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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦526年 魔女の系譜3章
6/103

牙を剥く黒蛇2


 馬車は、さる貴族の屋敷の傍に止められていた。

 屋敷の中には、花咲く庭園。その庭を抜けて、一人の少女が蔦の絡みついた門から出て行くところだった。

 赤い髪の少女。


「ジンにぃ、あれ〜」


「……敵、だ」


「何の話です?」


「お前ら、引っ込んでろ」


 幌の隙間から顔を覗かせる三人を、押し込み、ジンは屋敷を眺めた。


「アトリウス・ツラドか」


 御者台に座り、馬車を動かす。

 がさがさ、と音がして、御者台にサイシャが登ってくる。


「……ジン兄、誰か、来てる」


 体を寄せ、小さく囁く様な声に、ジンは黙って頷いた。

 徐々に馬の速度を調整しつつ、でたらめに角を二度曲がる。そして幅の広い道に出た瞬間、ジンは馬に鞭をくれた。


「ルカンド、代われ」


 幌の隙間から顔を出していた、ルカンドを引きずり出して御者台に座らせ、手綱を握らせる。


「次の角を、右だ」


 必死に頷くルカンド。


「サイシャ、ルカンドと行け」


 不満げな視線を無視して、ケイフゥに声をかける。


「いくぞ」


 至極落ち着いた声音。


「ひょい!」


 右に曲がった馬車から、ジンとケイフゥは飛び降りる。

 旅装のローブが風になびく。ジンとケイフゥはそのまま歩き出した。追ってくる者を誘うように、細い路地に入り込む。

 二つ三つ、角を曲がり、さらに薄暗い路地へ入る。

 煉瓦作りの家々に囲まれた路地は、足元に薄らと冷気を感じさせるほどに冷えていた。鬱積したような闇が視界を、思考を暗いほうへ押しやる。人通りなど既に絶えて久しい中、ジンは冷たい煉瓦の壁に手をついてケイフゥに声をかけた。


「やるか」


 気配を探れば未だに誰かが追ってきている。周囲にいるのは、自分たちと追跡者の気配のみ。


「どばぁだね〜」


 要領を得ないケイフゥの言葉にジンは苦笑する。

 念のため、角を曲がったところでジンとケイフゥは仕掛けた。

 敢えて道の真ん中、見えやすい位置にケイフゥは立ち止まる。にへらぁ、と緊張感のない笑みを顔に浮かべ追ってきた人を確認する。


「な、お前……」


「ねえ、おじさんたち、何か用?」


 無邪気なまでの問いに、追跡してきた三人の方が驚き動きを止める。


「これで全員か?」


 後ろから響いた氷の様な声に、先頭の男が振り返った途端、彼の視界は仲間の首から吹き上がった血飛沫で遮られた。


「ねえ、おじさん」


 何かが倒れる音に振り返れば変わらぬ笑顔でケイフゥが問いかけてた。既に足元には、一人転がっている。


「何の用?」


 追っていた男は、反射的に後ろに下がろうとし服の布越しに刃を感じて踏みとどまった。


「言え」


 拒否を許さないジンの声に、震えながら追跡者は口を開いた。


「貴様らが、屋敷を嗅ぎ回っていたから、調べただけだ。他に大意はない」


「そうか」


 どちらでもいいと思いながら、突き出そうとしたジンの刃を止めたのは、視界に入った一人の男だった。

 短い黒髪に、所々白いものが混じり始めた中年の男。その体躯は大きく、人好きのする笑顔。

 だが、ジンには一目見てその男の危険さがわかってしまった。

 そして何より、ジンはその男が近づいてくるのさえ感じられなかったのに驚愕していた。

 あの笑顔の奥にしまっているのは、恐ろしく凶暴な素顔。腰には黒塗りの鞘に収めた、東方伝来の刀。着崩すように、着物を纏い、左手には酒の入っている瓢箪。


「ありゃ、コイツぁ大変だな」


 偶然居合わせたかのように、その男は白々しく口を開く。


「退くぞ」


「え?」


 ケイフゥの疑問を視線で黙らせる。追跡してきた男を放置して、じりっ、と後退りする。


「行け」


 追跡者にも聞こえぬよう、ケイフゥに小声で囁く。そうしてケイフゥを逃がしておいて、改めてジンは目の前の男を見た。

 もはや追跡者は二の次だ。


「そんなに警戒するなよ、兄ちゃん。取って喰いやしねえよ」


 沈黙を守るジンに、男が不敵に笑う。


「兄ちゃん、他所もんだろう? 俺ぁ親切だから忠告してやろうと思ってねぇ」


 モルトから受け取った小太刀を、構えて男を観察する。


 ──殺せるか、否か。


 重要なのはそれだけだった。


「そこに転がってやがるのは、オウカって野郎の手下どもだよ。知ってるか? この街の半分の支配者さ」


 目の前の警戒を緩めず、ぎろり、と立っている男に視線だけを一瞬向ける。


「命が惜しいなら、さっさとこの街から出ることだ」


 今夜の夕食を聞くような、他愛のなさで男は言った。


「あぁ、それとなそこの男は置いていってもらいたいんだが、嫌だとは言わないよな?」


 念のため、ジンは追跡者の男たちを襲うとき、互いの名前を呼ばなかった。フードも被ったままだ。目の前の男が、その気にならない限り追ってくる手段はないだろう。


「わかった」


 短く言葉を切ってジンは背を向けた。背中に最大限精神を集中させ、追跡者と邪魔をした男の動きを見逃すまいと歩いていく。結局、ジンを追うような仕草はどちらにも感じられず、殺戮の路地裏からジンは抜け出してケイフゥと合流した。




「……撒いた」


 御者台の端に座り、なるべく距離をとりながらサイシャは口を開いた。

 徐々に馬の速度を落とし、ルカンドは人通りの多い場所へと向かわせながら、ルカンドは疑問を口にする。


「それは良かったけど、なんでそんな端に?」


「……役立たずが、移る」


 仄暗い湖面のような視線を、前に向けたままそっけなくサイシャは言って捨てた。一方のルカンドは、その程度で顔色を変えたりはしない。


「相変わらずだね、本当に」


 ため息一つと交換に、不快な気分を追い出した。


「とりあえず、ジンさん達と合流しなきゃいけないけど、何か聞いてる?」


 蛇が獲物を絞め殺すような、粘りつくような視線をサイシャはルカンドに向け、また前を向く。


「……何も」


 無造作に伸ばされた黒髪、首から足元までを覆う身体の凹凸を隠すような黒い服が、風を受けて揺れるのが、ルカンドの視線に入る。一年近くも離れていたのだが、サイシャは女らしさが出てきている。顔にも、身体の線にしても、ルカンドにはそれが、少し気恥ずかしかった。


「……戻る、か」


「あのお屋敷に?」


 黙って頷くサイシャに、ルカンドは否定の言葉を吐き出す。


「危険すぎるよ、それにジンさん達だってあそこには行かないと思う」


 サイシャの眉間に皺が寄る。


「……探す」


「馬車で走り回って行き違いになるのが怖いよ。ここはガドリアじゃないんだから」


 眉間の皺が深くなる。不機嫌の度合いが釣上がっているのを感じ、ルカンドは身の危険を感じ始めた。サイシャは、一切の手加減というものを知らない。毒、罠、不意打ちそれらを駆使して、倒すと決めたものを追い詰めていく。一切の情を感じさせないその姿は、二年間を一緒に過ごしたルカンドにさえ、恐怖だった。

 黙りこむサイシャをそのままに、ルカンドは考えを巡らせる。ジンならどうするだろう、と。


「広場の方に行って、ジンさん達を待とう」


 怪訝な視線を向けるサイシャ。その視線の中に、疑問以外の殺意とか敵意とか、良くないものが感じられたのは、果たしてルカンドの思い過ごしだっただろうか。

 ルカンドは背中に冷たい汗を感じながら、広場に向かって馬車を走らせた。

 柔らかな日差しが、湧き上がる噴水の水に当り煌く。屈強な男たちが器を担ぎ上げた彫像。その上から吹き上がる噴水は広場の中央にあり、石の敷き詰められた舗装された広い道の脇には、露天で物を売る人々がひしめいている。貴族の邸宅街が立ち並ぶ町の北部と、平民の住宅が密集している街の南部。その境界に、この広場があった。

 馬車を脇に寄せて、御者台の上でぼんやりと、流れていく人を眺めていたルカンドに、サイシャの視線が突き刺さる。


「……おい」


「なに? ジンさん達ならまだ時間がかかると思うよ」


 恐らく、追っ手と戦って始末するつもりなのだろう。ここは街中だ。荒地のように、死体を捨てておけば獣が始末してくれるわけもない。それを考慮に入れれば、もう少し待つべきだろう。

 だがサイシャは、それを考えに入れてないらしい。いや、入れていたとしても気にしないのだろうか。非難めいた視線を、遠慮なくルカンドに向ける。サイシャの不機嫌が徐々に熱を帯びていくのを感じながら、ルカンドは一刻も早くジンが来ることを願っていた。


「貴様ら、ここで何をしている?」


 鉄と鉄の擦れる鉄の音と、共に聞こえたのはそんな声だった。

 来るには来た、飛んで火にいる夏の虫が。

 御者台から、見下ろせば鉄色の鎧を纏った見回りの騎士達の姿がある。手には鋼鉄製の槍を携え、厳しい顔からは不振の色が滲み出ていた。

 咄嗟にルカンドが視線を向けたのはサイシャ。不機嫌に引き結ばれていた口元が、三日月形に開いてく。

 ルカンドは、御者台から立ち上がろうとするサイシャの腰にしがみ付く。

 ぶつかる視線。

 憂さ晴らしの相手が来たと、喜ぶサイシャの視線は攻撃的に笑う。

 普段なら、引き下がるはずのルカンドは、サイシャの視線を受け止めて退かなかった。

 しばらくお互いに無言で睨み合うが、腰を下ろしたのはサイシャだった。


「何をしているかと、聞いておる!」


 ルカンドは、ため息をつくと不機嫌さを心の奥底に隠し、笑顔を騎士に向けた。

 それからのルカンドの弁舌は、聞いてるサイシャの方が圧倒されてしまうぐらいのものだった。

 曰く、彼らはガドリアから来た大きな鍛冶屋の見習いである。店を出そうと物件を見回る途中で疲れて休んでいた途中で、サイシャは彼の妹であると。流れるようなその説明に、騎士達の不信の色は次第になくなり、精神を病んだ妹の話となれば、同情の視線すら向けてくれた。

 最終的に、肩を叩いて励まされ彼らは騎士の詰問から解放されたのだった。


「やれやれ」


 息をついたルカンドに、サイシャが声をかけた。


「……嘘つき」


 ルカンドは晴れ渡る青空を仰ぎ見て、盛大にため息をついた。

 文句の一つでも言ってやろうと、隣のサイシャに顔を向ければ、なぜか彼女はルカンドに寄り添うように座っている。ルカンドの無言の疑問に答えるようにぶっきらぼうにサイシャは言い捨てた。


「……妹、だろ」


 騎士に説明するときに、精神的に病んだ妹だとサイシャの事を説明したのだ。


「まぁ、そうだけど……」


 急に彼女の身体の感触が蘇って来て、ルカンドは頬を染めた。

 結局ジン達と合流できたのは、そのすぐ後だった。



温暖なロクサーヌの気候はガドリアを中心とする荒地とは天地ほども違います。

緑の芽吹き花々は咲き乱れ、豊富な食料を生み出せる土地。

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