謀略の使徒14
闇に溶けるような漆黒のマントでその高貴な身を包み、カルは郊外にある廃墟にいた。目の前に立つ無法者達に視線を投げ、僅かに口の端を歪めて言葉を発する。
「つまり、貴様らの望みは私の庇護下に入ることなのだな?」
傲慢な貴族を絵に描いたような表情を作りながら、その裏では彼らの真意を探り出すべく必死に考えをまとめる。
「へい、あっしらもあのラストゥーヌのバトゥなんかの下にいるよりは、スカルディア様の下にいたほうが安心だと……」
腰を低くした無法者達の様子を、一瞥すると僅かにカルは沈黙した。その隣にいつもいるはずのシュセの姿はない。護衛に是非自分を連れて行ってほしいと頼むシュセを、説得して彼は敢えて彼女を伴わなかった。
変わりに連れて来たのは、近衛の騎士の中でも口が堅いと評判の二人。
「良いだろう、貴様らの話を信じることにしよう」
顔を見合わせる無法者達に対して、嘲りを含んだような口調でカルは告げる。
「何を驚く、貴様らが望んだことだろう?」
「へ、へい……ありがとうごぜえやす」
褒美にあり付けなくなることを恐れた無法者達は、慌てた様子で感謝の言葉を口にする。
「クラフト」
護衛の騎士の名をカルが呼ばわる。その一言で用件を察した騎士は、皮袋に詰めた金貨を無法者達に手渡した。その重さに、無法者達の顔に喜悦が浮かぶ。
「こ、こりゃ、すげえ!」
どよめきの声が広がり、互いに顔を見合わせる。
「ほんの手付けだが、気に入ってもらえたのなら結構」
平民が五年は楽々と暮らしていける金額を、はした金と言い切るカルに、無法者達の顔に驚愕が広がる。
「さて、その貴様らが浚った貴族だが、明後日には我らに手渡してもらいたい」
「へ、へい! 早速帰って仲間と相談させてもらいます」
餌をくれる主人に尻尾を振る犬のように、頷くと無法者達は挨拶もせずカルに背を向ける。
「無礼者がっ……」
「やめておけ」
小さく呟いて腰に佩いた剣に手を伸ばすクラフトを、カルは抑える。
「それより衛士と協力して彼らの居場所を付き止めよ。ただし手出しはならぬ」
良いな? と念を押されてクラフトは神妙に頭を垂れた。
「行け!」
小さく、だが鋭く命じられた声に応えクラフトは駆け去って行った。
「できれば、今日のうちに片付けたいものだな……」
去って行った無法者達の背はすでに見えない。彼らの消え去った闇を、カルは睨んでいた。
煌々と炊かれる松明の明かりが、門を照らす。
そこはまるで戦にでも出かけるような物々しさだった。ラストゥーヌ家の門構えは、古来より猛々しいほど無骨なものと決まっている。
十貴族となる前、ラストゥーヌ家は武人の家柄だった。ジェルノやケミリオ家がロアヌキア建国以前からあるのに対して、ラストゥーヌ家は四代国王ユーヴァの時代に頭角を現した比較的若い家である。
貴族に成り上がった初代ビーズリィ・ラストゥーヌ以来、武を誇るをことを至上としていた。だがその教えも代を重ねるごとに形骸化していき、バトゥに残るのは猛々しいほどの無骨な門構えだけとなっている。
現当主バトゥは奢侈を好み、その無骨さを嫌っていた。質実剛健を旨とするラストゥーヌの家宰は使用人達に剣を教え、私兵兼使用人としてバトゥに仕えている。
バトゥは認めたがらないが、実質ラストゥーヌの家を支えているのは、人望そして力関係からも家宰の方である。ラストゥーヌ家、ひいてはバトゥがロクサーヌで十貴族として重きを成しているのは、ひとえに彼の家臣達の優秀さによる。
「お屋形さま」
呼びかけた声は、年を重ねた風格と年輪を刻んだ重さを持っていた。
「なんだ?」
家宰の声に、つい声を苛立たせてしまうのは、バトゥの未熟さゆえか。今年40の半ばを過ぎる主人に対して家宰は心の中で僅かにため息を付いた。
「先ほどのティザル・ケミリオ様からのお話、お断りください」
心中をおくびにも出さず、躾けられた完璧な動作で一礼する家宰を、バトゥは忌々しげに睨み付けた。
「貴様の知ったことではない!」
憤るバトゥを諌めるように、家宰は言葉を続ける。
「ティザル・ケミリオ様のことをオウカ様に報せるべきです。さすれば、ラストゥーヌ家の安泰は間違いございますまい!」
オウカを討ち、ロクサーヌの覇権を二人で分かち合おうと言う誘いにバトゥの心は揺れていた。家宰の言うとおり、確かにティザルを売り、オウカにこのことを報せればラストゥーヌ家は安泰となろう。
「黙れと言っている! 友を売ったとあらばラストゥーヌの家名に傷が付くわ!」
口ではそういいつつも、バトゥの心中は違った。このままではラストゥーヌ家は年々埋もれていくばかりなのではないか。終に一度もラストゥーヌ家がロクサーヌの覇権を握れぬまま終わるのではないかと、疑心暗鬼になっていたのだ。
シフォン家最後の王、ヴェルを追い落としたときバトゥは未だ次期当主に過ぎなかった。先代の当主はへェルキオス、オウカ、アトリウスらの口車に乗りロクサーヌに共和制を敷いた。
確かにそこまではいい。
だが、十貴族で仕切るはずのロクサーヌを実際に動かしていたのは、へェルキオスとアトリウス、そしてオウカだった。
──ないがしろにされた! ラストゥーヌ家は、父上はだまされたのだ!
その思いが、心の片隅にいつも澱のようになってバトゥを苛んでいた。兵権を握るアトリウス、莫大な財を築いたへェルキオス、そして表に出ず全てを裏から操るオウカ。三人が互いにけん制しつつも、協力していた頃はとても敵わないと半ばあきらめていた。
自暴自棄になり、他人に傲慢な態度をとって自らの力を確かめていなければ、不安に押しつぶされてしまいそうだった。
だが、アトリウスは死に、へェルキオスも逝った。
「このままでは、我がラストゥーヌ家、いやこのバトゥ……終わりはせぬ!」
若い頃に抱いた野心の炎。忘れかけていたそれが、急に現実味を持ってバトゥの前にさらけ出されたのだ。
「お屋形様! いけません、家を危険に晒すべきでは!」
家宰の言葉を怒鳴り付けて黙らせる。
「黙れ! 当主たる俺の決定だ! 異を唱えることは許さぬ!」
悔しさに歯をかみ締めるようにして頭を垂れる家宰。その彼を見下ろして、バトゥは命令を下す。
「一両日中だ。集められるだけの手勢を集めろ! 俺はケミリオ家に向かう」
短い返事の後、家宰は退出した。
馬車に乗り込み、ケミリオ家に向かうバトゥ。
彼を見送った後、家宰は使用人達を一同に集めて指示を下す。
「このたび、我らが主バトゥ様が……ロクサーヌをお取りになる」
静かな口調に、その場に集まった者達は誰もが息を呑む。
叛乱を起こす!
彼らの主はそう言っているのだ。
「逃げたいものは逃げてよい」
続いて発せられた家宰の言葉に、使用人達は顔を見合わせた。
「……家宰様は、どうなさるので?」
「私は、30年以上このラストゥーヌ家にお仕えしてきた。今更主を見限るつもりはない」
瞑目して語る家宰の表情は、死を覚悟した武人のそれだった。その言葉に、再び使用人達は顔を見合わせる。
「ならば、我々も家宰様に従います」
使用人達を代表して老僕がおずおずと言い出す。
「そうか……バトゥ様を、お留めできなかったこと、赦してほしい」
頭を下げる家宰に、慌てたように老僕が家宰の手をとる。
「よしてください。ラストゥーヌ家は私たちの家も同然、守るのは当たり前です」
「すまぬ……」
薄っすらと武人の目じりに浮いた涙に、使用人達は家宰への忠誠を新たにした。
隣室にレイング家の者達を押し込めて、無法者達は密談にふけっていた。
カルとの交渉の際に持ち帰った多量の金貨。
そのあまりの多さに、誰の顔にも浮かれた雰囲気が漂っていた。深夜にも関わらず、窓にはやはり暗幕を張り巡らせている。蝋燭の明かりを照り返す金貨をもてあそび、目の据わった男が片頬を吊り上げた。
「どうだい、スカルディア家は中々のもんだろう?」
「まったくだ! まさかこんなにだすとはな」
喜悦に歪む無法者達は、金貨の質感を楽しむと隣室に誰ともなく視線を向ける。
「で、どうする?」
触れたくないものに触れてしまった時のような不快感が、彼らの顔に浮かぶ。
沈黙を持って目の据わった男を見返す彼ら。
他の無法者達をぐるりと見回して、その場の中心となる目の据わった男は、再び片頬を吊り上げた。
「こんな美味しい鴨をみすみす逃しちまっていいのか?」
ごくり、と誰かがつばを飲み込む音がした。
「それじゃ約束を反故にするのか?」
「なぁに、もう少し金を積んでもらうだけさ」
にたりと、粘りつくような笑みを浮かべた男は金貨に視線を落とす。
「あの小僧からはもっともっと搾り出せる。出せるもんは、もらって損はねえだろう? 俺たちぁ貧乏人だ。金持ちから多少もらったって損はあるめえよ」
そうだろ? と視線を回せば全てのものがにやにやと嫌らしい笑みを浮かべて頷いていた。
「そうと決まれば善は急げだ。早速あの小僧に使いを出して、金額を上乗せしようじゃねえか!」
「おぉ!」
興奮のために、声を抑えることができない無法者達の声は鬨の声に似ていた。
「悪いが、それは受け入れられない」
無法者達の熱気に水を指したのは、扉を蹴破る音と、落ち着いた口調だった。外の闇が部屋に入ってきたかのような漆黒のマントに身を包み、カルが扉の向こうに立っていた。彼の後ろに続くのは、騎士が一人と平民出身の衛士達の姿。
「貴様らには、ここで死んでもらう」
温度を感じさせない青色の瞳、憐憫すら与えそうにない凍てついた視線で、カルは無法者達を睥睨した。
「て、てめえ……どうしてここが!?」
カルから感じる威圧を跳ね除けようと無法者が声を荒げる。
「狩りを知っているか? 猟師は、最初わざと狙った獲物に餌を投げ与え、獲物が巣に戻ったところを取り押さえるそうだ。実にわかりやすかった」
感情を表さないカルの声に、馬鹿にされたと感じた無法者が打ちかかる。
「クソガキがっ!」
振ってくる刃の欠けた剣を難なく避けると、腰に佩いた剣を一閃。カルは深々と無法者の首を刺し貫いた。
「く、くそっ! 人質をっ!」
隣室へ向かおうとした無法者が扉に手をかけようとした瞬間、その扉が勢いよく開いた。
「観念せよ」
突きつけられたのはクラフトの剣。
無表情に無法者を見下ろすクラフトの背後には、衛士に囲まれたレイング家の者達の姿が見える。
前後より挟み撃ちにされた無法者達は武器を投げ捨て、手を上げた。
「わかった。降参する……だから命だけは!」
「我、命を脅し商いにする者ゆるさじ……やれ!」
カルの側に控えていた騎士、そしてクラフトが無抵抗の無法者に向かって剣を振るう。肉に食い込む鉄の牙が、獲物の臓腑を切り裂く。湯気を出しながら垂れ流される血と臓物に、衛士の中には目をそむける者もいた。
だがカルは眉一つ動かさず、彼らが死ぬ様を見届ける。
泣き叫ぶ無法者に、止めを刺すと二人の騎士はカルの前に跪く。
「よくやった。後はレイング家の者達を私の屋敷に……丁重に、な」
「御意!」
振り返り、衛士に向かってカルは声をかけた。
「事後の処置は任せる。後でスカルディア家からも届け物をさせよう……ご苦労だった」
「はっ」
頷く衛士の側をすり抜け、カルは外へ出る。
外の冷気が、僅かに上気した彼の頬をなでる。
「お前なら、決してこのようにはしないのだろうな……」
脳裏に思い浮かべるのは、白亜の騎士。慈悲すらもその強さの中に内包する彼女の悲しげな顔が、カルの心を責め苛む。
「罪あるものは、罰せられなければならぬ」
言い訳に聞こえてしまいそうな、その言葉でカルは心に蓋をした。