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The Kingdom  作者: 春野隠者
ゴード暦527年 覇を統べる王4章
43/103

謀略の使徒6

 どん、とぶつかる肩。その相手を虫の居所の悪さと相まってアンネリーは思い切り睨み付けた。

「邪魔だ!」

「失礼」

 肩の辺りまでの淡い緑の髪が揺れる。琥珀色の意志の強そうな瞳。少年のような格好に、腰には銀ごしらえの細剣を吊るしていた。だが、細かく見れば、僅かにある胸に膨らみに目がとまる。

 歳は自分と同じか、少し下だろうか。

 アンネリーは肩のぶつかった相手を値踏みして、ほくそ笑んだ。身なりの良さから見て上級貴族の子弟なのだろう。

 良い憂さ晴らしの相手が見つかったと、凶悪な笑みが浮かべ。

「謝って済まされるなら衛士は、いらない!」

 先手必勝とばかりに殴りかかる。

 いつもなら、咄嗟に反応できない相手はこの一撃で怯む。後はこっちの思うがまま。

 だが、殴りかかったアンネリーの拳を目の前の男装の少女は軽く受け止めた。

 相手もやる気だったのかと、男装の少女を見ればその顔にはひたすら困惑の色が広がっている。

「こちらにも非はあったと思いますが、いきなり殴りかかるほどのことではないでしょう?」

 物静かな、諌めるようなその口調がアンネリーの怒りに火をつける。

「黙って殴らせろ! 男女!」

 びき、と一瞬だけ目の前の少女の眉間に皺が寄るのを見た刹那。

「ぐっ!?」

 アンネリーの天地は覆り、背中を地面に思い切り叩きつけられていた。

「お仕置きが、必要でしょうか?」

 自身に問いかけるようなとぼけた口調。だが、アンネリーはそんなものを聞いてる余裕は無い。投げられたと理解した瞬間、背中を強打した衝撃で息が出来ず、咳き込みむせ返る。

 泥水がはね、派手なアンネリーの服はぐっしょりとぬれた。

 咳き込みながら、睨み付けるアンネリーに、ふむと頷いて男装の少女はすらりと細剣を引き抜く。

「踏み込みの速度は良かったですが、気は吐きだすものではなく内に溜めるもの」

 頬に触れる銀拵えの細剣の冷たさが、アンネリーの背筋を凍らせる。だがそれでも彼女は、睨むことをやめはしない。

「度胸は買いますが、それだけでは蛮勇ですよ」

 頬から離れる細剣が、かちりという音共に鞘に収まる。

「ねえ、あなたミザルさんの自宅をご存知?」

 無言のアンネリーを確かめると、男装の少女は一つため息を吐く。

 アンネリーに背を向けて、更に裏路地を歩き出す少女。

 その背中が見えなくなってからアンネリーは路地を殴りつけ、悔しさに奥歯をかみ締めた。



 泥だらけになった服を引きずるようにして、アンネリーは平民街の裏路地から家への道を戻っていた。辺りはすでに夜の帳が落ち月明かりだけが夜道を照らす。

 惨めな気持ちになってくるのを抑えきれない。

 まるで、上級の貴族と下級貴族の差を思い知らされたときのように飲み干す事など出来ない悔しさが後から後から沸いて来る。

 ──寄らないで頂ける? 下級貴族の分際で。

 つい、懐かしくて声をかけただけだった。

 幼い頃仲の良かった友人。社交界で会った彼女から久しぶりに投げかけられた言葉は、身分の差と言う重石をアンネリーの心に一方的に乗せただけだった。

 あまりのことに言葉が出ないアンネリーに、侮蔑の視線と嘲笑を投げかけ、友達だと思っていたその上級貴族は去って行った。

 そして父親は、その上級貴族にアンネリーが声をかけたと言うだけで叱責をもらい、ただ頭を下げるしかなかった。

 悪い仲間と付き合うようになったのはそれからだった。喧嘩、賭博、大人の目を盗んだ悪戯。ことあるごとに親に反抗した。

 自分はあんなふうにはならない。上級貴族(やつら)になんか頭を下げたりしないと。

 水を吸った服と同じように重い心。

 だが、負けてしまった。あの男装の少女に完膚なきまで。

 重い敗北感がアンネリーを打ちのめしていた。

「ちっ……何から何まで」

 たどり着いた家には明かりがない。普段ならあるはずのそれまでが自分を馬鹿にしているようで、アンネリーは鋭く舌打ちした。

 普段なら怒鳴り声を上げるところを、ぼそりと呟いただけにとどまる。

 ぎぃ、という音とともに開く玄関の扉。

 いつもなら出迎える使用人の姿が見えない。明かりのない家はまるで他人の家のようで気味が悪かった。

「おい! 誰かいないのか!」

 ごそり、と闇の中で衣擦れの音がした。

「誰か……」

 家の中へ一歩踏み出そうとして、ふと疑問がよぎる。

 なぜ、誰も居ない? 父は? 母は? 使用人たちは? 一家を挙げて家を空ける用事などレイング家にはないはずだ。

 ふと、嫌な汗が背筋を伝い落ちる。

 ──スカルディア家とヘルシオ家って犬猿の仲だろ?

 ──十貴族のラストゥーヌ家とケミリオ家がウェンディ様に肩入れしてるらしいぜ。

 脳裏を駆け抜ける悪友の言葉。

 まさか、と思う。

 踏み出しかけた足を前に進めようとして、侮蔑の言葉を投げ付けた上級貴族の顔がよぎった。

 じりっ、と踏み出しかけた足を戻して扉から距離をとる。周囲を見渡せば、視界に入るのは月の明かりに照らされた小さな庭と、それすら届かぬ闇。だがその闇の中、誰かの息づく気配を感じて、アンネリーは総毛だった。

「くっ……」

 じりじりと家から遠のくアンネリーに、闇の中からの気配がぐっと濃くなり。

「っ!」

 息を飲む彼女の前に、全身黒ずくめの異様ないでたちの男が現れた。

「誰だ!」

 気で飲まれたら負けるっ! 震えそうになる声を叱咤して、アンネリーは怒鳴る。

 男は口元に肉食獣の笑みを浮かべ。

 瞬間、抜刀する男の剣がアンネリーを狙って抜き放たれる。

 だが身構えていただけあって、アンネリーはそれを寸での所で避ける。

 続けて繰り出される斬撃に彼女は相手が自分よりも格上なのだと思い知る。隙のない剣撃が容赦なくアンネリーを追い詰めていく。

 そのうちのひとつが彼女の肩を掠めた。吹き出る血潮に、顔をゆがめる。

「おとなしくすれば、楽に死ねるぞ」

 男の顔に浮かぶのは嗜虐の笑み。弱い者を嬲る愉悦に歪んだ笑みがそこに張り付いていた。

 肩を抑えながら、男と徐々に距離をとる。

「逃げられると、思うてか?」

 その度に、詰められる間合い。

 アンネリーが男に背を向けた瞬間、男の剣はアンネリーを串刺しにするだろう。下段に構えられた男の剣にはそれだけの圧がある。

 目の前に晒された凶器は容赦なく、彼女の精神を削る。だんだんと呼吸が乱れ、集中力が途切れる。それに耐え切れなくなったのか、僅かにアンネリーは身を翻す動作を見せ──。

 ──その隙を男は容赦なく突いてきた。

 繰り出される刺突。

 殺しになれた男の剣は容赦なく彼女の胸を狙い飛翔する。

 だがその剣撃の下を。

 身を翻したかに見えたアンネリーが、地を這うかのように突進した。

「うあああ!」

「ぐぬ!?」

 捨て身のアンネリーの突進に、驚愕を露にして吹き飛ばされる男。

 大の大人と言えども、居を突かれた攻撃に一瞬思考が止まる。

 その隙を見逃さず、アンネリーは全てを振り払い男に背を向けて駆け出した。

「ちっ……追うぞ!」

 アンネリー家の方に声を荒げて男はアンネリーを追う。家から出てきた男達の数3人。

 彼女を仕留めるには十分な人数。

 夜の帳が落ちたばかりの街を、黒衣を纏った死神達が走って行った。




 夜の街をがむしゃらに走り抜ける。

 でたらめに角を曲がり、泥を跳ね飛ばしながら全力で駆け抜ける。

 激しくなる鼓動、苦しくなる息遣い。

 だがそれでも追跡者を振り切れない。

「くそ、はっ……はっ……」

 喘ぐ口から出るのは、熱い息と僅かな悪態のみ。

 17年生きてきた中で最も差し迫った恐怖。

 死を直視させられた衝撃が、彼女を限界を超えて走らせる。

「いたぞっ! 向こうだ!」

 追いすがる死の声に、徐々に精神を蝕まれる。

 時間が経つたび、まだ振り切れないと、思考が徐々に黒く染まっていく。

 諦めと、生への渇望が拮抗する。

 何度目かの角を曲がった瞬間、目の前に人影が移り、避けようとしてそのまま無様に人影とぶつかってしまう。

「きゃっ!」

「うっ!?」

 逃げなければ、その現実に突き動かされて身を起こそうとしたアンネリーは足が痙攣して動かない事に気がつく。もう彼女の足は限界だった。

「くっ……ふっ……」

 逃げなければ。

 足が動かないならば、這ってでも。少しでも遠くへ。

「見つけたぞ!」

 だが、地を這うアンネリーの背後から低い死神の声が届く。

 追いつかれた。

 絶望とともに振り返ったアンネリー。

 その瞳に映るのは、四人の黒衣の死神と──。

「何の騒ぎです」

 ──昼間、出会った男装の少女の姿だった。

「邪魔だていたせば、命はない」

 低い、だがむしろ男装の少女の妨害を楽しむような声にアンネリーは我に返る。

「逃げろ! 殺されるぞ」

 一瞬だけ、アンネリーに向けられる少女の視線。

「私が逃げれば、貴方はどうなります?」

「貴様の知ったことではない」

 答えたのは黒衣の死神達。

「では、逃げるわけにはいきません」

 きっぱりと言い捨てる少女に、黒衣の男達からは下卑た笑いが返された。

 アンネリーに背を向け、少女はすらりと、剣を抜く。銀細工も見事な細剣、麗しきその剣を一振り、風を切る。

「わたくしはシュセ・ノイスター、相手になりましょう」

 凛として強く、その声は闇を振るわせた。

 僅かに降り注ぐ月の光に照らされて、煌く刃の輝き。

 降り立ったのは紛うことなき、騎士だった。

 どこかでその名を聞いたことがあると、考えたアンネリーの思考を切り裂いたのは黒衣の男達の怒声だった。

 三人が一緒に襲い掛かる。

「あ、」

 危ないと、声を発する前にその剣戟の中にシュセは身を晒す。

 迫りくる凶刃の隙間をすり抜け、細剣を振ること三度(みたび)

 襲い掛かった三人の男の間をすり抜ける。

 声もなく三人の男達は崩れ落ち、残るはアンネリーを最初に襲った男。

「逃げれば命まで取ろうとは思いません」

「ほざけ」

 対峙は一瞬にして、決着は刹那。

 剣に付いた血脂を払い、シュセはアンネリーに振り向いた。

「大丈夫ですか?」

 柔らかい微笑みは月の女神を連想させた。

 あまりの衝撃に、働かない頭。

 アンネリーはだが、なんとか頷いた。



自身で推敲はしているのですが、誤字・脱字があればご指摘をお願いします。


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