謀略の使徒15
謀は、荒れ狂う嵐の元ではなく、平穏なる日常の中で行うべきである。
陰謀の限りを尽くし、ロクサーヌを守り、そして支配してきたオウカはそう考えていた。ゆえに、その突発的な謀反に反応することができなかった。
「オウカ様、賊がっ!」
部屋に飛び込んできた使用人は、オウカと護衛の異人を目にするなり声を荒げた。部屋の窓から見下ろせば、屋敷を取り囲んだ賊が屋敷に火をかけようとしている。
秘密裏に手を組んだティザルとバトゥ。
彼らの叛意はオウカにしてみればあまりにも、速すぎた。話し合った次の日には既にロクサーヌにあるオウカの邸宅が襲撃を受けていたのだ。
即席で集めた兵士を上手くラストゥーヌの家宰がまとめあげ、発作的な行動を上手く補ったのも忘れてはいけない。
だが、それを置いても、ティザルとバトゥの行動は早かった。
オウカにしてみれば、手懐けられると思っていた子犬がいきなり牙を剥いたようなものだ。
ロクサーヌの表に、裏に、常に情報の網を張り巡らせていたオウカにしてみれば、その周到さに足を掬われた形になる。
正確な情報を迅速に。
ティザルとバトゥの動きを探らせていた最中に、彼らは突如としてオウカの屋敷を襲ったのだ。
「おのれっ!」
普段なら笑みを絶やさぬその表情に、憤怒の怒りを滾らせてオウカは眼下に広がる光景を睨み付けた。皺くちゃな顔の中から、燃え滾る怒りの炎が彼の容貌を一変させる。
「このわしに牙を剥いたこと、必ず後悔させてくれるっ! 生きたまま皮を剥ぎ、その憎たらしい目玉を食ろうてくれようぞ!」
手にした杖を床に打ちつけ、オウカは使用人に告げる。
「逃げる! 抜け道の用意は!?」
鬼の形相そのままに振り向いたオウカに、使用人はおびえて声も出せずただ頷いた。そのまま歩み去るオウカに、恐る恐る使用人は口を開く。
「や、屋敷を守る使用人どもはいかがいたしましょう?」
「捨て置く!」
振り返りもせず、歩みを進める主人に再び使用人が口を開こうとした瞬間、彼の首は護衛の異人によって床に落ちていた。吹き上がる噴水のごとき血潮。それを眺めて、オウカは護衛を睨む。
「アズ」
「必要なかったか? 翁」
額から頬にかけて傷のある護衛が、無表情で告げる。北方特有の民族衣装に、恐ろしいほどの長身。だがその身は鞭のようにしなやかな筋肉に包まれていた。全員に彫りこまれた刺青が、彼が異人であるとの証だった。
「いや、それでいい」
にやりと、口の端をゆがめたオウカは死んだ使用人に一瞥をくれると歩みを進める。
「愚か者め、他人になど気を取られるから死ぬことになるのだ」
炎が回り始めた屋敷の床を、荒々しく踏みしめ、抜け道を目指してオウカは歩いていった。
「アンネリー! 無事だったか!」
「アンネリー!」
両親に抱きすくめられ、アンネリーは一瞬の戸惑うと同時にその温もりにすべてを忘れた。
「お父さん、お母さん!」
彼女の後ろに控えるカルも、シュセもスカルディアの使用人たちの目も、何もかもを忘れて両親の腕の中に飛び込んでいった。
「よかった……本当に」
抱擁を味わう三人の姿に、カルは目配せして使用人と共に立ち去る。立ち去り際にシュセの肩を軽くたたく。軽く頷く会うシュセとカル。
思いが通じたことに安心して、カルはその場を後にした。
残ったのはシュセ一人。
抱き合う彼らの邪魔にならぬよう、距離をとって彼らを見守る。
「夢ではないのだな!? また家族で会うことができるとは!」
アンネリーの父の言葉に、深く母は頷き涙で目を一杯にしながらアンネリーの額といわず髪といわずキスを降らせる。
その家族の光景をシュセは暖かく見守っていた。
もう、シュセにも、そしてカルにも手の届かなくなった家族の肖像。幼い日に亡くしてしまったその温もりを、その傷を埋めるため、シュセとカルは走ってきたのだ。
そしてこの先も走り続けなければならない。
未だ至高の座は遠く、立ちはだかる敵は多い。
だがそれを踏み越えて、主であるカルを守る為の力は確かにここにあるのだ。
右手に宿った刻印。呪いか、それとも神の恩寵か。
僅かに疼いたその刻印に、シュセは右腕を無意識に撫でていた。
「ヘリオン……」
シュセのいる部屋から出たカルは、廊下でヘリオンとすれ違う。近頃のすれ違い、ヘリオンの考えが読めないカルは、なんと言葉をかけてよいかわからなかった。
「兄上と義姉上を救い出してくれたようだな」
元々感情を表に出すような男ではない。だが、そのあまりに淡々とした言葉にカルは言葉を失った。
「嬉しくはないのか? 家族が戻ったのだろう?」
「礼を言わねばならぬ、とは思う」
戸惑うカルを突き放すような言葉。銀色の刃に似た瞳は、カルを容赦なく打ちのめす。
「貴様っ! それでも……」
自ら手を汚した昨日がよみがえる。溢れかえる血潮、肉を切り裂いた手の感触。そして無抵抗の弱者を踏みにじったという不快感。
「王たろうとするものが、感情を出しすぎるな」
カルのあふれ出す感情をヘリオンはたった一言でせき止めた。
「……王だと?」
湖水色の瞳に宿るのは激しい思いのたけを宿した炎。だが思考の冷静な部分が、なぜ王なのだと考える。確かにカルはこの地に強大な国家を築きたいと語ったことがある。
だが、王になりたいといった覚えなどはない。
シュセに語ったことはあったが、ヘリオンには言ったことはない。
“王”と言われてロクサーヌの貴族が最初に思い出すのは、兇王ヴェル。
シフォン家最後の王にして、血塗られた道を歩む男の名前だ。
「野心が透けて見えるようでは、先が思いやられるな」
「だったらどうだというのだ。謀反でも起こすか!? ヘルシオ家に取り入って……」
ほとんど肯定したに等しい言葉。そしてヘルシオへの内通を示唆されても、ヘリオンは口元に微笑を浮かべるだけだった。
「……王への道は血塗られた道だ。謀略に首まで浸かり、自分の心を殺し続け、他人をだまし続けて歩む道。孤高を友とし、権力という魔物を飼い慣らし、それでもなお輝きを失うことが許されぬ道だ」
力を増したような銀色の瞳が、その資質を見極めるようにカルに注がれる。
「それでも敢えてその道に踏み入れるなら、覚悟を決めよ。カル・スカルディア……矮小な家臣一人御せぬようで、どうして王が務まるのだ」
睨むカルに微笑を残し、ヘリオンは立ち去った。
家族のいる部屋には向かわず、自身の執務室へと向かう。
その背中を蒼の炎がも耐え滾るような視線で、カルは睨む。
「お前の主になりたくば、力を示し続けよ……そう言いたいのかヘリオン!」
氷のような理性と、炎のような激情を内に秘めカルは自身の部屋に向かう。
アンネリーの家族を見て温かな心など、すでに吹き飛んでしまっていた。
街に広がる戦の炎。
ジェルノ家の邸宅は燃え落ち、その別邸までも標的としたティザルとバトゥの手勢は勢いを駆って、オウカに忠実であったフィクス・ミザークの屋敷までも襲う。屋敷に押しかけたティザルとバトゥはフィクスに十貴族の会議の開催を提案した。
もちろん、剣を突きつけてだが。
オウカに忠実だったフィクスだが、すでにオウカのジェルノ家が焼け落ちたことは知っていた。逆らえば命はない、との脅しにフィクスは頷くことしか出来ない。
フィクスの邸宅に居座ったティザルとバトゥは、率いて来た私兵達を二手に分けた。一方はもちろん彼らの護衛のため、もう片方はジェルノ家の派閥で中級にある貴族達の屋敷を襲わせたのだ。
ロクサーヌを実質支配していたオウカの下には数多い貴族が彼の庇護を受けるために、派閥を形成していた。その貴族の邸宅を略奪のために襲ったのだ。
もちろん、忠実なるラストゥーヌの家宰は反対した。軍勢を分散する危険を説いた彼だったが、最早オウカを討ち取ったと判断したティザルとバトゥは彼の進言を聞き入れもしない。
「どうも、そなたは臆病に過ぎるな」
「いや、まったくお恥ずかしい限りで」
嘲りの笑みを浮かべるティザルに、バトゥが追従する。悔しさをかみ締める家宰の意見は当然却下された。それどころか、指揮をはずされ、代わりに指揮を執ったのはケミリオ家の雇い入れた傭兵であった。
被害にあった貴族の家では財宝は奪われ、女は略奪された。
用済みの家々は放火され、風向きと相まってその被害はロクサーヌの東側に広がっていく。
既に彼らは略奪を旨とした盗賊の群れと言って差し支えなかった。
その略奪は、自分の家々に被害が降り注ぐことを恐れた十貴族達が集まるまで続くことになった。