代物。

「ウェンディ様、お待ちになられております」

 長い渡り廊下には深紅の絨毯が敷き詰められ、頭上からは硝子夜灯(シャンデリア)が吊り下げられている。昼かと思うほどに明るいその廊下の中央に、テクニア・ミザークは深々と腰を折りながらカルを出迎えた。

 ラストゥーヌの屋敷が焼け落ちてから二日。

 カルはミザークの舞踏場の前に立っていた。

 供を連れず一人、二階席に向かい、席に着く。

 見下ろす舞踏場(ダンスホール)には舞い手が一人。

 ルージュに染めたくびるに、結い上げた髪には金剛石の髪留め、纏う舞台衣装(ドレス)は血よりも赤い深紅の趣。体の線にあわせて作られたドレス。豊満な胸を惜しげもなく強調し、刻むステップは激しくも艶やか。

 そのほかには誰もいない。

 たった一人のために整えられた舞台。

 “憂う胡蝶”

 放浪の楽士クラウディが書いた最高傑作。楽士の奏でるそれにあわせ、彼女は踊る。彼女はまさしく舞姫だった。一握の余韻を残して、曲が終わる。

 僅かにあがった吐息。うっすらを汗を浮かべた彼女はとてつもなく艶やかだった。

 数々の踊りで世の貴族すべてを魅了する舞姫。

「見事な舞踊だった」

 二階席から声をかけるカル。

「ありがとう、ぼうや」

 くすりと笑う彼女はこの世のすべてを魅了するほど妖艶だった。

 まだカルが幼く何の憎悪も知らなかった時、屋敷に招かれた彼女の踊りを見て、今は亡きヘェルキオスに言ったことがあった

 あの人の踊りはすごい、と。

 そして、彼女にはヘェルキオスの手がついた。当時彼女には好いた貴族がいたらしい。その貴族とは無理やり分かれさせられ、以後彼女はヘェルキオスの妾として生きていくことになった。ヘェルキオスが死ぬまでずっと。

「お礼は言わないわよ」

 ダンスホールの扉の置くから進み出る侍従が一人。手に持つのは、豪華なお盆の上に載せたグラス。それに満ちているのは彼女と同じ深紅の液体。

「必要ない」

 くすりと妖艶に笑うと彼女はその液体を飲み干した。

「じゃあね、ぼうや」

 それだけいうと、ウェンディは喉を押さえ血を吐いて倒れた。

「ああ……さらばだ、カスティーヤの舞姫」

 ウェンディの自裁を見届けるとカルは席を立つ。

 背に負うは謀略の陰。

 前に迎えるのは陽の光。




 ゴード暦でいうところの528年。

 大陸東の共和制国家ロアヌキアで起こった動乱は、ウェンディ・ヘルシオの自害によって幕を閉じた。

 その動乱は共和制の支柱であった十貴族のほとんどを死に追いやり、残った有力貴族により一つの決断が下された。

 王政回帰。

 同時に、カルはヘルシオ家をも継ぐことが決定される。

 カル・スカルディア・ヘルシオラ。

 正式にその名を名乗ることになった彼は、王に推されロクサーヌの民衆と貴族の圧倒的な支持を受け王位に就く。

 ゴード暦528年春巡月。




「あまり、こういうのは慣れないな」

「民が待っています」

「わかっている。私の民だ」

「はい……カル様」

 漆黒の王衣に身を包む少年王、そばに控えるのは純白の鎧を着たうら若き騎士。

「おめでとうございます」

「これからだな……」

「はい」

「シュセ私は必ず、私の夢を叶えるぞ」

「……はい」

 二人が屋敷のテラスに姿を現すと、民衆からは歓呼の声がロクサーヌ中にこだました。

 ロアヌキア万歳、王に栄光を!

 その声はロクサーヌを飛び越え、次第に国中を駆け巡る。

 大陸に激動をもたらす王が、最初に歴史に爪痕を刻んだ瞬間だった。





 やっと完結しました。日々の雑多に追われ執筆速度が遅くなったこと、申し訳ありません。見てくれている人にはありがとうございます。

 次回はまた時間をいただくことになりますが、サギリとジンの話になると思います。しばらくお待ちください。



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