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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦527年 覇を統べる王4章
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謀略の使徒19



 夜の空には青白い満月が浮かび、風に流された雲が丸い月に薄く膜をかけていた。

 一応の決着を見たスカルディア家との闘争の後、ラストゥーヌの家宰は独り夜風に当たっていた。

 見上げる空に、受けた傷が痛む。

「ラストゥーヌの命運も尽きたか……」

 今一思いに、スカルディア家を潰してしまわなくて、どうしてこの街の支配がなし得ようか。確かに、今ラストゥーヌとケミリオは実権を握っている。

 だが、それとて明日は分からないのだ。

 伝え聞く所に寄れば、スカルディアの若い当主は最後まで帰還する兵のために、自身の居場所がばれるのも構わず、紋章旗を掲げていたそうだ。

 例え敗れたと言えども、そのような当主が今後脅威にならないわけがない。そして今度彼が立ち上がることがあれば、いかなる者が止められるのか。

 未だ十代の少年が、今後勢いを得てどれほど強大になるのか、想像もできない。

「いや、もはや詮無いことか」

 せめて、自身の後に続くラストゥーヌの若人達の武運を祈らずには居られない。

「懐かしい戦の匂いに誘われて出てきてみれば、懐かしい顔に出会っちまったな?」

 突然の声に、家宰はその声の主を振り返えり、そして驚愕に目を見開いた。

「よぉ、久しぶりだな」

 軽く手を上げた相手は、着流し姿に腰には大刀。手には酒の入った瓢箪を持っている。大柄な体躯に、人好きのする笑顔──。

 だが家宰の記憶に蘇るのは、千の味方を率いて万の敵に挑む勇者の姿だった。黒塗りの鎧姿、黒き旗を掲げた王の軍勢。常にその先陣を切る古今無双の勇者。

「ベイシュ……」

 喉から漏れた声は掠れていた。

 見間違うはずも無い、かつてともに戦場を駆け抜け、同じ夢を見た戦友──。

「生きて、いたのか」

「多少、老けちまったがな……ロメリアもヒュラドも生きてるぜ」

 そう言ってガシガシと短い黒髪を掻く。

「“閃光”に“魔弾”懐かしい名前だな」

 銀色の長い髪を靡かせて細剣を振るう閃光のロメリア。どんな敵でも射抜いて見せた魔弾のヒュラド。背を預け、戦った友の名に家宰の頬が綻ぶ。

 兇王と呼ばれたかつての王に仕えた黒旗軍、その最精鋭で固められた近衛軍『王の剣』忘れたくとも忘れえぬ懐かしき若き時代だった。

 技を競い合い、酒を飲み交わし、同じ人を主と仰いだ。

 ラストゥーヌの家宰となってからは、無意識に封じ込めていた泣きたくなる様な郷愁の思いに、ふと家宰は月を仰ぎ見る。

 風に雲を洗い流した月が煌々と、懐かしき日々を照らしているようだった。

「15年か……」

 主と仰いだヴェルが、その遠征途上で死して後、黒旗軍は解体された。

「老いたのは私も変わらぬ……王を殺した謀反人の一族を、討ち損じてしまった。昔なら考えられない失態だな」

「ヘェルキオスの息子か」

 言いようの無い沈黙に、家宰が話題を変える。

「それで、今までどうしていた? お前ほどの腕ならここでなくとも、引き手あまただろうに?」

「……待ってんのさ」

 未だ燃え尽きぬ男が口にしたのは、過去ではなく今──そして未来だった。不敵に口の端を歪ませて、ベイシュは笑った。その笑みは、過去からの亡霊が笑ったような気がして、家宰は背筋に冷たいものが走る。

「何を?」

 だが、問わないわけにはいかなかった。

 道の途中でくじけてしまった自分とは違って、目の前の男にはまだ燃え尽きない炎を見たからだ。

「再び俺達の黒旗を掲げる日が訪れるのをな」

 その言葉に、家宰の背を雷が走り抜ける。

「まさか、ヴェル様は生きているのか!?」

 その問いに、ベイシュは首を振る。

「いいや、だが俺達が主と仰ぐ御方はまだ残っている」

 苦い者を噛み潰すような表情で、ベイシュは家宰を見た。

「……姫様が? だが彼女らは王妃様と共に行方知れずに……それにどうやってそれを証明する?」

「証明? 必要ねえさ、お前もあの姿を一度でも見れば思い知る。俺達の仰ぐ旗は、まだ変わらずにあるってことをな」

 ベイシュが酒の入った瓢箪を捨て去り、家宰に手を差し出す。

「一緒に来い。黒旗を立てて俺達の夢見た国(ロクサーヌ)を取り戻す! もう一度、夢を見ようじゃねえか、『王の剣』勇士ラクシュ──」

「もう、その名は私の名ではない! 私はラストゥーヌの家宰だ!」

 遠くに離れてしまった過去を振り払うかのように、家宰は語気を強めた。

 ベイシュの姿は家宰にとって亡霊でしかない。懐かしく胸を締め付けるその思いと共に、葬り去られるべき過去だ。

「王は死に、『王の剣』は解体した。俺達は負けたんだ!」

 家宰の仮面の奥から、僅かに覗く勇士の素顔。

「いいや、負けてねえ! 俺達の黒旗軍は……俺はまだ生きているっ!」

 鬼気迫るベイシュの表情に、家宰は力なく首を振った。

 自嘲に口元を歪ませ、家宰は泣き出しそうな双眸でベイシュを見た。

「もう一度言う。一緒に来い! “勇士”ラクシュ・ラスティア!」

「……許せ、“戦鬼”ベイシュ・ライラック。老いさらばえた今の私には守るべき者がある」

 封印し過去に打ち捨てた栄光の名。僅かに胸の鼓動が早まるその名に、家宰は深く、深く項垂れた。

“ラスティア”の名も勇士の誉れも、過ぎ去ってしまった過去に過ぎない。

 ベイシュが差し出した手を、家宰が握ることはついに無かった。




 スカルディアと十貴族派の戦いに一応の決着を見てから、3日。

 スカルディア私兵は事実上解散させられたと言っていい。重傷者を除く私兵は、領地に帰され、僅かにカル自身の従える兵は二十人にも満たない。

 そのような中、十名ほどの護衛の騎士と私兵を従えたカルは、臨時の行政府となっているミザーク邸へ向っていた。品よく仕立てられた馬車に揺られ、深く目を瞑っている。傍らに控えるヘリオンも同じような姿勢だったが、ヘリオンは忙しなく書類に目を通している。

「シュセ殿からの書状が来ていた」

 最も信頼する騎士の名前に、カルは瞑っていた目を見開く。

「やはり、ポーレに動きがあるらしい」

「エルシドは止められそうか?」

 ほんの少しその口調に滲む心配。

「やるだろう、あの男は」

 それをヘリオンは一蹴した。

「よくも、そこまで他人を信頼できるものだ」

 美しく整った口元を歪ませて笑うカル。

「それはお前があの男を知らぬからだ」

 ヘリオンは皮肉を受け流し、剃刀色の瞳で次の書類に目を通す。

「……いつまで拗ねている? 女が拗ねるのは可愛げがあるが、男が拗ねても無様なだけだぞ」

 書類から目を放さずに、ヘリオンは問いかける。

「拗ねてなどいない。不愉快なだけだ」

 怒りを滲ませる口調に、小さくヘリオンはため息をついた。

「だが、奴らに頭を下げねば……」

「分かっている。人が死ぬのだろう? 守るべき民を死なせるなど、家名の名折れだ」

 言って尚、眉間に皺を刻むカル。

「分かっていると思うが──」

 ヘリオンが言いかけたとき、馬車が目的の場所にまで着いた。慌しく御者が駆け寄り、扉を開ける。

「分かっている。こんな下らぬ舞踏会でも、出ねばならぬのだろう?」

 煌びやかな衣装を翻し、カルは馬車を勢いよく飛び降りた。




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