牙を剥く黒蛇1
器に絡む蔦の裏舞台のお話
「くそジジイいるか!?」
東都ガドリアの一角、アタシは石造りの店の中で声を張り上げた。
「うるせえ、蛇娘! 怒鳴らんでも聞こえとるわい」
禿げた頭に、白い顎鬚を蓄えたモルトの爺さんは、アタシに負けない声を張り上げて店の奥から顔を見せた。
「んで、用件は?」
上半身裸の爺さんの体の各所には、古傷が所狭しとある。目付きもなかなか鋭い。
当然と言えば当然だ。この爺さんはアタシの同業者……つまり盗賊だ。
「ルカンドだ。ちっと借りれねえかな?」
『双頭の蛇』を立ち上げてから、2年が経っていた。アタシは19に、ジンは15になっていた。
あの時拾ったガキどもも、なんとか使えるようになり今じゃ手下を何人か抱える身分になっている。
変われば変わるものだ。
「やい、蛇娘。てめえ、アイツは俺に弟子入りさせたんだろうが、今更どの面下げて借りに来てんだ、おう!」
「細けえこと抜かしてんじゃねえよ! 花も恥らう乙女がこんなむさ苦しい所まで足運んでやってんだ。十分だろうが!」
「花も恥らうぅ? ハッ、トチ狂ってんじゃねえぞ! どこにそんな大層なもんがいるんだ?」
「てめえの目は節穴か? いよいよ『炎の運び手』のモルトも墓場が近いらしいな!」
「やんのか、蛇娘!」
「やめとけ、くそジジイ。まだ長生きしてえだろうが!」
一触即発のアタシ達を、止めたのは揉め事の張本人だった。
「サギリさん! どうしたんです?」
まだ幼さの残る顔に、人の良さそうな笑みを浮かべて、店の奥からルカンドが顔をのぞかせた。
「丁度良い、借りてくぞ。くそじじい!」
「待ちやがれ、話は終わってねえぞ!」
戸惑うルカンドの手を引いて行こうとするアタシを、強引に引き止める。
「何の用で、わしの可愛い弟子を連れて行くつもりだ! この人攫いめ!」
「師匠……」
目頭の潤んでいるルカンドを無視して、モルトを睨み付ける。
「決まってんだろ、仕事だよ。仕事!」
「コイツは真っ当な職人として生きていく。そう決めてわしの所に預けたんだろうが!」
思わず舌打ちが漏れる。今更古い事を言い出しやがって。
「心配しなくても、二十日ほどで無事に帰してやる!」
睨み合う、アタシとモルト爺。それを打ち破ったのは店の外から、聞こえた能天気な声だった。
「サー姐まだ〜?」
小柄な体躯に、ルカンドに比べるとこちらは正真正銘の童顔。
「ケイフゥ!」
驚いたのはアタシとモルトの間で困惑していたルカンドだった。
「……サー姐、遅い」
ぼそりと呟いて、日の光から逃れるように日陰に入り込んでいるのはサイシャ。どんよりと暗い雰囲気そのままの、真っ黒な服で体の凹凸を隠している。
「サイシャまで!」
「ルカ〜久しぶりぃ」
「……よぉ役立たず」
へにゃり、とした笑顔を見せるケイフゥと暗い瞳で見上げるサイシャ。
「変わらないね、二人とも!」
弾ける様な笑顔のルカンドを横目に、アタシは舌打ちする。
「なんだなんだ、『双頭の蛇』の幹部連中が揃いも揃って!」
困惑するモルトに顔を向け、ケイフゥが屈託の無い笑顔を見せる。
「遊び〜、ルカンド一緒〜、ロクサーヌ行こう」
緊張感のかけらも無いケイフゥ。
「……王都、殴りこみ」
暗く笑うサイシャを横目で見て、アタシは思う。コイツらの育て方をどこか、間違っただろうか?
「お前ら、さっきアタシの話を聞いてたか? 王都へは偵察に行くだけだ!」
「美味しい物、食べるぅ」
「……ついでに、殺せば良い」
疲れる。それがアタシの正直な感想だった。
「まぁ、そういうわけでまともなルカンドを連れて行くからなっ!」
「まぁお前らが揃ってるなら心配もあるめえが……」
ふと、気づいたようにモルトは疑問を発する。
「狼野郎はどうした?」
「ジンにぃならぁ、外で〜」
「……馬車」
ルカンドの顔に花が咲く。
「ジンさんも?」
脱兎の如く駆け出すルカンドを、モルトは苦笑しながら見つめていた。アタシもだが。
「まぁジンがいるなら、仕方ねえか」
「アタシよりジンの方が信用あるなんて、納得いかねえな」
「きっちり二十日で帰せよ。アイツはわしの弟子の中でも中々見込みがある奴なんだ。教えることが山ほどある!」
「道楽じじいが! 本業もそれぐらい頑張りやがれってんだ」
そう言って店を後にしようとするアタシに、モルトが声をかける。
「ちょっと待て、蛇娘」
「まだ、なんか用か?」
棚をごそごそ漁っていたと思ったら、包みを投げてよこす。
「狼野郎に渡しとけ」
中から出て来たのは、双振りの剣。
「小太刀って短剣と長剣の中間の剣だ。極東からの流れ者に聞いて作ってみたから試しに使ってみろってな」
「随分、うちの子を評価してくれちゃってんだねえ」
「ディードの件じゃ随分世話になったし、てめえみたいなのについてくってだけで、気苦労が絶えないだろうからな」
しみじみと頷くモルトのじじい。
「さっさとくたばれ! くそじじい」
「てめえも、手下に苦労ばっかりかけてんじゃねえ! 蛇娘」
挨拶を終えてアタシは外に出た。
外に止めた馬車には、ジンに抱きつくルカンドと、困ったようなジン。
自分も抱きつこうとするケイフゥ、暗く笑うサイシャの姿があった。
「さっさと、馬車に乗りやがれ、出発するよ!」
手下どもに、アタシは声をかけた。
王都ロクサーヌ。
富と政治の中心、文字通りこの国の心臓部というやつだ。アタシには因縁深い場所だが、まぁそれはいい。
ロクサーヌは遠方から見れば、城壁に囲まれた円形の都市だということがわかる。東西南北に、血管の役目をする街道を通している。城壁のすぐ内側には高い塔が、一定の間隔をいて聳えたつ。街道沿いの塔には鐘が設置されていて、日の出と、日の入りの一日二回、その鐘を鳴らして城門を閉める合図としていた。
四角く削りだした石を積み重ねた城壁は、内と外の二重をなし、広い城壁の上には街の外周をぐるりと一周できる通路が通っている。
外からは見えないが、街の中央には四方へと延びる街道が合流したところに広場が設けられている。月に二度開かれるバザーは国内からはもとより遠く、自由都市群からも商人が品物を持ち込む。広場から少し北よりは、街を治める貴族達の住処となっている。
荒地からロクサーヌへ至る道には、峻厳な山が立ちはだかる。そのせいか、ロクサーヌへ入ると気候ががらりと変わる。
「サー姐、緑一杯!」
山を越えて、下り道に入ると緑が増える。荒地にはないその光景に、ケイフゥが騒ぎだす。
穏やかな風と、温暖な気候がこの地方を楽園にも似せていた。
「……温いね」
ぽつりとサイシャが呟く。
「凄い」
感動とともに見守るルカンド。
三者三様の反応を示しながら、暖かな季節に抱かれるロクサーヌに入る。
正直、アタシはロクサーヌに入るのに気が重い。
「ジン、アタシは少し用事があるから、こいつ等しばらく頼むよ」
城門を抜けて、街の中に入る。一応表向きは商人ということになっているが、役人に袖の下を渡すのも忘れない。
御者台から、飛び降りて馬車をジンに任せたアタシは貧民街の一角へと向かう。
手紙は出しておいたから、大丈夫だろうとは思う。
思うけど、長らく留守にしていた為の反応が怖い。
整備された表通りから、暗い路地を抜ければ、そこは混沌と猥雑が支配する世界だった。
怪しげな露天が並び、目つきの悪い奴等がたむろする。露骨に刃物をチラつかせる者もいれば、異端とされる宗教の信徒どもが徒党を組んで練り歩き、傭兵崩れや、凶状持ち、ありとあらゆる人がここに面を見せていた。
そんな中を抜けて、アタシは一軒の宿屋の前に立つ。
柄にもなく緊張しているのがわかる。
細く息を吐き出して、ぎぃ、と鳴る立て付けの悪い扉を開けた。
一階は酒場。二階は宿。高級な宿でないことは、木造の作りを見てもわかる。所々に隠せないほどの疵や、染みがついている。板張りの床は、踏めば悲鳴のような軋んだ声をあげる。いくつかテーブルと、それを囲む椅子。直前まで、宿泊客が昼食でも食べていたのだろう。テーブルの上にはまだ、片付けていない陶器の食器が並んでいた。
「変わってないなぁ」
ぼんやりと呟いて、カウンターの方を見れば、アタシを見つめる女性の姿。その人のほうへ近寄っていく。
銀色の波立つ髪を、肩口で切りそろえて、後ろで一つにまとめてある。瞳の色は、翡翠の緑。
前よりも、多少痩せていた。
少し、皺が目立ってきたんじゃないだろうか。
怪訝な表情の女性の前で、アタシは旅用のフード付きのローブを脱ぐ。
アタシを見つめていた女性の瞳が、驚きに見開かれ、その口は懐かしい声でアタシの名前を呼んだ。
「サギリっ!」
「ただいま、ロメリア」
軽い身のこなしで、カウンターを飛び越える。
「本当に、本当にサギリ?」
アタシの体を所々触って確かめるロメリアに、苦笑する。
「本物だよ。それとも偽者でも出たの?」
ぎゅっ、とアタシを抱きしめるロメリアに身を任せた。アタシに残された最後の、場所だ。
「バカ! 心配したんだから……」
「うん」
アタシはこの人だけには、頭が上がらない。
実の母ではないけれど、アタシを愛してくれる人だったから。
「ベイシュは何も言わないし、貴方は置手紙一つ残して出て行くし……」
「ごめん、心配かけたね」
涙にぬれた目じりを拭って、ロメリアはアタシを見つめる。
「今までどこにいたの? 戻ってきたからには、一緒に暮らせるんでしょ?」
「ごめん、今はまだダメなんだ……」
表情を曇らせるロメリア。
「今日はロメリアの様子を見に来たのと、ベイシュに話があってきたんだ。いるかな?」
ロメリアのの眉間に皺が寄る。
「今ちょっと出てるわ。戻ってくるまで、お茶にしましょう……その位はいいわよね?」
甘えそうになる心を叱咤する。まだ、戻るわけにはいかない。
「うん」
モルトのじいさん的呼び方
サギリ=蛇娘
ジン=狼野郎
ケイフゥ=ちび
サイシャ=毒蛇
ルカンド=ルカ