謀略の使徒10
「無事で何よりだった……で、ここ数日どこに行っていた?」
カルの湖水色の視線で見つめる視線は、ヘリオンの帰還を喜ぶと同時に、疑念をたたえていた。
「私的な用事だ」
明晰な回答で、自身の疑念を払ってくれることを期待していたカルは、僅か失望し再び質問を重ねる。
「どこで何をしていた?」
「答えられない」
「っ!」
「殿下!」
怒りを爆発させようとするカルを押し留めたのは、傍らに控えるシュセだった。
「ヘリオン殿、それよりもご実家のレイング家が何者かに襲撃を受け、ご家族の安否が不明です」
注意深くヘリオンの反応を見守るカルとシュセに、ヘリオンは小さく頷いた。
「そうか」
そう言ったきり黙りこむ彼を、シュセが問いただす。
「……それだけですか?」
「他に答えようもあるまい。大方犯人は、十貴族か、ヘルシオ家だろう? こちら側につくと決めた時点から覚悟はしていた」
そう言われてしまってはカルは黙るしかない。牢屋から彼を引き抜いたのは、ほかならぬカル自身。膝まで屈して、彼を迎えたからには、彼の家族が行方知れずの責任の一旦はカルにあるといっても過言ではない。
「姪御さんが、いらっしゃっていますがお会いになりますか?」
納得いかずに、だが引き下がらざるを得ないカルの脇で、再び口を開いたのはシュセ。
「……アンネリーが? いや、今は会わないほうが良いだろう」
僅かに走った動揺を押さえ込むようにして、ヘリオンは言葉を切った。
「話が以上なら、私は仕事に戻らせてもらう」
長い上衣を翻らせ、背を向けるヘリオンにカルもシュセも返す言葉が無かった。
「どう思う? シュセ」
「わたくしには、なんとも……ですが口で言うほど家族のことを心配してないわけではないのだと、思います」
手元にある便箋を一瞥すると、カルは背もたれに体重を掛けた。
「ヘリオンが敵と内通している、か……普通なら信じぬ所だが」
便箋に書かれた内容を裏付けるように、スカルディアの領内各地で不満が燻り始めている。不正代官が摘発直前に姿をくらませたり、告発者が突然翻意したり、収められるべき税が狙ったように盗賊に襲われたりだ。
領内の乱れは、貴族としての力の有無に直接繋がる。納められるべき税が収められず、スカルディア家の支持者の足並みがそろわなければ、いかに巨大な貴族とて身動きが取れない。
「便箋をよこしたのは、無法者だったな?」
「はっ……」
短く返事をするシュセ。
「会ってみよう」
「危険ではありませんか?」
「無論、護衛はつける。それと、衛士の中でスカルディア家に忠誠を誓う者を、選んでくれないか? 出来れば尾行に向いた者が良い」
「御意」
「ヘリオンの意図はわからん……だが、打てる手は打っておかなくてはな」
苦い思いを飲み下し、カルはまぶたを閉じた。
──衛士。
ロクサーヌの治安を維持する役割を担う彼らは、全ての貴族からの義捐金によって賄われている。
といっても、実際にその義捐金の大部分を占めているのは十貴族──スカルディア、ヘルシオ、ジェルノ、ケミリオ、ラストゥーヌら有力な貴族達だ。ツラド家滅亡と、スカルディア当主が未だ十貴族の承認を得ず、更にはヘルシオ家の当主が不在で7人となっている彼ら、街の支配者達のうちで、持ち回りで衛士の長を担当することになる。
貴族といってもさまざまで、十貴族のような有力者達もいれば、平民と大差ない下級貴族達もいる。有力貴族ならまだしも、下級貴族では相続など期待できない。彼ら行き場の無い次男や三男の“就職先”としての役割もあって、衛士には貴族出身者が多かった。
家々の関係が密接なのが貴族と平民の違いだが、自然、彼らは元の派閥同士で寄り集まり、衛士の中にも十貴族を中心とした派閥が作られている。
貴族達の派閥とは別に、平民出身者からなる派閥も存在しており、派閥同士で激しく対抗意識を燃やしていた。
特に、ヘェルキオス亡き後の混乱の中、スカルディア派閥と、その他の貴族派閥は犬猿の仲といっても良い。衛士の長に、スカルディアの者が就かないのは、半ば公然の事実としてあり、スカルディア派閥の者は汚い仕事やきつい仕事ばかり回されていた。
割の良い仕事、派手でロクサーヌの民の耳目を集めるような仕事は十貴族派閥に集まる。
そんな折に持ち込まれた頼みごとに、衛士達は困ったような顔を見合わせた。彼らにしてみればいかにスカルディア派閥とはいえ、これ以上十貴族の者達に睨まれたくはなかった。
「そこをなんとか、お願いできないでしょうか?」
衛士の宿舎、宿直番で詰めることになっているそこに、シュセは自ら出向いて頭を下げていた。
頭を下げるシュセに、貴族出身の衛士達は眉をひそめる。
「そんなこと言われても、なぁ?」
顔を見合わせる衛士達。
「スカルディアの若様が衛士の長に就かれることがあるなら、俺達も動きやすいんだが……」
シュセがだめか、と諦めかけたそのとき。
「お前らがやらないなら、俺達が引き受けてもいいぜ」
とっさに振り返るシュセに、名乗りを上げたのは平民出身の衛士達だった。貴族は持ち回りでつくことになっている宿直番だが、平民は当然のように就かされる。
「さっきから見てれば、若い娘に頭下げさせて、てめえらほんとに衛士かね?」
肩を竦めてあろうことか、スカルディア派閥の衛士を煽りさえする。
「ぐっ……俺達だってなぁ!」
「なんだよ、やんのかい? このシュセさんの頼みは断るのに、威張り散らすのだけは一人前とは」
嘯く声に、おびえる様子は無い。
「ちゃんちゃら可笑しいぜ!」
平民出身の衛士の一人が啖呵を切ると、彼の後ろでは平民出身の衛士達がはやし立てる。
「てめえら、平民の分際で……」
一触即発の彼らの中。
「おやめください」
思わず背筋が伸びるような凛とした声で彼らを黙らせたのは、当のシュセ本人だった。
平民の衛士達に向き直り、頭を下げる。
「わたくしのために、申し出てくれたこと本当にありがとうございます……ですがそれをもって彼らを責めないでやってください。貴族には貴族のしがらみというものが御座います」
丁寧だが有無を言わせぬ口調に気圧され、平民の衛士はうなずく。
すかさずスカルディア派閥の衛士達に向き直ると、彼らにも丁寧に礼を言う。
「今日は無理を言って申し訳ありませんでした。今後出来るだけ、カル様に衛士のことを心がけるようにお願い申し上げておきます……ですから今少し、耐え忍んでいてください」
「シュセ様……」
声も無いスカルディア派閥の衛士達に背を向け、シュセは平民の出身の衛士達と共に宿直の番から外れていく。悔しげにその背中を見送ったスカルディア派閥の衛士達。
「ほんとに、平民の奴らだけに任せちまっていいのかな?」
ぽつりと、呟く声に全員の耳目が集まる。
「じゃ、お前これ以上、奴らに睨まれてえのかよ?」
衛士の長はラストゥーヌ家のバトゥ。粗暴さと、頭の悪さでは十貴族の中でも、群を抜いている。陰に陽に、執拗な嫌がらせを受けるのは何も自身だけではないのだ。
貴族社会は繋がっている。
自身の身内までもが被害を受けると知っていて尚、今のスカルディア家に協力できる者は稀だった。
彼らには、ただ俯くだけしかなかった。
「ご好意には感謝しています。ですが、なぜわたくしに力を貸していただけるのでしょう?」
平民出身の衛士達に向かって、開口一番シュセは質問した。
「あぁ、それは──」
平民出身の衛士達は互いに顔を見せ合わせて、照れたように笑いあう。
「実は、この前の戦のときにスカルディアの若様の噂を聞いてね」
この前の戦で自分の家だけではなく、他家の私兵までも生還させたスカルディア家のカルの名前は、平民の中に一種希望の光と共に輝いていた。
「俺は戦から帰ってきた奴から直接聞いたんだが……」
別の一人が口を開き始めれば、集まった平民の兵士達は口々にカルを讃える。
「……ありがとう、ございます」
あの時、他家の私兵になど構わずロクサーヌに帰還し、十貴族の首を上げていればあるいは一気にカルを至高の座まで上らせることが出来たかもしれない。カルもそれは分かっていたし、シュセも十分に承知していた。だが、目の前で苦しむ私兵たちを捨てていくことが、カルとシュセにはどうしてもできなかったのだ。
その私兵たちがめぐりめぐって、カルを褒め称え、スカルディアの為に働いてくれる。
シュセは胸が熱くなるのを堪えることができなかった。
「よしてくれ、俺達は自分の正しいことをやるだけだ」
頭を掻いた衛士の一人が照れながら他の衛士に同意を求めると、彼らはみな一様に頷いた。
「いえ、だからこそ、お礼を言わせてください……ありがとうございます」
「困ったな」
そう言って照れる衛士達に、嬉しさの余り泣き出しそうな視線を向けて、シュセは頭を垂れた。
「で、俺達は何をすればいいんだ?」
「はい、実は──」
その後、平民の衛士たちは、危険も顧みずシュセの頼みを受け入れた。