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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦527年 覇を統べる王4章
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謀略の使徒13

 

 オウカの叱責を招き、スカルディア家を追い詰める十貴族の会議からはずされたティザルは鬱々として酒浸りの日々を送っていた。窓を締め切り、薄暗い部屋には庶民の月収にも匹敵する酒瓶が、無造作に転がっている。

「くそっ!」

 一族の長として、今までくじかれることのなかった自尊心。肥大する一方のそれを抑える術を彼は知らなかった。もし彼が、忍耐を重ね屈辱をばねとして、尚いっそうの努力をしたならばあるいは、オウカの跡を継ぎ権力を一手に集めることが出来たかもしれない。

 なんといっても彼はいまだに若い。

 一門の当主。親類縁者、家臣を始め、己の領地に戻れば領民、そして大貴族に寄り添う中小の貴族達を合わせれば軽く数万の人の上に立っていることになる。それが大貴族、十貴族の一角を成す家門の当主である。

 カルを除けば、五十台の多い十貴族中異例に若い30台。

 オウカが未来を嘱望しても不思議ではない。自らこそが次代の十貴族を率いるであろう将来を、半ば当然とティザルも受け止めていた。

 内々にオウカ翁に呼ばれ、親しく声をかけてもらったこともある。

 だが、その寵愛がいとも簡単に覆された。

 このままでは、スカルディア家を取り潰した後の貰いが少なくなる。そればかりか、最悪何ももらえぬこともありうる。そうすれば誰の目にもケミリオ家の面目は丸つぶれとなろう。靡いていた貴族どもは鞍替えし、他の保護者を求める。

 今までは歯牙にもかけなかった者に気安く肩を叩かれ、気にするななどと慰めの言葉をもらうなどケミリオ家の当主として、断じて許せなかった。

「くそっ!」

 酒を味わう余裕もなく、一気に飲み干す。芳醇に甘いはずの味わいも、のどを刺激する適度な辛さも、今のティザルには味わう余裕すらない。ただ、今の自分を認めたくなくて酒に浸る。

「カル……、カル・スカルディアめ!」

 憎んでも憎みきれない男の名が口から零れ落ちた。己の将来を、オウカ翁からの寵愛を、奪った男。いや、男ですらない。あのような子供にっ! 偉大なる宰相ヴァージネルが末、栄光あるケミリオ家の当主たるティザル・ケミリオが遅れをとっていいわけがない!

 荒々しくテーブルに酒瓶をたたきつけると、その拍子に他の酒瓶が転がり落ちる。

 それすらも気に食わず、テーブルの上にあった酒瓶を軒並み払いのけ、荒い息をつく。

「御館さま」

 規則正しいノックの音と、家宰の声が聞こえたのはそのときだった。

 ふらつく足取り、荒々しく吐き出される息の合間からティザルは返事をした。

「どうした!?」

「……お客様がいらっしゃってございます」

 一瞬と惑ったように家宰は、言い淀み扉に向けて声を励ました。

「客? はっ、誰だ!?」

 謹慎中のティザルを尋ねる者など、いようはずがない。それほどまでに十貴族の長老であるオウカの権力は磐石といってもいい。少なくとも、貴族の中では。

「……ヘルシオ家のウェンディ様です」

 苦虫を噛み潰すような家宰の声に、ティザルは一瞬動きを止めた。

「なに? なんと申した!?」

 そんな馬鹿な、と思う。あの女はそんな殊勝な者ではない。溺れていたからこそわかる。あの冷たさ、お互いに利用する価値があったからこそ、近づいたのだ。今のような窮地に陥っているティザルを助けるなど、ヘルシオ家のウェンディのすることではない。

 断じて、ない。

「お帰りになっていただきますか?」

 いくばくかの期待を込めた家宰の声に、ティザルは我に返る。

「いや、会おう! 仕度する……客人の間にお通しせよ」

 だが、もしかすると……その期待が否応なく膨らむ。見捨てられ、絶望しかけたティザルに手を差し伸べるウェンディ。ありえない。ありえない……だが!

 急く気持ちを押さえ、ティザルは着替えもそこそこに客人の間に向かう。

 いくら思考が否定しようとも、それを期待する気持ちが抑えられない。

 早足になり、乱暴に扉を開ければ客間にはいるはずのない、だが待ち望んでいたウェンディの姿があった。

「……なんの、御用でしょうか?」

 気づけばティザルの息は上がっている。その呼吸を落ち着けようと、軽く深呼吸しつつ一歩部屋に踏み出した時、ウェンディが立ち上がりゆっくりとティザルに近づいてくる。

 ローブに隠した表情はわからない。だが妖艶なはずの彼女の雰囲気は微塵も感じられず──。

「会いたかった、ティザル」

 その言葉とともに、首に回される彼女の腕。柔らかな胸の圧迫とともに、花の香がティザルの理性を惑わし乱す。いつもまとう妖艶な雰囲気ではない。むしろ清楚な、一途な乙女を思わせる潤んだ瞳。囁きかける言葉は、ティザル自身よりも切羽詰った思いを感じさせた。

「ウェンディ様、何を」

 残る理性を総動員して彼女を引き離そうとする。

 彼女の肩に手をかけ、少し力を込めさえすれば細い彼女など簡単に引き剥がせるだろう。家宰達に命じて方々へ金を配り、挽回のための時待っている今。

 ウェンディとは距離をとり、オウカの寛容に期待するしかないこのときに。

「ヘルシオ家も、スカルディア家も、もうどうでもいい」

 ティザルの手は彼女を押し返そうと力を込め──。

「貴方が好きなの、ティザル」

 押し付けられた彼女の唇の柔らかさに、全ての抵抗は無に帰した。

「ああ、ウェンディ!」

 肩にかけた手は彼女を掻き擁き、荒々しく唇を奪う。その愛撫を自ら望むようにウェンディはティザルの頭を掻き擁く。

「ティザルっ!」

 口付けの合間から漏れる自身の名に、彼は理性を忘れる。彼女の纏うローブを引き裂き、その白い四肢を絨毯の上に押し倒した。





 柔らかなベッドの上、身を沈みこませる最高級のベッドに横たわりながら、ティザルは深い満足のため息をついた。今までこれほど充実した瞬間があっただろうか。

 今隣には、女が寝ている。自身が征服した、最高の女だ。

「ティザル」

「なんだ?」

 甘い声に振り返れば、悲しげなウェンディの顔がすぐそばにある。

「……ごめんなさい。もうこれで最後にしましょう。やっぱり私達は会わない方が良いわ」

「何を言う! 家も体面も関係ないと、私に言ったのは嘘だったのか!?」

「でも……わかるでしょう? 貴方には忠実な家宰や従えねばならない家臣がいる。栄光あるケミリオ家を私などのために捨ててはいけないわ」

「なんの、十貴族の地位など捨ててもいい!」

「ダメ! 貴方は将来、十貴族の長になる人間よ」

 強い彼女の戒めの言葉に、ティザルはウェンディを抱き寄せた。

「ジェルノ家のオウカなど足元にも及ばない。貴方こそが十貴族の長に相応しい……だから、これで終わりにしましょう」

 弱弱しく首を振り、涙を流すウェンディを強く抱きしめ、ティザルは首を振った。

「お前に比べれば十貴族の長の地位など!」

 だが、その腕の中からウェンディは抜け出した。

「明日、ジェルノ家のオウカ翁の所へ行くわ。前々から呼ばれていたのだけど、あのご老人の情欲に満ちた目を見ていると怖くて……でも、明日行くわ。そこで貴方の謹慎を解いてもらうよう、お願いするつもり……どんなことをしてもね」

 ベッドの上から抜け出して、ティザルに背を向け下着をつけるウェンディ。

「それは、ならぬ!」

 言うなり、ティザルはウェンディを抱きしめた。

「仕方ないのよ……ティザル、彼が生きている限り、私達が結ばれることはないわ」

「ならば……ならば、私はオウカを殺す!」

 とっさに振り向いた、ウェンディにティザルは力強くうなづいた。

「でも、でもティザル、それでは貴方が反逆者に……」

「オウカを殺し、私が十貴族の実権を握る。そうすれば反逆などと誰も言いだすまい!」

 燃えるティザルの瞳に、ウェンディは瞳を潤ませて問いかけた。

「本当? 本当にオウカを殺すのティザル?」

「ああ、私に任せておけ!」

 強く抱きしめたウェンディの口元が禍々しく弦月に歪んでいた事を、ティザルは知らなかった。





「ヘリオンが、ヘルシオ家に出入りしているのは間違いないのだな?」

 問いかけるカルの口調は重く、青色の視線は凍てついたように厳しい。

「残念ながら……」

 頭を下げるシュセの顔にも、苦渋の色がある。

「……裏切ったというのか、ヘリオンが!」

 奥歯をかみ締め、その言葉を搾り出す。その声にシュセは頭をたれたままだった。

「もしかしたら、家族を人質にとられての仕方ないことなのかもしれません」

 あるいは、と断りを入れたシュセの言葉にカルは拳を机に叩きつける。

「だが、だとしても……なんの断りもなくっ!」

 机に叩き付けた拳の痛みが感じられないほど、カルの心は揺れていた。

「処分を下されますか?」

 そんな主に苦虫を何十匹もかみ殺したようなシュセが、言葉をかける。

 殺すのか、と。

「いや……」

 俯いたまま、言葉の告げないカル。

「では……例の無法者はどのようにいたしましょう?」

 躊躇ったようなシュセの声に、カルは顔を上げた。すでに彼ら無法者との約束の日取りは明日に迫っている。椅子に深く腰掛け、激情を追い出すかのように息を吐く。

「無論、会う」

「ヘリオン殿を、信じなさるのですね?」

「ああ」

 その返事に、ほっとした表情を見せるシュセ。

「では、これにて」

 柔らかい声を残して、シュセはカルに一礼し、部屋を後にする。

 シュセを見送って表情を消したカルは、深く項垂れた。

「だが、だが……もし裏切っているのなら……私はお前を決して赦さぬぞ、ヘリオン!」

 小さく吐き出された毒は、シュセの消えた冷たい部屋を震わせた。





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