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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦527年 覇を統べる王4章
55/103

謀略の使徒18

 冒頭から多少グロイ表現があります。気になる人は、心の準備をしてからお願いします。ついでに、いつもより多少長めでございます。




 振るった槍の穂先が鎧の隙間を貫く。肉を貫く感触とともに、肉の隙間から溢れ出る赤い血。ワインにも似た赤黒い液体が、一瞬だけ勢いよく噴出し、そしてドロリと流れ出る。

「ぐぅあぁ……」

 意味を成さない音が、私兵の口から漏れる。喉を貫いた穂先をそのまま横に振りぬき、傭兵が振り上げた腕ごと切断した。

「……あがぁああ!!」

 薄皮一枚を残して、私兵の首は転げ落ちた。一拍の余韻をもって腕を失った傭兵は絶叫とともにうずくまる。その傭兵を蹴り飛ばし、石畳の上を転げ、泣き叫ぶその傭兵の顔を鉄靴で思い切り踏み抜いた。

 ぐちゃりと、踏み潰される肉の音。

 わずか痙攣した後、弛緩した肉の塊は動きを止めた。それを一瞥している間に、次の敵が眼前に迫っていた。

 短い気合とともに、右に振りぬいた槍を手元に戻す。三叉に別れた穂先が、血糊を振るい落としながら手元に戻る。敵の振り下ろした剣を押し込み、一気に胴体に食い込む。

 肉に食い込む鋭利な穂先。磨きぬかれた銀色の切っ先が、傷口を抉り、腸を食いちぎり血と共にそれを外気のなかに引きずり出した。崩れ落ちる前にさらに一撃。腸の残骸を振り落とすために、喉首を一閃。盛大に噴出した血潮、穂先の残骸は振るった拍子に路端に打ち捨てられていた。

 白磁の頬にかかる返り血を、不快げに拭ってカルは槍を落ちた首につきたてた。

 右腕に宿る刻印から際限なく湧き出る力。ともすれば脳を焼き、思考すらも許されなくなるような力の奔流を感じる。力は洪水のように全てを押し流す快楽の波だった。

 火山から次々と湧き出る溶岩に似た熱い力。体の隅々まで行き渡る力に、カルは自身でも意識せずに薄く笑った。

「続けっ! 賊を討ち滅ぼすぞ!」

 高々と掲げられる槍の穂先に、先ほど討ち取った傭兵の首を掲げ、カル・スカルディアは敵陣を駆ける。



「三の陣、止められません!」

 悲鳴にも似た伝令の声に、ラストゥーヌの家宰は苦く眉間に皺を刻む。

「ここまで強いか、スカルディアは!」

 天を仰いで短い嘆息をもらす。

 ロクサーヌの北東の大動脈、クエスブ通り。支道を二つ伴ったその大通りで、スカルディア家を誘い込み、数の有利を持って殲滅する。

 家宰の絵図通り、スカルディア家はその通りを猪のような勢いで猛進する。その前に罠を張り、立ちふさがったラストゥーヌ家宰率いる十貴族軍。スカルディア家の100人程度の兵力に対して、実に5倍。五百近い数を集めてこれを迎え撃った。

 道幅目いっぱい広がった四重の防御陣。余った人数は支道に配し、後方から襲い掛かるよう手はずを整えた。

 防御に比重を置いた重厚なる陣形。だがその陣が既に三陣までも破られている。

 理由はスカルディアの先陣の強力さだった。

 当主カル・スカルディアその人を先頭に怒涛の勢いを持って進軍してくるスカルディア私兵達。固めに固めた防御の陣が、薄紙を裂くように切り裂かれていく。

 疾風のごとき勢いに、支道に配した手勢を戦線に投入するも、後ろから追いつくはずの彼らですら、スカルディア私兵に追いつけないで居る。

 眉間に刻まれた皺そのままに、ラストゥーヌの家宰は一度後ろを振り返った。その先にあるのは、ラストゥーヌ、そしてケミリオの邸宅だ。もしもの時のために、下がらせておいた非戦闘員達。彼らの姿を思い浮かべ、奥歯をかみ締める。

 彼の命令ではないとしても、街を焼いたラストゥーヌ・ケミリオ連合軍。スカルディア私兵はそれらの邸宅をどうするかなど、火を見るより明らかだった。

 年端もいかぬ子供や戦えない女たち。

 彼らを守ることこそ、武人の誉れと信じて家宰は剣を磨いてきたのだ。

「止めねばならぬ。なんとしても……」

 搾り出すような家宰の言葉とともに、眼前の三陣が破れ、スカルディアの先陣が見えた。漆黒の鎧をまとい、手には三叉の大槍を振りかざす少年。ロクサーヌ随一の美貌と話題に上る(かんばせ)には返り血を浴び、薄い笑みを浮かべている。

 壮絶なまでに美しいその姿に、周囲は息を呑む。

 血を浴びた堕天使を連想させるカルを、家宰は睨み付けた。

 周囲に控えるのは、家宰自ら鍛えたラストゥーヌの精鋭達。ラストゥーヌ武門の血を受け継ぐ雄雄しき若人(わこうど)達だ。

「臆するな! 我らラストゥーヌ! 武門の血を受け継ぐものぞ!」

 雄たけびに似た家宰の声に、周囲の若者達は、改めて家宰を見る。その眼には宿るのは、強き意思の光。その一つ一つを確認するように見渡すと、家宰は長剣をカルに向けて掲げた。

「いざ!」

 周囲から沸き起こる鬨の声と共に、ラストゥーヌ家の精鋭とスカルディア私兵がぶつかった。




 背筋を凍らす剛直なる剣筋。一閃されるごとに、岩をも砕くような一撃がカルめがけて降り注ぐ。ラストゥーヌ家宰の剣さばきは、百戦を経て到達したと思えるほどに練られていた。

 振り下ろされる長剣に、体重の全てを乗せる重い一撃。鎧ごと相手を叩き潰す一撃がカルの鎧をかすめていく。

 対するカルの槍捌きも尋常なものではない。

 有り余る天稟。そして不断の努力の上に積み上げられてきた代物だ。

 家宰の剣が剛とするなら、カルの槍は柔。柔らかな槍捌きは、津波のように押し寄せる家宰の一撃を軽やかに避け、時折反撃に移る。

 鎧をまとっていないかのような軽やかな足運びから、空気を切り裂いて三叉の大槍が繰り出される。

 向かってくる三叉の槍を、下から救い上げるように弾くと、一歩踏み出してカルの頭上に振り下ろす。カルは弾かれると同時に後ろにステップを踏む。豪奢な金髪を数本絡め取って間近を通り過ぎる長剣が石畳に達しようかとした瞬間、弧を描いて長剣がカルの喉元に喰らい付いてくる。

 鎧の隙間、白磁のように白い喉首に長剣が食い込もうとした刹那、その長剣は弾かれ頭上にあった三叉の大槍の石突きに弾かれた。

 しかもただ弾くだけではない。石突きで弾いた勢いを利用して、家宰の長剣を絡め取ろうと、わずかなひねりを加える。

 あと少し長剣を引くタイミングが遅ければ、家宰は獲物を奪われていただろう。開いた距離に、再び穂先を下段にし、構えるカル。家宰も己の長剣を構えなおした。

 槍と剣との戦いは結局のところ間合いの戦いだ。

 懐に入り込まれれば、剣が有利。懐に入らせなければ槍が有利。極めて単純な構図の中に、人の武術と技の全てが詰まっているといっても良い。

 カルは間合いを遠く取り、刺し貫く構えをとる。対する家宰はその槍を掻い潜り、カルの間合いの内、懐の中で剣を振るいたい。いかにカルの天稟が凄まじいとはいえ、三叉の大槍で長剣の間合いで戦うとなれば負けるのは当然といえた。

 何しろ相手はラストゥーヌの武門を一手に背負う男だ。その気迫、剣筋、並みの使い手の比ではない。

 そして二人が対峙するのは、その間合いの境界線。後一歩進めば、カルは自身の懐に飛び込まれるのを覚悟せねばならない地点にまで追い詰められている。

 際限なく湧き出す力、体から溢れ出るその力は依然変わらず彼を満たし続ける。だが、それを上回ってなお、目の前に居る敵の気迫と業は凄まじい。

「どいてもらおう!」

 対峙した瞬間から激烈な打ち込みを続ける二人だが、決定的に有利な点が家宰にはある。

 言葉と同時にカルが動く。

 下段から体の中心を狙った刺突。限界に近い速度で繰り出される一撃は、だが家宰の剛剣に叩き落される。

「甘いっ!」

 気合一閃。

 踏み込む一歩は、石畳を割るのかと言うほどに強く早い。カルの槍を叩き落した長剣が、最短の距離をとってカルのわき腹を狙う。

「くっ……」

 今まで執拗に狙われていた喉から一転、喉を狙うと見せかけた剣先は鎧の隙間に入り込む。右のわき腹を狙った一撃にカルは体を捻って回避に専念する。繰り出した槍を手元に戻し、長剣を避けるように体をそらし、なんとか剣の軌道から己の体を守る。

「もらった!」

 だがその隙を、ラストゥーヌの家宰が見逃すはずもない。

 好機とばかりに、剣を手元に引き寄せカルの命を奪おうと一息に振りかぶり、振り下ろそうとする一瞬。

「うぉぉおおお!!」

 雄たけびと共に、唸りを上げて体を捻ったカルの三叉の大槍が逆袈裟から襲い掛かった。

 カルは体を捻り、体勢を崩したように見せかけて相手に背を向け、勢いを殺さぬままに体を回転させたのだ。体と同時に大槍を振りぬく。

 下段からの強襲に、咄嗟に家宰は前に踏み出した。長剣を盾に、自身体を浮かせて少しでも衝撃を緩和しようする。

 丸太でもぶつかったかのような衝撃と共に、家宰は石畳の上に放り出された。盾にした長剣は衝突した場所から砕け散り、脇腹には鋭い痛みが走っている。

 咄嗟に視線を転ずれば、軽い出血がある。

「くっ……」

 この程度で済んだなら僥倖というべきだろう。死を覚悟した一撃だった。折れた剣を杖に立ち上がろうとした家宰の目の前に、三叉の大槍が突きつけられた。

「勝負あったな」

 見上げる先には、肩で息をしている勝利者の姿。

「さて、どうかな」

 不敵に微笑む家宰に、止めを刺そうと大槍を振りかぶる。

 そのとき、スカルディア私兵の後方で喚声が沸き起こった。

 一瞬、気がそれるカル。

「まさかっ……」

 最も恐れていた事態。数の差を活かした包囲の危機に、カル自身ようやく思い至った。

「この勝負、我らが勝ちぞ!」

 間近で聞こえた声に、カルは咄嗟に後方に体をそらし、首を捻る。だがその肩口、鎧と鎧の隙間を縫って折れた長剣が食い込んだ。

「うっ……」

 短く苦悶の声をもらしたカルは、傷口を押さえ槍を片手で握りなおす。既に周囲では、後方からの喚声に不安のよぎるスカルディア私兵。そして対称的に勢いを取り戻すラストゥーヌ私兵。

「おのれっ!」

 憤怒の力をもって槍を構えれば、家宰も折れた剣をそのままに、構えを取る。家宰の後方からは勢いを取り戻したラストゥーヌ家の精鋭達が怒涛の勢いをもって、スカルディア私兵に襲い掛かって来ていた。

「殿下っ!」

 その対峙を終わらせたのは、カルの後方から駆けてきたクラフトの姿だった。

「お引きを! 後続が追いつかれました。このままでは包囲されます!」

 普段冷静沈着を旨とするこの男には珍しく、顔を紅潮させ興奮のままに捲くし立てる。

「……退路は前にあるっ! 続けクラフト!」

 尚、眼前の敵との戦いを望むカルに、忠実なる騎士はその返り血に濡れた鎧を掴んだ。

「なりませぬ! 今は御命が何よりも大事! ここはわれらが引き受けます!」

 言うなり、続いてきた私兵に命じてカルを拘束する。

「何をするっ!?」

 私兵三人がかりでカルを押さえ込み、支道へ続くわき道に向けて走らせる。

「生き延びてください! 貴方こそが我らが希望! カル・スカルディアこそが、われらが主! 平民と貴族の垣根を越える──」

 続く言葉は押し寄せる敵の怒声にかき消された。

「クラフト!」

 叫び伸ばした手は虚空を掴む。

「殿下、お急ぎを!」

 戦場に駆け戻らないように私兵に両脇を抱えられたカルは、砕けるほどに奥歯をかみ締めた。

「私は負けぬぞ!」

 引きずられるようにして、わき道を走るカルは蒼き天に向かって吼えた。




 手傷を負ったカルは、両軍がぶつかったクエスブ通りから南へ逃れた。ロクサーヌ市内にいくつか所有しているスカルディア家の別邸。そこを仮の陣として残った家臣と共に逃れた。

 平民街と貴族街を分ける中央広場、それに程近い別邸には先のぶつかり合いの後生き残った私兵が僅かながらも集まってきていた。

 カルが自身の身の危険を顧みずに、別邸の尖塔にスカルディアの紋章を掲げたからだ。遠くからでも見渡せるように巨大な旗に描かれた双つの蛇槍の旗は、黒煙たなびくロクサーヌの空に翻っていた。

「それで、幾人生き残った?」

「……残念ながら、戦えるものは30程度かと」

 肩の傷口に包帯を任せながら、傅く(かしずく)騎士に問いただす。

 クラフトは戻ってこなかった。

「そうか……」

 既に陽は落ちようとしている。玄関にはかがり火が焚かれ、戦支度も物々しい。

「僭越ながら……殿下、いっそのことロクサーヌを一時離れてはいかがでしょう?」

 領地に帰れば、スカルディアの私兵は未だに健在だった。

 それを踏まえての騎士の発言にカルは首を振った。

「確かに、上手くスカルディアの領地に戻り兵を連れて来ればあるいは、ロクサーヌを制圧できるかもしれん。だが、それでは再びこの街を焼くことになる」

 苦いものを飲み下すようにカルは口元を引き結ぶ。

「はっ……」

 納得がいかないのだろう。騎士は俯くと視線を落とした。

「では、──」

「申し上げます!」

 騎士が再び口を開こうとした時、その声をさえぎって私兵が慌てて部屋に飛び込んでくる。

「何事かっ!?」

 騎士の誰何に、私兵は一瞬直立不動になり、そしてカルと騎士を見比べて慌てて口を開いた。

「ヘリオン様がいらっしゃっております!」

「ヘリオンが?」

 疑問を口にするカル。

「ヘリオン殿がいらっしゃって何を慌てる! スカルディアの推官ともあろう方を知らぬわけではあるまい!」

 騎士の詰問交じりの声に、私兵は声を荒げた。

「ヘリオン殿が、和睦の軍使としていらっしゃったのです!」

「なにっ!?」

 怒鳴り声を上げる騎士と、僅かに眼を見開いたカル。

「それはどういうことだ!? なぜあの方が!」

「わかりません! わかりませんが本人がそう名乗られて!」

 私兵と騎士の言い争いに、終止符を打ったのはカルの静かな一言だった。

「通せ」

 ただ一言。その奥にある怒りを表に出さないように勤めて、静かにカルは声を発した。

 言い争いをしていた騎士と私兵はその一言に、ハッとする。

 恐ろしく静かな声音に、どれほどの怒りを押し殺しているのか、僅かに身震いして彼らは揃って頭を垂れた。

 豪華に設えられた椅子に座り、傷口には真新しい包帯を巻く。上半身は治療のために一糸もまとわぬ姿。鞭のように引き締まったその体躯の上から、豪華な長外套を羽織っているだけの姿でカルはヘリオンと対峙した。

「何のようだ?」

 静かな声音には恐ろしいほどの怒気が篭められている。睨み上げる視線は、敵を殺せるぐらいの敵意を込めたもの。気を抜けば右腕に刻まれた刻印に飲まれてしまいそうだった。

「来訪の理由は伝えたはずだが?」

 口の端を吊り上げて笑うヘリオンに、思わず手元にある槍に手が伸びそうになる。

「無用だ。私は負けぬ!」

「今の貴様に、最早十貴族は倒せぬ」

 美しく整ったカルの美貌が屈辱にゆがむ。冷酷なまでに事実を突きつけられ、それを飲み下さねばならない、自身の失敗を突きつけられるのは、これ以上ないほどの屈辱だった。

「子供ではないのだ。そのような我侭で私を失望させるな」

 ぎり、とかみ締めた奥歯が鳴る。だがヘリオンはそれに頓着しないように、周囲を見渡すと刃色の瞳を細めてカルを見下ろした。

「クラフトが居ないな」

「くっ……」

 クラフトの名前が出た途端、カルの怒りは羞恥のものに変わる。黙り込むカルを、冷たい表情で見下ろしたヘリオンは再び口を開いた。

「自分だけが、この国を救える。貴様のその思い上がりが家臣を殺したのだ」

 違えようのない事実。いくら反論したところで、死者は戻ってこない。

「……では、ではどうしろというのだ! 目の前で苦しむ民を見て、貴様はそれを見捨てよというのか!」

「そうだ」

 カルの叫びを、ヘリオンは一刀両断する。

「な、なんだと!?」

「未来により多くの幸せをもたらすため、犠牲とするものが必要になってくる。それがこの騒乱で犠牲になる民であり、そしてこれから先死ぬだろう貴様の家臣達だ」

 動揺するカルに、ヘリオンは詰め寄る。言葉という刃で、カルの心を切り刻むがごとくその言葉には容赦がない。

「貴様は国を作るといったな。だがそれは誰の血で作るものだ? 己の血ではあるまい、貴様に従う家臣達の血、貴様を信じた民の血、そして……あの白き騎士の血だ」

 シュセの名前が出た途端、カルは槍の穂先をヘリオンに突きつけていた。

「黙れ!」

 だがヘリオンは平然と言葉を続ける。

「なぜ恐れる? 貴様が選んだ道だ。貴様が軽々しく戦に訴えねば、クラフトは死ななかった!」

 それどころか、その言葉は槍を突きつけるカルを圧してすらいる。

「私は……間違ったのか?」

 力なく降ろされる穂先に、カルは俯いた。

「それは貴様の今後の行動次第だ。付き従う家臣を生かすも殺すも、ましてや国を、民を救うのもな」

 僅かに和らいだ口調に、カルは顔を上げた。




 一方、ラストゥーヌ家宰の元へ使者が遣わされたのは、彼が脇腹の治療をさせているときだった。完全に粉砕された脇腹は、歩くだけで悲鳴を上げる。脂汗を額に浮かべながら、彼は床机に座り軍勢をまとめることに苦心していた。

 手痛い傷を負うことになったが、あと一息。それでカル・スカルディアの息の根を止めることができるのだ。ラストゥーヌに仇為す敵を殲滅できる。

「数はいか程だ?」

「300はいけます!」

 士気も高い。緊張感の欠けていた前回と違い、それぞれの中級指揮官も皆、引き締まった顔をしていた。これならば、いくら精強をもって鳴るスカルディア私兵であろうと、恐れるに足りない。

 痛む体を引きずり、床机から立ち上がる。

「うむ、進軍の用意をさせよ! 我らが手でスカルディアを討ち取る──!」

「お待ちを!」

 だが家宰の指示を遮ったのは、馬で駆けつけた使者だった。

「なんだ貴様は!?」

 誰何の声に、丁寧に使者は腰を折る。

「私はこの度、軍使の役目を仰せつかったテクニア・ミザーク。父フィクスの名代として、更には十貴族を代表してここに来た」

 胸を張り声を張り上げる青年は、ラストゥーヌの家宰をまっすぐに見えすえた。

「……して、その軍使殿が何用か?」

 更に何かいいたそうな、周囲の声を遮って家宰は口を開いた。

「この度の、皆々様方のご活躍真に結構! 故に……」

 一瞬、伝える青年の表情が曇る。

「故に、この度の戦は、なにとぞここで切り上げてご帰還召されよ」

「なんだと、貴様!」

「何を言うか若造めが!」

 口の中に満ちる苦い物を、噛み砕くようにしてテクニアは無言を貫きラストゥーヌの家宰を見つめる。周囲から沸き起こる罵声を、その一身に受けて彼はそこに立っていた。

「それで、スカルディア家はどうされるおつもりか……?」

 いきり立つ一同を抑え、ラストゥーヌの家宰が質問する。

「スカルディアは武装を解除された後、十貴族の一員として迎え入れられる」

「貴様っ!」

 ラストゥーヌの若者が腰に佩いた剣に手を伸ばす。

「では、我らは何の為に戦ったのだ! 死んでいったディークトやキザグス達に、何と言えばいいのだ!」

 戦友の名を呼び、剣を引き抜こうとした若者を止めたのは、家宰だった。

「止めないでください! 家宰様!」

 涙に濡れる双眸で、若者は使者を睨む。

「ならぬ……」

 止めた家宰も、夜の闇が満ち始めた天を仰いだ。

「フィクス殿は……いずこにいらっしゃる?」

 眼を瞑り、家宰は使者に尋ねる。

「父は……」

 ぎりりと、口元を引き結び、それ以上彼は言葉を発せなくなってしまう。

「フィクス殿は、虜囚に落ちておる。それを為したのは我らではないか。それを思えば、使者殿を恨むなど、出来ようはずが無い」

 戦慄く(わななく)腕から全身の力が抜けたように、若者は座り込む。地に頭を擦り付け、死んだ戦友の名を叫びながら、若者は号泣した。

「……十貴族様には、承知したとお伝えください」

 丁寧に礼をする家宰。

「赦されよ」

 一言、言葉を残すとテクニアは背を向けた。

 背後で聞こえる慟哭に、耳をふさぎながら彼は唇を裂けるほどかみ締め、急ぎ十貴族の集うミザークの屋敷へ馬を飛ばした。




 現在「賊都」を改修中。流れは変えませんが、誤字脱字を中心に、多少追加もあるかもしれません。

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