謀略の使徒20
ミザーク邸。
フィクス・ミザークが当主を務めるミザーク一門は、十貴族の中ではあまり強い力を持つ家ではない。何かしら特別歴史に関与する人物が輩出したわけではなく、古き血筋を誇ると言う事以外は、特徴の無い家だった。
ただ、その立地条件が故に幾度も社交界の場にはなっていた。十貴族に相応しい舞踏会場を備えた贅沢な邸宅。床には色とりどりの石材を惜しみなく使い、壁に描かれるのは瑠璃をはじめとした宝玉を散りばめた壁画。天井の高さは、優に大人が五人立てに並んでも足りない。その天上から吊り下げられるのは、黄金の燭台を備えた硝子夜灯。
二階席には、貴賓客をもてなす為のテーブルが並び、舞踏会の会場に咲き誇るであろう花々を鑑賞するのに申し分はない。他の国の王侯貴族に引けを取ることは決してない豪華さを備えたミザーク邸。
大貴族としては平凡な──と言っても他の貴族からすれば十分に豪勢な作りをしているが、ミザーク邸はロクサーヌ北側のほぼ中央に位置する。東にラストゥーヌ・ケミリオらの邸宅が並び立ち、西側にはスカルディア、ヘルシオらの邸宅がある。
地理的な意味合いからも、ここで和平の為の会議が開かれることは公平だった。
ただ、素直に和平の為の会議と言っても対面上はよろしくない。和平の為の会議と言うならば、どちらかが負けで、どちらかが勝ちなのか決着をつけねばならない。だが、そんなことをすれば負けとされた方は死に物狂いの抵抗に出るだろう。
一度敗者の地位に堕ちたならば、その一門の力は著しく落ちる。頼るに値せぬと見限られて衰退した大貴族は決して少なくは無い。
今スカルディア家が一門を挙げて抵抗をすれば、国を割った争いになる。スカルディア家との和平に渋りを見せるバトゥやティザルを説得したのはウェンディだった。現に隣国ポーレでは傭兵を雇い入れる動きが見られるということだった。
そこで舞踏会ということになる。
勝ち負けを誤魔化しつつ、どちらの陣営にも角が立たぬように手を差し伸べる。ただし、扱いの差はつけて。
国中の耳目を集める舞踏会で、鼻持ちならないスカルディア家の小僧に、恥をかかせてやれる。その提案に、ティザルとバトゥは残酷な笑みを浮かべながら頷いた。
大貴族ともなれば、戦場は遠い場所となる。自ら槍を取り、戦場を駆け巡るカルの方が異端なのであって、他の十貴族ともなればその活動範囲はロクサーヌの中。それも貴族同士の社交界の中にまで、限定されていくのが常だった。
戦場へ向うのは、武功を狙う中小の貴族。大貴族はその上に君臨してさえ居ればその地位は保たれる。故にその社交界の最たる場である、舞踏会での扱いの軽重は、そのまま大貴族の世界での序列となって現れてくる。
そこでスカルディアのカルに与える屈辱を想像し、バトゥとティザルはこの上もなく上機嫌になっていた。
大貴族が主催する舞踏会。
普段ならこぞってロクサーヌ中の貴族が出席するその催しに、だが今回の出席者は限られた者だけになった。当然と言えば当然で、ジェルノ家の派閥の貴族は、先の騒乱の痛手から出席できず、スカルディア家の者達は市内各地で息を潜めていた。
もし仮に、スカルディアの若き当主が害されることになるならば、一斉に蜂起しようと固唾を呑んで見守っている。
最後まで自らの手勢を見捨てなかったスカルディア家の若き当主。戦後カル自身が訝しむほどの早さでその噂は、人づてに伝わっていった。スカルディアを慕う貴族達はもちろんのこと、次の寄るべき大樹を求めるジェルノ家よりの貴族達。そして南側の平民達までもが、カル・スカルディアと十貴族達の会議を固唾を呑んで見守っていた。
貴賓席に居並ぶのは、バトゥ・ラストゥーヌ、フィクス・ミザーク、そして息子のテクニア。
「ティザル殿はまだ、いらっしゃらないのか」
主催者であるフィクスは、すでに万端整った会場を見下ろし視線をバトゥに向ける。
「ティザルは、今頃ヘルシオ家の未亡人と密談だろう」
不快げに鼻を鳴らし、貴賓席から舞踏会場を見下ろす。不機嫌なバトゥに、フィクスは機嫌を取ろうと話題を探し、思い当たって柔和な笑みを浮かべながらバトゥに笑いかけた。
「いや、しかしこの度の戦いではラストゥーヌの家宰殿のお働きは、誠にお見事でございましたなぁ……どの家でもかの御仁のご采配の見事さを誉めそやすばかり。さぞ主であるバトゥ殿も鼻が高いことでありましょう」
戦場の悪鬼となったカル・スカルディアを止めた勇猛果敢さ。十貴族の中では、ラストゥーヌの武未だ健在を証明する出来事だった。当然、主であるバトゥも鼻高々だろうと話題を振ったフィクスに、バトゥ
の厳しい視線が突き刺さる。
「ふん、あのような不調法者、ほしければいつでも差し上げますが」
その硬い口調に、触れてはいけない話題だったかとフィクスが後悔し始める。だが、自分が振った話題でもあり、自ら黙り込むこともできない。
「いやいや、ご謙遜を。それとも、自信の現れですかな? どちらにしても素晴らしい、流石はラストゥーヌ。武門を誇る家は違いますなぁ」
「して、その家宰殿はいずこに?」
折角この話題を打ち切ったと思ったフィクスの思惑を横から、テクニアがそれをぶち壊す。その視線はどこか挑戦的で、瞳には怒りにも似た激しさがある。
「主たる俺が、同行を命じたにも拘らず怪我だのなんだの、下らぬことを抜かしたからその任を解いてやったわ! ハッ! 清々した」
傲然と言い放つバトゥに、テクニアはわずかに口の端を歪めて哂った。
「私でさえ、停戦を申し渡すときは口が腐る思いだったのです。実際に戦った者達の気持ちを思えば、仕方のないことでしょうな」
「なにぃ? 貴様、ミザークの若造は礼儀を心得ぬと見えるな」
「テクニア! 失礼であろう」
たしなめる父と怒りを露わにするバトゥに、軽く一礼するとテクニアはその席から立ち上がる。
「お許しください。バトゥ殿、息子はこの度の貴家の活躍に嫉妬しておるのです」
背を向けるテクニアに、バトゥの嘲笑が聞こえた。
「そうであろうよ。ミザークなどは、我らが使いっぱしりをして居ればよいのだ! それでこそ、生き残ることができた家であろう」
追従もできず、小さくなる父を横目にテクニアは歩き去る。
「功ある家臣を捨てるラストゥーヌと、家臣を最後まで迎えるスカルディア……結果は自ずとわかろうものだ。バトゥ……貴様の命も長くはないぞ」
誰にも聞こえないように呟いて、テクニアは貴賓席を降りる。
そろそろスカルディアの当主が来る時間だった。
誰か、それ相応の者が迎えねばなるまい。
家を守るため、若きミザーク家の息子は玄関へ向かった。
「ロクサーヌは、これで俺のものだ」
耳元でささやく男の声に、ウェンディは艶然と微笑んだ。
──そう、そして私のもの、と。
「この後の舞踏会で、正式にヘルシオ家を十貴族に戻そう……スカルディア家の扱いは十貴族の中でもっとも低き地位にまで落とす。あの小僧の屈辱にゆがむ顔が見れると思えば、中々楽しい趣向ではないか」
低い笑いを漏らすティザルの口を、ウェンディの唇が塞ぐ。
離れた口から、粘り気のある糸が線を引く、それを挑発的な笑みで確認すると、ウェンディはティザルの耳元で淫魔の如く囁いた。
「忘れないでね、ティザル」
「忘れるものか……屈辱にゆがむあの小僧を、兵も与えずポーレとの戦線に送ろう。そして次はヘェルキオスの葬儀……それが済めば、結婚しようウェンディ」
「ふふ、ありがとう」
その細い肩をがっしりと抱きしめ、再びティザルはウェンディの唇を求める。それに応えず、ウェンディはティザルの胸元によりかかった。
硬質な扉をたたく音。
それに舌打ちして、ティザルは扉に声をかけた。
「カル・スカルディア様ご到着です」
「来たか」
瞳に宿るのは嗜虐の色。扉をにらむティザルの様子に、ウェンディは気付かれぬよう哂った。