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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦527年 覇を統べる王4章
63/103

謀略の使徒26

 十貴族の会議が終わり、ティザルの目の前にはヘリオンだけが傅いていた。

「バトゥを虚仮にするところから始まり、中々の役者ぶりだった」

 カルの席次をひとつだけ引き上げることも、バトゥを引退させることも事前の取り決めでなされていたことだった。もちろん他の十貴族は知らないことではあるが。

「お褒めに預かり光栄の至り」

「だが、ひとつ気に食わぬ。なぜ舞踏会など開かねばならぬのだ?」

「それには私に考えがございまして……場所はラストゥーヌの屋敷で行います」

「ほぅ……嫌がらせというわけか」

 冷酷に笑うティザルに、だがヘリオンは無表情を崩さぬまま言葉を続ける。

「いいえ。そこでカル・スカルディアに我が秘中の毒を盛ります」

「……やるか、あの小僧を」

 ティザルの背筋をぶるりと、冷たいものが走り抜けるが、それを自身の興奮だと納得させ、ヘリオンに続きをうながす。

「はい。もし万が一仕損じても、全てはラストゥーヌ家の手落ち……家宰がいくら庇い立てしても、もはやどうにもなりますまい」

「確かに、恨みを持った相手を放置するなど危険極まりないからな。バトゥには、文字通り最期の仕事をしてもらおうか」

「御意」

「だが、毒はこちらで用意させよう。そなたが秘中の毒、信じぬわけではないが、我が家にも毒がないわけではない。あの憎らしい小僧を殺すのは我が手で行いたいからな」

「……ですが」

「言い訳は許さぬ。まさか、そなたの毒でなければならぬ理由もあるまい。……舞踏会の手配。任せるぞ」

「……御意」

 頭を垂れるヘリオンをティザルは冷たく見下ろしていた。







 大河ポルレからロクサーヌに至る平原を、土煙を上げて疾駆する騎馬の一団がある。

 掲げるのは“交差する蛇槍”スカルディアの紋章旗。

「見えたぞ、ロクサーヌだ!」

 先頭を行く物見の兵が後続に声をかける。戦装束も物々しく、最低限の食料と武器を携えた集団はロクサーヌを見て、その速度を尚一層速めた。

「あと一息だ! 遅れるな!」

 疲れた馬に鞭をいれ最後の距離を踏破する。不眠不休で駆け抜けてきた彼らは、土ぼこりにまみれ瞳は疲れで充血する。だがその瞳に奥にあるのは、燃え滾るような戦意に他ならない。

 ロクサーヌで平民たちの暴動を聞いたカルが、騎馬のみの部隊をシュセに率いさせ先行させた。夜に出発した騎馬部隊は普通なら二日かかる距離を、半日に縮めてみせた。

 シュセに率いられた騎馬部隊は、城門を潜り朝の霧に包まれた街中を疾駆する。

「これはっ……」

 思わずシュセは息を呑んだ。町の惨状に、速度を緩め険しい表情でスカルディアの屋敷まで馬を進めていった。焼け焦げた家屋、路傍で眠る平民、あちらこちらに見られるその光景にシュセは強く唇をかんだ。

 スカルディアの屋敷は尚健在だった。屋敷に着いたシュセは、そこを拠点として、四方に情報収集のための使いを走らせた。と、同時にスカルディアの屋敷を守っていた使用人達から町の現状と、どのような経緯でこのような蛮行がまかり通ったのかを聞き出した。

「ラストゥーヌのバトゥ殿が」

 呟いて、一瞬考え込む。衛士の長たる人物が、なんということをしてくれたのだ。衛士は平民の味方であらねばならない。法と正義の守り手が、平民を害するなど気が狂ったとしか思えなかった。

「シュセ殿」

 これからの対応を考えていたシュセに、落ち着いた声がかかる。

「ヘリオン殿! ご無事でいらっしゃいましたか!」

 ゆっくりと頷く彼に、シュセは眉をひそめた。何か、酷く疲れているようなヘリオンの様子に、彼の体調を心配したのだ。

「お疲れではありませんか? お顔の色が優れませんが……」

「いや、何。あなた方に比べれば疲れてなどいませんよ。これを」

 差し出された書類は被害状況の報告書だった。

「これはっ……」

 寝る間も惜しんで作れたであろうそれは、ヘリオンと彼の下で働く推官見習い達の能力の高さを伺わせるに十分なものだった。

 パラパラと読み進めるうちに、その被害の甚大さが伝わってくる。

「平民の衛士は、かなり被害を受けていますね……」

 ヘリオンの家族を救い出すため、シュセに協力してくれた親切な衛士。彼らの顔が浮かんでは消えていく。

「ええ、もともと彼らとバトゥ殿とのぶつかりあいが発端でしたから」

 無念そうに瞳を伏せるヘリオンに、シュセもまた唇をかみしめる。

「スカルディア家に対する被害は、それほどでもないようですね。後は……平民区は復興にかなりの規模で予算が必要になりそう」

 家を焼け出された者、親を失った孤児、仕事を失った者。その数のあまりの多さに、シュセはこの数日でロクサーヌが受けた痛手を思った。先ほど見た炉端の浮浪者達は、全体のごく一部でしかないのだ。

「カル様が、帰ってきてから全ては決済がされるでしょうけど、できることは今のうちにやっておきましょう。一人でも多くの民を救わねば」

「殿下は今どのあたりに?」

「今兵をロクサーヌに向けている途中です。もう一日あればこちらに到着なされると思います」

「実は、この度の戦勝を祝った舞踏会が開催されることになりました」

「こんな状況でですか!?」

 ヘリオンの言葉にシュセが思わず耳を疑う。

「ええ。ですがこんな状況だからこそ、殿下には出席してもらわねばならない」

 ヘリオンの真剣な眼差しに、シュセは息を呑む。

「……他の貴族たちにも、平民たちに援助の手を差し伸べさせようと?」

「その通り。難しいとは思いますが、やっていただかなくてはならない」

 頷くヘリオンに、シュセは考え込む。

「……わかりました。では、わたくしは平民達への炊き出しの指揮を執ります。ヘリオン殿も」

「私は補給に回りましょう。スカルディア家に連なる者で、動けそうな者に連絡をつけ、支援に向かわせます」

「ありがとうございます。そうして頂けるとありがたい……殿下への連絡は?」

「私がしておきます。シュセ殿は全力で平民達をお救いなさい」

 では、と短い挨拶をして駆け去るシュセ。

 その背中を眩しいものでも見るように、ヘリオンは見つめていた。





「本当に、これで良かったのだろうな?」

 鋭い湖水色の視線がヘリオンを睨む。

「人にはその人に見合った責務と仕事を。街の方はシュセ殿が滞りなく復興作業を行っている。今お前がすべきなのは、その資金と人手を稼ぐことだ。いずれスカルディア家だけでは限界を迎える」

「しかし……」

 馬車の中、舞踏会の会場たるラストゥーヌの屋敷へ向かっている間カルは不機嫌だった。戦場から戻ってすぐにその兵力を待ちの復興にあて、自身は着飾って嫌いな舞踏会へ。これがご機嫌でいられようはずもない。

 馬車の窓から外を眺めれば、戦災の傷跡が生々しく残るロクサーヌの街中が見えた。

「壊すのは一瞬でも、築き上げるのは膨大な時間がかかる。なぜ、壊した後のことに思いをはせないのか……」

 悔しげに呟くカル。

「人はそこまで上手に感情を抑えられぬさ。特に、甘やかされて育った者はな」

「私は甘やかされた覚えなぞ、ついぞない」

 ヘリオンの答えに、カルが反発する。

「そうかもな……だが、どのような境遇で育とうと貴族の当主となったからには、自身の家の為に毒すら笑って仰がねばならぬ。わかるか? これは比喩ではないぞ」

 いつにないヘリオンの真剣な口調に、窓の外に向けていた視線を戻す。

「どういうことだ?」

「お前は王となる。その為の試練だ……カル・スカルディア。よく考えよ」

 いぶかしむ様に眉をひそめるカルを横目に、ヘリオンは書類に視線を戻す。

 ラストゥーヌ家の屋敷に着くまで、二人の間には静寂が降り立っていた。




 無骨な作りのラストゥーヌの邸宅。

 ミザークの洗練された屋敷に比べれば、やはり見劣りはやむをえない。初代の精神を忘れぬようわざとそういうつくりになっているのだ。

「カル・スカルディア様ご到着」

 広くはない舞踏会場(ダンスホール)。無骨なつくりのラストゥーヌの屋敷において、その建物だけが華美な装飾を施されていた。輝く夜灯、銀の女神が縁取る硝子窓、床に敷き詰められたのは木目もあざやかなヒルダナ杉。取り繕うように作られた舞踏会場は、武人から貴族に早足で駆け抜けたこの家の歴史を象徴するかのように、屋敷自体の調和を乱す特異な場所だった。

「おぉ、ポルレの英雄のご帰還だ」

「ふん……偶々運が良かっただけよ」

「そうだ。あのような相手小僧でなくとも勝てる」

 賛辞と妬みの細波が広がる中、カルはその舞踏会場に足を踏み入れた。着飾った紳士淑女がいっせいに彼を振り向くが、カルはそれを意に介さず十貴族の席へ向かう。二階席はなく、一階建ての広大な舞踏会場。広大なホールの最奥一段高くなった場所にその席はあった。

「お久しぶりにございます。無事のご帰還テクニア心よりお喜び申し上げます」

 最初に声をかけてきたのは、ミザーク家のテクニア。先日の舞踏会でカルの知己を得た一人だった。

「本当に、ご帰還おめでとう。カル」

 ついで声をかけたのは鮮やかな朱色のドレスを身にまとったウェンディだった。手には漆黒の羽扇。口元を隠し、微笑を隠す彼女は妖艶な笑みのまま挨拶を終える。

「いえ……」

「……本日は、当家においでくださり真にありがたき幸せ……」

 肥えた巨躯を折り曲げ、ぼそりと屈辱をかみ殺した声で挨拶をしたのはバトゥだった。

「お招きいただき歓迎の至り」

 何の感情もこもらない形式的な挨拶で、彼に挨拶を返すと。

「この度の活躍、誠に見事だった」

 尊大な態度で首座に座り酒盃を掲げるティザルに向き直る。

「皆様のおかげをもちまして、戦勝を納めることができました」

 軽く首をたれ、挨拶を終えた。

「今日は君のために、舞踏会を催した。ぜひ楽しんでいってくれたまえ」

「はい」

 自分の席に着くカルに、ティザルの粘りつくような視線が向けられていた。

「諸君! 楽しい舞踏会を始める前に今宵の主役を紹介しよう!」

 ティザルの声に、その場にいる全員がティザルを注視する。

「先ごろルプレで大勝を収めた我らが勇将、カル・スカルディアだ。彼から一言、挨拶を述べてこの舞踏会の開催の辞となそう」

 割れんばかりの拍手が起こり、そしてカルは立ち上がる。

「私が戦に勝てたのは、このロクサーヌを愛するがゆえ。勇将などと恐れ多いことです。ですが、一言許されるなら……私はロクサーヌに戻り驚きました。立ち上る黒煙、あふれ出す貧民。本当にここがロクサーヌかと目を疑ったほどです」

 静かに語りだすカルに、会場は軽くどよめいた。燃え立つような一言を期待した彼らの予想を裏切る形で、カルは言葉を続ける。

「原因を聞けば、貴族と平民との行き違いからこのようなことが起こったとのこと。悲しむべきことだと思います。われらを支える手足を切り取って、どうしてわが国が立っていられましょう。どうか皆様彼らに慈悲を」

 静かに終わったカルの言葉。あまりにも紳士に紡がれた言葉に、会場の全員は声もなかった。

「我らが英雄はずいぶん慈悲深いようだ。彼の願いをかなえるためにも、我らの親睦を図ろうではないか! 乾杯!」

 場を仕切りなおしたティザルの声に、会場すべてが唱和する。

 ──乾杯っ! と。

 滞りなく舞踏会は進む。

 前曲、中曲を終わり、後曲が終わる。

 ティザルの無礼講の声がかかった後も、カルはティザルの視線を感じていた。

「カル様、ご一緒に踊っていただける?」

 幾度も誘われるその声をさえぎり、カルは中庭に出ようとしていた。

「あのっ」

 そのカルの袖を強引に捕らえた手がある。見れば小柄な少女が震える手で彼の袖を握っていた。紅茶色の髪を三つ編みにした少女。反射的に振り返ったカルの厳しい視線を受けて、彼女は怯んでしまう。

「その……」

 今にも泣き出してしまいそうな彼女に、見覚えがあるように思えてカルは立ち止まった。うつむき黙ってしまった少女と、何もいわないカルに周囲の視線が集まりだす。ざわざわと聞こえるのは少女に対する非難がほとんどだった。

「なんて無礼な」

「なに、あの子……下級貴族の子よね?」

 特にひどいのは同年代の少女達からの非難だ。

「ご、ごめんな、さい……」

 とうとうカルの袖をつかんでいた手を離し、泣き出してしまう少女。

「……あぁ、あの時の」

 まじまじと少女を見ていたカルが、思い出したのはバトゥに絡まれていた少女だった。

「はい」

 コクコクと頷くと、また泣き出してしまう少女にカルは困り果てた。

「こちらへ」

 顔を覆う彼女の手をとって、カルは中庭へ向かう。色とりどり豪華に飾り立てられた舞踏会場から、夜の静寂の中へと放り出された。まとわりつく鮮やかな光も、屋敷を彩る紳士淑女の歓声も、一歩外にでてしまえば届きはしなかった。

「それで、何の用だ?」

 聞きようによっては脅しにも聞こえるカルの口調に、だが今度は少女は怯まなかった。というよりも、カルに見とれていてそれどころではなかった。豪華な衣装に身を包み、屋敷から漏れる明かりに照らされて、夜の闇にカルはよく映えた。

「……綺麗」

「なに?」

 ぼんやりと呟かれる言葉に、カルは思わず聞き返す。

「あ、ご、ごめんなさい。私は、シャルナです。シャルナ・シティーア」

 涼しげに輝く湖水色の視線、恥の肌に、夜風に舞う豪奢な金色の髪。バトゥから助けられてから夢にまで見たカル・スカルディアが自分の目の前にいる。少女に緊張するなという方が、無理だった。

「そ、それで……私が言いたいのは、カル様がお綺麗でその──」

 シャルナと名乗った少女の要領を得ない返事にカルは、ため息をついた。

「ご、ごめんなさいっ!」

 それをどうとったのかシャルナはバネ仕掛けの人形にように頭を下げる。

「何を謝る?」

「は、話しかけたりして……ご、ごめんなさい!」

「用事があったのだろう?」

「いえ、いえ……」

 謝っているうちにシャルナの瞳からは大粒の涙がこぼれて落ちる。

「ただ、お礼が、言いたくって……」

「お礼?」

「あの時は、ありがとう、ございました」

 精一杯の勇気を振り絞ってそれだけ言うと、彼女は感極まって泣き出してしまう。

「……無事でよかった」

 暗闇の中を見つめながら、カルは言った。

「家のことでも、テクニア様が……ありがとうございます」

「……叱られはしなかったか?」

 涙を流しながらもしっかりと頷く少女に、少しだけ安堵してカルは微笑む。

「ならばいい」

 彫刻のように精巧な美しさから、もれた人間らしい微笑み。

「カル様も、普通に笑うんですね」

 涙をぬぐいながら微笑むシャルナにカルは苦笑をもらした。

「貴族の当主には、相応しくないがな」

 何者にも揺るがぬ鉄面皮そこが、社交界をわたる貴族の武器となる。感情のゆれを表に出していては、いつ何時足元をすくわれかねない。

「でもその、もったいないと思います!」

 それをシャルナはもったいないと言う。

「変わっているのだな」

「よく言われます」

 二人の間を夜風が通り抜ける。優しく微笑むカルに、シャルナはゆでだこのように赤くなり。

「あの、何か飲み物でもいかがでしょう!?」

「ああ……そうだな」

「私持ってきますねっ!」

 意気込んで駆け出す彼女を、不思議なものでも見つめるようにカルは見つめていた。



 シャルナの心臓は今もはちきれそうだった。あのカル・スカルディアとお話してる。それだけではない。これから一緒に飲み物を飲んで、またお話しするのだ。遠くから眺めるだけの憧れの対象。自分には不釣合いだと分かってはいる。

 でも、どうしても、もう少しだけあの人にそばにいたかった。精巧な彫刻のような顔から、ふと漏れる人間らしい微笑がシャルナの瞼に焼きついていた。

「えっと、お飲み物は……」

 着飾った紳士淑女の間を忙しく行き来するラストゥーヌ侍従達が見える。そのうちの一人を掴まえて飲み物をもらおうとしたシャルナは、横から突き飛ばされる。

「あら、失礼」

 軽い悲鳴を上げるシャルナに、同年代の少女は余裕の笑みを返す。何事もなかったかのように、シャルナが取ろうとしていたグラスを取る。シャルナよりも、格上の貴族の令嬢だった。その様子を見ている他の貴族の子女は、いい気味だとばかりにひそやかな嘲笑を彼女に向ける。

「カル様を独り占めなんて、偉くなったのねあなたの家は」

 少女の挑発に、シャルナは乗らなかった。ぐっと唇をかみ締めると他の侍従を探す。だがその度に邪魔が入る。露骨に突き飛ばす者まで表れる始末。

「貧乏貴族が、カル様に取りいろうだなんて百年早いわ」

「ほんと、浅ましいったらないわね」

 口々に突き飛ばされた彼女をののしり、見下す貴族の令嬢達。だがシャルナは黙って次の侍従を探す。出る杭は打たれる。分かっていたことだった。ただ少し、カルとの楽しいひと時に忘れていたのだ。

「大丈夫かい?」

 何度目かに突き飛ばされた時、一人の紳士が彼女に声をかける。手には二組のグラス。

「これをもっていきなさい」

「え?」

 見上げるシャルナの視線の先には、見たことのない紳士。優しげな笑みを浮かべた彼が、シャルナを立ち上がらせグラスを渡す。

「あの、でも……」

「あまりあの方を待たせるものではない」

 優しく微笑んでいるはずの初老の男から、シャルナはグラスを受け取る。何かが気になったが、彼女にはカルを待たせているという焦りのほうが強かった。

「あ、ありがとうございます!」

 あわててお礼を言うと、カルの待つ中庭に向かって駆け出す。

「ああ……気にしなくていいんだよ」

 シャルナにグラスを渡した男は笑わない視線で微笑んだ。



「カル様!」

 遅いなと思いつつシャルナを待っていたカルは、その声の主に視線を向けた。

「っ!」

 出て行くときは綺麗だったシャルナのドレスが所々破け、見るも無残な有様。彼女の腕にははっきりとあざまで作っている。

「何が、あった?」

 奥歯をかみ締め、怒りをかみ殺したカルに、シャルナは笑って首を振った。

「いえ、私ったらドジで転んでしまったのです」

 差し出されるグラスを受け取るカルは、なぜ彼女が笑っていられるのかわからなかった。

「どこの誰だかは知らぬが、卑劣なことだ!」

「お優しいんですね……カル様」

 微笑むシャルナに、カルはルクの面影を重ねる。

 ──カル、約束してくれる?

 胸の奥の傷口から、流れ出すのはどろりとした何かだった。

「私はそんなに、頼りないか?」

 シャルナの腕を引き寄せるカル。

「い、いえ……そんなことはっ!」

 あわてて首を振るシャルナ。カルとのあまりの近さに、彼女は頭の中が真っ白だった。カルの空虚な瞳が追いかけたのはシャルナではなくルク。

「あ、あの、お飲み物……冷たいうちに」

「ん、あぁ」

 自身が何をしていたのか、シャルナの声にわれに返るとカルは、思いもよらない距離の近さに一歩距離を置いてグラスを飲む。

「あの、今日はありがとうございました。一生の思い出にさせていただきます」

 本来なら口を利くのもはばられるようなカルとシャルナの地位の壁。それを思ってシャルナは、双眸からあふれ出しそうな涙を必死に堪えた。

「気が向けばいつでも、会いに来たらいい。スカルディアの敷居はそこまで高いもの、でも、なかろう……」

「いえ、そういうわけには……カル様……?」

「くっ……これは」

 苦しみだすカルに、シャルナはとっさに反応できなかった。

「カルさまっ!?」

 ラストゥーヌの夜の闇に、カル・スカルディアは倒れた。

「誰か、誰か助けて!」

 少女の悲鳴に、舞踏会場は騒然となる。柔らかな音楽を引き裂く悲鳴に、全員の視線が集まる。そこにはボロボロになったドレスをまとったシャルナの姿。

「カル様がっ!」

 その言葉にいち早く反応を示したのはテクニア。少女に駆け寄り、その肩を揺らす。

「カル様がどうしたのだ!? いずこにおわす!?」

 思いのほか強い力でつかまれ、シャルナは思わず引きつる。

「中庭のっ、カル様が……」

 泣き崩れるシャルナをその場において、テクニアは中庭へ向かう。ざわりと騒ぐ場内で、ティザルは爆発しそうな笑みをかみ殺していた。

「バトゥ殿、何か起こったようだ。主催者として、迅速な処置を頼む」

「はっ……ティザル殿」

 もはや二人の間には暦とした壁がある。

「家宰、見てまいれ。侍従長、医者を……楽士隊は演奏を──」

「医者は! 医者はいないかっ!?」

 指示を下すバトゥの声をさえぎったのは、息も絶え絶えに絶叫するテクニアの声。

「何が起こった? 酔いつぶれて池にでも落ちたか?」

 鼻で笑うバトゥを睨みつけ、テクニアが叫ぶ。

「医者はどこだ!?」

「今よびに行かせておる。急くな若造め」

 バトゥはこの舞踏会の後引退が決まっている。気楽といえば気楽な立場だった。比べてテクニアは顔を蒼白にし、息も荒い。

「っく、とにかく医者だ!」

 侍従長などを叱りつけ、自身はカルのそばにいるため中庭へ向かう。

「お前も一緒に来てもらおう」

 泣き崩れるシャルナを強引に立たせて、引きずっていくテクニアの姿に、会場の者は全員困惑した顔を見合わせた。




「それで、カルは確かに死んだのだな」

 ラストゥーヌの屋敷の尖塔。十貴族を集めた会議が開かれ、その場には医師とヘリオンも同席していた。

「はっ……息をしておりませんでした」

「遺体はいずこに?」

「西の館に移しております。テクニア様とウェンディ様が見守っておいでです」

 急遽舞踏会は中止となり、十貴族主導の下参加者全員を監視下においていた。バトゥはその監視のため席をはずしている。

「して、死因は……」

「毒でございましょうな」

 そうか、と呟いたきりティザルは沈黙する。

「では私はこれで……」

 その席をはずす医師。

「さて、十貴族の一角たるスカルディアの当主が毒殺されたとは、嘆かわしいことだ」

「ですが、あの小僧いなくなって良かったのでは?」

「その通り……何かと鼻持ちならない小僧でしたからな」

「ククク、諸君。せめて死者の為に一晩ぐらいは慎みたまえ」

 かみ殺した笑いに。

「おお、そうでしたな今は亡きカル・スカルディアの冥福を祈って。はっはっは!」

 嘲笑の中の祈り。

「ヘリオン。酒を持て、カルの冥福を祈って乾杯をしようではないか」

「御意」

 部屋から消えていくヘリオンの背に聞かせるように、十貴族の話は際限がない。

「スカルディア家の裏切り者がもっともよく働いてくれたな」

「いや、まったく……ティザル様のご人徳にはかないませんなぁ」

「お酒をお持ちいたしました」

 背徳の酒宴は、その熱を上げていく。




終わらなかった……。

自分の非才を嘆きつつ、次こそ、終わる……いや終わらせます。

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